会社のSNS
会社のInstagramがある。今こういうイベントとか展示やってるから写真撮ってあげといてぐらいのもので、たいしたものではないしフォロワーも300人しかいない。これの更新を最近やらされるようになった。
まっことくだらない展示でも、いい感じのエフェクトをかけて映える写真にする。そうすると、くだらない写真にエフェクトかけただけ、というもっとくだらない存在になるのが滑稽で、あえてそういう写真をアップして広報なのにネガキャンしてる。だって、こんな内容のものを嬉々としてあげるのはきついし、そもそもそんなものしかあげるものがないのだから普通にしているだけで滑稽極まっている。
でも、そういうことをして自分は関係ないですよという風にふるまっても、結局自分の職場がそんなものでしかないということがブーメランしてくるので、いいようのないよどんだ感情になる。一生懸命やっている零細企業のSNSはそれはそれで哀しいものであるが、ある一定の尊さがある。しかしうちの会社のSNSは、そういうのが今どきの消費者に流行っているから、フォロワーを増やして売り上げアップだ!というようなことを上の人が思いついて、それをやれといわれた下々のものがいやいややっているだけの代物であり、自社に誇りとかそういうのもなくて、具体的なフォロワー数の目標とかノルマとか分析も特に求められていない。どっちかというとやってる感を出すためだけにやってることであるから、何のモチベーションも経済効果もなく、ただ世間に恥をさらすばかりのゴミアカウントと化しているのである。
いいねが投稿につくたびに、こんなものをいいといってしまう奴の気が知れないと思ってしまう。さらにいうと、くだらない企画とか展示とかを嬉々としてアップしてくださいと言ってくる上司とかにもあきれてくる。そして一番くだらないのは、それらをただ業務としてこなすことしかできない立場のわたし自身なのだ。
まあ、どうせやることなくて職場でスマホいじったりネットサーフィンしているか、文章を書くくらいしか能のない自分であるからその片手間にSNSを更新するくらい造作もないことではある。しかし、曲がりなりにも世間に発表するということにおいて、校正とかチェックをしっかりしなければならないので一定のイライラがつきまとう。なんでこんなくだらない内容を精査しなければならないのか。そういう思いがふつふつと湧いてくるのだ、ハッシュタグを付けているときとかに。
今日もわたしは世界にごみを投げ捨てたのだ。電子の世界に何をどれだけ投げ込んでもそれがどんなになっているかなんてわからない。例えば延々といかがわしい動画をサーバーにアップし続けるプログラムを作って、複数台のPCからそれを一斉に実行したらパンクさせたりできるのだろうか?今はそんなんでは何ともないだろうか。電子の海に投げ込まれたごみは、どれだけの許容量があるのだろうか。毎日膨大な何かが新しくつぎ込まれている。おそらく減らしたりはしていないだろうからそれらは増える一方だろう。そんな世界になったのもせいぜいここ20年くらいのものだ。あと20年たったら世界はどんなになってしまうだろうか。スマホ手にしたのだってここ10年くらいだろう。20年前はプレステ2で今は5だから、プレステ8とか9とかができているのだろうか。そんでドラクエ15とかが出ているのだろうか。SNSは何が流行っているのだろうか。そもそもまったく新しい概念の何かすら生まれているかもしれない。
そのころ自分はどうなっているだろうか。今の会社なんて任期付きのパートみたいなもんなのだからとうの昔に辞めて、何か別のことをしているはずだが、そもそもうまく生きながらえていられるだろうか。生きていられたときに、今日自分が世界にくだらない投稿をしたことを思い出したりするのだろうか。20年後の自分はたいそうすごくなっているのかもしれないというすごく漠然とした期待もなくはないが、20年たっても全然変わってなくてむしろ衰えていることのほうが現実的だということもあって、未来というのはどうせ灰色なものなのだ。
20年たったって、海に投げたペットボトルは腐ったりしていないだろう。電子のものならもっと腐らないかもしれない。犬を飼ったらたぶん死んでしまっているだろうし、盆栽だったら風格が出ていることだろう。そして一人の新生児が成人して大学生をやっているだろう。20年なんて、そんな時間でありそれ以上でも以下でもない。
そんなことを思いつつ、わたしは今日もだらだらと勤務時間を終え、打刻をし、くだらない職場におさらばするのである。




