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昼下がり  作者: 磯目かずま
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ピラカンサ

 秋も深まったころ、民家の庭先にたわわに赤い小さな実をつける木がある。これがピラカンサというのだということをわたしは最近知った。妻は赤い実をつける木をみるとなんでもかんでも「これはナナカマドだね」と言う。ナナカマドがこんなにたわわに実をつけないことぐらいは知っているわたしは、ナナカマドではないけどねと思いつつ、ただ微笑んでいる。


 赤い実は鳥に食べられるために進化したものだ。目立つように、目立つものが生き残るように、小さな実は真っ赤に染まるようになった。緑の藪の中に赤い実をつけるということ。隣にモミジなんかが生えていたら損をするだろうが、幸い赤い実は紅葉よりも先に赤くなる。彼らは空を飛び今の場所で育ったのだろうか。しかし彼は空から地上を見たことはない。なぜならそのとき彼は鳥の腹の中にいたから。


 肌寒くなった街並みを歩く。わたしはそんなときでも自分のことを考えている。自分に魅力がないこと、バカにされるのを恐れていること、貯金ができないこと、制作ができないこと、毎日がつらいこと。でも、散歩できるくらいには自分が暇なのだということを加味して、自分はまだまだ足りないのだと、努力不足なのだと思い、剪定されて丸坊主になったケヤキを眺めている。


 わたしは空を飛びたいのだろうか。しかし、わたしは空を飛べない。誰かが作ってくれたものに食われて、その腹の中からしか世界を眺めることができない。そもそも、食われるためには目立つ必要があるのかもしれないが、わたしは全然赤くない。それでも、一度空を飛んだらあとはずっとその場所で生きねばならないピラカンサよりは空に飛ぶ機会は多いのかもしれない。なんならまったく赤くなくても人は空を飛べる。


 遠くまで飛んでいける人は、鳥となかよしなのだろうか。鳥に食べられるように、自らをつくりかえているのだろうか。そして、そういう人だけが生き残れるのだろうか。本当は誰もがピラカンサのように、根を張ってしまっているから、赤い実をつけようとしているのだろうか。動けない木にやってきてくれるのは鳥か獣か風くらいなものであるが、自分から歩いてゆける動物であるわたしたちは、自らを動けないものとする比喩にはあてはまらないだろうか。


 自分の足で行けるところなんて、わたしたちには限られている。旅をするのも簡単なことではないし、移動するには金がかかる。世界は広くて狭いようで、全部知っているような気がして、ありきたりに感じるけれども、そのほんの一部しか眺めずにわたしたちは死んでいく。一度も通らかなかった道、一度も見なかった景色。それらを自分が知りえた世界で推測して、それらはこのようであるに違いないとみなすことで、わたしたちは世界をありきたりなものとすることができているのだ。


 鳥に運んでもらうことは、わたし以上の世界へゆくことである。そこから先はわたしではなく、わたしの実の世界となる。ピラカンサは、鳥とともに羽ばたいてゆく実たちのこれからを祝福しつつ、彼らの生の始まりが糞まみれであることを憂いているのかもしれない。


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