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A級錬金術士はなびきません!sideA  作者: 真白カナタ
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第二話


 アルバートに依頼の来客があったため、本日の買い出し係はエテルナだった。

 パンパンになった紙袋を抱えながら、少し買いすぎたかもと苦笑する。

 よく使用する粉類が特売だったのだから仕方がない。というのを勝手な言い訳としておこう。


(新しい錬金術書も欲しかったけど、こないだ買ったばかりだし節約しなきゃね……。どちらかというと、新しい本より古書が欲しいけど)


 錬金術書にもいろいろあるが、特にエテルナが好むのは古書───珍しい掘り出し物との出会いだ。

 錬金術は歴史が古く、時代が移ろう間に埋もれてしまう貴重な本も多い。有名錬金術士が遺した幻の書なんて都市伝説もある。

 そういった本をたくさん読み漁りたいが、いかんせん希少なものだけあって時価と入手困難さは目玉が飛び出るレベルだ。

 それなりに財力のある派閥に属すれば、派閥が所有する貴重な蔵書を借りることもできるだろうが、派閥から距離を置いているエテルナにはそれも無理な話だ。


(まあ、地道に古本屋か雑貨屋をこまめに覗くしかないわよね。闇市や怪しい露店なんかの入手ルートの不透明なものまではさすがに手は出せないし)


 それに、そういった類のアヤシイお店は危険も大きい。偽物をつかまされる可能性もあるし、ぼったくりの可能性もある。近寄らないのが吉だ。


「───きゃっ!」


 そんな事をつらつら考えていたら、誰かとぶつかってしまった。

 拍子に、何かがトスンと落ちる音がした。       

 自分の荷物は無事なので、どうやら相手が何かを落としたようだ。

 見れば、足元に茶色い紙袋が落ちている。


「ごめんなさい!」


 慌ててそれを拾い上げて謝罪する。

 少し飛び出していた中身を見れば、黒っぽいハードカバーに、20cmは厚みがある少し古ぼけた重厚感のある本だった。

 さっきまで錬金術書のことを考えていたので、何ともなしについ気がひかれてしまう。


「……どうも」


 と、しかし相手はひったくるようにそれを受け取ると、聞こえるか聞こえないかくらいの謝罪だけ残してさっさと行ってしまった。

 考え事をしていたエテルナにも非はあるが、あまりの態度に呆れてしまう。


(今の、ブランダルク派の……?)


 顔まではわからなかったが、衣服に付けられたオレンジのバッジには見覚えがあった。

 個人的には理解し難いが、派閥というのは大きくなるほど顕示欲も強まるようで、腕章やバッジ等を身につけ派閥の存在を主張する者たちも少なくない。彼らブランダルク派がいい例だ。


(今の……タイトルに錬金術の文字が見えた気がする)


 気がするだけで、確証はない。文字もかすれていたし、錬金術のことを考えていたから、たまたまそう見えたのかもしれない。

 けれど、


(……なんか、怪しいわね)


 男の態度が気になった。

 俯き加減に歩く様も、奪うように手にした本を両手で隠すように持ち直したことも、逃げるように去った姿も。


 そういえば、一時期、錬金術書の密売について問題になったことがあった。錬金術教会や派閥で所有している錬金術書を横領した錬金術士がいて、それは大騒ぎになった。

 同じ錬金術士として許せない犯罪だが、貴重な物だけに収益はかなり大きいだろう。


(まさかね)


 と思いながら、エテルナは足を止める。

 完全に勘だ。何の根拠もない。ただ、気になってしまった。理由はそれだけ。


「……よし」


 エテルナは荷物を持ち直して、踵を返す。

 男が消えて行った街角を、自分も同じように曲がって、裏路地へと向かった。





 民家と民家の間を通り過ぎて、細い路地に入った。

 人気はなく、まだ昼間だというのに薄暗い。


(ただの杞憂だったらそのまま帰れば良いし。……って思ってついてきちゃったけど)


 いかにもというロケーションに、エテルナは苦笑した。これは本当にアタリを引いてしまったかもしれない。


 そんなことを思っていると、路地の奥で男は何者かと合流した。深いフードを被っているため、顔も性別すらもわからない。

 男は、その何者かに本の入った紙袋を差し出した。さきほどエテルナが拾った例のモノ。

 合流した人間は紙袋を受け取ると、代わりに別の紙袋を差し出した。お互い何かを交換している模様だ。

 男は本と交換した紙袋を開くと、中身を確かめるようにペラペラと何かをめくる。


(まさか……札束!?)


 分厚い紙の束を、親指でザッと滑らせる。厚さと形状からして紙幣にしか見えないが……。


(ただ本を買うだけならわざわざこんな人目を避ける必要ないわよね? しかもあの枚数……金額までわからないけど、大金なのは間違いない)


 冷や汗が噴き出た。

 悪事なら放っておけないのは当然として、しかしこれは思っていた以上にヤバい現場に遭遇しているのではないだろうか?

 よくある小説なんかだと、目撃したことがバレて口封じのため殺されてしまうやつ───


(!?)


 気配が、した。

 背後から。


(しまっ───)


 振り返ることはできなかった。

 背筋に悪寒を感じた瞬間、ヌッと現れた手に口を塞がれてしまったからだ。


「んー……っっ!」


 恐怖で身体が固まる。

 殺される───そう察した身体が本能的に悲鳴を上げようとして、


「しーっ、静かに。声を出さないで」


 エテルナの耳元に届いたのは、覚えのある声だった。


「ハロルド……!? なんで」

「それはこちらの台詞なんですけど。まあ、いいです。今は静かに」


 呆れ果てた声音を押さえて、ハロルドは口元に人差し指を立てる。

 状況は全く把握できないが、それが賢明な行動だとすぐに理解したエテルナは、未だハロルドに口を塞がれながらもこくりと頷く。


 幸い、男たちはこちらに気づくこともなく、互いの交換を終えると、どちらからともなく路地に消えて行った。

 「いいの?」とハロルドを見れば、彼は首を横に振ったので、深追いはしないつもりらしい。


「ハロルド! 今の何!? もしかして、ヤバい取引現場!?」


「その前に。どうして貴女がここにいるんですか。まさか迷子とか言いませんよね?」


「迷子じゃないわよ。……さっきの男と街でぶつかって、なんか怪しかったから追いかけてきただけ」


「怪しかったからって……。はぁ、なるほど。エテルナさんは想像以上にバカ……いえ、世間知らずなんですねぇ」


「バカって言ったのちゃんと聞こえてるわよ」


 エテルナは口を尖らせたものの、自分が面倒な事に首を突っ込んでしまった自覚はあるのか、いつもよりおとなしい反論だった。

 ハロルドの方はやや本気で呆れ顔をしている。


「……まあ、見てしまったのなら仕方ありません。今の件、ブランダルク派の人間が、派閥の錬金術書を違法に持ち出して別の派閥に売り捌いている現場です」


「それって横領ってこと!?」


「そうです。……もしかしたら、ブランダルク派の錬金術書だけではないかもしれませんが」


 ハロルドは眼鏡を持ち上げながら、一旦そこで言葉を切ると、


「彼らには、確たる証拠を見つけ、確たる罰を下します。気は乗りませんが、身内の尻拭いも仕事のうちですから」


 珍しく渋い顔をしつつも、そう言って肩を竦めた。


「まさか、内部で揉み消すつもりじゃ───」

「ちゃんと警察に突き出しますよ。そこまで黒いことはしません。私、黒寄りのグレーなだけで黒ではないので」


 それ、もう黒じゃないの? とエテルナは思ったが、どうせ言ってもうまく流されるのでわざわざ言わないでおく。


「……まあ、騒ぎが大きくなると面倒なのでその辺りの根回しはしますけどね」

「え」

「何でもありませんよ」


 独り言を笑顔でかき消して、ハロルドは咳払いをひとつ。


「それで、エテルナさん。本来貴女はうちの問題に全く無関係なのですが。他言無用は当然として、しかし、この醜態を見てしまったのなら仕方ありません」


 え、と後ずさるエテルナの肩に、ハロルドの手がかかる。得もいわれぬ重圧がエテルナを襲い、その場から動くことができない。


「エテルナさん。貴女にも手伝って頂きますよ?」


 にっこりと笑うハロルドに、エテルナは引きつった笑みを返すことしかできなかった。





 あれよあれよと言ううちに、すっかりブランダルク派の内部問題に巻き込まれてしまったエテルナは、数日後、ハロルドに引き摺られて裏通りに訪れていた。

 暗い路地の奥に、チカチカと明滅するネオン看板が見える。たむろしている連中はいかにも柄の悪そうな顔つきの奴らばかりだ。


「なんでこんなことに……」

「軽はずみな行動をとった自分を恨むことですね」

「うう」


 そう言われてはぐうの音も出ない。

 しかし、現役の錬金術士が貴重な錬金術書を売り捌くなんて行為を黙認できないのもまたエテルナのサガだった。ハロルドに無理やり付き合われた流れにはなったものの、頼まれなくても首を突っ込んでいた可能性の方がむしろ高い。


(まさかとは思うけど、そうなるとわかってて私を巻き込んだのかしら……)


 下手に首を突っ込まれるより側において御した方が面倒事が少ない。確かに。……うん、あのハロルドなら考えそうだ。


(なんか複雑……)


 理解されているのが良いことなのか悪いことなのかどちらとも言えなくて、エテルナはこっそりハロルドを睨む。


「文句なら後で聞いて差し上げますが喧嘩は買いませんよ、無駄なので」


 手帳から目線も上げずにハロルドは言って、


「このバーが奴らの拠点です。今なら幹部級も揃っているはず。どうせなら全部まとめて一網打尽にしてくれましょう」


 ハロルドの眼鏡がギラリと光って見えたのは、エテルナの気のせいではないだろう。


「私はどうしたらいい?」


「私の合図で派閥の錬金術士たちや警察が一斉に踏み込む手筈になっています。しかし、相手は腐っても錬金術士。どれだけ包囲網を固めたとしても、逃げられる可能性はある」


 いつのまにか自分達以外の準備もしっかり整えているハロルドに舌を巻く。さすがというか、味方だとこれほど心強い人はいないだろう。


「ですから、万一の場合は、貴女のお得意の縄やらタルやらで逃亡者を捕まえてください」 


「わかったわ、任せなさい」


「ただし、相手には裏社会の人間も混ざっています。危険なのは変わりありません。派閥外の人間に怪我を負わせたとなると我々の外聞も悪くなるので、私の側から離れないでください。貴女のことは私が守ります」


 格好良い台詞なのに、建前が正直すぎて残念極まりない。


「せいぜい頑張って私を守ってよね?」

「お転婆はほどほどにしてくださいよ?」


 挑発的な笑顔で応酬して。

 作戦が幕を上げる。





 ハロルドの合図で警察が突入し、続いてブランダルク派の錬金術士に混ざってエテルナも現場に向かった。

 一階にいた裏社会の人間たちを警察に任せ、エテルナとハロルドは例の密売人を探す。居場所はハロルドの事前調査で明らかだったため、二人は真っ直ぐバーの二階へと向かった。


 二階は最低限の家具が並んでいるだけの簡素な部屋だった。従業員の控え室になっているのだろう。

 目的の男はハロルドを見た途端、全てを察したのかすぐに逃げ出した。もちろん、そんなことを許す準備はしていない。


「問答無用!」

「ぐあっ!」


 エテルナお得意の動く縄が男を捕らえた。

 蛇のように蠢く縄は、暴れたとてそう簡単に解けはしない。


「ここが年貢の納め時です。観念しなさい」

「クソッ……!」

「まだいくつか錬金術書を持ってますね? どこです」

「……」

「だんまりですか。まあ大体見当はついてますけど」


 質問をしたくせに、ハロルドは迷う素振りもなく男の座っていたテーブル横の棚を物色し始めた。そして、中からいくつか本を取り上げる。


「さて、探し物も見つかりましたし、とっとと警察に突き出しちゃいましょうかね」


 同胞にもさらりと笑ってのたまうところが彼らしくて惨い。

 本来ならその本も勝手に持ち帰ってはいけない気もするが、言っても無駄だろう。


「……っ、なんなんだよ……お前も、お前も!俺の邪魔をするんじゃねぇ!」


 ぐるぐる巻きで地面に倒れた男がもがくように叫ぶ。


「……こんなことしてどうするのよ。あなただって錬金術士でしょ」

「うるせぇ! A級……お前に何がわかる!天才のお前に!」


 恨めしい目。

 向こうはエテルナのことも知っているらしい。


「お前みたいに挫折も苦労もせず簡単になんでもできりゃ人生楽だよなぁ! こっちは必死に地べた這いずって、こんなことでもしなきゃ生きていけねぇってのに!!」


「ふざけないで。自分の不甲斐なさを言い訳にして罪を正当化しないでよ。どうであれあなたは罪を犯した、錬金術士としてやってはいけないことをしたのよ。諦めたのも罪を犯したのも、選んだのは全部あなた自身じゃない!」


「く……っ」


「それに、私は天才なんかじゃない。挫折? 苦労? そんなのめちゃくちゃしたわよ。おいそれと話せないくらいには何度も落ち込んで、何度も泣いて、何度も諦めたくなって! でも───それでも諦められなかったから! 毎日寝る間も惜しんで努力して、必死に勉強して、やっとの思いでここまできたのよ!」


 エテルナの声が昂る。

 みんなが言う。自分を天才だと。でも、それは違う。突然スターのように現れたから、そう見えているだけだ。シンデレラストーリーなんて綺麗事で片づけられたくない。どれだけ努力してきたのか、知りもしないくせに勝手に嫉妬だ憧憬だ期待だ責任だと押し付けられてもいい迷惑だ。


「環境も、状況も、才能も、平等じゃないけど、でも自分がどうするかは自分で決めるしかない。あなたは諦めたかもしれないけど、私は諦められなかった! それだけよ!」


「───」


 言葉は強さに満ちていた。

 何度も何度も挫折して、諦めようとした先で、それでも諦められずに這い上がってきた彼女の強さが滲んでいた。彼女の決意が溢れていた。

 男は何も言えずに唇を噛んでいる。

 ハロルドも同じだった。改めてエテルナの想いの強さを知って、言葉を失う。


「……罪を償って。それでもまだ錬金術が好きなら、這い上がってきなさいよ。簡単じゃないかもしれないけど、それもあなたが選んだ道の果てだから」


「……っ」


 罪を償ったとしても、犯した罪は無くならない。それでも諦められないのなら、這いずってでも進むしかない。

 慰めでも励ましでもない。

 救済でも慈愛でもない。

 結局、自分が選んだ未来を受け取るだけだと。誰のせいでもなく、正当化するでもなく、そうする他ないのだと。

 エテルナはただ、告げていた。


「───エテルナさん!!」

「!?」


 突然、押し除けるようにして、ハロルドがエテルナの側に飛び込んできた。

 刃物が空中を滑って反射し、キィン!と金属音が響く。


「ハロルド!?」

「大丈夫です、下がってください」


 どうやら、まだ他の錬金術士がいたようだ。

 階下の騒ぎに乗じて二階に逃げ込んで来たのか、あるいはタイミングを見計らっていたのか───子細は不明だが、男の手には刃渡り10cmほどのナイフが握られている。


「配置は完璧に把握していたつもりなんですけどね」

「全て思い通りにいくわけないだろ? 経営顧問サマよ」


 ニヤリとほくそ笑んだ男は、ナイフを構える。照準はハロルドと、彼の後ろに庇われたエテルナ。

 相手は錬金術士だ。ナイフ以外にも何かしら錬金道具を所持している可能性が高い。


「縄でも出すかい? それとも、ホウキ? タル? 何でも来いよ」


「ここで暴れるのはあまり良策ではありませんよ。下はもう警察に制圧されているでしょう?」


「ここまできたらやぶれかぶれだ。せっかくブランダルク派に潜り込んだのに、ろくに儲けも得られねぇままお縄とはな。こうなりゃド派手に散ってやるよ」


「な───」


 男はジャケットの内ポケットに手を差し込み、何かを取り出す。ダイナマイトのような細長い筒を、三、四本。

 本物かはわからない。もしかしたら特殊効果の付与された錬金道具かもしれない。

 息を飲むハロルドの後ろで、エテルナはウエストポーチに手を伸ばし、


「いい加減にしなさいよ……」


 つぶやく。


「罪の意識どころか、錬金術士としてのプライドも残ってないのね」


「はぁ? そんなもん何になるんだよ。金にも腹の足しにもならねぇだろうが!」


「あぁ、そう」


「エテルナさん、挑発するのはあまり───」


「もう頭きた」


 エテルナがウエストポーチから取り出したのは、球状の物体。テニスボールくらいだったそれは、次の瞬間、突然バスケットボール大に膨れ上がった。

 先端には、導火線がついている。

 ひょっとしなくても、火薬だった。爆薬とも言う。


「ちょっ!? エテルナさんっ!?」


「な、なんだその特大ボム!? お前わかってんのか!? 俺のダイナマイトも合わせてそんなもん───」


「問・答・無・用!!」


 困惑するその場をスルーして、エテルナが火薬に火をつける。

 じゅぼ、と音がして導火線が赤く尾を引いていく。


「待───!!」


「受けてみなさい、師匠直伝! 特大エクスプロージョン!! てぇりゃあああああああああああああああああああぁ!!!!」


 誰の制止も聞かずに、エテルナは大きく振りかぶって、バスケットボール級の火薬を高く放り投げた。

 まるでスローモーションのように、エテルナを除くその場全員の顔面が見開き、悲鳴ともつかない声が上がり、見計らったようなタイミングで導火線が爆薬の根本に到着し、


 全員、一斉に身を屈ませる。

 そして、


 どおおおおおぉおぉぉぉぉん!!!!


 爆音と共に、爆風が辺り一面を吹き飛ばした。


 最低限しかなかった机や家具が部屋の隅まで押しやられ、男たち共々エテルナやハロルドも中空へダイビング。

 しかして、降ってきたのは───大量の紙吹雪。


「なん───!?」


 降るというより出る、というほうが正しいかもしれない。どう考えても爆薬のサイズ以上の紙吹雪が雪崩落ちるように溢れ出て、空中に放り投げられたエテルナたちを飲み込んでいく。

 部屋の1/3が紙吹雪で埋まったところで、雪崩はようやく収まりを見せた。


「んー……ちょっと分量間違えたかしら」


「コホッゴホ! やり過ぎですよ、エテルナさん」


 すぐ近くで、足だけ飛び出ていたハロルドが何とか生き埋めを回避して立ち上がる。

 見渡すと、縄にくるまれた男もナイフを持った男も、紙吹雪に埋もれて動けないようだった。

 建物自体や家具は壊れていないため、破壊力はほとんどないようだ。が、紙吹雪で埋もれた内装は掃除する気にならないほど無惨な姿と化している。


「私だって最終手段を使うつもりはなかったけど……あいつら全然話聞かないし……」


 その紙吹雪に8割埋れながら、エテルナは言い訳を並べた。ちょっと思っていたより紙吹雪の量が多かったかもしれない。次に錬成する時は調整した方が良さそうだ。


「で、これは一体なんなんですか」

「特大くす玉風爆弾」

「内装吹っ飛ばすくす玉なんて見たことないですけど」

「特製だからね」


 やれやれと溜息まじりに苦笑しながら、ハロルドは紙吹雪に飲み込まれているエテルナに手を差し出す。

 エテルナが躊躇いつつその手を取ると、グッと引っ張り上げられ、無事、紙吹雪の海から救出された。


「あとは警官がやってくれるでしょう」

「これで終わったの?」

「一応は。まあ事後処理は私の領分ですから」

「事後処理って?」

「それはまあ……」


 にこりとハロルドの顔が歪んだので、エテルナは慌てて続きを制止した。

 ここから先は聞かない方がいい、あえてグレーを塗り潰す方法を聞く必要はないと思う。


 捕まえた男たちを警官に任せて、二人は紙吹雪まみれになったバーを出た。

 今なお警官たちは慌ただしく行き交っていたが、事態の収拾はほぼついているようだった。

 紙吹雪の山を見て引きつった顔をしていた警官たちには、申し訳なかったとエテルナは少し反省した。


 二人は邪魔にならないよう、現場から少し距離を取る。


「よかった、事件は一件落着みたいね」


「おかげさまで。後ほど事情聴取くらいはあるかもしれませんが、大物を捕らえられたので警官もそう悪い態度は取らないと思いますよ」


 大物。どうやら密売人は思った以上にその界隈の有名人と繋がっていたらしい。

 無事で本当に良かったとエテルナは内心ホッとする。


「とんでもない目に遭ったけど、解決してよかったわ。錬金術書も無事みたいだし」


「ええ。さすがに全てとはいきませんでしたが、大方は回収済みです。……ああ、そうだ」


 思い出したようにハロルドが何かを取り出す。


「これは貴女に差し上げますよ」


「え……!?」


 そう言ってハロルドが差し出したのは、焦茶色の薄汚れた本だった。ハードカバーの表紙には、錬金術書の記載がある。

 思わず本を開いてみると、見たこともないような錬成方法が図解付きでびっしりと書き込まれていた。古いが間違いなく超レアもの。しかも、もしかすると初版かもしれない。


「こ、こ、これ……」


「ああ、もちろんこれは正規ルートで手にしたものですからご安心を」


「い、いいえ、ま、待って……でもこれ、歴史的価値のあるくらい貴重な錬金術書じゃ……初版なんてまずあり得ないし……値段なんて想像もつかない……えぇ……」


「本物であることは保証しますよ。金額まではわかりませんが……試算しましょうか?」


「いい!! 聞かなくていい、むしろ聞きたくない……! っていうか、こんな希少なもの本当にもらっていいの……!? ハッ!? さてはまたなにか企んでるの!? 何が望みよ!?」


「信用ないですねぇ……。今回は内輪揉めの失態に貴女を巻き込んだようなものですから。命の危険もある中、貴女は期待通り大活躍してくださいましたし。私からのお礼とお詫びの気持ちです」


「……」


 うさんくさい表情はいつもと変わらなかったけれど、今の言葉はエテルナの心にスッと入ってきた。だから、素直に本心だと受け取ることにする。


「その……ありがとう。大事にするわ」


 ぎゅっと本を抱きしめて恥ずかしそうにエテルナが礼を言うと、一度ぱちりと目を瞬かせてからハロルドは「はい」と笑った。

 その微笑みは純粋なものに見えて、いつもそんな風に笑えばいいのにとエテルナは思う。


「って……ちょっとあなた、血が出てるじゃない!?」


 ふと、ハロルドのジャケットの袖口からぽたりと雫が落ちたのが見えて、エテルナは狼狽えた。

 地面に落ちたそれは、赤黒い斑点を作っている。


「……もしかして私を庇った時の?」


「ええ、まあ。ですが、さほどたいした傷じゃありません。治療費など請求したりはしませんので、ご安心を」


「バカなの!? そういう話じゃないわよ!」


 なんで平気な顔をしてるのよと、エテルナは無理やりハロルドのジャケットを脱がして、シャツを捲り上げる。

 白いシャツをじわりと濡らしている血の色に、何だかエテルナの血の気が引くようだった。


「とにかく応急処置だけでも……警官にお願いしたらいいかしら。でもそれなら病院に行く方が早いかも……」


「心配されなくても後ほど病院にはちゃんと行きますよ。見た目ほど深い傷じゃありませんし、血も大体止まってますから」


「後ほどじゃなくて今すぐ行って!!」


 ぴしゃりと言い放つエテルナの剣幕に、さすがのハロルドも困惑している。

 彼の言う通り、怪我の具合は緊急性のあるものではない。このあと予定している病院はツテのあるところなので、処置も早いだろう。そもそも応急処置くらいなら自分でもできる。

 しかし、エテルナは、そんなハロルドの計画的余裕が全く納得できないらしい。

 ハロルドの怪我をしていない方の手首をがっちりと掴むと、エテルナは歩き出す。


「行くわよ!」


「は!? あの、エテルナさん、どこへ?」


「決まってるでしょ!? 病院よ!」





 ハロルドの言い分を完全スルーして、エテルナはハロルドを病院に連れ込んだ。

 彼の行きつけの病院とやらが近くにあったため、話を通して処置室に押し込み、自分は監視よろしく待合室で処置が終わるのを待った。

 20分ほどして処置室から出てきたハロルドは、手首から肘にかけて包帯を巻かれた姿だった。


「まったく……エテルナさんって本当じゃじゃ馬というか……人の話くらい聞いてくださいよ」


「う、うるさいわね。とにかく無事治療が済んでよかったわ」


「だから大したことないって言ったのに」


「何針も縫ったのに大したことあるでしょ!?」


 自分の事なのに飄々としているハロルドと、他人事なのに何故か必死になっているエテルナと。

 病院を出て奇妙なやり取りをしながら、二人は街を歩いていた。


「まさか、こんなの日常茶飯事とか言わないでしょうね」


「日常とは言いませんが、時々ありますかね。この間は脇腹刺されそうになりましたし」


「そんなサラッという話じゃないわよ……。あなたの普段の行動に問題があるからじゃないの?」


「これも仕事ですので。ちゃんと護身術は使えますよ。脇腹も回避できましたから」


「はあ……」


 怪我をするのには慣れているということなのだろうか。

 陰口や悪口は多いが、物理的に攻撃対象にされたことのないエテルナにはよくわからない。


「なんにせよ、あなたが無事でよかったわ」


 ほうと胸を撫で下ろすエテルナを見て、ハロルドは一度きょとんとしてからニヤリと笑う。


「おやおや、そんなに私のことを心配してくださったんですか? それはそれは」


「な、なによ、ニヤニヤしないで。怪我人を心配するのは当たり前でしょ。あなただからじゃないわ」


 それに、とエテルナは手元の本を見ながら付け加えて。立ち止まる。


「…………この本、やっぱり返すわ」


「え?」


「私のせいで怪我させたのに、貴重な錬金術書まで貰ったんじゃ釣り合わないわよ」


 そう言うと、報酬としてもらったはずの焦茶色の錬金術書をハロルドの胸元に押しつける。


「はあ。貴女こそ、危険な事件に巻き込まれたんですから、それくらい遠慮せずもらっておけば良いのでは」


「私の気が済まないのよ。あなたに貸しをつくりたくもないし」


「強情ですねぇ。まあ、エテルナさんらしいといえばらしいですが」


 ハロルドは肩をすくめて見せると、


「では償いに勧誘の件、受けてくれます?」


「それとこれとは話が別よ」


「ですよねぇ」


 予測していたとはいえバッサリと即答され、苦笑いして首を振る。

 錬金術書をエテルナに押し返しながら、ハロルドは言う。


「それではこうしましょう。その錬金術書は貴女が持ち帰ってください。代わりに貴女は私に最高級の傷薬を作ってください」


「へ……」


「できますよね? A級錬金術士殿?」


「も、もちろんよ!」


 眼鏡を押し上げて挑発する瞳が笑う。

 思わぬ条件に驚きつつも、そう言われては受けて立つほかエテルナのプライドが許さない。


「首を洗って待ってなさい! 医者もびっくりするくらい、最高級のモノ作ってあげるから!!」


 人差し指を突きつけて、堂々たる宣戦布告。

 さきほどのしおらしさなどとうに吹き飛んだ凛々しさで一方的にそう宣言して、エテルナは早足で去っていく。工房に戻って早速取り掛かるつもりだろう。

 残されたハロルドはその勇ましい後ろ姿を見てプッと吹き出す。


「やれやれ……本当にどこまでもまっすぐな人だ。あれでは世の中生きにくいだろうに。まあ、扱いやすくて楽ですけど」


 いや、じゃじゃ馬過ぎてままならないところもあるか。まだまだ手綱を握り切れないな、とハロルドは思い直しながら、くすくすとこらえきれない笑いに身を揺らす。


「さて、お手並み拝見といきましょうか」


 最後にそう呟いたハロルドの声音は、どこか楽しそうに人混みに溶けていった。






 ハロルドと傷薬の取引をしてから。

 エテルナが望まずともしょっちゅう顔を出していたハロルドは、しかし一向に工房に訪れる様子はなく───彼が工房にやってきたのは、二週間経った頃だった。


「遅い!!」


 いつも通りドアベルを聞きつけて、玄関を開けるなり。不機嫌そうなエテルナが腕組みしてハロルドを待っていた。


「例の事件の事後処理を中心にバタバタしていて……来るのが遅くなってすいません。……もしかして、私が来るのを待っていたんですか?」


「!!!!」


 ハロルドの一言にかぁっとエテルナの顔が赤くなる。


「違っ……べ、別にそんなんじゃないわよ! ただ、本当にいい薬ができたから早く試したかっただけで……!! な、なによ、ニヤニヤして! むかつくわね」


「いえいえ。そんなに早く私に会いたかったのならそう言ってくだされば良かったのに。こんなに可愛いらしいエテルナさんが見れるなら、仕事なんてどうとでもしましたよ?」


「はいはい、そういうのいいから! とにかく! はいこれ! 私が全身全霊で作った最高傑作よ!」


 にこにこと生温かい眼差しを向けられ、居た堪れなくなって、エテルナは傷薬の瓶をハロルドに突き出す。

 ハロルドはそれを受け取ることはせずに、


「では、はい」


「?」


 エテルナの前に手が差し出された。

 エテルナは首を傾げる。


「塗ってくださいませんか」


「は……は!? 私が!?」


「もちろん」


「ま、待って、さすがに医者じゃないんだから患部は見れないわよ!?」


「傷はもう塞がってますから。今も私が自分で毎晩塗っているので」


「で、でも……!!」


「塗るまでが仕事ですよ? エテルナさん」


 にこにこにこにこ、と。

 圧力さえ感じる笑顔がエテルナに迫る。

 いつもなら一刀両断して追い返すのに、今回は自分が怪我をさせた負い目もある。

 そう言われたら。


「わ、わかったわよ……」


 しかたない。もうそれくらいしか返せるものはない。

 エテルナは観念して、ハロルドを自室に招いた。





 エテルナの自室は、工房兼寝室である。

 正直、あまり広いとは言えないので、錬金術の作業スペースの端に椅子を二つ並べ、エテルナとハロルドは向かい合って座った。

 自分で作った傷薬を少量手にとり、エテルナはハロルドの手首をそっと支える。

 包帯の取れた傷口は、確かに塞がってはいるものの、まだ痛々しい痕が残っていた。

 エテルナは深呼吸をひとつ。


「い、いくわよ?」


「はい、どうぞ」


「…………」


「手が震えてますよ」


「う、うるさいわね、今集中してるんだからちょっと黙ってて」


 優しく、とても優しく。傷痕をなぞるように、エテルナの指がハロルドの腕を滑る。

 緊張しているのか、やはり手が微かに震えている。


「ふふ」


「な、なにがおかしいのよ」


「いえ。エテルナさん、いつも強気なのにこういうのは苦手なんですねぇ」


「に、苦手ってわけじゃないわよ! ……あなたは怖くないの? 人に傷触られるの」


「まあ、人によりますかね。エテルナさんは大丈夫ですよ。信頼してますので」


「……私はあなたに触られるの怖いから言ってるんだけど」


「なるほど、片想いでしたかー」


 わざとらしい苦笑に視線で突っ込んで、エテルナは傷薬を塗り進めていく。

 分類的には軽傷の範囲だし、本人も大したことはないと言うが、エテルナには何針も縫う怪我を軽んじることはできなかった。巻き込まれたのはハロルドのせいだが、首を突っ込んだのは自分だし、まして自分を庇ってできた怪我だ。


「……よし、ひとまずこれでいいでしょ」


 そう言って処置を終わらせて、───エテルナはハロルドの手を両手で包み込む。


「エテルナさん?」


「……ごめんなさい」


 弱々しい声だった。


「あなたに怪我をさせるつもりじゃなかった」


 俯いてハロルドの手を包むエテルナは、今まで見たこともないような悲痛な顔をしていたから、ハロルドは言いかけた軽口を飲み込む。


「あなたはむかつくし、勧誘にも絶対乗らない。でも、怪我をして欲しい人じゃない」


「……」


「この薬、あなたの怪我が早く治るようにって、それだけを願って作ったわ。本当によくできたの。最高傑作よ。だから、これを使って早く治って。……でなきゃ、いつもみたいに家から追い出せないじゃない」


 どこかつっけんどんに、でも傷むように言って、エテルナはハロルドに傷薬の瓶を差し出す。

 逸らした瞳はハロルドを映さない。けれどそれが照れ隠しであることは、赤らんだ頬が証明している。

 肌に触れた指先の優しさも。傷薬に込められた慈しみも。不器用な言葉から滲み出る思いやりも。愛らしい照れた横顔も。

 見たこともないエテルナの表情をいくつも目の当たりにして、ハロルドはほんの少しだけ戸惑い、驚き、心に不思議な波を感じながら───ふっと柔らかく微笑んで、瓶を受け取った。


「……わかりました。では傷が治った頃、また貴女に会いにきます」


「ええ。その時はまた追い返すけどね」


「そうならないよう対策してきますとも」


 いつものやりとり。けれどいつもよりずっと、柔らかく穏やかなやりとりだった。

 雑談もほどほどに、まだ仕事が残っているというハロルドをエテルナは玄関先まで見送る。


「エテルナさん」


「なに」


「ありがとうございます」


「───」


 別れ際にそう言ったハロルドの声は、今まででいちばん優しかった。その笑顔も。


「ど、どういたしまして」


 不覚にも照れてしまったエテルナが、そう答えて、二人は別れた。

 何度もここで追い返したはずのハロルドを、今日は最後まで見送って。

 心がとくんと音を立てたのは、きっと慣れないことをしたせいだろう。

 この日、エテルナが玄関に塩を撒くことはなかった。







 エテルナの傷薬は、それはもう驚くほどの効き目を発揮した。

 彼女が最高傑作と豪語するだけある。A級錬金術士の実力というものを、ハロルドは改めて思い知った。


(運と才能に恵まれただけの子供だと思っていましたが……)


 その評価は錬金術界では一般的なものだった。無名から一躍スーパースターになった齢18のA級錬金術士。

 けれど、ハロルドも彼女の錬金術を実際に目の当たりにするのはこれが初めてだった。


 事件の時。自分がどれだけ挫折したか。どれだけ努力したか。彼女自身が語っていた。その苦悩を、苦痛を、彼女の口から聞いた今となっては、その評価は正しくはないとわかる。


(エテルナ・フランシェードか)


 彼女をからかう延長で傷薬を塗ってと言ったら、それはもう丁寧に、心を込めて塗ってくれるものだから、自分の方が戸惑ってしまった。

 大したことのない怪我だと言っても有無を言わさず心配して、怪我をさせたことを心から詫びて、心を痛めて。

 彼女が触れた感触が、まだ肌に残っているような気がする。壊れ物に触れるような、たどたどしくて、でも温かい指。


(じゃじゃ馬で、気丈で。からかったらすぐ赤くなって攻撃してくるし、……なのに、あんな顔されてはね)


 思い出すだけで心の奥がさわさわと波打つ。嫌な感じはしない。むしろ、尊く心地良いとすら感じる。

 出会った頃にはなかったものだ。


 いずれにせよ、エテルナのお陰で傷口はほとんど塞がった。痕がほんの少し見えるくらいだ。どこまでを完治というべきなのか少し迷うが、まあ治ったことでいいだろうと結論づける。


 怪我が治ったら彼女に会いに行く。

 そんな無邪気な約束を、しっかり覚えている自分に、不思議な気持ちになる。それでも何故か、足が向いてしまう。


 今考えている内容を話したら、どんな顔をするだろうか。きっと、鳩が豆鉄砲を食らったようなおかしな顔をするのだろう。その様がありありと浮かんで、ハロルドはくすりと吹き出してしまった。






「エテルナさん、私とデートしてください」


 開口一番、そんなことを言うものだから、エテルナは鳩が豆鉄砲でも食らったかのように絶句していた。


 数日ぶりにハロルドが訪ねてきて、怪我の具合はどうかと尋ねようとしたエテルナに先駆けて、彼がそんなことを言い放ったのだ。

 三秒ほど固まったところで、ハロルドが堪えきれず吹き出し、お腹を抱えて笑い始めたので、エテルナは「意味わかんないんだけど!? またからかったわけ!?」と真っ赤になって怒り心頭。


「いやぁ、エテルナさん期待通りの反応ありがとうございます」


「期待に応えたつもりはないんだけど!? 突然意味のわからない冗談言わないでくれる!?」


 笑いを噛み殺すハロルドにエテルナはイライラを露わにするが、ハロルドは「いやいや」と首を振った。


「冗談じゃありませんよ。今日は本当にエテルナさんをデートに誘いに来たんです」


「あのねぇ、何回も同じ手が通用するわけないでしょ。籠絡しようったってそうはいかないわ」


「うーん、今日は純粋な好意なんですけど。お礼もしたいですから」


「何のお礼よ」


「とてもよく効く傷薬の、です」


「傷薬は錬金術書の見返りでしょ。もう、そういうのいいから。で、怪我はもう治ったの?」


「ええ。少し痕は残っていますが。これもすぐ消えるでしょう」


「そう。それならよかった」


 そう言って胸を撫で下ろすエテルナが、心の底から怪我の快復を喜んでいることは、ハロルドにももうわかっている。


「じゃ、もうあなたを追い返してもいいわね。ほら、さっさと帰って」


「掌返すの早すぎません?」


 と、しかし、いつもの振る舞いに戻ったエテルナは、嫌なものを遠ざけるようにしっしっと手を振る。


「はあ。なんというか。わかってましたけど。エテルナさんって本当……単純なのにじゃじゃ馬というか。色気がないというか」


「この期に及んで悪口!? そもそもあなたがそういう汚い手を使うからでしょ!? 信用されなくて当然だと思うけど!」


「まあ確かに。それは正論ですね」


 エテルナの反論をハロルドは素直に認めたので、エテルナは「ほら!」と追撃をする。

 ───瞬間。ハロルドはふわりとエテルナの手を取ると、距離を縮めて。


「今日は仕事じゃありません。私が貴女とデートをしたくて、貴女を誘いに来たんです」


 柔らかくて甘い声が、エテルナの耳と心をくすぐる。

 触れた手から熱が広がって、どくんと心臓が跳ねた───のは、きっと気のせいだ。


「そ、その手には乗らな……」


「新しくできた大人気のパンケーキのお店、行きたくありません?」


 文字通りの甘言に、とびきり心が突き動かされたのは言うまでもない。




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