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両刃の悲しみ  作者: ひふみん
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第1章「異変」①

 次の一撃で決めにくる。


 そう思って、竹刀をグッと握った。さっきまであんなに冷たくて窮屈だった防具が、今は身体の一部のように感じられる。額には、軽く汗まで掻いている。


 ただじっと立っていただけ。傍目から見たら、一体この無駄な時間は何なのだろうかと思うだろう。


 だが、これが実は物凄くしんどい。


 まるで、自分と相手との間に、一本のすごく細い糸が張られていて、その糸を決して揺らすことなく、かつ切れるか切れないかの瀬戸際の力加減で間合いを保つかのようなこの緊張感。純粋な静止をしていることは、この上なく神経を擦り減らせ、それが身体に熱を持たせ、汗を吹き出させる。


 一瞬、勘付かれないように目を閉じた。その瞬間、神経が研ぎ澄まされ、一瞬の無我の時間が訪れる。そして、小さく息を吐き出すと、スッと眼を開けた。自分の中で、スイッチがカチリと切り替わったような感覚を覚える。


 見つめる相手は、全く隙のない正眼の構え。同じく純粋な静止で構えている姿は、まるで精巧な人形のようだ。相手は、この一年間、一度としてこの静止を乱したことがない。


 グッと、竹刀を握りなおした。


 さぁ、来るなら来い。


 そう思った瞬間だった。


 ダン!という鋭い音と共に、一足飛びに相手がこちらに飛びこんできた。そこには、一切の前動作はなく、素人がここに立っていれば、突然の音にビックリして身体を震わせるかもしれない。


 それにしても、相変わらずの信じられないスピードだ。


 だが、そこに怯む暇などない。勝負は一瞬。狙いも分かっている。それは、ここ一年間一度も変わらない一撃であり、何より、私に一年間植え付け続けた屈辱の一撃だ。


 今日こそは!


 右足に力を込めて、竹刀を僅かに浮かせる。この速さでは、胴や小手は狙えない。目には目を、歯には歯を。面には面で勝負するしかない。


 真っ向勝負。もう、相手はこちらの間合いに入ってきている。


 いける!


 両足に力を込めて、邁進する。


 ターーーーン!


 鋭い音が道場に響き渡った。


 そして、静寂が道場の中を支配する。指で触れば、ピキリと音を立てて割れてしまいそうな、そんな静寂だった。


 二人は、じっと膠着したまま、どちらも動き出さず、竹刀を振り下ろした状態で固まっている。


 まるで、時が止まってしまったかのように、時間は過ぎていく。


 そして、


「うっ…」


 思わず、小さな呻き声が漏れた。それに続くように、ふっと笑い声が漏れてきた。


 そろそろ、我慢も限界だった。


「い、いったーーーーーー!!」


 思わず、頭を抱えてしゃがみ込んだ。我ながら、何とも無様な姿だとは思うが、そんなことは言っていられない。遅れてきた痛みはそれだけ強烈で、これは何百回と受けてきたからと言って慣れるものじゃない。


「はっはっはっはっはっ!」


 そこに響くのは、豪快な笑い声。軽く、脳震盪も起こしていそうな脳味噌に、その声はうんざりするくらいに響いてきた。


「ま、毎朝毎朝、ちょっとは手加減してよ、おじいちゃん」


 文句を言いながら、紐を解き、面を脱ぐ。すると、冷たくて爽やかな空気が、火照った頬と熱を持った頭に心地良い感触を与えてくれた。


 短めに切り揃えられた黒髪に、そっと手を当てる。撫でるようにして、打たれた頭の辺りを擦る。たんこぶができていなければいいのだけど、と毎回のように思うのだが、たんこぶができてないことを確認すると、それはそれで何となく切ない気持になる。


「これで、わしの二九六戦二九六勝目じゃな」


 忌々しい数字を口にしながら、おじいちゃんも面を取ってこちらを振り返った。おじいちゃんのその顔は、忌々しいほどの満面の笑みだ。思わず、竹刀を振り被って襲いかかりたくなるが、そうなった場合、やられるのは確実に私だろうから止めておく。しかも、面なしだと本気でたんこぶができそうだ。


 まだ痛む頭を擦りながら、立ち上がった。頭がふらふらしていて、眼も焦点がちゃんと合ってくれない。


「ああ、今日のは本当に痛いや…よし、もしもこれで成績下がったら、おじいちゃんのせいにしよう」

「ああ、そうしなさい、そうしなさい。学年成績二位の月詠刀華さん」


 内心、結構本気で言ったのに、おじちゃんは歯牙にもかけない。しかも、「二位」のところをやけに強調するところが、ますます憎たらしい。思わず、竹刀を握る手にグッと力がこもる。


 ぶすっとしている私を尻目に、おじいちゃんはテキパキと胴も外して、防具の片付けを始めた。


「さぁ、そろそろ時間だ。早く着替えて、朝ご飯にしよう」


 そう言うなり、おじいちゃんは片づけた防具を道場の定位置に置き、足早に道場から出ていこうとする。


「ちょっ、ちょっと待って!」


 私も、慌てて防具を片付けると、おじいちゃんと一緒に剣道場を出た。



 うちは、地元でも有名な道場だ。おじいちゃん曰く、「文化と伝統と歴史が根付いている由緒正しき剣道場」であるらしい。そうやって、しょっちゅう自慢げに話すおじいちゃんだが、あのおじいちゃんの強さを見れば、その自慢もあながち間違いじゃないのだろうと思う。


 月詠家の一人娘として生まれた私は、幼い頃よりおじいちゃんから剣道を、文字通り叩き込まれた。物心ついた頃からおもちゃの刀や竹刀を持たされて、おじちゃんから「遊ぶぞー」と言われれば、おもちゃの剣を振り回しておじいちゃんとチャンバラをしていた。そんなことばかりしていたものだから、幼い頃の私の遊びとは、それすなわち剣道を指していた。


 まだまだ幼い頃、(今の私からは全く想像できないけど)私は本当に女の子らしい女の子であった。近所のおばさんたちは、私を見ては、「妖精がいるとすればこんな可愛い子だろう」「刀華ちゃんは、本当にどこかのお嬢様みたいね」とよく言ってくれたものだ。


 そんな幼い頃の私は、物心がつくまで本当に剣道を遊びだと思っていて、他の女の子も同じように剣道をして遊んでいるのだと思っていた。しかし、さすがに保育園や小学校に入学し、他の同年齢の女の子たちと遊ぶようになると、誰も剣道をして遊んでなどいないということを知った。そうして私は、剣道は遊びではないということを知った。


 女の子らしい女の子であった私は、その事実を知った頃、随分と反発をした。昔の記憶というのは曖昧で、あまり覚えているわけでもないが、その頃から、おじいちゃんに「遊ぶぞー」と言われても、「嫌だ!」と言ってどこかに逃げるようになっていた。


 だが一方で、おじいちゃんが本格的に私に剣道の指導を始めようとしたのも、この頃だった。もはや、剣道を遊びだと誤魔化しておけなくなってきたことに気付いたおじいちゃんは、「そろそろ、本格的にやり始めるぞ」と開き直って私に剣道を教えようとしていた。


 しかし、おじいちゃんに騙されていたことを知って、反発していた私が、本当の意味で剣道の指導を始められて、すんなりとその指導を受けるわけがなかった。私は、「遊ぶぞー」から「修行じゃー」に口癖が変わったおじいちゃんの声を聞くたびに、決まって近くにある棒状のものを武器にして、それでおじいちゃんと戦って逃げていた。(もしかすると、この頃から本当の意味での女の子らしさは失っていたのかもしれない…)


 そんなことがしばらく続いたある日、おじいちゃんが唐突にこんなことを言った。


『刀華、わしと一度、真剣に戦ってくれんか?まぁ、ただの試合じゃつまらんから、賭けをしよう。もしも、わしが負けた場合は、もうわしはお前に剣道をさせたりせん。ただし、刀華が負けた場合は、真剣に剣道をすることを考えてもらう。これで、どうじゃ?』


 それを聴いた私は、ただ素直に「そんな条件でいいの?」と思った。賭けというのだから、てっきり私は、「私が負けたら剣道をやってもらう」ということを言われると思っていた。そして、それだったら私は決してこの勝負に乗ろうとは思わなかっただろう。ところが、おじいちゃんが言ったのは、「剣道をやることを考えてもらう」だった。それだったら、勝っても負けても私は剣道をやらなくてもいいではないか。幼い私は、悪知恵を働かせて、そんなことを思っていた。


 条件がどちらでも同じであるならば、おじいちゃんとの真剣勝負は好奇心旺盛だった私にはとても面白そうなことに思えた。そんなわけで、私はその申し出を喜んで受けた。


 勝負の前、私は勝てると思っていた。というのも、遊びとはいえ小さい頃から剣を振り回していたので、剣の腕前は中々のものだったと思う。それで、幼稚園の女の子を何人助けてきたかは数知れない。また、おじいちゃんに捕まるまいとちょこまか逃げ回っている間に、私はどんどん足が速くなってしまい、今やおじいちゃんは私を、ヒーヒー言いながら追い掛けるようになっていた。


 この勝負、軍配は私の方にあると、信じて疑わなかった。


 勝負は、剣道着に着替えて、しっかりと防具も付けて行うことになった。


「シンケンでやっちゃうからねー!」


 そんな命知らずな言葉を吐いた私に対して、おじいちゃんは豪快に笑って応えた。


 礼をして、ゆっくりと相手との間合いを詰めていく。中心のところに来たところで、互いに蹲踞をして、立ち上がった。剣道の礼儀は、これまでの遊びのおかげで、しっかりと身に付いていたので、その動作は幼いながらにもスムーズだった。


 そして、お互いに正眼の構えで止まる。


「…では、始め!」


 おじいちゃんの合図が掛かった。

 私は、おじいちゃんの合図と同時にすかさず動いた。

 

 すぐに決めちゃうんだから!


 私は速攻で竹刀を上段に構え、真正面からおじいちゃんに向かった。


 だが、目の前におじいちゃんの姿はなく、強風が私の脇を通り過ぎていった。


「…ふぇっ?」


 思わず、そんな声を上げていた。一体、何が起こったのか分からなかった。


 私は、後ろを振り向いた。そして、ゾクリとした。

 そこには、おじいちゃんが静かに立っていた。その顔は無表情で、普段のおじいちゃんからは想像できないその顔が、私は怖かった。だが、ただ単にその表情だけに恐怖心を抱いていたわけではなかった。


 あの頃は、その恐怖心の原因がよく分からなかった。だが、今ならば分かる。私は幼いながらに、あのおじいちゃんの殺気を感じ取っていたんだと思う。

 あの時のおじいちゃんの「殺気」は、私がこれまでに受けた中で、一番恐かった。おそらく、今の私があれを受けていたら、逃げ出してしまうと思う。


 あれは、本気で人を◯せる。


 あの時、おじいちゃんが向けていた殺気は、そういうものだった。そして、私が本気のおじいちゃんを見たのは、あれが最初で最後だった。


 ただ呆然としていた私に、おじいちゃんは手に持った刀をスッと下ろして、静かにこちらを振り向いた。その視線は、静かながら圧倒的な迫力に満ちていた。


 おじいちゃんは、ゆっくりと言った。


「…どうする、刀華」

「……」


 おじいちゃんは、私に回答を求めた。それは、紛れもなく剣道を「やるか」「やらないか」という問い掛けだった。


 しかし、私は、


「…いたい」


 後から襲い掛かってきた猛烈な痛みのせいで、それどころではなくなった。


 私は、その後わんわん泣き続けた。本気で打たれた頭は、このままパックリと栗みたいに割れちゃんじゃないかと、私は自分の頭を本気で心配した。


 おじいちゃんは、おじいちゃんで、その日一日中私の頭を撫でて、「ごめんなー、ごめんなー」と繰り返し謝っていた。このときの事をしばらく経ってからおじいちゃんに聞くと、「いやー、真剣にって言ったから、つい、な!」と豪快に笑い飛ばしてくれた。もちろん、その時私は持っていた竹刀で思い切りおじいちゃんの頭を叩いてやった。


 それにしても、今から思えば、私はおじいちゃんの掌の上でずっと転がされていたんだな、とつくづく思う。


 結局、私はその後、剣道を本格的に始めた。初めは、何としてもおじいちゃんに同じような痛い目を味合わせてやるんだ、なんて物騒な理由で始めたのだが、本格的にやっていくうちに、その楽しさ、奥深さを知り、私は次第にのめり込んでいった。おじいちゃんの指導は、時に厳しくもあったが、そのほとんどが優しく、丁寧なものだったので、私はおじいちゃんが与えてくれるその技術を吸収し、腕を上げていった。


 私には、常に頭の片隅に置いている想いがある。


 私は、おじいちゃんを目指す。あの強さを、いつかは手に入れるんだ。


 その想いを胸に、私は剣道を続けた。


 そして、私は確かに強くなった。



「はぁ~」


 ため息と一緒に、スカートのホックを止めた。


 汗臭いままで学校に行くのは、やはり女の子としていかがなものかと思うので、稽古の後は必ずシャワーを浴びるようにしている。そして、そのまま脱衣所で制服に着替えるというのが、私の長年の習慣になっていた。


 思わず零れたため息を飲み込みながら、脱衣所を出た。


 そこで、今最も会いたくない人に会った。


「おう、刀華。上がったか」


 おじいちゃんは、冷蔵庫から牛乳瓶を取り出すと、今日も元気にグビグビと牛乳を一気飲みした。


 そんなおじいちゃんの様子を見ていると、せっかく飲み込んだため息が、また出てきてしまった。


「何だ?どうした、刀華」


 だが、おじいちゃんは特に気に留める様子もなくそんなことを言ってくる。思わず、返す声はつっけんどんになった。


「…おじいちゃんに全然勝てないのが、悔しいの」


 そうして、言葉に出してみると、ますます悔しさが込み上げて来て、どうしようもなく顔を背けた。


 ところが、そんな私に、おじいちゃんはあろうことか「はっはっは!」と豪快な笑い声を上げた。


「そこで、笑う!?」

「あぁ、すまんすまん。ついな」


 つい、で笑われては、たまったものではない。


 さすがに、じっと睨み続けている私を見て、おじいちゃんもほんの少し気を遣ったのか、頭を少し掻いた。


「なぁに、そんなに落ち込むな、刀華。お前は、相当強くなってきたよ」

「でも、おじいちゃんには全然勝てない」


 もう、何を言っても恥ずかしさはなかった。ただ、悔しさを少しでも解消したくて、言葉を連ねた。


「大体、何であれが決まるの?そもそも、何でおじいちゃんはあんなに速いの?何で、私は全然勝てないの?」


 矢継ぎ早に、言葉を浴びせ掛ける。これに全て答えてくれるまで、睨むのを止めないぞ、という剣幕でまくし立てたのに、おじいちゃんは至って平然と答えた。


「まぁ、何だ。要するに、剣道の強さに歳はあまり問題ではなく、全てはその『業』によって決まるということじゃ。わしの方が、刀華よりも経験は圧倒的に多く、またその全ては長い年月を掛けて身体に染み込ませた、いわば、極技じゃ。これは、歳を取ったからと言ってそう簡単に消えるものではない。だから、今わしは確かにお前よりも強い。だが、お前はその業を継承しているのだ。お前も、あと少しでわしを超える力を手に入れるだろう。わしは、そう確信している」


 そうして、おじいちゃんはまた豪快に笑い声を上げた。そんなことを言う割に、その顔には、「絶対に勝たせてやらない」と意地悪く書いてある。やはり、おじいちゃんは性根が悪い。


 おじいちゃんは、今年で六十五歳になる。普段の生活を見ている限りでは、確かに他の年配の方たちよりも元気な気はするけど、おじいちゃんはおじいちゃんだ。ゲートボールもするし、庭では盆栽なんかも育てている。日課は散歩だし、お肉派ではなく魚派。傍目から見れば、誰がどう見ても立派なおじいちゃんだ。


 それなのに、あの動きはおかしい。


 おじいちゃんは、「身体に染み込ませてきたもの」と言うが、それだけであんな動きが出来るというのは、私には全くもって理解出来ない。


 毎朝行なっているおじいちゃんとの稽古は、剣道を始めてから二人で毎朝欠かさず行なっているものだ。内容としては、今朝のように、試合を一本するという簡単なものだが、その試合は毎回真剣なもので、手を抜くことは許されない。もしも、眠気が強くて、稽古に集中できない日などがあれば、そんな日は目が覚めるまでひたすらおじいちゃんにぶっ叩かれる。これが地獄で、頭がグワングワンしてくるのに、おじいちゃんは「まだまだぁ!」なんて言ってくるから、最終的に私はひたすら逃げ回る羽目になる。


「これ、昔のチャンバラに戻ってない!?」

「問答無用!!」


 剣道場の中を、防具を付けた年寄りと女子高生が走り回る光景というのは、傍目から見ればかなりシュールだと思う。


 こうして、たまにふざけてしまうこともあるのだが、朝の稽古のそのほとんどは今朝のように真剣なことが当然ほとんどだ。一応、七時までには終えて、支度をして、朝ご飯を食べるというのは暗黙の了解になっているが、あまりに互いに隙がない日は、その時間内に終わらないことはよくある。(まぁ、こういう日は、最終的に私の集中力が切れて、おじいちゃんの勝ちになるのだが…)


 そして、試合ということなので、勝敗も毎日欠かさずチェックしてある。この勝敗は、一年毎に集計しているのだが、ここ一年間の私の成績は、二九六戦二九六敗。すなわち、この一年間、私はおじいちゃんに全戦全敗しているのだ。ちなみに言うと、これまでの数年間を通して、全てを集計してみても、おじいちゃんに勝てたことがあるのは片手で数えられる程度しかない。しかもそれは、「勝った」というよりは「勝たせてもらった」という方が正しいものばかりであり、私が、本当の意味でおじいちゃんに勝てたことは、まだ一度としてない。


 おじいちゃんが、桁外れの強さを持っていることは、幼い頃よりおじいちゃんの稽古を受けていた私には文字通り痛いほどよく分かっている。だから、おじいちゃんの背中がまだまだ遠いということも十分自覚している。ましてや、おじいちゃんの本気には、一生掛かっても到達できるかどうか分からない。


 それでも、私は稽古を続けてきた。当然、いくらやってもおじいちゃんに勝てないことは悔しいし、その背中があまりにも遠いことを自覚すると、正直凹みそうになる。そのせいで、稽古が嫌になったこともあったし、剣道を止めようと思ったことは、一度や二度では到底効かない。


 それでも、私が剣道を続けた理由は一つだ。


 剣道の楽しさを知ってしまった。


 ただ、この一言に尽きる。


 稽古を続けていくうちに自分の「力」「速さ」「業」が高まっていくのを感じると、何とも言えず心地よかった。すると、より高みを目指したくなって、稽古を続けてしまう。そうしていると、剣道を止めたいという気持ちなどすぐにどこかに行ってしまい、私はまた稽古に励むようになる。こうして、私はどんどんとその剣道の腕を上げてきたのだ。


 だが、そうして強くなったはずの私を、今年に入ってから、おじいちゃんはどん底に突き落とした。そのせいで、私は今日もこんな辛気臭い顔をしているわけだし、何よりもここ最近は私の中の自信が薄らいできている。


 それもこれも、全てはおじいちゃんの「あの技」のせいだった。


 真正面からの真っ正直な面。


 剣筋も、動作も、全てが単純な攻撃に、私はこの一年間負け続けてきたのだ。


 それが、なぜかはいまだに全く分からない。「どこから来るのか」「どのように来るのか」、それが分かっているはずなのに、なぜか止められない。分かっているのに勝てない。勝てるはずの試合、勝っているはずの試合に負け続けるというのは、精神的にかなりくるものがある。


『お前も、あと少しでわしを超える力を手に入れるだろう』


 おじいちゃんはそう言うが、私は到底その言葉を信用することはできなかった。


「さぁ、朝ご飯食べて、今日も元気に学校に行ってきなさい!」


 異常に元気なおじいちゃんのその声に、私は思わずぷいっとそっぽを向いて居間へと歩き出した。



お読み頂きありがとうございます(^^)

次回は、3月6日更新予定です!

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