愛する人から愛する母への贈り物と阻止しに来た妹たちの執念
朝目が覚めると一瞬どこにいるのかわからなくてユリアナは起き上がり周囲を見回した。そしてここがインデスタ―王国の自分の部屋になった場所だと気づき、更に昨晩のフレデリクとの触れ合いを思い出し一気に体温が上昇した。
ふしだらなことを自分から催促してしまったと今になって恥ずかしさを感じて、フレデリクの顔がまともに見られるか心配になった。
「ユリアナ様、おはようございます。起きてらっしゃったのですね。そろそろお時間ですから朝の準備をしましょう」
そっと室内に入って来たのは昨日からユリアナ専属侍女になったマーヤとエレンだ。
「おはようございます。お願いね」
「あら、少しお顔が赤いですけどお体は大丈夫ですか?」
「う、うん。大丈夫。目が覚めたら一瞬どこにいるのかわからなくって焦ってしまったの」
「そうでしたか。お湯をお持ちしましたから洗顔からいたしましょう」
侍女たちに促されて朝の支度をする。外出用のワンピースが用意されていてそれを着て軽く化粧をされた。
「本当にお美しいです。この髪も梳けば梳くほど艶が出ますし」
「ありがとう。ハーフアップにしてもらってもいいかしら?」
「ええ、もちろんです。お任せください」
しばらくするとどう見ても宝石箱と思われる箱を持ってマーヤがユリアナに見せてきた。
「髪にお付けするのはどれになさいますか?」
全て髪飾りが入っている箱らしい。
「え?これ私のじゃないわ」
「いいえ、フレデリク殿下がユリアナ様の為に準備されたもので、是非これを付けて差し上げてください」
「まあ、ありがたいことだわ。嬉しい。でもこれって・・・。どれを選ぶか難しいわね」
ユリアナは顎に手を当て悩み始めた。
「そうでございましょうとも。全て金とアメジストのお品ですもの、悩まれても仕方がありません」
「自分の目の色の物をフレデリク殿下が次々真面目な顔で宝石商から買うのです。そこまで自分の色を身に着けてもらいたいというユリアナ様へのお気持ちはわかりますが、ちょっと、いやかなりやり過ぎで私たちは途中から引いていましたよ」
「まあ。ふふふ。そのお姿を見てみたかったわ。私の為に一生懸命選んでくださったんだもの。とても嬉しいわ。でも、悩むわよね~。どうしようかしら」
そう言っていると次はエレンが別の宝石箱を持ってきた。
「こちらは普段使いのネックレスやペンダントでございます」
見てみるとユリアナはまたしてもう~んと唸った。
「これはまた、悩むわね~。嬉しいけれど」
「はっきりおっしゃった方が良いですよ。こんな同じような物ばかり贈られても困るって」
「そんなことはないわ。とても嬉しいもの。私の為に選んでくださったのだし、いつもフレデリク様と一緒みたいでそれは構わないのよ。でも、本当に悩むわね」
「お持ちになられたものをお付けするのでも構いませんが、今日だけは我慢してお付けください」
「我慢だなんて、そんなこと思わないわ。本当に嬉しいのよ。ただ悩むだけで」
「他の宝石が付いた物も欲しいとはっきりおっしゃった方が良いですよ。この先ずっとアメジストしか付けられないことになってしまいますから」
そんな話しをしながら一つの髪飾りとペンダントを選んだ。控え目にアメジストが付いているものだ。
「悔しいですがお似合いです。ああ、でもこう思われたらいかがですか?お母様の髪の色と同じと」
「確かにその方が良いですね。私たちも気持ち的にスッキリします」
「あはははは。やだもう、あははは」
ユリアナは二人の掛け合いが面白くて涙が出るほど笑った。
「面白いわね二人とも。久しぶりにこんなに笑ったわ。そうね、二人の色にしましょう」
「そうしましょう、そうしましょう。フレデリク殿下がどのように思われようと、私たちはお母様の色ということにしますね。ユリアナ様はお二人の色という風に思われてくださいませ」
「わかったわ。そうする」
そこで廊下側の扉からノックが聞こえて扉が開いた。
「おはようユリアナ。良い朝だね。髪飾りもペンダントも付けてくれんだね。似合っているよ。ありがとう」
そう言ってフレデリクがユリアナの額に口付けをした。どんな顔で会えば良いかと悩んでいたが、マーヤたちのおかげですっかり楽しい気持ちになり、すんなりとその口付けを受け入れる。
「たくさん贈り物をいただきましてありがとうございます。大切に使いますね」
「ああ、まだまだ必要だと思うから今度は一緒に選ぼう」
「はい。楽しみにしていますね」
ユリアナが笑いかけるとフレデリクがすっと奥の扉を見た。
「どうされましたか?」
「いや、うん、なんだな。侍女たちの指示を守ったんだなと」
「え?」
ユリアナは何のことだがわからずに首を傾げる。
「ユリアナ様がお部屋に入られてお眠りの間に私どもが鍵をかけました」
マーヤが言う。
「おまえらかよ。さっきあっちの扉から入ろうとしたら、鍵がかかっていたからユリアナがかけたんだと思って、本当に警戒されているのかと心配しただろ」
「まあ。そうなんですね。でもマーヤたちが鍵をかけるように言っていたのを忘れていたのは私ですから、今夜からはちゃんとかけて寝ますね」
「はい。必ずですよ。昨日は見に来て良かったです」
「おまえたちは僕のことを何だと思っているんだ。昨夜だって談話室で話した後ユリアナの部屋には行っていないからな」
「もちろんでございます。無事ご結婚できるよう自制してください。嫌われても知りませんよ」
「大丈夫ですよ。嫌いになったりしないですから」
「じゃあ、今夜から一緒に寝よう」
「それはダメです。きちんと順番がありますからね。それは守っていただかないと」
「はい。ダメが出ました。フレデリク殿下はユリアナ様のお気持ちを尊重してくださいね」
「わかっている。ちょっと言ってみただけだ」
ユリアナはそんなフレデリクが可愛く思えて、本当は一緒に寝ても良いと思っていると口にしそうになったのを慌てて手で口を塞いで止めた。なし崩しで関係を持ちたくはない。ちゃんとフレデリクの妻として、王太子妃としてしっかり立てるようになって初めて二人の夜を過ごしたい。
結婚式までにしっかりと王太子妃教育を受けて、結婚後直ぐに公務に入れるようにしたい。だからそれまではフレデリクには待ってもらわないと。
「フレデリク様。私がきちんと王太子妃教育を受けて、フレデリク様のお側でお仕えできる自信が持てて、本当の王太子妃になるまでお待ちいただけますか?今の私ではまだまだ王太子妃には相応しくありませんから」
ユリアナがそう言うとフレデリクが抱きしめてきた。
「今のままでも相応しくないなんてことはない。けれど、この国で妃として生きて行く為には必要なことがたくさんあるから、無理しない程度で勉強してくれ。それから、僕の婚約者だと自信を持って欲しい。僕もユリアナの夫として相応しい男になるよ。いずれは二人でこの国を守って行かなければならないから。
あと、それから昨夜の約束は守って欲しい」
そう言われて今ここで言わないでと思いながらユリアナはコクリと頷いた。
「怪しい。いかがわしいことはしてませんよね?」
「いかがわしいことなどしていない!」
「まあ、ユリアナ様が頷いてらっしゃったから信じましょう」
「はあ。とにかく朝食を食べに行こう。きっと義母上がお待ちだ。そのあと、一緒に義母上の邸まで行こう」
「はい。ありがとうございます」
ユリアナはフレデリクに手を繋がれて一階の食堂へと向かった。やはり先に母が来ていて待っていた。三人で揃って食事を始めるとよく眠れたのか母の顔に艶があることに気付き、ユリアナはほっとした。安全な場所で安心して眠ると言うのは大切なことだなあとユリアナは思った。
ユリアナは母とマレッタ、フレデリクと一緒に馬車に乗ると王城を出た。しばらく馬車が走ると貴族の住宅街と思われる地域に入った。そして直ぐに馬車が止まる。塀が高く、鉄の門扉も頑丈で高くて重そうだなとユリアナが見ていると、御者が門扉を開け、また馬車が走り始めた。馬車の両側には美しい庭があり数十メートル走ったところで馬車が止まった。
母と二人で顔を見合わせる。フレデリクが先に降り、メリッサ、ユリアナとエスコートをして馬車から降りる。そして見上げる邸は大きかった。
「フレデリク様。まさかここが?」
「はい。義母上の新しい邸です。ああ中から出てきましたね。紹介しましょう。
執事のテレサです。祖父がブロウム侯爵家で執事をしています。義母上の邸は女性が多い方が良いだろうと、ブロウム侯爵家で執事補佐をしていたのをこちらに引き抜きました」
テレサと紹介された執事は二十代半ばと思われる。
「まあ。それはとても嬉しいですが良かったのかしら?いずれは侯爵家の執事になられたのでしょう?」
「初めまして。メリッサ様。私には兄がおりますから、このままでは私はいつまでたっても執事補佐のままなんじゃと思いまして、他の働き先を考えておりましたので、王太子殿下からお声掛けいただいて直ぐにお受けいたしました。執事の教育機関で学んでおりますので、まだ未熟な面もありますがよろしくお願いいたします」
「こちらこそよろしくね。嬉しいわ。こんな素敵な方が執事をしてくれるだなんて」
「あと、後ろの三人がメイドです。右から、マリ、サラサ、ユレナです。三人とも料理もできますから、交代制で料理や洗濯、掃除などをしてもらいます。それから、御者兼馬番のビリス。全員二十代半ばです。
庭師は一月に一度、王太子宮の庭師をよこします。それから、邸内の清掃もメイド三人では全てできませんから、普段使う部屋はメイドたちが行って、その他はこちらも一月に一回、清掃業者を手配しています。だから安心して過ごしてください」
よろしくお願いいたします。と全員が揃ってお辞儀をする。若い使用人で構成されていることにユリアナは母への配慮を感じた。離れて暮らす父が母の周りに妙齢の男性がいるのを好まないだろうとまず判断したのだろう。そして、若いメイドたちがかしましく仕事をすれば邸内が明るくなる。
「皆さんよろしくお願いしますね。わからないことがたくさんあるから色々教えてくれると嬉しいわ」
「はい!お任せください!」
メイド長だというマリが返事をした。一番年上なのだろう。
「さあ、中に入りましょう」
邸の中に入ると明るい大きな天窓に照らされた吹抜けの広い玄関があり、二階から階段が弧を描いて一階に続いていた。その奥に左右に分かれて廊下があり広い応接室や客室、食堂に厨房、使用人の部屋などがあった。二階に行くと五部屋あり、フレデリクがどの部屋を使いたいか母に聞いた。
「予想より大き過ぎて驚いてしまって、どうしようかしら。ねえユリアナはどう思う?」
「真ん中の部屋にしましょうよ。そしてその左隣が私の部屋。私が泊まりに来た時に使うからいつでも使えるようにしておいてね」
「それはそれで良いんだけど、まあ、どうしようかしら?そうね。真ん中、そうね、真ん中にしましょう」
全ての部屋に家具が既に入っており、いつでも住めるようになっていた。そして真ん中の部屋は、落ち着いた色の木の家具で、ソファーや天蓋は深い緑だった。全体的に落ち着いた雰囲気で、それでいて窓が大きく明るい部屋だった。
「ではそちらにメリッサ様のお荷物をお持ちします。さあ、三人ともお願いね」
テレサが指示を出すと全員が『はい!』と大きく返事をして走って行った。
「こちらにユリアナ様のお荷物もありますが、王太子宮へ運びますか?」
「いいえ、それらはこの邸の私の部屋に片付けてもらえますか?」
「かしこまりました。そのように手配します。侍女の方のお部屋へご案内しますので皆様は応接室でお待ちください」
そう言ってテレサがマレッタを連れて去って行く。ユリアナたち三人は応接室に向かい、ソファーに座ると母が顔を覆った。泣いているようだ。落ち着くまでしばらくユリアナもフレデリクも静かにしていた。
「フレデリク様。このような素晴らしい邸を用意してくださってありがとうございます。何とお礼を言って良いか・・・」
「ここは元は2年前に爵位を返上した伯爵家の邸です。伯爵の娘が嫁いだ後、馬車の事故で伯爵もその妻も跡継ぎの息子も亡くなりました。親類縁者で継げる者もおらず、結果爵位を返上することになったのです。領地は王家で買い取りました。こう聞くとあまりいい気分はされないでしょうが。
このタウンハウスは遺産として娘が持っていたのですが、手入れも大変だからと最近になって売りに出したのをちょうど良いと僕が買い取りました。
城にも近いですし、庭もあって良いかなと思いまして。この広さがあれば僕たちが遊びに来てそのまま泊まっても大丈夫な広さですし、客人も呼べますしね。僕から義母上への感謝の贈り物です。ユリアナだけがインデスタ―王国に来るのでは不安があったかもしれませんが、義母上が一緒に来てくださってユリアナも安心してこの国で暮らせるでしょうから。どうか何も考えず、受け取っていただければと思います」
優しく思いやりに溢れるフレデリクの言葉に、母が顔を覆い下を向いた。どうやら言葉にならず泣いているようだ。母の気持ちを察してユリアナが母の代わりにフレデリクに答えた。
「フレデリク様。母の為にありがとうございます。私、フレデリク様に一生懸命お仕えしますね」
「お仕えという言葉はダメだよ。僕たちは共に生きるのだから。支える、いや、共に歩く、が良いか。どちらにしろ、僕に仕えようとしないで欲しい。手を取り合って一緒に良い国にしていくのだから」
真摯な目でユリアナを見つめるフレデリクに魅入られて、ユリアナはこんなに好きにさせてこの人は自分をどうするつもりなのかと思った。
「わかりました。お支えいたします。そして寄り掛かってもらえるような存在になります」
「ああ。頼んだ」
そこへお茶の準備をしたアレッタが入って来た。
「アレッタ、部屋はどうだった?」
ユリアナが聞く。
「とても綺麗なお部屋をいただきました。メイドの子たちも可愛らしくて良いですね。私も若返った気持ちです」
母が気持ちを建て直し涙を指で拭うと顔を上げた。
そこにアレッタがそっとお茶を出してくれた。そこへテレサが入って来る。
「荷物を運び終わりましたので特別なご指示がなければ三人に任せて片付けをしても構いませんか?」
「ええ。お願いするわ。そうだ。宝飾品の中に一つだけエメラルドの物があるの。ペンダントなんだけど、それは枕元に置いておいてもらっていいかしら?ペンダントを飾る道具も一緒に入れてあるはずだから。飾るのは自分でするわ。それだけお願いするわ」
「かしこまりました。そのように伝えます。ユリアナ様はどうされますか?」
「私は全てお任せするわ」
「ではそのようにいたします。失礼致します」
テレサが去って行くとユリアナは母に問いかけた。
「今付けているペンダントってフレデリク様からいただいたものでしょ?お父様の付属品付の。他にもエメラルドの物って持ってたの?」
「ええ。側妃として入宮した時にいただいたのよ。一度も付けてないけど。ずっと仕舞っておいたけどもう出しても良いかなと思って。いつでも見ることができるように枕元に飾ることにしたのよ」
「まあ!素敵ね!それが良いわ!」
「ええ。もう良いわよね。アルベルト様のへの愛情を表に出して表現しても。お母さん、開き直ってきたの。あなたたちを見てたら。アレッタじゃないけど気分も若返ったみたい」
そういう母は、本当に若返ったかのように艶やかな頬を染め父の名前を口にした。
母の邸を後にしてフレデリクと二人、馬車に乗り王城へと戻った。これから仕事をするというフレデリクと別れ、ヨーランと共に王太子宮へと向かっていると、王城と王宮の間で揉め事が起こっているようだった。そして近づくにつれてその揉め事の中心が妹たちだと気付き、ユリアナは急いで駆け寄った。
「あなたたち何をしているの?こんなところで大声で」
「何よ!やっと来たの?昨日晩餐でも見かけないしおかしいなと思ったらユリアナだけ王太子宮にいるだなんておかしいじゃない!まだ王太子妃は決まってないのよ!」
「そうよ!ユリアナだけずるいわ!平等にするべきよ!」
「そんな。私の荷物は全て王太子宮にもう仕舞われているのよ。仕方ないじゃない」
「ダメよ!それで晩餐も王太子殿下と一緒にしたんでしょ?抜け駆けだわ!自分だけ良い点数をもらおうと思って!」
「私たちなんて二人での晩餐だったのよ!ずるいわ!ずる過ぎる!」
「そんなこと言われても。元々は私が、」
「違うでしょ!今は平等。同じところに立っているの!これから勉強をして試験の結果で、王太子妃が決まるのよ!」
「そうよ、ユリアナも同じなの!私たちと!だから一緒に来賓室に泊まるか、私たちも王太子宮に泊まるかどっちかよ!」
「ちょっと落ち着いて。ねえ、王太子宮は私的な場所だからそんなに人を入れられないのよ」
「何よ!自分だけ余裕な顔して!昨晩は王太子宮で泊まったからって。その顔が崩れるのを見るのが楽しみだわ!」
「私が王太子妃になるの!人がそんなに入れられないならユリアナも早く王太子宮から出なさいよ!たくさん送った荷物は後から国に送り返してあげるから、とりあえず必要なものを持って来なさい!」
ユリアナが来るまでこの状態でここで暴れていたのかマーヤとエレンの顔が厳しい。ヨーランと同じく王太子付き近衛騎士のケントや他の近衛騎士も加わり、これ以上進ませないようにと行く手を阻んでいる。このままでは治まるものも治まらない。ユリアナは溜息をついた。
「わざとらしく溜息なんかついちゃって姉ぶるなって言っているでしょ?」
「私は一応あなたたちの姉なの。ガーナット王国を代表してここにいる皆様にお詫びしなければならないわ」
「お詫びって、別に悪いことなんてしてないわ!真っ当な事実をユリアナに言っているだけ。私たちは平等な王太子妃の候補者なの。だからユリアナも私たちと一緒に来賓室で勉強しなさいよって話なだけ」
「そうよ。ユリアナだけ特別扱いなんておかしいわ!」
確かに二人の言うことは正しい。ユリアナは自分が選ばれるのを知っているから良いが、二人は本当に試験の結果次第では自分が王太子妃になると思っているのだ。そんな二人にしてみれば確かにユリアナが王太子宮にいるのは特別扱いと思うだろう。
こうなっては仕方がない。フレデリクが納得しないかもしれないが、二人と同じ扱いにしてもらうしかないだろう。
「わかったわ。今から荷物を持って来るからあなたたちは自分の部屋に戻っていて。私の来賓室の準備もあるだろうから」
「ダメよ。ここで待ってる。本当にユリアナが出てくるかわからないもの」
「そうよ。早く行ってきなさいよ!」
「そう。好きにしたら良いわ。じゃあ行って来るわ。エレン。私の部屋を準備してくれる?」
「かしこまりました」
そう言ってエレンが走って行った。その声は固い。相当怒っているのが伝わって来るが二人に気にした風はない。
ユリアナは二人に背を向けると王太子宮に向かった。
「ヨーラン。悪いけど後でフレデリク様に私が来賓室に移動したことと、しばらく約束を守れないと伝えてくれるかしら?」
「約束ですか?」
「ええ。そう言えば伝わるから」
「かしこまりました。っていうか、あの王女様たちにも困ったもんですねえ。デリクが怒りそうでオレは怖いですよ。また二週間近く離れて生活することになりますからね。待望のユリアナ様が来られたというのに」
「二週間なんてあっという間よ。その後はずっと一緒にいられるのですもの。少しの我慢だわ」
「あいつが我慢なんてしますかねえ。正式にユリアナ様の護衛の近衛が決まるまではオレが付くんですけど、それですら不満そうですし。女性の近衛騎士が付くことになっているんですが、まだ新人なので今特別訓練中なんですよ」
「まあ、そうなの?私は男性でも女性でも良かったんだけど」
「ダメです。デリクが許しません。陛下も王妃殿下のことになると心が狭くなるのですが、まさかデリクもここまで狭くなるとは思いもよりませんでしたよ。やっぱり親子ですねえ」
そう話しながら王太子宮に戻ると自室としてもらった部屋に入り鞄を出した。そこに当面必要な物を詰めていく。マーヤが手伝いながら怒っているのを宥めて準備を急いだ。あのままあの場所に二人を置いておくと多くの人に迷惑をかけてしまう。それに見る人によってはガーナット王国の評判が悪くなってしまう。とにかく詰め込むと急いで王太子宮を後にした。
「やっと戻って来たわね。遅かったじゃないの」
「これでも急いだのよ。我儘言わないで」
「我儘じゃないわ。遅いから遅いって言ったのよ。あら?ちょっと、何付けているのよ。自分だけ王太子妃の気分な訳?」
「あ!アメジストをつけているわ!自分が王太子妃だって言っている訳?」
ユリアナはしまったと思った。外せば良かった。そう思った瞬間そこにマーヤが割って入った。
「今ユリアナ様が身に着けてらっしゃるのはお母様からいただいたものだそうですよ。お母様は紫の髪をしてらっしゃいますからね。素敵な母娘愛だと思いました」
「そ、そう。そうね確かにそうだわ。でも紛らわしいから今後は着けないでよ」
「わかったわ。後で外すから。とにかく私も部屋に行くしあなたたちも部屋に行きなさい」
「嫌よ!私たちよりいい部屋だったら変えてもらわないとならないわ!ずるいユリアナは特別な部屋をもらうかもしれないものね」
「そうよ。見に行きましょう」
そこまでするかと思いながら戻って来たエレンの案内でユリアナ用の部屋までやってきた。先にラウラが扉を開ける。そこは質素な部屋でベッドとサイドテーブル。窓の側にはちょっとした勉強ならできそうな机と椅子があった。そして小さなクローゼットと浴室があって、特別感はどこにもなかった。
「あら、なんだか私より狭い部屋ね」
「そうね。寂しい部屋だわ」
「来賓室の中でも特別な来賓室はお二人がお使いになられているのでユリアナ様にはこちらをご用意しました」
エレンが二人に答える。
「そう。なら良いわ。じゃあ部屋に戻るわ」
「私も。これで安心したわ。私たちは同じ立場だからね!」
最後にフランカが締めくくり二人が去って行った。二人の部屋とは距離があるようだ。
「申し訳ございません。実はあのお二人よりいい部屋がもっとあるのですが、きっと見に来るだろうと思いましてこのような部屋にさせていただきました」
そう言ってエレンが頭を下げる。
「良いのよ。二人の機転が利いて助かったわ。さて、そんなに荷物はないけど片付けるわ。マーヤもエレンも王太子宮に戻ってね。二人が王太子宮の侍女だってあの二人はわかっているだろうからここにいると色々問題が出て来るわ。フレデリク様のことをお願いね」
「ユリアナ様はお優し過ぎます。でもあのお二人にも一応一人ずつ侍女がついているので、王宮にお願いして一人侍女を回してもらいます」
「いらないわ。私一人でいる方があの二人も何かと言って来ないだろうし。陛下や王妃殿下にご迷惑もかけられないしね。その代わり専属メイドをつけてくれる?お風呂の準備とか朝の準備とかでお湯を運んでもらったり、後は掃除ね。それだけして欲しいの」
「本当に大丈夫ですか?」
「ええ。あと食事は自分の部屋で摂るから、給仕には厨房から直接部屋に運んで欲しいって伝えてね。それだけかしら。あとは自分で頑張るわ」
「かしこまりました。そのように致します。でも何かあれば王太子宮に逃げてきてください。必ず私たちがお守りいたしますから」
「ありがとう。大丈夫よ。さて、私も勉強しなくちゃね。教材はもうあるの?」
「はい。先程王太子宮に持ってきてもらっていたのをお持ちしました。こちらです」
マーヤが一冊の本を渡してくれた。ユリアナはパラパラと中を見てみた。
「これはインデスタ―王国の歴史の教科書ね。じゃあ今から勉強するわ。扉は鍵をかけるからメイドにはノックをして名乗るように伝えてね。それで、マーヤから言われて来たと言わせて」
「かしこまりました。では私たちも手配に参ります」
そう言って二人が出て行った。ユリアナは窓辺の椅子に座ると溜息をついた。
でもこのままぼうっとしている暇はない。勉強しなくては。
ユリアナは新たな決意をすると教科書のページをめくった。