祖父とねずみ捕り
わたしは祖父が嫌いだ。
早く死んでくれないかといつも思っている。
夢にまで出てきてわたしを苦しめる。
わたしが存在している理由、血筋、家系、それらすべてにありがたいと思わねばならない気持ちと、いかんともしがたい呪いの気持ちが相反しあって、わたしは自分自身への呵責となって再帰した負の感情によって心を焼かれている。
そんな祖父のエピソードをいくつか書いてみようと思う。
ここでいう祖父はわたしの父方のものである。
その妻である祖母はわたしが幼稚園のころに死んでしまったが、祖父は祖母と結婚する以前から祖母の死後現在に至るまでずっと愛人と付き合っている。
これは信じられないことであるのだが、祖母が脳溢血で倒れたその日も、愛人のもとに行っていて、深夜に酔って代行で帰ってきてそのまま寝てしまい祖母が倒れたことに気づくのも遅くなったとのことである。
幼いわたしは数度その愛人とされる人に会ったことがある。何の変哲もないおばちゃんにしかそのときは感じられなかったが、ずっと後になってそれが祖父の愛人だったと知った。
いまや齢80を過ぎた祖父であるが、今でも度々その愛人に会いに行っている。
祖父は動物を畜生だと考えており、それらを容赦なく殺害する。
幼いころ、度々家に野良猫がやってくることがあった。わたしはそれらに餌をやらないまでも好意的に扱い、かわいいと思いよく愛でていたものだった。
しかしそういった猫たちは、気づくと現れなくなっており、あの猫どうしちゃったんだろうね、と母とよく話していた。
時が過ぎ、大学生になったころ、わたしはたまたま長期休暇で一か月くらい実家で過ごしていた。
そのときも一匹の猫が現れ、庭いじりをするときなどに遠巻きに観察していた。
しばらくして、だいぶわたしに猫が慣れてきたように思われた頃、同様にして猫は現れなくなった。
わたしはこの現象に対して何の違和感も感じておらず、またいなくなってしまったな、寂しいがうちに飽きてしまったのだろうということで納得していた。
しかしある夕方、家の玄関にその猫が倒れて死んでいるのをわたしが見つけてしまった。
はじめは病気か何かかと思ったが、よく見ると粘着性のねずみ捕りでべたべたになっているのがわかった。
わたしはどこかのねずみ捕りにひっかかり衰弱してしまったものと見て憐れんだ。
ちょうどそのとき、祖父が現れて猫を見てこう言った。
「なんだ、その猫、ねずみ捕りにかけて捨ててきたのによくここまで来れたもんだ」と。
わたしは祖父に詰問した。すると、以下のようなことであった。
猫が家に出ると納屋を荒らされたりするので迷惑であり、家に住みつかれるのも困るため、その都度ねずみ捕りにくっつけ、その状態で遠くまで車でもっていき山間部に投げ捨てて処分していた。これは今まで幾度もそうしてきた。今回の猫は遠くに捨ててきたのにここまで帰ってこれて驚いた。とのことである。
わたしは怒りで気が狂わんばかりになりわなわなと手を震わせて今にもどうにかしてしまいそうになったが、あくまでも声のトーンを抑え、しかしどすを利かせた声で祖父に対して、
「何でこんなことをしたんだ、何で、何で、殺すことなかったのに」と言った。
祖父は、「そうか、いや、家をめちゃくちゃにされるからよ」とか、「良かれと思ってやったのに」とかぶつぶつ言ってきたのでそれも癪に障った。
わたしは猫を荷車に載せ、裏山に埋めに行った。祖父がついてきて何かぶつぶつと言っているのだが、もはや何を言われてもどうでもよかった。挙句の果てには、今までこの家を大きくしてきたのに、とか、自分のことは大事にされないのに猫のこととなると怒って、とか言ってきたので、怒鳴り散らしたい気持ちを抑えて淡々とスコップで穴を掘って猫を埋葬した。
その日の夜、わたしが布団にくるまっていると、深夜に祖父が知り合いと電話をしているのが聞こえてきた。祖父はよくこうして愚痴を電話しているし、当てつけのようにそれが大声なので聞こえてくるのである。
「おれは孫にどなられちまったよ。何、猫をねずみ捕りに引っかけて捨ててきたのが家に帰ってきてしまって、ああ、うん、今度からはやらないようにするか。うん、でもおれが殺らなきゃ家をめちゃくちゃにされちまうのにな。うん、そうだよ、いつもおればっかり汚い仕事をしてきたんだ、そうだよ……」
わたしは、イヤホンを耳に差し込み、適当な音楽を流して電話が聞こえないようにして眠った。
祖父は、自分の家を大きくしたことに自負があり、彼の息子であるわたしの父が、祖父の作った会社を継ぎ、経営が成り立たなくなって事実上の倒産をしたことを恨んでいる。
実際には、詐欺まがいなことをして会社を大きくした祖父の経営手法では今日のコンプライアンス社会でやっていけるわけがなく、それを正常にしていこうと父が腐心したものの、社会情勢には逆らえず被害が大きくなる前に会社をたたんだというのが真相である。
しかし、祖父は、汚いことをしてまでのし上がったということに誇りをもっており、そのことで育った父やわたしに対して、自らの優越性を主張してくる。そして、ずるをする気概がないものとして父を糾弾する。そして、無能の烙印を押し、会社をつぶされたと言って恨み節を方々で吐く。
そしてわたしに対しても、学校での成績や、進学校へ行くこと、いい大学、大学院に行っていい就職先に行くこと、そういうことでしか評価してくれたことはなかった。
そして、うちの孫は優秀だと言って、毎夜飲み歩く酒の席で自慢して肴にするのである。
祖父は毎夜飲み歩いて代行で帰ってくることが多かった。
そうしてへべれけになって帰ってきてそのまま寝室に行くのであるが、そこで寝付くまで子どものように泣きじゃくることがあった。
祖母の名前を呼んで寂しい寂しいと言ったかと思えば、何で会社をつぶしたんだと憤ってみたり、おれは家族から見放されているとか味方なんていないとか言って嘆き悲しんだりして、しかもそれが大声であるからわたしの寝室まで聞こえてきて耐えられない。
確かに祖母が死んでしまったのは悲しいことだ。しかし、わたしには祖母が若くして死んでしまったのも、祖母の優しさに付け込んで日々のストレスに晒し続けたおまえのせいではないかという思いが拭い去れない。
また、自業自得によって孤独や疎外感を感じているに過ぎないのであって、すべては身から出た錆ではないかと思う。
しかしながら、今わたしが生きているのは祖父の存在によるのであり、血も流れていることを鑑みても逃れがたい繋がりをわたしは呪うことしかできない。
そんな祖父であったが、楽しい思い出もなかったわけではない。
ほとんど唯一のよい思い出は、幼いときに川で一緒に魚取りをしたことだ。
祖父は川に仕掛ける小型定置網や「もんどり」と呼ばれる魚や蟹が入ったら出られない仕掛けをもっていて、それを近くの川に仕掛けて朝方見に行って獲物を回収するのである。
小学校の登校前に早起きしてそれを取りに行くのが当時とても楽しかった。フナやドジョウ、モクズガニなどがよく捕れたのだが、たまにウナギやカメ、ナマズなども捕れ、珍しいものは家で飼育したりした。
あるとき、とても大きなウナギが取れた。1m近くあろうかというそれは、緑色に輝き、わたしはこれを飼おうと思いとても喜んだ。
しかし学校から帰ると、今晩はウナギの蒲焼だということでとても香ばしい香りがした。
もしやと思い聞いてみたら、今日捕れたウナギをさばいて蒲焼にしたとのことである。
わたしは泣きながら蒲焼を食べた。美味しかったのだが、小骨が多かったことを覚えている。
そのとき一緒に捕れた小さなウナギはさばかれなかったので、それを大学生になるまで、10年以上は飼っていた。また、同じ網でかかったカメも飼っていた。
そのカメとウナギも、わたしが大学生になり実家を離れると、いつの間にか祖父に捨てられていた。
なんでも、カメは冬に元気がなかったからという理由で川に捨ててきたらしい。たぶん冬眠していただけだが。
ウナギはいつの間にか水槽からいなくなっていたらしい。おそらく嘘で、砂利に潜っているかろ過装置に潜んでいるかしたはずだが、黙殺して処分したのである。
また、あるときはわたしの小学校卒業の記念植樹をいつの間にか全部伐採したり、ビワの種を植えて木になり花が咲き、ようやく実がなると喜んでいたところで伐採したり、花の種を植えれば除草剤を撒かれ、鉢植えは邪魔だからどうにかしろと言われた。
そして、そうした諸々を処分した後に問い詰めると、「そうだったのか?(育てていたとは)わからなかった」と悪びれずにケロリとしている。本当は確信犯で邪魔だから処分したのに。
このほかにも、嫁いでくる母を早く労働力としてこき使いたいがために結婚式を半年早めて呼び寄せて新婚旅行もさせずにこき使ったり、土地の権利関係で親戚一同と対立していたり、わたしの妹が韓国人と結婚すると聞くや否や難色を示し、母方の祖父に電話で財産を奪われるだのどこぞの馬の骨と結婚して信用ならないだのと長々と何回も愚痴を言って遠回しに結婚をさせないように画策したりとか、わたしの知らないところでも数えきれないほど嫌なエピソードはことかかない。おそらく曽祖父の自殺に影響を与えている。
祖父はそんな人間である。
そして、わたしが一番嫌でどうしてもトラウマになっているエピソードは、わたしが何かやらかしたときにわたしの母に「おじいちゃんと血がつながっているんだもんね」と言って冷たい目で見られた経験である。
これはどうしても、どうしても自分を許せない経験として深くわたしの心を苛む。
わたしがいかに祖父を軽蔑していたとしても、抗いがたい血が、わたしの中に流れている。そして、自分でもわかる祖父と自分の共通点、類似点が逃れようもなく発揮されてしまう瞬間があるという事実。
わたしは遠くに行きたい。
変わりたい。別の人間になりたい。
わたしはいつもそう願う。
でも、いつも、いつもそう思うときにわたしの脳裏に浮かぶのは、ねずみ捕りでべたべたになって玄関で横たわる、あの猫の姿なのである。




