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昼下がり  作者: 磯目かずま
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通勤する男

 通勤中にいつものように電車で椅子に座って寝ようとしていたところ、隣の隣にいる男女の声がうるさくて気になってしまい、しばらく耳を傾ける羽目になった。


「ああ~、まさかこんなところで○○に会うだなんて、奇遇だな!」

「そうですね」

「久しぶりだね、三年生かな、就活とかどうしてるの」

「事務員ですよ」

「○○が事務員だなんて全然想像できないな!それにしても全然変わらないな、生意気なところもそうだな!」

「そうですか」

「最近はよく後輩に会うんだよ、昨日は△△に会ったし、その前は◇◇に会ったし、はは」


 どうも、男が大学の先輩で女が後輩。男は新卒か二年目くらいの社会人、女は大学三年生といったところである。

 男は身長170センチ強でメガネに短髪、黒のシャツとズボンを着ていてスーツではない。

 女は顔を見ていないのだが小柄で椅子に座っていた。立っている男がそれに覆いかぶさるようにつり革につかまっていて、なぜかわたしと女のあいだに一つ席が空いているのに座る気配はなかった。

 男は妙に声が大きく、しかも先輩風を吹かせた滑稽な人間に特有の芝居がかった言い回しで腹が立つ声質でもあった。それに見た目も芋っぽいくせに女子大生と声高に会話していることで周囲に示威行為をしようという意志が垣間見えることでますますいけ好かないオーラをまとっていた。

 女は男の会話に対応はしていたものの、全体的にそっけなく、無視するのもあれだから相槌は打っておこうという様子で、男がいかにも親し気に絡んでいるにもかかわらずはたから見ても男に鬱陶しさを感じている風であった。


 わたしはその何とも言えない饐えた臭いを右方向から感じながらも目を瞑っていた。

 しかも、自分の目の前にこれはいつも出没する腹立つ顔をしたノーマスクマンが立ってきたのでなんだか落ち着かないし、むかむかしてきた。

 なかなか寝れる雰囲気でもなかったのだが、ちょうどわたしと女のあいだの空いた席におばさんが座って、電車も発車するころには彼らの会話も話すことがなくなったのか、混んできた電車に気おされたのか静かになったので、とりあえずノーマスクマンは無視してわたしはうとうとと半分眠ったようになった。その間電車はいくつか駅を過ぎていった。

 すると、三、四駅進んだくらいで女は電車を降りた。ちらりとその方向を見ると、女の空いた席にうるさい男が座っていた。

 別にどうということでもないのだが、彼が立っていたのはおそらく女がすぐに降りることを知っていたからであり、女が降りるまでは女の前で他者に席を譲ってあげる社会人の余裕的なものを醸すことで精神的な優位性を示そうという意図があったのだと感得できた。

 そんなことが何となくでも察せてしまうようなふるまいの陳腐さに辟易しながらも、わたしは「ああ、それでもお前は若い、若いんだよ、若いうちにそういうくだらない見栄を張るのも悪くはないかもしれないし、少なくともわたしよりは将来があるんだ、お前の薄気味悪い芋っぽさにも今日は目を瞑ってやるからたくさん働いて税金でも納めてくれ」と心の中で唱えて眠りに落ちた。


 わたしは朝の電車で睡眠時間を確保するのを重視しているので電車では座って寝てしまうのだが、寝過ごすことがなく自分の降りる駅でピタッと目を覚ます術を会得している。

 これはなぜ自分でもできているのか不思議であるが、おそらく駅に着いたときに鳴るメロディや人ごみの密度を身体が覚えていて、それで起きていると思われる。

 今日もスッと目を覚まし網棚の通勤バッグを取って満員電車をかき分け降車した。

 そのとき、満員電車内の自分の反対方向から「どいてくださいよ、開けてください!降りるんですよ!」と唸りながら降りてくる男がいた。

 ちょうどその男と降車口ですれ違ったのだが、見た目は身長が165センチ弱、メガネをかけていて黒いリュックを背負い、服はスーツだった。

 その男は世界に対して恨みを吐き出さんというような憎悪の表情をしていて、満員電車の入り口付近で一旦降りもしないで道をふさぐ人々に啖呵を切っていた。

 わたしは小声ですいません降ります、という形で降りていたのだが、結局男よりも早く降りることができ、その男を少し離れたところから見ることができた。この男も見た目社会人数年目といったところであり、あまり見かけないところを見るに若く最近ここいらに来た人物のように思われた。

 この小柄な男は、電車を降りると何事もなかったかのように改札へと歩いた。

 よくよく見ると、そんなに啖呵を切るような見た目ではなく物腰も穏やかそうであったが、なんとなく小さい身体に内蔵されている周囲の圧力への反発癖、小動物特有の気性の荒さというものをまとっているようにも感じられた。

 わたしはその男と歩みを同じくして階段を上がり改札へと向かう。

 その時間がなんだか危険人物を護送する警察官のように感じられて、急に殴りつけられやしないかと意味もなくひやひやしながら歩いた。


 駅から会社までさらにバスに乗らなければならない。

 このバス停にはいつも長蛇の列が出来ていて、さらにはバス特有の遅延がいつも起こるものだからここもまた満員でぎちぎちになって嫌なものである。

 そして、このバスの遅延に一役買っている車椅子男がいる。

 ちょうどこの時間のバスがノンステップバスであり、この男はいつもこのバスに乗ってきて駅に降りるわけである。

 車椅子の人がバスに乗るときには、バス停で乗務員が昇降口にやってきて、内蔵してあるスロープを展開し、優先席部分を回転させ車椅子を置くスペースを作り、車椅子を備え付けられたバンドとフックのようなもので固定して、それでようやく発車することができる。降車の時も逆回しで同様の手順がなされる。

 そのため、朝の交通量の多さと相まって車いす男の影響で最低でも5分はバスが遅延するものと思っていなければならない。この男がいないときもあるのだがそれはまあ半々くらいなので、遅延前提でいたほうが精神衛生上よい。

 この車椅子男は見た目でいうと、サングラスをかけ襟付きシャツを着たやせ型の初老の男で、左手のハンドル操作による自動車椅子を操って颯爽とスロープを降りて改札へと向かう。その表情がなんだか憎たらしく、しかも降りる際にその顔でちらりとバス停に並ぶ行列を一瞥するものだから、こちらとしてはお前一人のせいで累計何時間余計にバス停に待たされているのか考えたことあんのかと憤りそうになるほどである。

 障碍のある人生の大変さを慮り、彼も一生懸命に生きているのであろうと言い聞かせて自分を諫めるのであるが、いかんせん恒常的にバスの遅延を引き起こされているという状況は改善されることがないので、行き場のない鬱憤が心に蓄積してしまってこんな文章に登場することになっているということができるだろう。


 そうこうしてバスに揺られ会社に着くのであるが、会社の入り口で気を付けなければならない男がいる。

 この男の見た目は身長175センチ強、丸坊主にややモヒカン気味に中央部だけ長めの髪を残し、肩幅が広くラグビーでもやっていたのかという様子であり、消毒して検温する機械の前で仁王立ちして大声で挨拶をしてくる手合いである。

 この男が何者なのかよくわかっていない。警備員ではなく同じ職員であることはわかるのだが、おそらく本部かどこかから来ている人事課とかの人間であり、毎日はいないのだが極稀にそこに現れては職員に暴力的な挨拶を浴びせてくる存在である。

 それだけなら単に鬱陶しいだけであるが、この男が厄介なのは職員証を首から下げていないと高圧的な態度で下げるように叱責してくる点である。まあ、社内で社員証を首から下げるのは決まりみたいなものだから下げていないほうが悪いのだが、出社直後にそれをしていないだけで大声で呼び止められてその都度「社員証を下げてください、決まりですから」と言って凄んでくる屈強な男というだけでこいつに対する印象は最悪である。

 ひょっとするとそういう状況を本社に報告する堂々としたスパイみたいな奴なのかもしれないので査定に響いたり問題があったら困るのですぐに言われたとおりにするのであるが、こいつに絡まれただけでなんだか一日むかむかしてきてしまう。

 そのため会社に着いたらまずこいつが仁王立ちしていないか遠目で確認する。いたらすぐに社員証を出してこれ見よがしに手で振り回してちらつかせる。なんだか癪だからあえて首に下げないで下げますよ下げますよという体で手に持ったままそこを通り過ぎる。いなかったら社員証なんてカバンに入れたままデスクに向かって気分で社員証を付けたり付けなかったりする。

 そもそも社員証が邪魔くさいのである。それに、作業をするときに紐が絡まって危ないから外したりということもあるので誰か来客が来た時以外は率先して首から下げたりしていない。肩が凝るし。

 そういう事情もあり、わたしの怠慢もあり社員証を下げていないことが多いのだが、社内を歩いているときにその男にばったりと鉢合わせでもすると、「社員証を下げてください、決まりですから」と言われる。それがちょうど作業に行くとか、急いでいるとかいうときでもお構いなしである。

 そういうときわたしは「今デスクに置いてきているんですよ、ちょっと用事もあって」といってごまかすのだが、男は「今後付けていないとその都度お声がけすることになります。社員であるか確認できませんからね」と言ってくる。

 わたしは言っては何だが会社員然とした見た目ではないのだが、何度もここを通っていて仕事もしているのを見ているだろうにそういうことを言ってくるのだから腹が立ってくる。おそらく男はわたしよりも地位があって権力もあるのだろうが、こんなところに出張ってきて仁王立ちして小言を言うようなことで仕事になってようござんすね、とわたしは嫌味を心で唱えてやり過ごしている。

 最近はこの男もあまり出没しないのでほっとしている。どっかに左遷されたんじゃないかと思っているが定かではない。


 そうこうしてわたしは自分のデスクにたどり着き、打刻をして一息ついてメールチェックをする。

 まったく、仕事を始める前に疲れるなあ、と思いながら、まあ仕事もないので職場で休めばいいか、と思い、わたしは今日もケトルでお湯を沸かして、いつもの朝のコーヒーを優雅にいただくのであった。

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