悪意を受け取った元側妃とそれに怒った二人の国王
「ユリアナ。また刺繍か?たまには目を休めないと肩が凝るぞ」
仕事の休憩時間なのかフレデリクが宮に戻って来てユリアナに声をかけた。
「フレデリク様。赤ちゃんて直ぐ大きくなるんですよ。たくさん先を見て作っておかないとって思って」
ユリアナは手を止めてフレデリクを見上げた。
「昼からアルフォンスに会いに行くんだろ?それまで今日は休憩しろ。肩を揉んでやるから」
そう言ってフレデリクはユリアナの肩を揉み始めた。気づかないうちに凝っていたのか全身から力が抜けていくのを感じ、ユリアナは目を閉じながら聞いた。
「フレデリク様は休憩時間ですか?」
「ああ。時間に余裕がある時くらい妻の顔を見に来ても誰も文句を言わない。日頃真面目に仕事をしているからこんな時くらい長めに休憩をとっても良いだろう?」
「私の肩を揉んでいたら休憩になりませんよ。私がしますから変わってください」
「ダメだ。ユリアナが休め」
「わかりました」
こうなっては絶対に譲らないのがフレデリクなのでユリアナは大人しく肩を揉まれていた。
「アルフォンスってばちゃんと私のことを姉だって理解しているみたいなんですよ」
「そうなのか?」
「ええ。私が行ったら喜ぶんです」
「それはただ好きな人が来た、ってだけじゃないか?さすがになあ。まだ姉だとは、」
「もう!私がそう思っているからそれで良いんです。フレデリク様も早く覚えてもらいましょうね」
「アルフォンスは僕が抱くと泣くんだよなあ。子どもには慣れておきたいのに。生まれてくる子にも泣かれたら僕が泣くよ」
「ふふ。私より会う回数が少ないからですよ。そのうち泣かなくなりますって。お腹の子には毎日フレデリク様が話しかけるから、声をもう覚えてきっと泣きませんよ」
「よし。泣かないでくれと頼んでみるか」
そう言ってフレデリクはユリアナのお腹に手を当てて撫でた後耳を当て声をかけ始めた。その姿が微笑ましくてユリアナがフレデリクの髪を撫でると、そのままフレデリクがユリアナの膝を枕にして横になったので、休憩時間なのだからと髪を撫で続けた。それに気持ちよさそうにフレデリクが目を閉じる。
「なあ。どっちが生まれるかな?どっちでも良いように両方の名前を考えておかないとな」
「ええ。そうですね。でも私は男の子だと思っています」
「何故わかるんだ?」
「勘ですかね。フレデリク様にそっくりな男の子です。そんな子が欲しい私の願望かもしれませんが」
そう言うとフレデリクが腰に抱きついてきた。
「ユリアナ。可愛いこというなって。顔を見に来ただけのつもりがそれで終わらなくなるだろ」
「な、何をおっしゃっているんですか!ダメですよ。そろそろお仕事に戻ってください」
「ユリアナ冷たい。ちょっとだけ、な?」
そう言われるとユリアナが拒めないことをわかっているのだから困ったものだ。仕方がないとユリアナは目を閉じた。そこにフレデリクの唇が重なり、少しずつ深いものに変わっていく。どれだけ口付けを交わしていたのかと思うほど長い時間口付けをしたのでユリアナは荒い呼吸を懸命に抑えた。
「も、もう終わりです。さあ、お仕事に戻ってください」
「ああ、行ってくる。最高の休憩時間だったから気分も良いしな。サクッと仕事をしてくるよ。出かける時はナタリーとファラを必ず連れて行くんだぞ」
この二人は女性近衛騎士で先月からユリアナ専属として配属された。若くて元気な二人で直ぐに信頼することができた。
「わかってますよ。あの二人なら私が言わなくても付いてきますから大丈夫です」
「じゃあ、また夜に。晩餐には間に合うから待ってて」
「はい。わかりました。無理のないようにお仕事されてくださいね」
そう言って見送るとユリアナはまた刺繍を始めた。アルフォンスの分とわが子の分だ。ユリアナはフレデリクに言った通り勝手に生まれてくるのは男の子だと思っているので、どうしてもそういった色遣いの刺繍になってしまう。もし女の子が生まれたとしても少し刺繍を加えて使おうと思いながら心を込めて針を刺した。
「アルフォンス!新しいおくるみよ」
ユリアナは母の邸を訪ねると一番にアルフォンスの元へ向かった。そして鞄から取り出した出来立てのおくるみで包むとそっと抱き上げる。
「ユリアナ。そんなにたくさん作って。邸が溢れかえるわ」
母が笑いながら言って来る。そんな母は今では元気に領地経営に励んでいる。初めてやることで意外と楽しいと言って張り切っているらしい。イングリッドが少し休むようにと言わないと仕事をし続けるようで、ユリアナからも注意して欲しいと言われている。
「お母様。お仕事ばかりしながらアルフォンスといたら、最初に覚える言葉が『お母様』じゃなくて『アレリード領』になるわよ」
「ふふふ。そんなことないわよ。子どもって自然と親を呼ぶものよ」
「怪しいわ。お母様がアルフォンスにお母様ですよ~なんて言っている姿を見たことないもの」
「あら、ユリアナに見せないだけで夜とか言っているわよ。ねえお義母様」
「そうねえ。確かに夜は言っているわね。私もおばあ様ですよ~って言っているから、二人で言っててアルフォンスにうるさがられているかもしれないわね」
「あはは。私もお姉様ですよ~って言わないと。負けられないわ」
「あら、母親が一番よ」
「そうよ、その次がおばあ様よ」
「え~、じゃあ私はその次なの?」
「どうかしら?それよりアレッタが先よね」
「そうそう、アレッタがメリッサの次に色々しているもの。その次がテレサね」
「アレッタ~」
「恐縮でございますが、ユリアナ様。諦めてくださいませ」
どっと笑いが起こり部屋は笑いに包まれた。そこへテレサが箱を持って入って来てそれをアレッタが受け取る。
「ガーナット王国からご出産のお祝いの品が届きました」
「まあ。いらないって書いたのに。アルベルト様からじゃなくてガーナット王国からなの?」
「はい。差出人はガーナット王国となっていました」
そうテレサが答える。
「変ですね。ガーナット王国とだけ書くなんて曖昧で。こんなことを議会も役人もするとは思えないのですが。でも箱はガーナット王国専用で紋章も入ってますね」
そう言ってアレッタが少し離れた場所の机に箱を置いた。皆が座るソファーのローテブルは、ユリアナが持ってきた服でいっぱいだったのだ。
「まあ、国から来たということでしょう。開けますね」
そう言ってアレッタが縛ってあった紐を切り箱を開けた瞬間だった。
白い煙の様なものが50センチ程立ち上り、皆が驚いたと同時にアレッタが蓋を閉めた。
「だ、誰もちか、づか、ない、で・・・・・」
そう言ったかと思うとアレッタが倒れ、痙攣して口から泡が溢れ出た。
「アレッタ!」
母とユリアナが近づこうとするのをナタリーとファラが押し留める。
「なりません!」
「テレサ!お医者様を呼んできて!!!」
母が叫ぶと同時にテレサが走り出ていった。
「アレッタ!アレッタ!」
名を呼ぶ間もアレッタの痙攣が続いている。首に手を当てもがいている姿に涙を流しながらユリアナは母と共にアレッタを呼び続けた。
「アレッタ!アレッタ!しっかりして!」
そこにビリスが駆け込んできた。
「アレッタ!」
側に行こうとするのをイングリッドが止める。
「アレッタが誰も近づくなと言ったのです。気持ちはわかるけど近づいてはダメよ」
「アレッタが!このままじゃアレッタが!」
「ビリス。今お医者様を呼びに行っているからもう少し待って。アレッタの言葉を聞いてあげなさい。さあ名前を呼んであげて」
「イングリッド様!アレッタ!!」
ビリスも名前を呼び続ける。
「アレッタ!アレッタ!直ぐにお医者様が来るから!」
母が泣き叫んでいる。ユリアナもアレッタの名を呼び続け、どれくらい時間が経っただろう。アレッタは首を押さえたまま痙攣し続けている。早く来て!と願った時間は僅かな時間かもしれないし、長い時間かもしれない。喉も枯れてそれでも呼び続けていると医者がやってきた。テレサが言うには、近くの医者でこの辺りの貴族は皆頼りにしている医者らしい。
医者は全員から状況を聞くと鞄から頭巾を取り出して被り、アレッタへと近づく。机の周りに落ちている白い粉を手袋をした指で取り観察し、そしてアレッタの症状を見た。今も痙攣している状態だ。
そして鞄から小瓶を取り出すとアレッタを抱き起して泡を拭き飲ませた。しかしアレッタの口から液体が零れてしまう。
「アレッタ!お願い飲んで!」
母が叫ぶ。
医者はもう一本取り出し苦しむアレッタの顔を上に向かせて体を固定し、もう一度飲ませ更に鼻に綿棒を入れて瓶に入れていた。
全員が見守る中、徐々に痙攣が治まり息が整ってきたのがわかった。
「先生、アレッタは?」
母が真っ先に聞いた。
「もう大丈夫です。薬を飲ませました。しかしかなり痙攣していたから体が辛いでしょう。肺もその他の内臓も弱っている可能性が高いので、しばらく安静にしてください。起き上がるのは食事の時だけです。
しかししばらくは何も食べられないでしょうからこちらを飲ませてください。この丸薬ですが、これ一粒で1日に最低限生きる為の成分が入っています。水は多めに飲ませてください。その時にこちらの液体を混ぜて飲ませるように。体内から毒物を排出させる効果があります」
医者の説明に全員が驚いた。
「毒物!!」
母が叫んだ。
「はい。念の為粉を持ち帰って調べてもらいますが、症状が治まったのを考えると、間違いなさそうですね。ユリに似たドューザという花の花粉です。山の奥深くならどこにでも生えていて、とても美しい花です。だからといって安易に持ち帰って誤って花粉を吸い込むと、今のような症状が出ます。
死ぬほどの毒性はありませんが、ご覧になった通り、かなり辛い症状が出ます。吸い込んだ量にもよりますがね。痙攣、呼吸困難が主なものです。肺や内臓も弱らせます。解毒薬を飲むまでの時間が長ければ長いほど後遺症が残ります。
続く倦怠感、食欲不振、肌荒れ、肺に後遺症が残り、走るなどの激しい運動ができなくなります」
「そんな!」
母が口元を押さえている。
「でも今回はかなり早い方だから安心してください。二週間程の療養で全快するでしょう。私を呼んでくれて良かったですよ。どの医者もこの解毒薬を常備しているわけではありませんからね。
実はこの近くの邸にドューザが好きな方がおられましてね、他の人の迷惑にならないようにと温室を作ってその中で栽培しているんですよ。
中に入る時はさっき私がしていたように頭巾を被って鑑賞するそうですが、万が一のことがあるから常備しておくように言われていて、執事の方からの症状を聞いてもしかしてと思って持ってきて正解でした。
ただ、怖がらせるようで申し訳ありませんが、死ぬほどではないと言いましたが、これが乳児の場合はまた別です。体が小さい分、たぶん5分耐えられないでしょうから、解毒薬が間に合うことはまずありません。
これは事件性があるものと私は判断しますので、警備隊に報告します。よろしいですね?」
母が放心したように座り込んだ。イングリッドの目は厳しい。ユリアナがそうしてくださいと何とか答えると医者が、男性は外に出るようにと言い、テレサに楽に着れる服を持ってくるように指示した。
鞄から麻袋を出しアレッタが着ていた服を脱がして詰めている。更に送られてきた箱も麻袋に詰めしっかり口を縛った。そして布に液体を染み込ませて机やその周辺、アレッタの顔や首も拭いていく。最後に霧吹きに液体を入れ当たり中に噴射した後、頭巾を取り直接見て確認していた。
そこにテレサが戻ってきてもう近付いても大丈夫と医者が言って、アレッタに夜着を着せた。
「粉は解毒薬を含んだ液体で全て拭き取りました。床やカーテンも霧吹きを使っておきましたので大丈夫ですよ。侍女の方の服から出ていた顔なども綺麗に拭き取りましたから安心してください。
ではベッドに寝かせてあげてください。服と箱は証拠品として薬物研究所へ鑑定に回します」
医者の言葉でビリスを呼ぶとアレッタに抱きつき号泣した。そして助かったことを医者に感謝し、メリッサの指示で一階の客間にアレッタを抱えて運んでいった。ビリスにしばらく側についているように言い、母が医者に問いかける。
「箱を開けたら白い煙の様なものが立ち上ったのです。あれが全て花粉なのですか?」
「いいえ。花粉は薄い黄色なんですよ。煙が立ち上った様に見えたのは小麦粉に混ぜてあったからです。箱を開けると飛散する仕掛けがしてあったのでしょう。
こういうのは嫌な話ですが、戦時中の作戦の一環として、敵が通るだろう道に砂に混ぜてばら撒くそうです。そこへ馬で来た敵軍が土埃を上げて後方が毒にやられる、と言った使い方がされたことがあるらしいです。かなり昔ですが、その為にドューザを育てていた記録が他国であります。
ちなみに解毒薬がなかったら、ですが、三日三晩水を飲ませ続けて毒物を排出させます。それで大人なら命は助かります。しかし、三日三晩苦しみ続け、内臓などを傷つけ続けるわけですから、全快することはありません。必ず何らかしらの後遺症が残ります。
起き上がるのも辛いほどの倦怠感。食べ物は少しずつしか食べられない。肌は衰え、十歳は老けて見えることになると聞いています」
「私のせいだわ!私を狙ったのよ!」
母が泣き叫んだ。ユリアナは母を抱き寄せその背を擦った。
「お母様の責任ではありません。送り主をはっきりさせましょう。悪いのは送って来た犯人です」
「私がアルベルト様の子どもを産んだから。アレッタにもしものことがあったら。
アレッタは本当に治るんですよね?元気になりますよね?」
母が医者に問いかける。
「心配なさらないでください。見たところまだお若い。薬を飲んだ時間を考慮しても全快しますよ」
「本当に?アレッタにもしものことがあれば、私の手で犯人を殺すわ!」
「お母様落ち着いて」
「メリッサ。滅多なことを言うもんじゃありません!あなたが人を殺して捕まれば、ユリアナやアルフォンスはどうなると思うの?アレッタだって喜ばないわ。少し落ち着きなさい」
ふっと、母から力が抜けた。
「どこまで付いてくるの?何故こんなことをするの?離婚したじゃない。あの場所から逃げるために。それなのにまだ追ってくるの?」
「お母様。もう誰にも危害を加えさせません。今回ばかりは我慢の範疇を越えました。到底許せるものではありません。徹底的にガーナット王国に調査を依頼します!有耶無耶にはさせません!」
「ユリアナ。こんな弱い母でごめんなさい」
母が泣き出しユリアナに縋った。
「お母様は弱くありません!あんな中でも私を愛し育ててくれました!自慢のお母様です!」
「メリッサ。あなたは弱くないわ。逃げることも大切なものを守るためには必要なことなの。相手が卑劣なだけ。卑下するのは止めなさい。あなたは充分戦ってきたのよ。自分を誇りなさい!
あなたにはあなたを必要とする人がたくさんいるのよ。あなたが愛した分以上に愛されていることを理解しなさい」
「お義母様。私は、私はどうしたら良いですか?」
「まず、アレッタが助かったことを喜びなさい。そしてアレッタが治るまで付き添いなさい。その方が安心でしょ?
そして、犯人と正当に戦いなさい。今のあなたはインデスター王国の国民なの。しかも伯爵家の娘よ。ガーナット王国からされたことは、ちゃんと訴えれば良いの。きっとガーナット国王がきちんと捜査してくれるでしょう。
私は今から王城に報告に行ってくるわ。ユリアナも来なさい。見たことをきちんとインデスター王国の王太子妃として伝えなさい。
テレサ。メリッサに付き添っていて。それからビリスに水と先生がくださった瓶を渡してアレッタに飲ませ続けるように伝えて。それからユレナに念の為アルフォンスを二階に連れて行って付き添うように言っておいて」
「かしこまりました」
「先生。ありがとうございました」
皆が口々にお礼を言う。
「いえいえ。当然のことをしただけです。そうですね。念のため皆さんもこの部屋から出られたら良いですね。後から弟子に念のためこの部屋の全てを解毒液で拭かせます」
「それはありがたいですが、お弟子さんはお一人で大丈夫ですか?」
「それではお言葉に甘えて、メイドをお一人お借りしてもいいですか?」
「私がやります!」
マリが手を挙げた。
「マリ。ありがとう。気を付けるのよ」
「はい!」
「夕方もう一度様子を見に来ます。では後程」
そう言って医者が帰って行った。
「さあ、行くわよ!ユリアナ!」
イングリッドが気勢を上げる。
「はい!」
ユリアナもそれに応えて二人は馬車に乗り込んだ。
ユリアナは怒りで体中が燃えるようだった。イングリッドが的確に指示してくれたおかげで伯爵家が回り始めたが、当初の予定通り母とアレッタだけの暮らしだったらと思うとゾッとする。狙いは何なのか?母なのかアルフォンスなのか?それとも両方なのか。死なない程度の毒を使っているのも忌々しい。脅しか、それとも母が苦しみ、二度と父に会えない姿にする為か。
どちらにせよ、こんなことをして許されるはずがない。必ず今回は犯人に捕まえる。
ユリアナは決意を新たにした。
急にも関わらず、国家間の一大事とイングリッドが伝えた為に直ぐに謁見の間に呼ばれた。
「陛下。ご報告申し上げます」
まずイングリッドが自邸で起こったことを伝えた。すると国王が怒りを露わにした。
「我が国の国民にそのようなものを送ってくるとはガーナット王国は友好関係を止めるつもりか!」
「申し訳ございません。父にはそのような意図はないと思います。どうか信じてください!誰かが裏で糸を引きこのような事態が起こったものと考えられます」
「ユリアナ。心当たりがあるのか?」
「はい」
そう言ってユリアナはガーナット王国での生活の中で受けた様々な事件について報告した。毎日母が毒見をしていたことも。今回も母を狙ったものか、また、母とともに弟を狙ったものだろうと推測を伝える。それだけ王家の色を持って生まれる子どもは国民の人気が高く、王族の立場の中でも変わらないようでいて実は優位なのだということも。国民の人気が高いということは務めている平民出身の役人もそうだということで、仕事の割り振りの数は多くなるが、その分執務室などが充実しているのだ。
「ガーナット王国には強く怒りを伝え、抗議し、徹底的な調査をしてもらってください」
「生ぬるいな。ユリアナ。こちらから捜査団を派遣しよう。そして合同で捜査する。大事になればなるほど、犯人は怯えるだろうな。それでも逃げ切れるつもりでいるのだろう。
私は他国の国王だ。向こうの貴族関係など知ったことではない。あの場にはアレリード伯爵もいたのだ。これは私の親族にも危害が及ぶ可能性があったということだ。違うか?」
「その通りでございます」
「であろう?ならば潰すのみだ。どんな立場の人間でも同じだ。殺人未遂事件としてインデスタ―王国では扱う。アルフォンスが吸ったなら死んでいたのだろう?それなら殺人未遂だと思わないか?
きっとメリッサが箱を開けると思っただろうしな。そしてその側にはアルフォンスがいると。
しかし運が重なったな。開けたのはアレッタだった。アレッタだから良かったというのではない。元気な体の大人だったから耐えられた。そして近くに直ぐに判断ができ解毒薬を常備した医者がいた。おかげで療養すれば治る。これはたまたまであってたまたまではない。
メリッサ殿やユリアナが持っていた運という力だ。どんな人間でもある程度運という力を持っているものだ。それが人によって良く出るか悪く出るかの違いなだけで。
今回はメリッサ殿には良く出た。だが反対に犯人には悪く出たとも言える。捕まることに怯えながら言い訳を考えるだけで良かったのが、誰も後遺症もなく事件が終わり、目的を達成できなかったのだ。だが、これもまた、犯人には良く出たと言っても良い。アルフォンスが死んだり、メリッサ殿に後遺症が残れば、こちら側はもっと強く出て、殺人罪として追及する。しかし、今回は殺人未遂だ。
犯人にとってそれが、運が良かったのか悪かったのかはわからないがな」
確かにそうだ。今回の事件は結果によって大きな違いが出てくる。ユリアナが今立って陛下と話していられるのも母たちが無事だったからだ。アレッタも療養すれば回復する。しかし、これが全く別の結果だったらこんな風に立てていただろうか?母たちにもしものことがあれば。また、自分が倒れてそのせいでフレデリクの子を流産したら。考えるだけで震えてくる。きっとその時はこの場にいられない。泣き伏して立ち直れるかもわからないとユリアナは思った。
「私も父に手紙を書きます。そしてこの目で見たことを伝えます」
「こちらも捜査団を結成したら、ガーナット王国へ送り込む。その時に持って行かせよう。それまではガーナット王国に事件は伏せる。インデスタ―王国から視察団が行くということにして連絡する。相手に言い訳の準備をさせないためにな。こちらから反応がなければ不審に思うだろうが、まだ開けていないと判断するか、荷物が遅れていると思うだろう。
ユリアナ。心を強く持て。そして今日はメリッサ殿に付いていなさい。離れているより側にいる方が安心するだろ?お腹の子の為にもその方が良い」
「かしこまりました。そのように致します」
「アレリード伯爵は残って作戦会議に出席だ」
「かしこまりました。我が家で起こったこと。必ずや仇を取って見せます」
「相変わらず頼もしいな。それでは必要な人間を揃えて緊急会議をしよう。外務大臣は出航準備を一番にしろ。内務大臣は証拠品の結果を持ってきてくれ。捜査班を結成するぞ。
一時間後に始めるからそのつもりで各自準備をして集まれ。解散」
陛下の声で謁見が終わり、ユリアナは退出した。
「ユリアナ。邸でメリッサについていてあげて。もしアレッタの目が覚めているようなら声をかけてあげるのよ」
「わかりました。おばあ様」
「陛下に任せておけば大きな諍いにならずにことが終わるでしょうから大丈夫よ。誰もガーナット王国との友好関係を崩したいなんて思ってないから安心なさい」
そう言って見送られユリアナは母の元へと向かった。
「お母様。アレッタの様子はどう?」
邸に駆け込むと真っ先にユリアナはそれを確認した。
「落ち着いているわ。さっき一度目を覚まして水をたくさん飲ませた後また眠るように言ったのよ。今はビリスだけが側にいるわ。その方が安心でしょ?夫婦だもの」
そう言って話しているのは応接室だ。今談話室は解毒の最中らしい。念のため全員着替えたとのことでユリアナも自分の部屋に置いたままになっている服に着替える。
「お母様。捜査団をガーナット王国へ送ることになりました。陛下が事件に触れずに視察団を送ると言って実際には向こうで一緒に捜査するように話をつけるそうです。
陛下がこれは殺人未遂だとおっしゃってました。アルフォンスが近くにいれば死んでいたかもしれないからと」
言葉にするだけで恐ろしいことを振るえる唇で伝えた。
「そうね。ここまで大きなことをすればもう逃げられないでしょう。必ず何か証拠が出てくるはずよ。
私ね、私が逃げていたせいだって思ったの。始めの時から戦っていたらって。私が反応を示さないからどんどん悪質になっていったように感じて」
母の目に涙が浮かぶ。でもそんな後悔はしても今は何にもならない。
「お母様。過去は過去です。あの頃はああするしかなかったのです。立場上仕方がありません。今私たちが考えることは一日でも早くアレッタが治るよう交代しながら側にい続けることです。
そして、お父様に何と伝えるかです。見たこと感じたことそのままを私は伝えようと思います。お母様はどうしますか?」
「私は・・・・・。こういったことが続くなら、ガーナット王国を訴えると書くわ。今回も含めて、私がこれまでされてきたことを何も解決できていないことへの責任を問うわ」
母の目に色が光が戻って来た。悲しみより怒りが勝って来たのだろう。
「そうね。出港する時に届けてもらえるらしいから急いで書いておきましょう」
二人はそれぞれの便箋を持った。母はアレリード伯爵家の物を。ユリアナはインデスタ―王国の物を持参していた。いくらガーナット王国出身とはいえ他国の貴族と、政略結婚とはいえ他国の王太子妃となった王女から抗議文が送られてくるなど考えられないだろう。
ユリアナは思いの丈をペン先が折れるほどの力で書き綴ったのだった。
「インデスタ―王国から視察団が来るだと?」
「はい。早馬が知らせに来ました。もう既に出港しているそうです」
答えたのは外務大臣だ。
「急な話だな。何か向こうであったのではないか?」
「そういった話は聞いていません。早馬で来た使者も伝えて直ぐに戻ったようですし。ユリアナ様やメリッサ様からお手紙とか来ていませんか?」
「いや、何も。それでも、急に視察とは。視察の代表は誰だ?」
「外務大臣と聞いております」
「外務大臣か。本格的だな」
「同行者はわかりません」
「そう言ったことも連絡がないのか?おかしいだろ?何かあったに違いないな・・・。良いか、誰にも私が不審に思っていると言うな。この国の為に。こちらはいくらでも来てもらって良いという体で行こう。何が目的かわからない。ユリアナに何かあったとかでなければいいが」
「それなら視察団を送るなどと回りくどいことはしないのでは?」
「そうだな。もう出港しているとは、いつ着くんだ?」
「四日後です。どうやら使者が城に来る前に宿泊施設も予約して行ったようなんですが、不思議なことに出立日が決まっていないそうです」
「それは・・・・・。何か決められない理由があるのだろうな。やはり何かあったのだろう。注視しておこう。
内務大臣。妃たちはどうしている?」
「いつもと変りないと聞いています。しかし、半月ほど前に王太子妃殿下の父親の公爵が王妃殿下を訪ねていたと聞きました。公爵に確認をしたら、側妃を入れることについて更に説明があったと言っていたそうです」
「そうか。何もなければ良いのだが」
「陛下。インデスタ―王国の視察団が到着しました。陛下へ謁見を申し込んでおります」
「良いだろう。直ぐに行く。謁見の間に通しておけ」
アルベルトは軽装から正装に着替えると謁見の間へと向かった。この四日。メリッサやユリアナの身に何かあったのではないかと気が気ではなかった。王宮で一人、二人のことを思い、無事を願っていた。いよいよ今日、何があったのかわかる。何もなければそれでいい。ただの視察ならいくらでも歓迎する。だが、どうにも嫌な予感がしてならない。早足で扉まで行くと鐘が鳴り謁見の間へと入った。
視察団は10名程で見知っているのは外務大臣だけ。一人フードを被っている者がいるのが不思議だった。他国の国王へ謁見を申し出てフードを被ったままなどありえない。しかも小柄だ。女か?
「インデスタ―王国視察団でございます。ガーナット国王に至ってはご健勝のようでお喜び申し上げます。急な申し入れにも関わらず受け入れていただきありがたく存じます」
外務大臣が無難な挨拶をした。
「堅苦しいのはいい。急な申し出だったが、何か急用が我が国にあるのか?」
「国王陛下。大変恐縮ですが、陛下と護衛と外務大臣内務大臣を除いて退出してもらってください。内々でお伝えしたいことがあります」
やはりか、とアルベルトは思った。何かあるとは思っていたが初日から堂々と城まで来て言うのだから余程のことだろう。
「わかった。皆退出せよ」
「そんな!危険ではありませんか?人数ではインデスタ―王国側が多いです!」
「護衛がいる。それに裏の扉から直ぐに出られるから問題ない」
アルベルトが言うとその場にいた他の役人や貴族が出て行った。
「これで良いか?」
アルベルトが問うとフードの女と思われる人間がフードを脱いでアルベルトを見た。
「初の御目文字致します。インデスタ―王国王女マレーナでございます。父の名代で参りました」
そう言ったのは銀色の髪に紫の目をした美しい少女だった。まさか王女が来ているとは。周りも動揺しているようだ。
「本日はお時間をいただき誠にありがとうございます。まずはこちらを」
そう言って外務大臣の手に手紙を二通渡している。そしてアルベルトの手に渡された。
「メリッサとユリアナからだな」
「今からお伝えすることは、両国のこれからの関係を大きく左右する問題です。こちらの提案を受け入れていただきたく存じます」
そう言ってマレーナが一連の事件について話し始めた。
「二人は無事なのか!?」
聞いてまず言ったのはその言葉だった。
「大丈夫です。侍女のアレッタのみが被害にあいましたが順調に回復しています」
更にマレーナは続ける。聞けば聞くほど情けなく、腹立たしい話だった。自分は一つも二人を守れていなかった。他国に行かせれば守れると考えたのに、他国にいてさえ脅威にさらされた。許せるものではない。ましてや国の名を語るとは大罪だ。
「我が国からは何も贈り物をしていない。そんな指示をしていないからな。私の許可なく送るような役人も貴族もいない。メリッサがそう望んだからだ。だから私個人として手紙を送っただけだ」
「では、我が国の通達通り、殺人未遂事件として捜査していただきたいです。もちろん、その捜査には我が国の者を加えてください。疑って申し訳ありませんが、隠蔽されては困りますからね」
まだ15.6だろうにしっかりとした王女だとアルベルトは感心した。
「ちなみにその捜査には私も加わります。子どもだと甘く見ないでくださいませね。私は怒っておりますの。大好きなお義姉様とメリッサおば様とアルフォンスが危険に晒されたのです。またその場には私の大伯母もおりました。
こんな卑劣な行為を絶対に許しません。隠し立てしようとする者を御国で見つけた場合、その場で捕縛する許可をください」
儚げで美しい王女だが、その眼差しは強い意志を示している。
「わかった。だが一方的にそちらの話を聞くわけにはいかない。両国で話し合って事件を解決できるよう、こちらの捜査団ができ次第協力体制を取りたい。先に捜査を始めるのは止めて欲しい」
「もちろんです。私たちは他国の人間ですから、御国の協力なくして解決はありえませんので。ただ先にお願いがあります。
王城の敷地内に今いる人たちを王城からは出さないでください。入ってくる人は構いません。しかし入れば解決まで出さないでいただきたいです」
「それは王城内に犯人がいるということか?」
アルベルトは厳しい視線をマレーナに向けた。自分もわかっているが、序盤からこちらもそう思っているとは言えない。王城内にアルベルトや国の信頼を失墜させるような人間がいても、気付かずに野放しにしていると思われては困る。
いや、野放しにしていたのは事実だ。確実な証拠が無かったから諦めたのだ。状況証拠では間違いないのに。
しかしそれは自分の保身もあったのではないか?アルベルトは改めて己に問いかける。
妃たちの実家と揉め事を起こしたくない。万が一、反乱などが起こっては困る。そんな気持ちで捜査に甘さはなかっただろうか?
アルベルトは、あの真っ直ぐな紫の目で見つめられると、己の弱さを見たような気がした。
「では。こちらをどうぞ。鑑定と解毒は終わっていますから安心してください。
これはガーナット王国が贈り物をする際に使う箱で間違いありませんね?メリッサおば様にも確認を取りました」
それは何度も自分も使ってきたガーナット王国の紋章が入った木箱だった。模造できないように、あちこちに細かく彫りが入ってるのが確認できる。
「間違いない。蓋の四隅の彫りは一流職人が彫ったものだ。誰でも真似できるものではない。他の箇所にも特別な彫りが入っているがそれもある。だからアレッタも気を抜いて開けたのだろう」
「そうですか。ではやはり王城の中に仕組んだ犯人がいるということですね?
本格的な捜査はガーナット王国の準備ができ次第ということで、連絡をお待ちします」
「直ぐに対応するから今しばらく待って欲しい。宿泊先に連絡させよう」
「では最後に私には私的な用事でお願いしたいことが・・・」
「それは好きにしてかまわない」
「ありがとうございます。では失礼致します」
そう言ってインデスター王国の視察団は退出した。そして扉が閉まった瞬間、アルベルトは椅子の肘掛けを叩いた。
「陛下」
「まさかこのようなことが起こるとは。考えたくありませんが、あの箱は王城関係者以外使えません。内部に犯人がいることになります」
「わかっている。誰かもわかっているんだ。そしてどう逃げるのかも。
しかし今回ばかりは逃げさせない。ここまでするとはさすがに常軌を逸している。今止めねばならぬ」
アルベルトは立ち上がった。
「至急捜査団の結成しろ。どこの派閥に属しているか考えて慎重に選べ」
「かしこまりました」
「他の者にはユリアナが体調を少し崩したようだということと、王女が視察に行きたいと言って急遽やってきた、ということにしろ」
「はい。もちろんでございます」
「王女は好きにさせろ。何か考えがあるか使命があるのだろう。インデスタ―国王に任されるくらいだからな」
「かしこまりました」
「部屋で少し休む。後は頼んだ」
アルベルトはそう言うと謁見の間を出て執務室に戻った。
執務室で椅子に座りアルベルトは怒りと安堵の感情が混ざり合い何から昇華すれば良いかわからなかった。メリッサも子ども二人も、使用人たちも無事で良かった。アレッタは被害を受けたが回復するのでメリッサも安心しただろう。そのことについては、本当に安堵した。
万が一のことがあれば、捜査などせず自らの手で何も聞かずに切り捨てていたかもしれない。メリッサはもうこの国の人間ではない。離婚もした。これで安全かと思ったが子どもを産んだことでまた目が向いたのだろう。それでも他国で事件になるまでのことをするとは思わなかった。
一歩間違えればアルフォンスは死に、メリッサや周囲にいた者たちは後遺症が残る程の体になったのだ。そんな恐ろしい毒を使うとは。もはや見過ごせる問題ではない。両国で捜査するのが当然のことだ。危険に晒されたのはインデスタ―王国の国民なのだから。しかもガーナット王国専用の箱が犯行に使われたことにも怒りを感じる。
アレッタなら国から贈られた物と判断して開けてしまうだろう。そんな中に毒物が入っているなどとは思うまい。アレッタの機転と振り絞った訴えで他に被害者が出なかった。報奨を与えたいくらいだ。メリッサたちを苦しい中守ったのだ。何も言わずに倒れればメリッサたちが駆け寄るに決まっているから。
こんな怒りはない。他者を危険に晒すのも、国の名を騙った卑劣な犯行も。
メリッサはもういないのに他国に行ってまで苦しめたいのか?国家間に亀裂が入ることになるかもしれない危険性があることぐらい理解できただろうに、それを越えてまでもしなければならない程か?
そこまでさせるものは一体何なのか?アルベルトは理解の範疇を越えたと怒りをぶつけるように机を叩いた。