ホームページ作成
遅ればせながら個人のホームページを年の瀬に作るわたしは、アマレットを片手に酔っぱらいながらwordpressでガチャガチャとプラグインと固定ページをいじくっている。
ホームページを作るという作業は一大面倒くさいイベントのようにずーっと思っていて手を付けられなかった。
まずHTMLやらCSSやらを書くのが面倒だし、わたしは簡単なそういうプログラミングじみた行為もこれまでやってこなかったから苦手だ。
実際にはwordpressはプラモデルみたいなもので、すでに出来上がっている部品を好きなように組み合わせていればそれらしいものができるというCMSであるから、難しいコードを書くことなんていらないし、サーバーとドメインさえとってくればすぐに形になってしまうようなものだ。
もっとも、追加CSSとか部分的な改変を加えたり、既存のテーマをアレンジしたりしたくなったら面倒なこともやらなければ問屋が卸さないが、わたしはよくあるシンプルなテーマをちょっといじれば十分満足してしまうので何も問題ない。
技術的な部分の面倒くささは大したことがないが、内容と向き合わなければならないという行為は大変億劫なものである。
自分の仕事のポートフォリオを作るということは、よくも悪くも自分の半生を振り返らねばならない作業である。
それが自分の今後のために必要だと思うから重い腰をあげて着手しているわけだが、自分に誇らしく思うほどの公開できる実績やちゃんとした作品があんまりないということにまずげんなりする。
次に、それらをいい感じに配置したり、作りっぱなしにしていて忘れてしまった作品情報を正しくまとめてキャプションを作ることもまた面倒だ。自分で作ったのに何年に作ったとか、どのくらいの規模だったとかそういうことが全然思い出せないのだからどうしようもない。
そして、それらを総覧できるくらいにギャラリー化したくらいに、自分の流れのようなものが見えてきて、それがよくなっているように感じられなくて、昔の元気だったころの作品がよくて、どんどんダメになっているかのように思われてくる。
そういう見てわかる問題点は、自分ではっきりとわかる原因を指摘できることで、それのせいで今や自分はこんなになってしまった。あの頃にはもう戻れないのだろうか、などと悩みだすきっかけとなり自分を苦しめる。
それを認識できるという意味でも、自分の仕事を振り返る意義はあると思う。それはホームページを作らなくたって認識できることだが、わかりやすいからホームページでそう思っているだけだ。
仕事をしているときは、長期的なビジョンを持っているかのように思い込んで取り組んでいるが、実際には目の前の作業でいっぱいいっぱいの修羅場を潜り抜けているだけで、それが繰り返されていくことでなんとなく自分が後から形になっているだけだ。
そうやって出来上がってしまった自分というものをそれぞれの人間が受け入れたり受け入れられなったりしながら日々を過ごしている。
わたしは仕方なくそうなっている自分というものについて、自分がそうなるべくしてそうなった、最適化されてそうなったという正しさによって支えられていると信じられているときには心から納得できた。
そういう思い込みで自分を鼓舞できたのはおおよそ5年間くらいだった。5年もやっていられたらそれはそれでよくやったとは思うが、さらにそこから5年、減衰していく熱意の惰性のままにその自分を演じ続けてしまった。
わたしは、何かが軌道に乗ったという感触を得たときに、それを得るために自分が犠牲にしたものや顧みなかったものについてもう少し考えておくべきだったのかもしれない。
なぜならば、5年も嘘をついていれば大体それが本当になってしまい、その嘘を思い出せなくなるようになってからでは自分がもうそれまでの自分の残滓を感じることもままならなくなってしまうからである。
かくしてわたしはそのようにして歩んできた10年の記録をホームページにまとめているのだ。
そのことは一つの達成を見直すことでもあり、一つの失敗の悔悟でもある。
わたしはビジネスにつなげることも視野に入れてこのサイトを作ったのだが、もう一方のわたしが、ここで示している仕事は一つの区切りとして新たな道に進もうと語りかけてくる。
だからわたしは、せっかくサーバーを借りてドメインをとって、SEOを意識してPVを稼ごうなどという工夫をサイトに施しているのになんだかむなしくなってくる。
だって、ここでせっせと世界に発信している自分は、なんとなく出来上がってしまった不格好な後悔交じりの自分であり、今後そこで更新されるコンテンツにあんまり期待が持てない代物だからである。
そういう自分の墓石代わりの試金石としてサイトを作っておくのも悪くはないかもしれない、そういう思いだけがひたすらキャプションを打ち込むモチベーションになる。
どんなにくだらないポートフォリオでもないよりはましだし、自分の実績として公開できる案件を貰えてきたことに感謝もするべきだ。
そういう思いで自分の死体をきれいに切り分けて陳列する。
わたしはさらにマンゴヤンとカルーアとピニャコラーダを飲んで、寒い時に甘い酒はうまいなあと思いながらサイトマップをグーグルに打ち込んで、早くクローラー来てくれよとURL検査をカチカチ更新している。
そんなに早く来るわけもないのだが、酒を飲みながらアナリティクスを無駄にカチカチすることはなんか愉悦を感じるのでわたしはぼんやりしながら今日も日付をまたいで酒を飲む。
昨日のわたし、さようなら!今日のわたし!も!サヨナラ!
アタマがおかしくなってきたわたしは、無駄に濃いブランデーをきゅっと飲み干して、空白でごちゃごちゃになった今日の分の意識に、さよならをするのであった。




