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昼下がり  作者: 磯目かずま
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望まぬ散歩

 わたしは休日の朝、妻と近所のパン屋に朝食をとりに行った。そのパン屋には屋根付きのウッドデッキにテーブルが並んでいて、イートインでそこで食べることができる。パンを買えばコーヒーも無料でもらえ、近隣住民で連日にぎわいをみせている。

 

 妻と収穫祭と銘打たれたキャンペーンの総菜パンを食べて、コーヒーを飲んで帰った。妻は化粧品が切れたから買いに行くといって、ひとりそのまま駅に向かった。わたしはスーパーで肉と冷凍食品を買い、アパートに向かった。玄関に着き、ドアを開けようとして、カギがないことに気づいた。


 わたしは妻がカギをもっていて、朝も閉めて出てきたのをすっかり忘れていた。いつも一緒に家に帰るので、自分の分のカギをもっていかないことが習慣になっていたのである。わたしは幸いスマホをもってきていたので、妻に「カギ忘れて家はいれない、どうしよう」とラインをした。すると、電話がかかってきて、もう買い物先の駅にいる、帰るまでどっかで時間つぶしてるしかないね、ということに落ち着いた。わたしはせっかく先に家に帰って自分の作業をしようと思っていた計画がつぶれ、しかも今手にもっている肉や冷凍食品を冷蔵庫に入れられないということにも悲しくなり、窓かどこか開いてないかなと部屋の周りをぐるぐるした挙句やはり開いているなんてことはなく、恥をしのんで大家さんに開けてもらおうかとも思ったがつい先日同じようなことでカギを開けてもらったことを思い出しそれもためらわれた。


 もう思い切って散歩でもしよう、ということにして、買い物袋を玄関に置いてぶらつくことにした。ぶらつくといっても周囲は閑静な住宅街であり特に見るものもないし、さっき行ったパン屋にまた行って暇をつぶすのもいやなので、何かないかと探していると、自分の家から見える大きなケヤキの木が目に入った。そういえば、あれはそこそこの巨木だと確信できるが、まだ根元まで行って眺めたことはなかったな、と思い、ケヤキの根元を目指して歩くことにした。


 巨木を目印に歩いていくと、十分くらいで根元に着いた。思った通りそこそこの巨木で、目通り五メートル、樹齢一五〇年くらいといったところの立派なケヤキで、根元には市の名木であることを示す看板もあった。わたしは黄葉しているそれをしばらく眺めていたが、すると今度は便意をもよおしてきた。近くのコンビニで用を足してもいいのだが、幸いまだ急を要してはいないので、近くの駅まで歩いて喫茶店でも入ってついでにそこで暇をつぶそうと考えた。


 わたしは駅まで歩く途中で、なんで今歩いているのだろうという気持ちをなんとか負の感情に侵されないようにすることで必死になった。油断すると今の時間が自分のミスによって生じた無駄なものだという事実に足取りが重くなりむかむかしてくるからである。わたしは今の時間は普段しないようなことをしている有意義なものだと自分に言い聞かせることに努めた。そう思って生け垣や住宅街の風景をまじまじと見つめるのだが、そういう芝居じみた世界の新しさへの関心というのは結局フリをしているだけであり、なんらの新しい発見ももたらしてはくれないものである。


 わたしは喫茶店でちょっとうまいコーヒーを飲むことと用を足すことだけをモチベーションにして歩いた。わたしはあてもなく放浪することの難しさについて考えていた。一瞬自分のこの状況を、流浪の民や難民や、ノマドのように見立てることで何らかの見解を得られるのではないかと浅はかにも思ったが、わたしの心は目下、今無駄にしている一時間をどう切り抜けるかということで頭がいっぱいだ。本当に放浪するということは、いつだって難しい。必ず何かの目的があって移動は行われるものだ。


 わたしは駅に着いたら、喫茶店に入る前に駅ビルのトイレに入って用を足した。ちょうどトイレでスマホを見ているときに、妻からもう帰ると連絡が入った。思ったより早かった。わたしは結局喫茶店にも入らずに駅ビルのベンチで妻を待って、一緒に歩いて家に帰った。時間はもう正午を過ぎたくらいである。玄関の冷凍食品は、ちょっとだけ溶けてしまっていた。


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