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10:馨香漂う休息の庭


「僕が如何なる罪を犯したというのでしょう?

 常々謹厳実直に己を諫め、青天白日であらんと身を正しておりましたが…。

 傑物たる閣下からは未だ足らずと明断されたのでしょうか?」

「お兄様ほど廉潔で愛に満ちた方はいらっしゃいませんわ」

「ああ!僕の魂は確かに愛ある君の声を受け、喜びに輝き震えている!

 それなのに何故!何故!レーヴァクーゼン侯爵閣下はこのような仕打ちをされるのか!!」


「いいから仕事に行け、エカード」


その日、ハンク・レーヴァクーゼン侯爵がシュタット公爵家に訪れるとエカードが卒倒した。

何故なら最愛の妹から氏の訪問予定を報告されていなかったからだ。


普段であれば閣下が訪れる日は、必ずエカードもギーゼラへ相席を申し入れる。

敬愛するレーヴァクーゼン侯爵へ愛らしさを振り撒く妹を、存分に、瞬きもせずに相貌を崩して眺めなければいけないからだ。

それは来訪する側も承知しているため、数日前からの連絡を欠かした事は無かった。

にも関わらず、この週末、ハンクは唐突に屋敷を訪問したのだ。


これには流石のギーゼラも吃驚した。

先触れを今朝受けた際は一体何が起きたのかと混乱したが、ふと昨日の出来事を思い出し今度は言葉を失った。


まさに噓から出た実とはこの事か、と。


(ブラッツ…!気を利かせてくれたのでしょうけど、心臓に悪い!!)


推察するに、アーデルヘルムの誘いを濁した彼女の口実を虚にしないために彼が父へ声を掛けたのだろう。

その事をギーゼラへ告げなかったのは彼なりの叱責だろうか。


素直に、敬服するハンクとの時間は喜ばしい。

いつだって来駕を歓迎するし、断るなぞ努々頭に浮かばないのだ。

故に予定外の出来事をギーゼラは驚愕しつつも、こうして受け入れたのだが、経緯を知らぬ兄の心中はこの通り荒れに荒れた。


そして当然のように玄関先で兄は延々と駄々をこね文句を言い連ね、大聖堂への出勤を拒んでいる。

彼は今日、エミリアとの面談予定が入っており外出しなければならないにも関わらず、いつまでもぐずぐずと、無礼にも程があろうに来客当人へ当たり散らし恨み言をぶつけ続けて暫くだ。

当たり前のように既に約束の時刻は過ぎている。


兄妹の仲をよくよく分かっているハンクも最初は申し訳なさそうにしていたが、そろそろ顔が険しくなってきた。

戦場であれば供する従僕が震えあがる気配を巨体が漂わすものの、嘆く男はどこ吹く風と視線もくれてやらないが、負い目からか強く出られない妹の狼狽する姿を目にしては流石にしょんぼりと肩を落としてか細く震えて見せた。


「ギーゼラ…ああ、僕の天使よ、どうか顔をあげてくれないか」

「お兄様の心を煩わせようなど、誓って、貴方の妹は思っておりません。

 私の喜びはいつだってお兄様の心の充足と幸福なのですから」

「分かっているとも、優しく慈愛溢れるこの世に降り立った唯一、僕の幸福。

 祝福を贈ろう、ほらキミのその美しい瞳に僕を映してくれ?」


そっと頬を撫で親愛のキスを顔中に降らせる。

温かな腕に抱かれ、そっとギーゼラが息を吐いてからがまた長かった。

彼はいつになったら仕事に行くのだろうか。

先方から迎えがいつ来てしまうかと怯えているであろう、屋敷の者たちの内心を慮る。


「お兄様、早いお戻りをお待ちしておりますわ」

「今帰ってきた事にならないかい」

「お兄様」

「はぁーーーーーーーー」


窘められ、やっと抱擁を解いた青年がしぶしぶ足を動かす。

数歩進んでは歩みを止め妹を振り返るを繰り返して、漸く、彼を乗せた馬車が走り去るのをギーゼラはハンクと共に見送った。


「予想はしていたが、すまないなギーゼラ」

「私こそ重ねて申し訳ございませんわ。

 改めましてようこそお越しくださいました、ハンクおじ様!とても嬉しいですわ!」

「その笑顔が見れれば全てが報われよう」


扉を閉ざし、やっと顔いっぱいの満面の笑みで出迎えた少女へ男も相貌を緩める。

華奢な身体をそっとエスコートし、二人は茶が準備された屋敷の中庭へと歩き出した。


色とりどりの花が咲く公爵家の庭は見事なものだ。

一画に植えられた小さな白い花は、陽の光を浴びて夜に纏った香りを柔らかに散らしている。

今年も見事に咲いているなと微笑み零し、大きく太い指でその花を愛でる師をギーゼラが傍らで仰ぎ見る。


「お兄様が手塩にかけておりますもの。

 夜はそれは見事な香りですわ」

「夜の女神の花だからな」


溺愛する妹の持つ色味に似た花でなくとも彼が愛でる、というのを初めて見た時は意外にも思った。

しかしその高貴な香りや花言葉をエカードが陶酔し滔々と語るのを聞けばハンクも納得したものだ。


「さぁ、今日は私が朝摘みましたもので淹れましたのよ」


はしゃぐ子どものように報告するこの姿。

きっと、目で見て香りを楽しむだけでなく、見かけよりも活動的な妹が楽しめる花であるからこそ彼の兄はこよなく愛しているのだろう。


美しい茶器を傾ければ華やかな香りが鼻孔をくすぐる。


「美味いな」

「嬉しい、そのお顔が見たかったの」

「他の男に言ってくれてはあるまいな?」

「家族以外ではおじ様だけよ」

「光栄だが意外でもあるなぁ。

 やはり今年は殿下も忙しいのか?」


例年、ギーゼラが何をするにも一番はエカードが楽しむ。

そうしてやっとアーデルヘルムやその護衛である息子、仲の良い他の婚約者候補達を始め来客が御相伴にあずかるのだ。

ハンクもその中の一人ではあるが、大抵、息子達よりは遅い。

小首を傾げる大柄の男の視線の先で少女は細い指をそわと動かしていた。


「おじ様の耳にも届いているのね」


艶やかな唇が躊躇いがちに開くも、そっと音を零してすぐに閉じられる。

暫くしても開く様子がないそれにハンクが腕を組み、視線を緑豊かな庭へと投げた。

小鳥が囀り、暖かな日差しが降り注ぐ穏やかな時間であるはずなのに、どこかもの悲し気だった。


「耳には入れようが、王城でも目にはしていない。

 学院に通うお前こそそれ程惑う有様だというのか?」


一つ、嘆息交じりで呟かれた言葉が溶け消え暫しの後、やっとギーゼラも口を開く。


「平穏よ、学院は変わらず賑やかで希望に満ち溢れているわ。

 研鑽に肩肘張っていたでしょう聖女も、今は心穏やかに過ごせていることでしょう」

「そこは心配しておらんよ、殿下の心積もりは議会で直に聞いておったからな。

 ただ、あの御方は随分と世知豊かであるもお優しすぎる。

 臣下として喜ぶべきことなのだろうが…世話焼きジジイとしては気を揉むところだ」

「まぁ、悪いお口」


肩を竦め軽口を叩くハンクに、少女がころころと楽し気に笑う。

自らを老骨と皮肉るも眼前の紳士は言うほど年老いていないが、彼の膝にも届かない頃から殿下を見てきた者としての気持ちからだろう。

呆れを含んだ眼差しには、確かに、親類のような温かな愛情があった。


「お前の気落ちもそこではないのか?

 いよいよ愛想が尽きたのなら、儂が喜んで引導を渡してきてやるぞ?」

「アーディへの信頼は変わらないわ、変わりようがないもの」


今度は、さらさらと髪を揺らし頭を振るギーゼラへ呆れた視線が注がれる。


「で、あるならば、何がお前の顔をそうも曇らせる。

 聖女の性根でも気に食わんのか?」

「エミリアはとても素晴らしい子よ、大好き」


持ち上げようとした茶器を下ろしまっすぐにハンクを見つめ、どうしても誤解されたくないとギーゼラは言い募る。

だがそうすればますます相手は怪訝な顔をしてみせた。

幾度か、顔を上げては下げ、ハンクを見上げては俯くのを繰り返し、ぽつりと少女が話し出す。


「まだ今は気負いが勝るけれど、聖女は、エミリアは真面目だし知的よ。

 愛らしい姿だけでなく心の温かさも魅力的なの。

 出会って数日の私がこれだけ惹かれるほどに、素晴らしい人なの」

「そうか、それは良い出会いを得たな」

「ええ、だからきっと、それは殿下にとっても同じ、だと思うの」


白い指先が磁器の曲線を滑らかに滑り落ちてゆく。


「私達婚約者候補にさえ恋愛の自由を与えられるのなら、王太子殿下にこそ自由があって当然よ」


あれは彼が十歳になるかならないか、それくらいの時期だった。

王宮の一室に呼び出された先にはまだ顔見知り程度の、ヴィヴィカとレイチェルもいた。

そこで話されたのは、三人を第一王子アーデルヘルム殿下の婚約者候補として遇する契約だ。


『君たちにとっては寝耳に水だろう。

 勿論この契約により交遊を狭めよとは申さない。今はそんな時代でもないしな。

 しかしこちらの都合だが、婚約者候補として遇する間は、心して欲しい。

 私も君たちの献身に誠心誠意を尽くすと誓う』


最初は何を彼が言いたいのか、ぼんやりとしかギーゼラは分からなかった。

ただ、いつも一緒に走り回って遊び倒していた友人が、急に一足先大人になった事は理解した。


置いて行かれる。

そう思った途端、漠然と胸の内が不安に満ち荒涼な風が吹き晒され、ギーゼラは少しでもそこから抜け出さんとした。

日々の淑女としての社会勉強、王城で厳しく難解な王太子妃教育。

時に無心で武具を握り髪を振り乱し、鬱屈した己の心を痛みで説き伏せ叱咤した。


降り重ねる時間が彼女の身体を前に、前にと押し進めただけではない。

何時だって傍らには、兄や、アーデルヘルム、ブラッツの姿がそこにあった。

辛い、痛い、やりたくない、面白くない。

どれほどの愚痴を零そうとも、しまいには笑っていられたのは偏に彼らのお陰だ。


今なお続くこの温かな幸福を愛おしむほど、彼らに自分もそうでありたいそう尽くしたい、とギーゼラに考えさせる十分な理由となった。


でも今更気づいたのだ。

家族の愛や友愛は分かれども、物語のような恋愛をギーゼラは分からない。

触れてきた本を再び読み解き読み込むほど分からなくなった。


これではアーデルヘルムの後押しなど出来そうにない、と思ったからこそ。

きっとこのままでは優しい彼の足枷になってしまうのではと不安になったからこそ。


彼女は恋をしようと未知へと踏み出すことを決めたのだ。


「ねぇおじ様、私、きっと、ちょっと、寂しいだけなのよ。

 腐れ縁が長かったから」


潤む瞳を瞬きで誤魔化す。

揺れる長い睫毛を、じっとハンクは見つめる事しかできない。


「でも私は私を信じているの、幼馴染への愛情は尽きる事がないと。

 だってこの身の置きようがない心地は、彼を愛しているからだもの」

「――その親愛を抱いて夫婦になる未来が、お前は嫌なのか?ギーゼラ」


静かな問いかけに、少女がふるふると頭を振る。


「嫌な訳はないわ、私は気楽よ。

 何も変わらないもの、今まで通りが続くこと以上に安心で…退屈なことってないわ。

 でも私、殿下にとって限られた最後の一年は素晴らしいものであって欲しいの」

「心も自由に学生時代を謳歌して欲しい、それがお前の望みか」


ゆっくりと背にもたれ、ハンクが呟く。

対面の少女は、分かってくれたかと安堵した面持ちで目を細めてみせる。


「殿下の学生時代が良きものであることを願うのは儂も同じだ。

 だが、ギーゼラ、お前は話がずれている事に気付いているか?

 儂が尋ねているのは、卒業後の話だ」


毅然とした面持ちを崩さない師に、ギーゼラが惑う。

やがてゆるゆると下げられた細い眉を見て、更に男は言葉を重ねた。


「腐れ縁、幼馴染――、その様に親しいものとの婚姻を、安心で退屈だと思うのか」

「それは…私の言葉の綾ですわ」

「なら相手がアーデルヘルムだからなのか?

 別に、そのような婚姻に厭いがなければ、慣れ親しんだ別の相手でも良かろう?

 アレだってお前を幼少から知る幼馴染で腐れ縁で、男だ」


ハンクの言葉にギーゼラは呆然とした。

彼によく似た紺色の瞳が、じっと少女を見据えている。

陽の下で見るレーヴァクーゼン侯爵家縁の色は晴れ渡る宏大な海を思わす群青で、その懐の深さと信の篤い冷静さをギーゼラは良く知っていた。


(ブラッツ、と…結婚…?)


「…………かん、がえた…ことも、ありませんでした」


様々な彼の姿を脳裏に浮かべながらも少女は未だ困惑の最中。

長考に沈んだまま戻ってこれなくなりそうなギーゼラへ、ハンクは茶を啜りながら苦笑を零す。


「なら考えてみよ。

 息子がお前の喜ぶ時も、悩み苦しむ時も傍らに在る。そしてそれはアレからしても同じだ。

 互いの手を繋ぎ、そうして安らかでもあるが波風のない凪いだ日々を重ねてゆくのだ」


穏やかに語る男は誰を思い浮かべているのだろうか。

ただ只管に優しい顔をしている。


「幼馴染も腐れ縁も所詮は他人の域を出ん。

 しかし夫婦は、他人であり、そして唯一の家族だ。

 世界の全てが敵に回ろうともお前だけはブラッツの、ブラッツはお前だけの味方になってくれるか?」


訥々と語られる在り方の美しさと尊さに意識が眩むも、どこか冷静にギーゼラが口を開く。


「全てを詳らかにし、正しきに導くのでは不足でしょうか?」

「それが出来ぬ、割り切れぬ問題が立ち塞がる事もあろう?

 現に今お前は迷っているだろうに、『幼馴染のままで婚姻をして良いのか』と」

「しかし、ハンクおじ様はこうして親身になって薫陶を与えてくださっているわ」


婚姻により結ばれる他人でも、幼馴染でもない。

武術の師であり親類のような彼が自身に注ぐ真摯な愛情は、一体どこに属し、何が違うのかと問う。

そっと顎を撫でつつ、これの弊害はあの兄かと小さく男はぼやいた。


「臣下としては由緒ある血が王室に入る事を喜ぶし、民草としては要らぬ波風が起きぬ事を願う。

 しかし儂としては、お前たちの心がのびのびと日を浴びて育つ事が何よりも幸せだよ」

「おじ様…」

「愛情の形や色、温度や匂いに、違いを求めるのは人間誰しも同じだ。

 言い訳が欲しいだけなんだよギーゼラ。

 己が惹かれる存在を、求めて止まない汚らわしさすら覚える暴力的な本能を、自らで許すために」


親愛と恋愛の見分けがつかないと恥じ入る少女に、ハンクは優しく微笑んでみせる。


「王太子殿下を支えんとするお前の敬愛も、幼馴染の自由を願う友愛も、求めて得られるものではない。

 また、常に安息の地であるエカードの親愛も、変わらぬ騎士ブラッツへの信愛も然り。

 ギーゼラ、お前は、改めて胸の内にある数多の愛に、少し驚いてしまっているだけだ。

 それでもお前が夫に望む愛にとしてどれを選ぼうと推してやる、儂が許そう」


厚い身体を息で膨らませ、言い張る勇ましい姿にギーゼラの心が打ち震えた。

ああ、此処はなんて安心出来る場所なのだろうと、堪らず深い場所から溜息が溢れ出す。


「おじ様、私、わたし…本当はアーディが自由に出来るようにって、私も恋をしようと決めたの。

 でも本を読んでも、いくら考えても、どうすれば恋が出来るのか分からなくて、ずっと苦しかった。

 誰もがあまりにも自然とするものだから、私も出来ると過信していたのよ、恥ずかしい」

「見栄っ張りめ」

「そうよ、そう…アーディの為っていうのも、見知らぬ恋をしようとするのも、全部ぜんぶ見栄なの」


兄にすら言えなかった未熟な自分を曝け出しても大丈夫だと、安心させる紺色が大好きだ。

ほろほろと珠のような涙が、朱が差した滑らかな頬を幾筋も流れ落ちる。

それでも少女はまっすぐに背を伸ばし、師を見つめ続けた。


「ハンクおじ様の話を聞いて、私、やっと分かりました。

 私はただ、殿下に幼馴染のままの未来を、『このまま結婚で良いじゃないか』って決めて欲しかった」

「そうか」

「ええ、でも実際に言われたとしても、きっと同じように彼の自由を憂うのでしょう」

「そうだな、ギーゼラはそんな自分を安売りせんでいい」


鷹揚に頷き笑う目元の皺をじっと眺めては、温かな心地になる。


「心豊かに人を愛せるお前の優しさを、儂は慈しむばかりさ。

 だから叶うならば、家でも義娘として愛でたいと考えるのは道理だろうに?」


小僧のように歯を見て茶目っ気たっぷりの笑顔を浮かべるハンクに、ギーゼラは涙を拭った目元をくっと細め軽やかに哄笑する。


「私もおじ様のお家、大好きよ!

 でもそれこそブラッツの未来に関わるお話だわ、蔑ろにしては流石に怒るわよ、彼」

「なら聞けばいいだけの話だろう?」

「鼻で笑われてしまいそう、『妹分は他所の子だから可愛がれるんだ!』ってね」

「ウチは男所帯だからなぁ。

 長男のところに生まれたのもまた息子だったからに…まぁやはり可愛いがな」

「まぁ!おめでたい事ね!」


やがて話題はレーヴァクーゼン侯爵の長男夫妻や孫についてと賑わうも、やはりそこは元騎士、結局学院での武術講義について語る時間が一番を占めた。

淑女相手にする話では無いのだが、そこは師を敬愛するギーゼラであるからこそ、語れたものであろう。



 順当に時は紡がれ、屋敷の者が氏の迎えが到着した旨を知らせに来た。

二人が玄関に向かうと噂から生じたのか、どこか所在なさげな青年の姿があった。


「ようこそブラッツ、今日は素敵な驚きをありがとう」

「泣くほど喜んでもらえたようで何よりだ。

 気を回し過ぎたかと内心不安だったんだぞ、次は先に教えてくれ」

「貴方に教えたら驚かせられないじゃない!」

「やめろやめろ、やるにももう少し寿命に響かない驚きを選べ」


煩わしそうに頭を振る息子を横目に見やり、ハンクは人好きのする笑顔でギーゼラを促す。

受けた少女は、そういえばと一言挟んでからブラッツに尋ねた。


「ブラッツは私をお嫁さんに迎える気はあって?」

「……………………は」


聞き返すようで、肯定にも聞こえるそのか細い返事は、随分と間をもって零れた。

硬直が未だ解け切らないのか、ブラッツはたどたどしくぎこちない動きで、傍らに立つ父親を見る。

視線を受けたハンクはただにやにやと顔を崩し、興味深そうに息子を眺めていた。


「……父上、ギーゼラに何を、話したのです」

「いやなに、お前がいつまでも身を固めようとせんから父が見繕っただけだ。

 ホレ、喜べ!とびきりに美しくて愛らしい性根の嫁だ!」


淑女の仮面をかぶり微笑む少女の肩を抱き、自慢げに父が嗤う姿が腹立たしいのか、ブラッツは握り締めた拳ごと震わせ、顔をこれでもかとくしゃくしゃにして呻き声を嚙み殺す。

漸く解いたかと思えば天を仰ぎ、きつく目を閉じて忸怩たる思いで呟いた。


「殿下…アーデルヘルム殿下、深く、深くお詫び申し上げます…」


そこまで驚かせたかと、ギーゼラも目を瞬かせてハンクを見上げる。

しかし彼は肩をすくませて見せるだけで、息子の慚愧に耐え忍ぶ様子を気にも留めていないようだ。


「な?ギーゼラ、鼻で笑われなかったのだからウチに嫁に来なさい」

「父上、いい加減にされませんと母上に言いつけますよ」


さっと毅然な面持ちで言い放つ息子に父親はつまらなそうに口を尖らせてみせた。

それを愛らしいと笑ってくれるのはギーゼラだけで、場所が叶うならば怒鳴り散らして大暴れしたいであろう息子の肩を軽く叩き、ハンクは玄関を後にしようとした。


そこに、滑るように一台の馬車が入って来たと思った途端、転がり落ちるように一人の青年が出てくる。


「ブラッツ・レーヴァクーゼン!!!

 貴様っ!どのツラ下げて我が屋敷に来た?!」


激しく怒鳴り散らすエカードから漏れ出した魔力が砂塵を呼び、俄かに空気が濁り暗くなる。

その様はまるで戯曲に登場する魔王の如く迫力。

怒りから煌々と光る眼が、たじろぐ男をねめつけ見据えていた。


悲しい哉、ブラッツ・レーヴァクーゼンの受難はまだ、終わらないのだった。

 


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