成人式と噓の味
わたしは成人式に出なかった。
なぜかというと、ただ出たくなかったからだ。
出る理由よりも出たくない理由のほうがはるかに多いものに、出る理由なんて何だろうか。
毎年はっちゃけた新成人が暴れまわることや、ディズニーランドでの浮かれた成人式がニュースで報道されている。
近年は成人式も感染症などの社会情勢で行うとか行わないとか、参加すること開催すること自体の是非を問われている。
地元に帰れば、それまで関わりあうこともなかったような人たちが楽しそうにしていて、会ったらそんなに親しくもなかったはずなのに久しぶり!とか言って声をかけられる。
そして、そんなに美しくもなかったはずの「青春」について、回想を余儀なくされるのである。
わたしは20歳のその日に、一人大学の研究室にいた。実のところ本当にその日締め切りの論文があり、帰れないことの言い訳としては最高だった(前日までに提出していれば普通に帰れたのだが)。
論文はもう完成していて、さっさと朝のうちに提出してしまったから、わたしは休日のだれもいない研究室のソファに寝転んでただぼーっとしていた。
その日はちらほらと雪が舞っていて、外は薄暗くどんよりとしていた。学校全体がひんやりと静まり返っていて、そんな貸し切り状態の大学がわたしは何となく好きだった。
わたしはソファでうとうととしながらほんの少しだけ成人式のことを考えた。
別に会いたい友人がいるわけでもない。20歳だからといってケジメをつけるために通過儀礼をすべきだという気持ちもない。
酒も飲まないし、タバコも吸わない。正月にも実家には帰らなかったし、帰りたくもない。
でも、心のどこかに「出なくていいのか」という声がかすかに響いているのをわたしは聞き逃せなかった。
なぜわたしはそんなことを思うのか?
親に晴れ姿を見せてやれない甲斐性のなさからなのか?
友人を切り捨てて生きてきた自分の生き方への反省なのか?
社会的な儀礼をおろそかにして斜に構えることへの罪悪感なのか?
浮かれた世界への決別とその優越感に浸っている孤独さに酔っている自分に嫌気がさしているからだろうか?
本当は知り合いに会いたくないのが怖いからなのを自分でわかっているからだろうか?
そんなことがわたしの頭に浮かんでは消えていく。
でも、わたしは今大学にいるという時点で成人式には出ない人生となったことが確定している。
わたしは、そう決断し、そういう決断を迫られたのだと思い心の中で小さな苦虫を嚙み潰した。
そのときわたしは、たぶん今後もそんな風に社会の決まりごとに対してそのつど苦虫を噛みながら不参加な人生を送りそうだという気がした。わたしはそんな人間なのだ。
そんなものに出るくらいなら自分のことをやるよ、自分のことが忙しくて出られないよごめんね。そう言って世界をあざ笑いたい。そんな用事も必要性もとくにないけれど。
特に忙しくもないわたしは研究室のソファでひと眠りした。どうせ誰もこないし、来ても哀れまれるだけでとがめられやしない。
時間が泥のように過ぎていった気がして、ふと目を覚ますと、時刻は17時半だった。何時に寝たのかも覚えてないけど、別に家にいたって寝ていただろうからそんな計算しなくていいやと思い、もう暗くなっている外を眺めた。
すると外はしんしんと雪が降り、おおよそ15センチは積もっているのではなかろうかという様子であった。
呆気に取られたわたしは、ガラッと窓を開けて、冷たい空気に身震いして、桟に積もっていた雪をひとすくいほおばってみた。
口に含んだ雪は、わたしのぼやけた頭に冷たさと何となく排気ガスのような風味の後味を残し、すうっと喉の奥に消えていった。
「ああ、これが嘘の味なんだな」
そのときわたしはなぜかそうつぶやいた。
わたしは、柄にもなく真っ白になった東京とそこにいる自分が、今一番味わっている味がこれなんだと確信した。それが「嘘」なのだ、ということが、何にたいしてとか、なぜとかいうことを全部抜きにしても、わたしには唯一本当のことに感じられたのである。
わたしはしばらく窓を開けて頭を冷やした。
もうアパートに帰る気力も手段もないので、今日は大学に泊まりである。
さすがに一日何も口にしていないのでお腹がすいたわたしは、自分のロッカーに備蓄してある食料を漁りに行った。
こういう備えだけは充実しているので、カップラーメンと缶詰、インスタントコーヒーを手にして戻った。
わたしはふと、誰もいない研究室での晩餐を勝手に自分の成人式にしよう思いついた。
嘘にまみれたみじめな、でも自分の本当の成人式を。
わたしは非常階段の踊り場に電気ケトルを持って出て行って、そこに積もっていた雪をケトルに詰めて持ち帰った。
ケトルのスイッチを入れて雪をお湯にする。
そのお湯をカップラーメンに注ぎ、コーヒーを汲んだ。缶詰も開けて、わたしの成人式の晩餐は完成した。
わたしはそれらをすすった。
全身に染み渡るインスタント成分とほのかに感じるよくない雑味。ケミカルな味わいが研究室の雰囲気にマッチして大変に風情を感じる。鯖の水煮もたんぱく源として生きているという実感を与えてくれる。
そんなしょうもない食レポを心の中で唱えたわたしは、ばかばかしくてどうしようもないなと思いつつ、カップラーメンの汁を、普段は残すのになぜか全部飲み干してしまった。
そしてやっぱり後味は、あのうっすらとした嘘の味なのであった。




