魔王、かつての夢を見る。(後編)
1ヶ月ぶりの投稿です。年越しちゃいました……。
『魔王様。最期まで貴方様のお供することができず、申し訳ござ……ぐふっ』
何処かから、自身にずっと付き添っていてくれた男の声が聞こえた気がする。
――嗚呼、とうとうお前まで逝ったか。
城の奥深くの玉座の間で、魔王は自分の部下がまた1人死んだことを悟った。今日だけで一体どれほどの命が散っていっただろうか。着実に自身の元へと向かってくる勇者一行にげんなりしながら、魔王は大きくため息をついた。
自ら魔核を呑み込んでから数百年を経て、闇の精霊だったモノは遂に魔王へと覚醒した。自分の野望に賛同する魔物たちを従えて本能のまま『死』を振り撒こうとした魔王だが、突如その野望を打ち砕こうとする存在が現れる。
――勇者アレックスとその仲間たちだ。
彼らは行く先々で魔王の配下を倒し、瞬く間に人々の希望となった。そして2年近くの攻防の末、とうとう勇者一行はこの居城にまで足を踏み入れてみせたのだ。
「(所詮黒い靄共に唆された木偶人形だと甘く見ていたか。)」
自分が休眠していた間に幾人もの魔王が生まれ、そして散っていったという。いずれも対となる勇者一行に斃されており、勇者という存在を警戒しなければならないのは当然ではあったのだが……
「(部下たちの報告では歴代勇者の中でも特に覇気がないとか言われていた気がするが……まさかわざとそのように振る舞っていたというのか?)」
魔王が勇者を軽視してしまうのも無理はない。何故なら、命からがら逃げ帰った部下の口から語られるのは、歴代のどの勇者たちにも当て嵌まらない型破りな勇者の姿だったのだから。
『勇者が仲間から絞技喰らっていました。』
「何故?」
『壊滅的なネーミングセンスに笑った副官が隙を突かれてしまい……』
「内容は?」
『《秘技!勇者アレックスのモリモリスペシャル!》です。』
「ランチメニューか?」
『我々は勇者に対抗する為に人質を取った筈なのですが、その人質が一般人かと思ったら勇者でした!』
「何故気づかない。」
『それに対して勇者の仲間たちはあろうことか勇者ごと我々を攻撃してきたのです!』
「……勇者の仲間なんだよな?」
流石人間。汚い、汚すぎる。自分が休眠している間に、人間はその残虐性を隠さなくなったらしい。こんな醜い世界を守ろうだなんて、勇者一行は本当に狂った連中だ。
「(まぁ良い。奴等を倒しさえすれば私の望みは叶うのだから。そうすればきっと彼女も……ハア、またか。)」
一瞬脳裏に人の形をした何かが蘇ったような気がしたが、すぐに霧散する。自身の野望について考える度に脳裏を過ぎる謎の存在に、魔王はずっと頭を悩ませていた
この数百年、魔王は取り込んだ魔核をその身に馴染ませ、適応させていた。それに伴う激痛や負の感情は、かつての心を擦り減らす。いつしか魔王は何故自分が『死』となろうとしたのか、そのきっかけとなった彼女の名前すら思い出せなくなっていた。
「(……この世から全ての生命を消せば、あの亡霊も消えてくれるだろうか。)」
彼女が脳裏に現れる時は、まるで自身の胸に杭を打ち付けられているような心地になる。心の杭を抜こうとすれば忽ち消えるその存在は、一体誰なのか。既に何度もその姿を見ている筈なのに、彼女の正体に全く辿り着ける気がしなかった。
だが、最後の戦いの前に余計なことを考える余裕はない。彼が願うのは、この世界の生きとし生けるものの『死』のみ。巫山戯た存在にあと一歩のところまで追い詰められていることを深く恥じながら、魔王は彼らを待つことにした。
「……この戦いに勝てば、世界は平和になるんだよな。」
それから暫くして、外から緊張した男の声が聞こえてきた。どうやら勇者一行は自分の元まで辿り着いたらしい。
「なんですか、突然。君らしくないですよ。」
次に聞こえてきたのは落ち着いた声だった。仲間を励まそうとしているのか、揶揄うようにその声の主は話を続けた。
「普段の君だったら、さっさと魔王倒して飯食いに行こうぜ!……くらい言いそうなものですが。」
「流石の俺でも、魔王を前にそんな軽口は叩けねえよ!?」
そのやりとりから、彼らが気心知れた関係であることが伺えた。そういえば、勇者と仲間の精霊使いは同郷だと耳にした気がする。きっとこの2人がそうなのだろうと魔王は1人納得した。
「もう、ダーリンったら意外と怖がりなのねぇ。でもそんなところも可愛くて好きよぉ♡」
「だからアルに抱き着くなと何度言えば分かるんだ、この痴魔女!」
残りの声はクラシス王国の王女と魔導の里出身の魔女のようだ。売り言葉に買い言葉でやり合う2人だが、その声色からは憎悪や憎しみは感じられない。此方の2人も先程の2人とは異なった形ではあるが、信頼関係が築かれているのだろう。
それにしても世界の命運を分ける戦いを前に呑気な連中だと魔王は思った。その後も可笑しなやり取りを続ける彼らに、魔王は笑いを堪える為に必死で口を押さえることしかできない。まさかこれも自分を油断させる為の作戦だというのだろうか。
「(……随分と巫山戯た奴らだ。少し視てみるか。)」
魔王は目を閉じると、扉の向こうにある魂を視た。外に居る魂は4つ。
「(曇りがない。彼女ほどではないが、人間にしては澄んでいる。……いやいや落ち着け。仲間を盾にされたら仲間ごと敵を攻撃する連中だぞ?)」
魔王となっても魂の判別の力は残っていたが、こうして視るのは久方ぶりだった。だが、人間の魂が思いの外綺麗だった為に魔王は面食らってしまう。
「(……中でも、あの魂。)」
そして思わず美しいと思ってしまった魂の中でも、突出した輝きを持つ者が居た。
「クソがぁぁぁぁぁぁぁ!」
……それはあの4人組の中でもとびきり喧しい男だった。先程から小物臭い台詞がわんさか出てくるというのに、その魂は誰よりも眩く輝いている。
どんな暗い場所も一瞬で照らす天上の光。
生命を育み、恵みをもたらす太陽のような。
強く、そして温かい魂の持ち主が勇者だった。
「(……彼女とは、まるで正反対だな。)」
だが、不思議とその魂を嫌いにはなれなかった。自分と対立する存在だというのに、心のどこかで好ましく思う自分がいる。
「……これから命のやり取りをする相手だというのに、私は何を考えているんだか。」
魔王があれこれ考えているうちに、勇者一行は覚悟を決めたらしい。突然襲いかかってきた風の刃を防ぎつつ、目の前に現れた光を消し去らんと立ち上がった。
魔王と対をなす存在。
世界を救う力を持つ人間。
神に祝福された子供。
――勇者が、遂に現れる。
「ようやく来たか。」
漸く対面した勇者一行相手に、魔王は心の内で笑ってみせるのだった。
勇者一行との戦いは苛烈を極めた。魔王とっておきの《死の祝福》さえ突破してみせた勇者一行は、まだその目に希望を宿している。
「ハァ、ハァ……クッソ、まだ余裕って顔してやがんなテメェ……。」
「当然だろう。私は魔王、この世界に『死』を齎す者。そう易々と倒せる訳があるまい。」
「そりゃ簡単に倒せるとは思ってねぇけど、さぁッ!」
再び剣を振り下ろした勇者の攻撃を躱し、続いて襲いかかる魔法の嵐を魔法の障壁で防ぐ。魔法が飛んできた方向を見遣ると、此方を忌々しげに見つめる魔女が居た。
「余所見している場合か?」
「……ッ!」
しかしその一瞬の隙をついて、女武闘家の蹴りが魔王を襲う。咄嗟に受け身の姿勢を取るが、それでも衝撃を殺しきれずに魔王は吹き飛んだ。
確かに余所見をしている場合ではなかった。追撃を躱した魔王は即座に体勢を立て直して反撃の魔法を放つが、それは後方で待機していた精霊使いによって阻まれる。
「(1人ひとりであれば対処できるが、その隙を埋めるように連携が取れている。……全く、部下たちにも見習って欲しかったものだ。)」
見事な連携に魔王は内心で舌を巻いていた。魔王の元に集った魔物たちは所詮烏合の衆。弱い魔物たちではそもそも歯が立たないし、上位の魔物である魔族であっても、そのプライドの高さ故に協力などできるわけがなかった。勇者一行が彼らを屠るのはさぞ簡単だったことだろう。だが……
「(こんなところで負けるわけにはいかない。この醜い世界を殺し、私は……ッ!)」
――貴方と出会えたことだけは、この世界に感謝しても良いかもって思えるようになったの。
「(ッ!何でこんな時に……!)」
彼女の姿が脳裏に映り、そして初めて聞き取れた声が響き渡った。魔王は思わずその手を止め、そしてその隙を勇者一行は見逃さない。
「隙ありィィィッ!」
「クッ……!」
勇者の剣と魔王の剣、2つがぶつかろうとした時だった。
――ブォン。
「「「「「ッ!?」」」」」
突如として、玉座の間が翠色に怪しく染まる。光の発生源は足元だった。まるで予め引かれていた線をなぞるかのように、光は魔法陣となって広がっていく。
魔王は咄嗟に勇者一行を見遣るが、4人とも何が起こったのか理解していないようだった。
「(外部からの攻撃!?一体誰が……)」
玉座の間いっぱいに広がるほど複雑な魔法陣だ。この状況下ではどんな術式であるかすら判断がつかない。ひとつだけ確かなのは、この術式には吐き気を催すほどの黒い意思があることだ。
「(何者でも構わん!今はこの術式を止め……)」
――て。
――来て。
「……?」
誰かが、魔王を喚んでいる。
その声は余程遠くから発せられているのか、雑音が入って聞き取りづらい。 だが、その黒い意思に隠れた何物にも染まらない透明な心を、呼び声を、魔王は無視できなかった。
――来て。来て。
声はどんどん近くなってくる。聞いたことのない声、それだというのに懐かしく感じるのは何故なのか。
……まるで、彼女のような。
「グッ、お前は……一体、誰なんだ?」
魔法陣に完成と共に、辺りは光で包まれる。
名も知らぬ彼女の姿が見えた気がして、魔王は無意識にその手を伸ばしていた。
「ど……どちら様ですかァァァァ!?」
「!?」
光が消え去った時、魔王は別の場所に居た。辺りを見渡すが、自分が手を伸ばした先に居たのは杖を構えながら目を白黒とさせた少女だけだ。勇者たちの姿はどこにも見当たらなかった。
「えっ、えっ?あれ、私術式間違えちゃったの?どどどどうしよう!?」
「……。」
大人というには幼く、子供というには成熟した年頃の娘だ。目の前に居る存在が何であるかを理解していないのか、此方に何を言うでもなくただ混乱している。魔力からして彼女が自分を喚び出した存在に違いないが、今話しかけたところでまともな受け答えはできそうになかった。
少しでも情報が欲しいと思い、魔王は改めて周囲を見渡す。魔王城でないのは明らかだが、此処は一体何処なのだろうか。自身が立つ板張りの床は舞台のようで、摺鉢状の空間には椅子がびっしりと並んでいる。窓ガラスからは月光が差し込み、この空間をどこか神秘的なものにしていた。
「ん、これは……」
そして自身の足元に魔法陣が描かれていることに気付いた魔王は、その術式を見て目を疑った。
「えーっと、えーっと……」
「おい、娘。」
未だ混乱したままの少女に声を掛けると、彼女はびくりとしてその場で跳ね上がる。
「ななな何ですか!?」
「貴様、何を召喚しようとしていた?」
「えっ?」
「この術式はどう見ても低級の使い魔しか喚び出せない筈だ。何故魔王が召喚されている?」
格式の高い『魔』を喚び出すにはそれなりの準備が必要だ。魔法陣もより複雑で高度なモノとなり、もし仮に喚び出せたとしても召喚された『魔』に認められなければ魂を喰われるのがオチである。
「……やっぱり、貴方は高位の『魔』の方ですよね。すみません、間違えて喚び出してしまいました。」
やってしまった……と呟きながら、目の前の少女はガックリと項垂れる。心なしか彼女の身体は微かに震えていた。自分が魔王だとは名乗ってはいないが、召喚した存在が扱い切れる『魔』ではないと本能で理解しているのだろう。己の死を悟っているのかもしれない。
「(しかし、どうしたものか。)」
勇者との戦いの最中での召喚。本来ならばすぐにでも目の前の呪術師を殺してしまうところだが、何故だかそれは躊躇われた。
――この召喚には不可解な点が多過ぎる。
一般的な召喚と異なり、『魔』の召喚は上限を設けることが一般的だ。これは自分より格上の『魔』を喚び出して殺されることを防ぐ為でもある。少なくとも、目の前の少女の術式はそれがきちんと施されていた。だが……
「お前の足元……少し退いてみろ。」
「は、はい。」
魔法陣から少し離れた場所――丁度彼女の足元から微かな魔力の気配を感じ、魔王は右手を翳した。
「え、これって……!」
「成程。利用されたな、娘。」
魔王の手によって不可視の魔法が解かれ、魔法陣を変質させる術式が姿を現す。これによって本来よりも格の高い『魔』、それも最高位の『魔』を召喚する術式へと変化してしまったのだろう。
「(この術式から感じ取れる悪意……あの黒い意思の出所は此処か。)」
残念ながらこの術式を仕込んだ輩は近くには居ないようだ。そうなると残された手掛かりはこの少女のみ。魔王は改めて少女と向き合うと、彼女に尋ねた。
「この術式を刻んだ奴に心当たりは?」
「全くないです。そもそも私、魔法使いだってこと隠してるし。」
「……ん、何故隠す必要がある?」
「???……いやいやいや、隠さなきゃダメに決まってるでしょう!?」
「この世界では魔法は空想のモノなんだから!」
どうやら自分は予想より遥かに不味い状況に置かれていたらしい。
魔王がふと見上げた先には、曇りない夜空に浮かぶ満月が見えた。異なる世界であっても月とその周りで輝く忌まわしい星々は変わらないようだ。
「さて、どうしたものか……。」
此方に降り注ぐ月の光に懐かしさ、そして何故か切なさを感じながら、魔王は大きな溜息をついたのだった。
自分を喚び出した娘――鈴木莉花とは、それから行動を共にするようになった。憎んでいた人間、それも故意ではなかったとはいえ魔王を召喚した不届者であるにもかかわらず。
「魔王ってかぐや姫みたいだよね。」
「は?」
ある日の夜、莉花から突然そんなことを言われたので魔王は面食らった。
「だっていっつも月見てんじゃん。月、好きなの?」
「……分からない。」
気付けば目で追ってしまっているのだ。欠けることなく輝く月を眺めながら、魔王は呟く。
「ただ、懐かしい気持ちにはなるな。」
「やっぱりかぐや姫だ。」
「姫じゃなくて魔王なんだが。」
莉花は時々突拍子もないことを言ってくる。だが、そこから始まる何気ない会話が魔王は好きだった。そっと莉花の方を見遣ると、普段あまり自分のことを話さないからか興味津々といった表情だ。魔王は少し考え込んだ後にゆっくりと口を開いた。
「……ずっと記憶の片隅に居る人が居る。」
この話を誰かにするのは初めてだった。何故莉花に話そうと思ったのかは分からない。だが、その疑問の答えが見つからないまま魔王は話を続けていた。
「彼女がどんな姿で、何者だったかさえ朧げだ。私の頭の中に度々浮かんではすぐに消えていく。」
「彼女が悲しんでいることだけは分かるんだ。だから何故悲しんでいるのか何度も問い掛けたが、彼女が何と言っているのか私には聞き取れなかった。」
「せめて何を言っているのか分かれば、私もここまで悩まされることもなかったんだがな。彼女は余程私に伝えたいことがあるのか、何度も何度も私の思考を遮って現れる。」
「終いには勇者との戦いの最中ですら現れた。あの時は空耳まで聞こえて、隙ができてしまったんだ。後少し反応が遅れていたら勇者に首を取られていたかもしれない。」
そう考えると、彼女は自分にとっては煩わしい存在に違いなかった。だが……
「んー、でも何だろ。魔王の話を聞く限り、悪い人って感じはしないけど。」
莉花が首を傾げながら述べた感想に、魔王は頷く。彼女の魂を何度か視たことがあるが、それは曇りひとつない美しいモノだった。少しでも悪意があれば魂は濁るので、魔王がそれを見逃すはずがない。
「そうだな、彼女に悪意はないように見えた。」
「……。」
莉花は魔王をじっと見つめた後、月を見上げた。今宵は満月。星空の中で、月は優しい光を放ちながら此方を見守っているようにも見える。
「……ねぇ、魔王。」
「何だ?」
莉花に呼ばれて魔王が振り返ると、彼女は月明かりの下で優しく微笑んでいた。その姿が一瞬彼女と重なり、魔王は思わず息を呑む。
「その人のこと、忘れないであげてね。」
莉花の一言に魔王は目を見開いた。
「……何故?」
どうしてかは分からない。何とか口にした言葉は震えていて、心の奥底に仕舞われていた何かが必死に叫んでいる。そんな魔王の気など知らない莉花は満面の笑みで答えた。
「勘!」
「聞いた私がバカだった。」
「ひっどーい。私の勘、結構当たるのに。」
「……ふっ、そうか。」
魔王に笑われたからか莉花は拗ねて顔を逸らす。普段は大人ぶっているが、まだ16才の少女だ。親代わりのメフィストの言う通り只の甘え下手なのだろう。そんな彼女が子供っぽい姿を見せてくれることを嬉しく思っていると、再び脳裏に彼女が現れた。
「……。」
相変わらず、彼女は何か話しているようだが声は聞こえなかった。その姿も未だに曖昧だ。だが、今までと異なる点が1つあった。
「(……笑っている?)」
相変わらず顔ははっきりとしていないのに、彼女は笑っているのだと理解できた。そんなことは魔王として覚醒してから初めてのことで、彼はその場で立ち尽くす。
「(何故だろう。貴女の笑顔は初めて見る筈なのに、知っている気がする。)」
魔王は思わず手を伸ばした。
「(待ってくれ、セ……)」
「……う、魔王!」
「ッ!」
莉花の言葉で現実に引き戻された魔王は、自身の手が彼女に伸びていることに気付いて慌てて手を止めた。
「どうしたの、突然ボーッとしちゃって。」
「……。」
魔王は莉花の問いには答えず、再び手を伸ばして彼女の頬に触れる。外に出ていたせいで少し冷えてはいたが、それでも魔王の体温より温かい。
「ちょ、くすぐったいよ〜!ストップ、ストッ……魔王?」
普段は莉花から魔王に触れることが多いので逆に触れられることには慣れていなかったのだろう。クスクスと笑っていた莉花であったが、魔王の表情を見てその笑みは驚きの表情へと変わる。
「……泣いてるの?」
ひどく、懐かしい心地がした。
分かっている。彼女は彼女じゃない。同じ魂は2つとして存在しない。
それでも……
その温もりは、
その優しさは、
その魂の輝きは、
間違いなく彼女と同じだった。
「(嗚呼、だから私は応えてしまったのか。)」
気付いた時、魔王の頬には涙が伝っていた。魔王は咄嗟に莉花から手を離して涙を拭おうとするが、何度拭おうとも涙は止まる気配を見せない。泣きじゃくるわけでもなく、ただ静かに涙を流す魔王を莉花はそっと抱き締めた。魔王は一瞬びくりとした後、恐る恐る梨花を抱き締め返す。
「……暫くこのままで良いか?」
「ふふ、仕方ないなぁ。」
全てを思い出したわけではない。それでも彼女の魂を、その魂の欠片を持つ莉花に出会ったことで、魔王の中で何かが変化した。
「(……そういえば、先程彼女の名前を言い掛けたような。いつか思い出せるだろうか。)」
莉花に身を委ねながら、魔王はゆっくりと目を閉じたのだった。
「此処は……?」
魔王が目を開けると、そこは何もない空間だった。壁はなく、ただ永遠と白が続く開放された場所。自分は一体……と状況を思い出そうとする中で、魔王は自分が魔王でなくなる為の儀式中であったことに気が付く。
「(……現実ではないようだが。)」
まさか儀式が失敗したなどということはないだろう。つい先程まで過去の追体験をしていたことからも、恐らく此処は……
――随分と腑抜けたな、|魔王よ。
「ッ!?」
突如目の前に現れた存在に、魔王は目を見開いた。
生気の感じられない青白い肌と鮮血を思わせる瞳。
悪魔のような一対の角。
そして何より、見た者に『死』を連想させる覇気。
――流石に自分の気配には気付けなかったか?
そう言って不敵な笑みを浮かべていたのは、まごうことなく自分自身だったのだから。
「(幻覚……)」
――ああ、幻覚ではないぞ。私はお前だ。まあ、正確に言えば魔王としてのお前だが。
魔王の心の内を当てられたからか、目の前の存在は魔王を嘲笑う。
――此処はお前の心の中とでも言おうか。だからお前の中にある幾つもの姿が同時に存在することができる。
「それは一体どういう……」
魔王が最後まで言い切る前に目の前に居た存在は黒い泥となって消えてしまった。そしてその泥は小さく纏まり、紫色の光へと変化する。
――人間のせいで、彼女は死んだ。
それはまだ実態を持たない闇の精霊の姿だった。
――それなのに、何故お前は人間たちと共に居る?奴らが彼女にしたことを忘れたのか?
「……忘れてはいない。」
――何の為に魔に堕ちた?何の為に魔王になった?
――彼女を殺した人間に、世界に、『死』を与える為だろう!
――『死』こそがお前の存在意義だ!
精霊の中の正の感情が負へと転じ、その姿は幾つもの目と口が付いた粘体へと変化する。かつて人間を喰らった時の姿だった。
「……そうだな。私は『死』そのものになろうとした。」
――だったら……
「だがそれは間違っていたと分かっている筈だ。」
「……お前が、お前なら。」
――ッ!
刹那、化け物の身体は再び泥となり消滅し、中から先程よりもより小さな紫の光が現れた。
――にんげん、ゆるさない。
自分の始まりの姿は言った。実体もなく、力もない。他人に頼らなければ己を確立できない軟弱な存在。かつての自分の姿を魔王は鼻で笑う。
「哀れだな。いつまで被害者気取りでいるつもりだ?」
――にんげん、セレナころした!
「ああそうだ。だが魔女と見做して彼女を殺した人間共と、人間だからといって全てを否定したお前……全く同じじゃないか。」
「お前は被害者じゃない。加害者だ。」
この世界に来て、様々なことを知った。
人間は複雑怪奇な生き物だった。
良い人間も悪い人間も居た。
そして――
彼らと接するうちに、自分の行いは正しかったのか分からなくなった。
「少なくともお前は知っている筈だ。」
「己の信念を貫いた勇気ある者を。」
「……アレックスという人間を。」
美しい魂の輝きを持つ人間とその仲間たち。彼女を殺した奴らと同じ人間とは思えない澄んだ魂の持ち主だった。
「奴は大義などを掲げてはいない。己の信念に従い、己の意思でお前を討伐しないと決めた。」
「奴は世界だけでなく、莉花も、メフィストも、そして魔王でさえも救おうとしてみせたんだ。」
「人間の中には、そんな大馬鹿者が居る。奴と対峙して漸くわかった。お前は負けたんだ。」
魔王は一呼吸置いてから口を開いた。
「お前はあの時全てを諦めた。」
――ちがう。
「世界は醜い。世界は不公平だと決めつけた。」
――ちがう。
「お前は逃げたんだ。何もかもから。……彼女からも。」
――ちがうッ!
闇の微精霊は己の魔力を込めて魔法を放つ。だが、微精霊の魔法など高が知れている。魔王は触れることなくその魔法を打ち消した。
「…… もう良いんだ。」
魔王は一歩踏み出し、闇の微精霊をそっと両手で包み込んだ。
「大切なことを、忘れてはいけなかったことを、お前はずっと覚えていてくれた。」
「お前だけは、ずっと彼女のことを愛し続けてくれていた。」
「彼女の死を悲しんでくれていた。」
「お前の後悔も、怒りも、嘆きも、苦しみも、私は決して忘れない。全てを背負って私は進んでみせる。だから……」
魔王が手を開くと、紫色の光は禍々しい赤――魔核へと変化していた。
魔核は魔素と負の感情が結び付いた魔障の行き着く先だ。一夜にして魔核を生み出すほどの負の感情は、幼く愚かな微精霊の心が核となっていたのだ。
――ピシッ
刹那、衝撃を与えたわけでもないのに魔核にヒビが入る。そのヒビから僅かに光の魔力を感じた魔王は、これが勇者アレックスの力によるものだと気付く。
「……どうやら魔核との分離に成功したようだな。」
魔王の手の中で魔核のヒビは大きくなり、やがて音も無く崩れ去る。自身の命ともいえるモノの喪失は意外な程にあっさりとしていた。
「せめて彼女を想うその心だけは、黒く染まる前の清い想いだけは、安らかに眠れることを。」
その愛だけは、きっと正しかった筈だから。魔核が完全に消え去るのを見届けると、魔王……だったモノは懐かしい気配を感じた。ふと顔を上げると、1人の女性がそこに佇んでいる。
月の光を思わせるような白銀の髪。
伏目がちな目から覗く深い海の瞳。
触れたら汚してしまいそうなほど透き通った肌。
最初で最後に見た姿とは異なる。だが、その魂は紛れもなく彼女だった。
「……セレナ。」
震える声でその名を呟く。過去を振り返る中で彼女の名は思い出せてはいた。だが魔王でなくなった今、漸くその名を呼ぶことを許されたような気がしたのだ。
セレナは魔王に名を呼ばれたことに目を丸くした後、目に美しい雫を浮かべた。
――やっと、名前を呼んでくれた。
その声を聞いたのとほぼ同時だろうか。気付けば彼は彼女に抱きついていた。
「セレナ、セレナ……ッ!」
その姿は魔王のままだというのに、セレナに抱きついて泣きじゃくる姿は幼い子供のようだった。自分よりも大きくなった彼を何とか支えながら、セレナはそっと頭を撫でる。
――魔王じゃなくなったから、微精霊時代の甘えん坊さんに戻っちゃったのかしら。
揶揄うように呟くセレナの体に頭を擦り付けながら彼は必死に話そうとした。
「会いたかった……謝りたかった……ずっと、ずっと……!」
――うん。……うん。
セレナの口から「許す」という言葉は出てこなかった。だが、その声と手は誰よりも優しい。かつて愛した人の温もりを感じられるだけで彼の心は解かされていった。
暫くして、セレナはポツリと呟いた。
――でも良かった。私が消える前にお話しできて。
「今のセレナは……」
――私の魂はとうの昔に昇天して転生している筈。今の私は貴方の名付けを行った影響で残っていた魔力の残滓よ。
「……そういうことか。」
確かにもし目の前に居る存在がセレナそのものならば、莉花から彼女の魂の欠片を感じられる筈がない。セレナは少し寂しそうに笑うと、静かに目を閉じた。
――まさかここまで保つとは思わなかったけれど。最期に貴方がくれた月鏡花のお陰かしら。あれには相当な魔力が篭っていたから。
「……。」
そもそも彼女は数百年前に死んだ人間だ。こうして会話を交わすことができただけで奇跡といえよう。もっと話したいことがたくさんある。だが、そう思う間にも彼女の身体は徐々に透けていく。
セレナは残された時間が少ないことを悟ると、真剣な表情で彼と向き合った。
――ねぇ、これから貴方はどうするの?もう魔王ではないのだし、彼方側の世界には戻りづらいと思うのだけれど。
「……私は、この世界に残るつもりだ。今の契約者である莉花を見守っていきたい。」
セレナの魂の欠片を持つからというだけではない。莉花という人間と共に居たいと心の底から思えたからこその結論だった。彼の決断を聞いたセレナは嬉しそうに笑う。
――そう、貴方にも大切な人ができたのね。なら、彼女には貴方の名前、教えてあげても良いんじゃない?
「ッ!」
――貴方、せっかく私が名前を付けたのに1度も名乗ってないでしょう。名乗るのは礼儀よ?
「だが……あの名前は……」
言い淀む彼を見て、セレナは小さく溜息をついた。
――私の最後のお願い……聞いてくれないの?
「そ、それは……卑怯じゃないか……!?」
最後などと言われたら、断れないことくらい分かっているだろうに。彼は顔を引き攣らせた。そんな様子を見て、セレナは少し申し訳なさそうに眉を下げた。
――まだ、星は嫌い?
「……嫌いだ。」
――私は好きよ。
「……月だけでは寂しいからか?」
――ええ、覚えてくれていたのね。
かつて彼女が言っていた言葉を思い出し、彼は黙り込む。きっとこれからも、自分は星を愛せないだろう。それでも……それでセレナに寂しい思いをさせずに済むというのなら、答えは1つだ。
「……分かった。貴女が与えてくれた名と共に生きよう。」
――ふふ、ありがとう。……そろそろ時間ね。
とうとう彼女の身体の一部が消え始めた。同時に何もない筈の空間に大きなヒビが入っていく。
――貴方の罪は消えない。許されることはない。
――貴方はこれから、今まで奪った命を背負って生きていかなければならない。
――それがどんなに辛く、苦しいものか私には想像もつかないけれど……
――私の心は、ずっと貴方と共にある。
決して強い光ではない。
太陽の光を受けて輝く月光のような。
そんな静かで淡い魂を持つ美しい人。
――さようなら、 。
「さようなら、私の愛しい人。」
セレナが消え、空間も消える。薄れゆく意識の中、彼の瞼の向こうには澄んだ夜空が広がっていた。大きな欠けることない月とその周辺で光り輝く星々。仲良く夜空に浮かぶ姿を、彼は何故か不快に思わなかった。
「……おう、魔王!」
「ん、んん……り……か……?」
「やっと目ぇ覚ましたぁぁ……ッ!」
「うわッ」
意識が戻った瞬間、彼は莉花に抱き付かれた。あまりに勢い良くぶつかってきたので、もし背後にいたアレックスが支えてくれなければ頭を打ち付けてまた意識を失っていたかもしれない。
「す、鈴木!コイツまだ意識戻ったばっかなんだから落ち着け!……で、魔王。調子はどうだ?」
背後から覗き込んだ勇者は心配そうな表情を浮かべていた。魔王を案ずる勇者が何処にいるというのか。やはり勇者は面白い。魔王は目の前の青年を安心させるように声を出す。
「……魔核は完全に消えているようだな。まだ上手く力が入らないが、じきに戻るだろう。」
「おう、そりゃ良かった。テメェに何かあったら鈴木たちが悲しむからな。」
「……とか言って魔核破壊した時一番魔王のこと1番心配してたのアレックスじゃん。」
「おまっ、バッ……鈴木ィィィッ!?」
目覚めて早々推しCPの尊いシーンを見られるとは運が良い。顔を真っ赤にするアレックスとそれを揶揄う莉花の姿を見て、彼は漸く現実に帰ってきたのだと実感する。
「他の者たちは?」
「あー、もう夜遅いからって先に帰した。」
アレックスが指差す先にある窓の景色は真っ暗で、あれから相当な時間が流れていたことが分かった。そもそも此処は儀式の間ではなく、自分の部屋だ。意識を失っている間に此処まで運んでもらえたのだろう。
「ちなみに俺が残ってるのは鈴木が心配だったからだ!決してお前が心配だったからじゃない!まあ、全然目覚めねぇから?ちょっと、ほんのちょびっとだけ?焦ったのもあっけど、アレだ。言ってしまえばこれは勇者としての……そう、義務!義務だ!」
「……そうなのか?」
『ねーよ、ンなモン。』
「ギャアアアアアアアアアッ!?」
突然背後から現れた赤に、アレックスは絶叫する。放心状態の彼を他所に、莉花から貰ったフリフリエプロンを着こなした悪魔は此方を見てニヤリと笑った。
『よお、元魔王サマ。良い夢見れたか?』
「メフィスト……ああ、懐かしい夢を見た。」
良い夢……とは言えないかもしれない。自身の中にずっと燻んでいた黒い靄――己の記憶を追体験したのだから。しかしその一方で悲しみや寂しさはあっても不思議と清々しく思う自分がいた。
メフィストは彼の言葉をこれ以上追求はせず、そのまま乱暴に頭を撫でる。そして彼の髪をボサボサにした後、急に悪魔らしい笑みを浮かべて問い掛けた。
『……で、目覚めて早々悪いンだが。』
「何だ?」
『オメェのこと、これから何て呼びゃあ良い?』
「……早速それか。」
『あ?』
「いや、こっちの話だ。」
セレナと約束した以上、此処でそれを破る訳にはいかない。何となく窓の外を覗き見ると、夜空には大きな満月が浮かんでいた。まるで彼女に睨まれているように思えて、彼は思わず息を呑む。
「そもそも魔王って名前あるの?ずっと魔王としか名乗ってなかったよね?」
「そーいや、旅してた頃から魔王の名前は1度も聞かなかったな。そういうことなら俺がとびきりの名ま」
「いや、結構。」
「即答!?」
このままだと勇者によってある意味歴史に刻まれそうな名前が誕生しかねない。3人に囲まれ、月には睨まれ……彼はとうとう覚悟を決めた。
「……名前ならある。」
「なんだ、名前あったのかよ〜……って何で名乗ってねぇんだよテメェ!魔王が2人も出やがったせいで俺たちがどんだけ呼び方に苦労したと思ってんだ!?」
「は、恥ずかしくて……」
「名前あンなら名乗るのが礼儀だろうが!」
「……返す言葉もない。」
勇者に正論を説かれ、改めてセレナの説教が身に沁みる。名を名乗るのは生まれて初めてだ。失礼がないようにしたいが、そもそもどうやって名乗るのが礼儀なのだろう。急に緊張してきた彼であったが、此方を興味津々に見つめてくる莉花たちを見てそんなものは必要ないと悟る。
「(……それもそうだな。貴女に貰った名なのだから。)」
気付けば、口は勝手に開いていた。
「……私は月と共に生きる者。」
「名を……星という。」
輝く夜空の月が笑った。
魔王ちゃん改めてアステルくんは、魔核を失ったことで大幅に弱体化してしまいましたが、能力自体は行使できます。魔王モードと魔王ちゃんモードの切り替えも自由自在。




