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昼下がり  作者: 磯目かずま
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樹木葬

 わたしは度々自分の失敗に軽口を叩いたり、それを誇張して見せびらかすようなことをするが、本当にまずいやらかしをして謹慎処分になったことがある。

 そのときわたしはオフィスを配置転換され、一か月暇を与えられた。

 わたしはどうせだからとそのまま半年休職願いを出して休職した。そういうときはたいてい「一身上の都合」とでも言っておけば何にも事情の知らない人は激務とかで心身を病んだのだろうと推測してくれて、後は噂も七十五日というやつである。

 わたしは休みの間、田舎の実家で過ごすことにした。両親は、事情を察してわたしをそっとしておいてくれた。食事の時以外は特に話すこともなく、そもそもまだ共働きで昼間は家に誰もいなくなるので、わたしは南向きの光の一番差し込む応接間で日がな一日庭を眺めていた。


 わたしの毎日は単調だった。毎朝母親が起きて朝食を作ってくれる時間に合わせて起きて朝食を食べ、母親が仕事に行くのを見送って、後はソファに座ってぼーっとしているだけだ。因みに父はトラックの運転手で深夜の2時くらいに出勤なのでそもそも顔をあまり合わせない。

 昼ご飯は勝手に炊飯器の米をよそって卵かけご飯か納豆ご飯を食べる。それを食べたらまたソファに座って今度は昼下がりの暖かな日差しを浴び、それが夕暮れの西日になるまでその光の変遷を、モネもそこまでただ見ているだけではいなかったろうというくらいにただ眺めている。

 17時くらいに母が帰ってきて、父も19時くらいには帰ってくるから、母と一緒に料理を作ったりする。わたしはそこそこ料理ができるようで、両親からは「おまえは料理のセンスがあるよ」、「また作ってくれ」と言われる。特に米を炊くのが上手いらしく、「お前の炊いた米は旨い」とほめてくれる。

 きっと両親は事情を知っているし、無気力な自分がここにいてもいいんだよということを示すためにあんなふうに料理をほめてくれたりしたんだろう。わたしはそれもよくわかっているが、あえてちょっとだけ得意そうにして、毎日何かしらの料理を作った。

 ご飯を食べたら、あとは風呂に入って寝るだけだ。わたしは最後に風呂に入って、わざわざ母が買ってくれた電気毛布のスイッチを入れて、毛布と掛布団にくるまって22時には寝てしまう。以降はまた朝から繰り返しだ。


 無気力なとき、わたしの足はまるで地面に根が張ったようになって、用を足しに行くとき以外はソファから離れなくなる。わたしはまるで昔死んだひいおばあちゃんがそうしていたように、毎日毎日そのソファに座って庭を眺めていた。

 わたしの実家はそこそこ大きな家で、庭には大きな石が十数個配置されていて、その合間にモチノキやツツジ、マツなどが配されている。いわゆる田舎の土豪のような家だ。わたしの座っている場所からは、ひときわ立派なクロマツの木が見える。昔はよくあの木から松脂をとって遊んだものだ。

 わたしはその庭をただぼんやりと眺めている。季節は冬だったし、特に変化もなく面白味もないその庭は、わたしの空虚な気持ちにぴったりだった。花咲くボタニカルガーデンでも、雑草だらけの閑居な庭でもなく、ただきれいに整備された庭。

 わたしは庭に生えている木々と一体化したようになって、昇っては落ちていく日を繰り返し繰り返し眺めた。


 そんな日を繰り返しているうちに、季節は春を迎えようとしていた。そのころ少しは動けるようになったわたしは、畑で野菜を作り始めた。実家には土地は余っているから、自由に耕せる場所もたくさんあるのである。

 春植えの野菜としてまずはジャガイモを植えた。これは寒いうちに種芋を買って半分に切って乾かして、灰をまぶして植え込むのだ。その後、アスパラやラディッシュ、シソ、ニンジンと植えていって、その後オクラやピーマン、ナスも植えた。

 わたしの毎日の日課に庭に行って植物を眺める、という項目が追加された。たまに肥料をやったり、雨が降らなければ水をやって、虫がついたら取ったりした。毎日少しづつ成長していく野菜を眺めていると、自分は何にも変わっていないのに世界はこんなにも変わるんだなあ、としみじみと思うのであった。


 相変わらず朝ご飯を食べた後にちょっと庭で植物を眺める以外にはやることもなかった自分だったが、このころなぜか巨木に興味が出てきて、毎日ソファに座ってスマホで巨木のサイトを日がな一日めぐることが多かった。全国の巨木が県ごとや樹種ごとにリスト化されているものを片っ端から見ていって、どこにどんな巨木があるのか、有名な木は何か、自分の行ける範囲には何があるか、その木にはどんなエピソードがあるのか、そんなことを延々と調べていた。

 それまで植物になんて全然興味もなかったくせに、そんな風に野菜を育てたり巨木を調べる生活を一か月も続けるころにはだいぶ植物に詳しくなってしまった。野菜ごとのph値の管理も意識できるようになったし、めぼしい樹種の幹周トップテンの名前を憶えてしまった。


 わたしはどんどん自分が植物になっているような気がしていた。毎日ソファで光合成をするだけの生活。自分がなんでこんな生活をしているのかという理由なんてよくわからなくなっていた。噂だけでなく自分の記憶も七十五日で消え去ってしまうものなのだろう。

 わたしは謹慎のショックとその後のふさぎ込んだ気持ち、いくら適当な人間でも自分を責めてしまう気持ちによって苦しみ、そして無気力になった。自分を責める気持ちは罪業妄想というらしいことを、うつ病のまとめサイトを見て知った。自分を必要以上に責めることで自己肯定感がなくなる。すると、無価値感や疲労感、無気力にもつながるのだ。

 わたしは半年でこの生活が終わるということを薄々感じつつも、その終わりが見えないという状態の間でまどろんでいた。未来のことも過去のことも考えられないような精神状態は、そのことで無気力という陽だまりでの生活の一瞬一瞬に張り付いていてくれた。わたしは、一度根付き、その場所で数千年生きてきた巨樹はこの気持ちを一番わかってくれると考えたのかもしれない。

 

 心を病んでいるときには死のことを考えるものだということは、まとめサイトにも書いてあった。わたしも例にもれず死について考えていた。

 死について考えるといっても、自分が死ぬとか自殺するとかそういうことを考えていたのではない。まさに死とは何かということについて考えていた。もっとも薄弱した精神では深いことも哲学的なことも考えることはできないから、薄ぼんやりとした状態で、自分がこのまま消えてしまったらどうなるのだろうとか、死んだらどうなるのだろうというようなことが頭に浮かんでは消えていくというだけの話である。


 わたしが座っているソファのある部屋の隣の隣の部屋は、曽祖父が首を吊った部屋だった。この事実を聞かされたのはわたしが大人になってからのことであった。

 わたしが生まれる前に死んだ曽祖父のことをわたしは全く知らない。飾られている写真を見て、坊主頭で屈強そうな見た目をしているという印象しかなかった。そんな曽祖父が自殺していたということにわたしは驚いたものだ。

 そういえば、その曽祖父の部屋がある場所は、北向きで昼間なのに暗く、夜になればなんだかお化けが出そうだなと幼いころにはよく思ったものだった。そういうとき、「お化けが出そうで怖いよ」と母に言うと、まるで本当にお化けがいたかのようにわたしをあやしてくれて、大丈夫、大丈夫、と何度も撫でてくれたことを思い出す。

 今思うと、そういう事情があったからその部屋は怖かったのだし、母はお化けが怖くないようにいつも優しくしてくれたのである。そして、わたしが大人になるまでそのことを隠し通してきた家族は素直にすごいと思う。

 

 わたしは今いる場所で人が死んだということが、なんだか自分の体に浸透しているような気がしていた。それは植物になったわたしが地の気のようなものを吸い上げてそれと一体化しているような感じである。

 そもそも、曽祖父だけではなくそれ以前の人もここで死んだかもしれないし、病院で息を引き取ったにしても、祖母も曾祖母もこの家に一度帰ってきて末後の水をとったのだから、そんな空気もまたここには漂っているのだ。


 わたしは樹木葬に関心を持つようになっていた。まさに今のわたしのこの感覚のように、死後自分が植物と一体化して、また新しい生を生きるのだということ。そのことがありきたりの葬儀屋のうたい文句のようにではなく、実感として感じられたからである。

 わたしは、自分が葬られるとしたらどんな木の元がいいかを考えた。わたしは巨樹が好きであるから、クスノキやケヤキ、スギあたりがやはりいいものだと思う。それらは共同墓地には大きすぎるので、単独で広々とした陽当たりのいい場所を確保して、そこにぽつんとわたしの墓があるのが素晴らしいと思った。そしてとある大クスにあるように、成長するにしたがって墓石が木に飲み込まれるくらいになれば大変によいことである。


 しかし、実際にこのような樹木葬を構想するのは難しいであろうことは容易に想像がつく。そもそも、巨樹を育てる土地はどうするのか。これはわたしが生前お金をためて確保すればいいだけであるが、わたしの死後その土地と樹木、お墓を管理するのは誰なのか。子孫がいればいいが、いなかったら親戚に頼むか、それとも委託するのか。

 そして、その樹木が巨樹になるまでそれが守られるという保証は全然ない。のちの時代の都合でいかようにも伐採されたり、処分されたりするだろうし、管理する側も厄介でいやな気持になるかもしれない。


 だから、わたしは巨樹を育ててその下で眠る、という贅沢な願望を抱きつつ、それは到底無理なことだろうなという絶望に浸っている。わたしにできることは、自分があらゆる場所に偏在している死というものを樹木のように引き受けながら、その場所で生きていくということだけである。そして、花を咲かせたり、緑で木陰を作ったり、紅葉したり、実をならせたりする。

 わたしは、そんな樹木葬を心の中ですることについて、ソファに座りながら考えるようになった。そのころ季節は桜が散って、新緑がまぶしくなり、世界に色が戻ってきたころだった。


 わたしの休職期間も残り一か月を切り、もうすぐわたしは職場に復帰しなくてはならなくなった。

 わたしは不思議と心が澄んでいて、何も怖ろしく思うことがなかった。半年という時間は、わたしを世界になじませ、わたしであることを忘れさせるにはちょうどよかったのかもしれない。

 今の状態なら、会社に行っても何にも辛いこともない。もし辛いことがあっても、陽だまりで窓の外を眺めていれば、今の透明な気持ちを思い出すことができる。空虚で、無価値で、罪深くて、死に近い場所。

 そんな陽だまりの憂鬱に親しんでおけば、人は光を浴びて、世界を吸い上げることができる。単調に繰り返される日常を大樹のように過ごすことができる。わたしは昼下がりのソファでそれを学んだのである。


 しばらくしてわたしは職場に復帰し、同僚や上司が少しだけ腫れ物に触るように優しくなったことを除けば、以前と同じような生活に戻っていった。

 そうしてくだらない毎日だと皮肉が言えるくらいには元気になったころ、母親からラインで画像がたくさん送られてきた。

 そこには鈴なりになった掘りあげられたジャガイモと、収穫を控えた畑の植物たちの、元気な姿が収められているのであった。

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