春が怖い
道端に豆まきの豆が落ちていた。それをわたしは磨り潰して出勤する。
春が来るのが怖い。梅が咲くころにいつもそう思う。
雪が降るという天気予報に半信半疑になりながら、冬が終わる兆候としてのそれを恐れている。
あっという間に終わる2月を恨んでいる。そして、2月に何かいい思い出もあった試しがないし、思い返すと苦しみばかりだ。
寒い季節に集中して嫌なことを詰め込むのはなんでなんだろう。
受験とか年度の切り替えとかなんかそういうの。
春になったら新しい生が始まるから?それが理だから?
木々が葉を落として寒さに耐える間、同じようにして人も何かを蓄えるのが本当なのか。脂肪とかストレスとか。
寒くて体も動かないし、光熱費はバカ高いし、陽に当たらなくて鬱になるし、着るものばっかり多くて体も重くて嫌になる。
そんな季節なのに、それが終わるのが怖い。
木々が芽吹いて桜が咲いて、春風で花粉が飛び回り、世界に色がついたようになる季節が怖い。
3月が怖い。
4月はもっと怖い。
3月は毎日が不安定な気持ちでざわめきの中にいるように感じられ、何も手につかなくなり惰眠をむさぼることになる。そして2日に一回くらい死にたくなり、4月からの生活が決まっていなかったりしたらもっと死にたくなり、たとえ新生活が決まっていたとしても不安で死にたくなる。
4月は色々とばたばたしているうちにあっという間に過ぎ去ってしまうが、それゆえに記憶に残らなくて嫌いだ。そしてたいてい、新しい生活につきものの嫌な思い出ばっかり残っていくから、4月は記憶の中に桜色のよどみとして記録されている。
そんな季節が来るのがわかっているから、わかりきっているから、春が来るのはいつだって怖い。
せいぜい両手を2回使わないで数えられるくらいしか春を迎えてもいないのに、春はそんなものとして定着してしまった。
春の陽気を楽し気に伝えるイメージが憎い。そんなふうに鮮やかに世界を表せない自分が憎い。美しさを解れない自分が、世界に吞まれている自分が、全部全部憎い。
そんなことをまだ肌寒い気温の中、布団にくるまって陽に当たりながらうめいている自分、そんな像が記憶が、何度も何度もフラッシュバックして、春は憂鬱、そしてそれを待つ冬も憂鬱。そんな日々。
そして春を過ぎても、5月病とか梅雨とかが待っているから、結局回る世界に救いなんてない。ただ何となく今日もわたしは老化していく。たぶんそのうちこんな気持ちも風化していくのだろうということだけが、くだらない年金みたいな救済なのだと、そう思いながら。




