さんたくろうす
「やっぱり、変ですよねえ?これ」
突然僕の部屋を訪れた男は、不安げにそう言った。
確かに変だ。
赤い着物を着ていた。掛け襟部分が白い。足には下駄を履き、頭は白髪の髷を結っている。たっぷりと白い髭を顎に蓄えている。年齢は四十歳ぐらいであろうか?いや、五十歳?六十歳です、と言われれば納得できなくもない。奇妙な恰好と白い髭と白髪とそんなに歳はとっていないだろう顔つきのせいでよく分からない。
和製あるいは和風サンタクロース、とでも言うのであろうか?
唐草模様の風呂敷を肩から担いで玄関に立っている。
確かに変だ。
「ちょっと待ってくださいねえ」と言うと、その奇妙な出で立ちの男は風呂敷を床に下ろした。風呂敷かと思ったそれは袋になっていた。ちょうどサンタクロースの持っているあれのように。
そして、ガサゴソと袋の中を手探る。僕は何も言わず黙ってそれを見ていた。
「これこれ」と言って、男は何かを袋から取り出した。
男が取り出しのはじって十手だった。時代劇に出てくるようなやつだ。
「はい」
とっても嬉しそうにそれを僕に渡した。僕は本物の十手を見たのは生まれて初めてだった。多分、これが本物の十手と言うものなんだろう。男はにこにこと笑っていた。僕に十手を見せることがそんなに嬉しいのだろうか?
僕が「へえ、すごいですねえ」と言いながらその十手を返すと、「いえいえ、返してもらわなくて結構なんです。だって、今日はあの日だし、僕はその・・・」
男は口をもぐもぐさせた。「・・・あれですから」
僕は今日はあの日だし、この男はあれなのだと思った。
「それでも、僕はこんなもん、欲しくないんです。それに突然あなたがやってきて、こんなもんを受け取るわけにはいけない」
「それ、本物ですよ。江戸時代中期のものです。質屋に売ればそれなりにはなります。ちゃんとものの価値の分かる質屋にですよ。ねえ、私はどうしてもこれをあなたに受け取ってもらわなければならないんです。だから、是非受け取ってください。お願いします」
そこまで言われると僕も受け取らないわけにはいかなかった。じゃあ、お言葉に甘えて、と言った。
「ありがとうございます!」と男はとっても嬉しそうに言った。本当に嬉しそうだ。何だかよく分からなかったけど、彼のこんな嬉しそうな顔を見ると、僕も不思議と嬉しくなってきた。
「こちらこそ、ありがとうございます」と僕は言った。僕は受け取った十手を眺めながら訊いた。
「何で、あなたはそんな恰好をして、こんなことをしているんですか?」
「それより、その十手を質屋で売ったとして、そのお金で何を買いますか?」と、男は僕の質問を全く無視して、逆に僕に聞き返してきた。男が聞き返した瞬間には条件反射的に僕は彼の質問の答えを考えていた。
僕は十手を指先でぐりぐりと回しながらしばらく考えた。
「車」と一言答えた。「この十手が一体いくらの価値があるのかは分からないけど」
「ほう、車ですか。うんうん、いいですねえ。十手が車に変わりますかあ。いやいや、文明の発達を感じます。ボクもそれがあれば車が買えるかもしれない。今なんて自転車しか持ってません。車があれば遠出もできるし、ガールフレンドとドライブに行けるかもしれませんね。まあ、もっともガールフレンドなんてボクにはいないんですけどね」
とても淋しそうな顔をした。
「やっぱり、これをあなたに返します。これであなたが車を買えばいい」
僕は十手を男の方に差し出した。男は頭を取れそうなほどにぶんぶんと横に振った。
「それは困ります。もう、あなたにあげたんです。もう、あなたのものなんです、それは」
「でも・・・」
「あなたにあげたいから、僕はそれをあなたにあげたんです。あなたに是非プレゼントしたかったんです」
男は無理に作ったであろう笑顔でそう言った。僕はどうしていいか分からなかった。僕の差し出した十手を僕の手からさら浚って、唐草模様の袋を担ぎ、玄関の扉を開けて帰って欲しかった。でも、男はそうしなかった。ただ、それを早く引っ込めてくれ、と言ったような表情でこっちを見ていた。
「お願いします!」と男は頭を深々と下げた。
「分かりました。受け取ります。だから、頭を上げてください」
「もう、返すなんて言わないでくれますか?」
コクリと僕は頷いた。
「約束してくれますか?」
僕はまた頷いた。
「よかったあ」と、男はまた嬉しそうな顔をした。
「ねえ、もし、それで本当にあなたが車を買えたとしたら、あなたは僕がいいことをしたって思ってくれますかねえ?」
「そりゃ、そう思うと思いますよ。とっても不思議で奇妙な感じはするけど」
「奇妙ですか?」
「うん。普通ではないように思いますね。だって、見ず知らずの人に十手をもらって、それで車を買うんですよ。何か普通ではない感じがして当然だと思います」
男は少し淋しそうな顔をした。白く長い髭がどんどん伸びてそのうち地面に着くようなほど淋しそうだった。
「でも、本当にもし車が買えたとしたら、あなたにとても感謝しますよ」
僕がそう言うと男はまたまた嬉しそうにした。とっても気持ちの浮き沈みが激しいタイプらしい。僕は彼がどう言ったタイミングで嬉しそうにしたり、どう言ったタイミングで淋しそうにしたりするかをはっきりと掴めたような気がした。だから僕は彼が嬉しそうにするようにしてあげるべきなのだと思った。
「本当にありがとう。すごく嬉しい」と言って、僕は笑顔を彼に見せた。
「うんうん。そう言ってもらえるとボクもとっても嬉しいです」
男は瞳をうるうると潤ませていた。
「さてと。そろそろ失礼します」
よいしょ、と言って唐草模様の袋を肩に担ぎ上げた。
「何で、こんなことを?」と僕はもう一度訊いてみた。
「罰ゲームなんです」と言って、男はにっこり笑った。とても爽やかに気持ちよく。「じゃあ、さようなら」
扉を開けて、玄関から出ていった。煙のように消えていった。
後に残された僕はとっても困惑しながら十手をしばらく玄関に立って眺めていた。
次の日、僕は昨日もらった十手で車を買った。とっても乗り心地がよかったし、とっても嬉しかった。でも、不思議で奇妙で、少し昨日までの自分とは違う気がしたし、住んでいる世界も微妙に折れ曲がったような心地がする。