表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

夏ホラー参加作品

それがあなたの幸せならば

作者: 調彩雨

冒頭にグロテスクな描写が存在します

苦手な方はご注意下さい


不快に感じる方がいらっしゃるであろう内容を書いております

なにかしら地雷をお持ちの方は読まずにブラウザバックを

推奨致します

 

 

 

「や、やめて…」

 

 目を見開きかたかたと震える女の首に、握った大振りのナイフを振り下ろす。

 どんっと手応えがあり、真っ赤な噴水が立ち上がった。

 

 女の腿の上に跨がり、降り注ぐ生臭い水を浴びながら、ぐちゃぐちゃと女の腹にナイフを突き立てる。繰り返し、繰り返し。

 

 掌に伝わる肉を叩く感触が心地好い。ふと思い付いて抉り取った眼球を、飴玉のように頬張った。舌の上で転がすには、少し大き過ぎるか。

 

 硬いようで柔らかい独特の食感は、なかなか悪くない。

 

 たまたま通り掛かったのか、横から耳障りな悲鳴が響いた。なにかが地面に打ち付けられる音。

 見れば、丸々と太った中年女が尻餅を突いていた。

 

「ひぃっ」

 

 震え上がった中年女の下に、水溜まりが出来た。

 

 邪魔しやがって。

 

 口の中で眼球をころりと転がし、立ち上がる。

 

 もう少し女の腹の感触を楽しんでいたかったが、悲鳴を聞き付けて警邏けいらが来るのはうざったい。

 擦れ違い様、中年女の醜悪な顔にナイフを埋め込んで、俺は夜の闇に紛れ込んだ。

 

 

 

 女を殺すことに、大した意味なんかない。と、言いたいところだが、たぶん周囲はそう思っていないだろう。俺は指定された女を殺すことで、金を貰ってるから。

 

 だが、別に金なんか貰えなくても俺は女を殺す。金が欲しくて殺してるわけじゃないからだ。いや、むしろ、殺したくて殺してるわけじゃないとすら言えるかもしれない。

 俺はただ、刺したいだけだから。ヒトの身体を、めちゃくちゃに刺しまくりたいだけ。刺したら死ぬから結果的に殺したことになってるだけだし、女の腹が刺し心地が良いから女を選んで殺してるだけだ。

 

 俺は言わば、さくらんぼの果樹園の蜜蜂みたいなもの。果樹園の主は受粉を望んで俺を飼うが、俺は蜜が欲しいから飛び回ってるだけで、受粉させたくて飛び回ってるわけじゃない。

 受粉させたことに喜んでるのは、果樹園主の勝手だ。

 

 それで金をくれるって言うから、指定された奴を殺して金を貰ってるだけ。

 

 切り裂きジャック。いつしか俺は、そんな過去のシリアルキラーの通り名を借りて呼ばれるようになった。

 憎いやつが死んでも、切り裂きジャックの犯行だと判断されれば疑われない。依頼人からしてみれば、都合の良い話なんだろう。

 表向きは、俺が身体を売って金を貰ってることになってるし、もし俺が捕まっても組織は知らぬ存ぜぬで通せば良い。そのために、金の受け渡しもターゲットの指定も、毎回違ったやつが伝えに来るしな。

 

 

 

「ひとを殺すの、楽しい?」

 

 その男は、変わったやつだった。

 金の受け渡しに来たやつとは建前上連れ立ってラブホに入りはするのだが、いつものやつらは俺と必要最低限以上の会話をしたりしない。適当に時間潰して、それらしくベッドを荒らして、あとは事務的な話だけだ。

 たぶんそれが決まりなんだろうし、そもそもシリアルキラーと話し込みたくもないんだろう。

 

 だと言うのに、その男は馴れ馴れしく俺に話し掛けて来た。

 にこにこと名を(偽名だろうが)名乗り、握手を求め、腰を抱いてラブホに向かい、部屋に入ってからもなにかと話し掛けて来た。

 挙げ句、この質問である。

 

 度胸があるのか、単なる馬鹿か。

 

「…殺すのは、べつに」

「いろいろニュースになってんじゃん。なんか思ったりしないの?」

「なんかって」

「んー?恐いとか、快感とか」

 

 男が挙げたのは、まるで逆のようで似通った例示だった。恐怖に快感を覚える者も居るし、過ぎた快感に恐怖する者も居る。

 

 言われて、連日の報道を思い出す。

 が、あまり詳しく覚えていなかった。そもそも、ニュースなんて天気の確認くらいでしか見ない。

 

 報道に、なにか思ったこと…?

 

「……ああ」

「ん?なになに?」

「ターゲットが防犯とか言って出歩かなくなるのは、面倒だ」

 

 頭の片隅で思ったことを思い出して、口にする。

 

 大量殺人の報道により、夜間無防備に出歩く女が激減した。出て来ないならこちらから行くから良いのだが、手間が増えて面倒だ。だから、

 

「余計なことしやがって、と思った。活動拠点、変えるかな」

 

 この州では防犯意識がかなり高くなってしまったが、州を移ればまだまだ平和ボケしてるかもしれない。いっそ、国を変えるのもアリか。

 

 男はぽかんと俺を見たあとで、苦笑した。

 

「拠点替えなら、前以てウチに連絡してね。支部に連絡するし、巣穴とか用意出来るからさ」

 

 他州にもまたがる組織だったのかとぼんやり思いながら頷いた。

 

 男がころんと仰向けでベッドに転がり、そのまま顔だけ上げて俺を見た。

 

「でも、じゃあ、なんで殺すの?」

「べつに殺したくて殺してるわけじゃない。ただ、」

「ただ?」

「…悲鳴が煩いから」

 

 きょとん、と目をまたたいて、男が首を傾げる。

 

「悲鳴?」

「ああ」

 

 投げ出された男の太腿に乗り上げ、無防備に晒された腹を指先で撫で下ろした。腿も腹も硬い。ああ、でも、たまには鍛え上げられた肉を刺すのも良いかもしれない。

 

「腹をさ、刺すんだよ」

 

 口の端が吊り上がるのが、自分でもわかった。ぺろりと、唇に舌を走らせる。

 

「ほかの所だと骨が邪魔だけど、腹だったら肉だけ刺せるだろ?柔らかい肉にナイフを突き刺すんだ。最初はそうでもないんだけど、だんだんぐちゃぐちゃになってきて、湿った肉をナイフが叩く水音と、肉を突き刺す手応えが、ひどく心地良いんだよ」

 

 掌全体で、男の腹を撫でる。ごつごつとした筋肉が、掌に弾力を伝えた。

 

 ああ、この腹をナイフで突き刺したら、どんな感触がするのだろう。

 

「でも、悲鳴を上げられると煩いし、邪魔が来るだろう?だからまず、叫べないように喉を潰してから腹を刺すんだ。そしたら、勝手に死んじまうだけ」

「腹を刺すのは、楽しい?」

「ああ。すごく」

 

 口に溜まった唾を、ごくりと飲み込んだ。

 

「なあ、あんたの腹は、刺したらどんな感触がするかな?」

「…今はやめといてよ。ラブボとか、入り口にカメラ付いてんだろ?勝手に死ぬと、組織が煩いし」

「“今”じゃなけりゃ良いのか?」

 

 ずるずると身体をずり下げて、男の腹に頬を寄せた。温かい。呼吸に合わせて、緩やかに上下している。

 

「誰に会っても、腹を刺すことを考えるのか?」

「あんたが女と会ったときに、頭の中で服を脱がすのと一緒だ」

「…きみの服も脱がせたよ」

「……」

 

 押し倒されたら、どちらが勝つだろうか。

 

 思わず無言になった俺の髪をひと房掴んで、男が呟いた。

 

「正直、腹滅多刺しに興味がある」

「ははっ、変態だな」

「きみが言うの?」

「変態が変態を変態っつっていけない道理はないだろ」

 

 男が笑う。笑った動きに合わせて、腹に乗った俺の頭が跳ねた。

 

「悲鳴上げないからさ、喉は切らずに刺してくれよ。今度、部屋に呼ぶからさ。腹の中身は、空の方が良い?」

「べつにどっちでも良い」

 

 本気か?と思いながら答える。前にもひとり、自分で自分の殺しを依頼した女がいたが、この男もその口なのだろうか。

 

 約束だよ、男は笑いながら、そう言った。

 

 

 

 その約束が、果たされることはなかった。

 

 

 

 打ちっぱなしのコンクリートの床と壁に身を預けて、鉄製の扉を眺める。

 四面をコンクリートに囲まれた部屋で、外部に通じるのはその扉と、扉の対面の壁上部に開けられた通気窓に、一方通行に監視するカメラだけだ。

 

 牢屋って、煉瓦造りの壁に三面鉄格子のイメージあったけど、そんなこともなかったんだな。

 

 ベッドも石造りじゃないし、固いがマットレスもある。ご丁寧なことに、水洗トイレと洗面台まであった。

 手足に重り付きの枷はないし、縞々の囚人服を着せられることもなかった。

 

 …なんだか、がっかりだ。

 

 せめて公開処刑でギロチンにでも掛けてくれたなら、まだ面白みもあるだろうに、どうせ非公開で絞首刑なのだろうし。

 

 とにもかくにも、捕まったなら、死刑だろう。

 その予想は付いていたし、だからどうと思うこともない。

 

 死んで困る理由も、生きたい理由もなかった。

 

 生きているならひとの腹を刺したいが、捕まってはそれも叶わないし。

 

 

 

 俺の死刑判決は、比較的あっさり決まったと思う。

 

 国の決まりとやらで付けられた弁護士はなんとか俺を擁護しようとしたらしいけど、肝心の俺にやる気がなかったし。

 

 反省?なんのために?

 俺はやりたいことをやっただけ。それを防げなかったのは、やられた方の落ち度だろう?

 

 あまりに凶悪で、ひとの尊厳を踏みにじる行為。

 

 検事だったか判事だったか忘れたが、脂ぎった顔のおっさんが、わなわなと震える唇でそう言っていた。

 ああ言うぽっこり出た腹は好きじゃない。脂肪がナイフにまとわり付いて切れ味が落ちるし、洗い流すのが面倒だから。

 

 それにしても、ひとの尊厳とはね。

 そのへんの雑草と虫と牛と鯨とひとと、なにが違うって言うんだろう。雑草に除草剤ぶちまけるのは良くて、ひとをガス室にぶち込むのは駄目なのには、どんな理由があるって言うんだ。

 

 判決が出ても、刑が執行されるまでには時間が掛かるらしい。

 

 俺は拘置場内を移動させられ、死刑囚用の独房に移された。

 

 

 

 死刑囚にも面会は許されるらしいが、あいにくと俺と面会を求めるようなやつはいない。

 親も兄弟も、友人も恋人もいなかった。ああ、いや、過去にはいた気もするが、たぶん腹を刺して駄目にしてしまった。

 

 起きる時間と寝る時間、三食の食事の時間以外は、自由。持ち物は規制されるし、独房から出ることは出来ないが、それ以外はなにをしていても構わないと言う。服装は決められているが、髪型は自由だそうだ。

 鞭打たれることも、罵られることも、労働を強いられることもない。

 三食昼寝付きの生活が保証されて、あとは死ぬだけ。

 

 これのどこが罰だと言うのだろうと、ちらりと思った。

 

 

 

 日がないちにち、ぼんやりと座って過ごす。

 

 ひとによってはひとりきりで延々と過ごす時間に狂いそうになるらしいが、目の前にひとがいて腹を刺せないならひとなんかいない方が良い。

 

 なにを考えるでもなくぼーっとしていても、苦はなかった。

 

 望めば労働も出来るらしいが、金なら飽きるほどあるし、稼いだところで使う宛はない。

 

 楽しみもなければ苦しみもない毎日を送っていた俺に、その女は突然話し掛けて来た。

 

 

 

「暇ではないのですか?」

 

 どんな手を使ったのか俺の独房に入って来た女は、俺の前に膝を突いてそう言った。

 

 丈長の服、顔だけ出したヴェール、首から下げた大仰なロザリオ。

 

 修道女か。

 

 濃い色の布で作られた、身体の線を出さない服。その腹部に目を走らせて、修道女は刺したことがないな、と思った。

 神に仕える女も、腹を刺されたら悲鳴を上げるのだろうか。

 

 気にはなるが、確認する術はない。

 

 興味をなくして無言のまま、ふいと目を逸らした。

 

 女は気にしたようすもなく、勝手にぺらぺらと話し出す。

 

 身柄を拘束されてミサに行くことも許されない信徒のために、近隣の修道院から交代で修道士や修道女が、こうして拘置場に出向いていること。なにもせずにぼーっとしている俺が気になって、声を掛けに来たこと。

 

「なにもしない、と言うのは、なにかを無理矢理やらされるより、辛くはありませんか?」

 

 俺が辛いと答えたら、どうすると言うのだろう。

 ぺらぺらと話す声が耳障りで、眉を寄せる。

 

「べつに辛くない。うざったいから、消えてくれない?」

 

 鋭く溜め息をこぼしてから、顔も見ずに言う。

 

「そうですか?わたしは黙祷の時間とか、すごく辛かったりするのですが」

 

 心底疑問とでも言いたげに、その女は呟いた。

 邪魔して済みませんでした、と言いながら立ち上がる。

 

 無防備に背を向けて、独房の扉へ向かった。俺のためには開かない扉が、女のために開けられる。

 

「また来ますね」

 

 ……は?

 

 反射的に、顔を上げた。

 

「も、」

 

 もう来るな、と言おうとしたときには、すでに扉は閉められていた。

 

 

 

 以来度々、女は俺の許を訪れた。

 

 正直、うざったくて仕方なかったが、存在を許された場所が独房の中しかない俺に、逃げ場はない。

 俺の迷惑そうな顔を省みもせず、女は無遠慮に俺の独房を訪れてはぺらぺらと好き勝手に喋り散らした。

 囚人が珍しいわけでもないだろうに、傍迷惑な。

 

 いい加減苛立ちを溜め込んだ俺が、その喧しい喉をへし折ってやろうかと思い始めたとき、害虫駆除が如くその女の頭をぶっ叩いた奴が居た。

 

 黒い服。白い布。十字架。

 

「お前、いい加減になさい」

 

 苦虫を噛み潰したような顔で、女に言う。

 低い声。小柄だし華奢だが、男、だろうか。

 

「迷惑がられているのがわかりませんか。あまりに目に余る行動を続けるようでしたら、辞めさせますよ」

「わたしはそんな、」

「でしたら、出て行きなさい。二度と彼を訪ねないように」

 

 有無を言わせぬ高圧的な命令に、女は反抗的な顔をしつつも従った。どうやら、立場が異なるようだ。

 女が立ち去るのを待って、そいつは俺に向き直る。

 

「失礼致しました。まだ、修行中なもので」

「……あっそ」

「あなたの情報は、高く売れるんですよ」

 

 まったく感じなかった興味を、ぼそりと付け足された言葉により引かれる。情報が、売れる?


「もう捕まってるのに?」

「野次馬根性ですよ。凶悪犯罪者がなにを考えているのか。どんな生活を送っているのか。自分が犯した罪を、悔いているのか」


 暇人だな。


 興味が失せて、話を聞く気がなくなる。小さく息を吐いて、視線を落とした。


「死ぬのは、怖くない?」

 

 男が俺に言葉を投げた。

 

 結局あの女と同類かよ。

 

「あ、失礼致しました。私も邪魔ですよね」

 

 思った俺に気付いたのか、男がはっとして口許を抑える。

 空気を読む気はあるらしい。

 

「どうせいつかは死ぬのに、恐がってどうすんの」

 

 特に意味もなく、答えた。

 

「なにに、いつ、どうやって殺されるか。そんなの、誰にもわかんないのに」

 

 たとえば死ぬ可能性が高いことをやりたいと思ったとして、やってもやらなくても次の瞬間生きている保証なんてない。なら、やりたいことをやった方が良いだろう。

 死への恐怖なんて、生きるのに邪魔なだけだ。

 

「なら、死刑は怖くない?」

「どうせ糞詰まんない殺され方するんだろ」

「……殺人に詰まるも詰まらんもないと思いますが」

 

 顔を上げると男は冷蔵庫でレタスが溶けていたのを見たかのような顔で、こちらを見ていた。

 思わず自分の腕を見下ろしたが、残念ながら溶けていない。

 

 どろどろに溶けて死ぬなんて、絞首刑より面白いと思ったのに、残念だ。

 

「面白くて殺す奴もいるだろ?」

 

 ガキ共なんか、夢中になってアリの胸から頭を引き千切っているじゃないか。

 

「あなたは違ったんですか?」

「訊いて売るのか?」

 

 流し目で伺えば、見開いた目でまさかと首を振られた。

 

「申し訳ありません。つい、訊いてしまって……。私も、みなさんの野次馬根性を笑えませんね」

「いや、俺、誰にも言ってなかったっけなと……あ、いや、言ったけど殺したのか」

 

 『天涯孤独の男娼で、どこの組織にも属さない』と言う設定だった。

 理由を教えた男はまだ生きているだろうが、あいつは『俺が人殺しだとは知らず、ニュースで俺の顔を見てゾッとしている』はずだ。

 

 誰かに言ったし流れているだろうと思ったが、流れているはずのない情報だったのか。取り調べなんか適当に流してたから、なにを言ったかもろくに覚えていない。

 

「べつに殺したくて殺してたわけじゃない」

 

 何とはなしに、言う。

 なんだかんだ言って、俺も暇だったのかもしれない。

 

「では、誰かの命令で?」

 

 ははっ。

 

 自然と、笑いが漏れた。笑みを向けると、真剣な目で見詰め返された。

 

「やむを得ない理由がおありでしたら、言えば減刑の可能性が」

「死刑が無期にでも変わるか?」

 

 無性に可笑しくて、くすくすと笑ってしまう。

 

「命令で嫌々殺してる奴が、あんなに執拗に腹を刺すと思うのか?人間なんて喉を一突きで死んじまうのに、わざわざそんな手間掛けるかよ。残虐犯を装えって命令だったとしても、あそこまでする必要はないんじゃないか?」

 

 あの感触を思い出して、無意識にちろりと唇を濡らす。

 湿った音と、手に伝わる柔らかな手応えが甦る。

 

 ああ、刺したいな。

 

 すいと、男の腹に視線を走らせた。固いだろうか。事務仕事ばかりしているなら、女のように柔らかいかもしれない。

 

 口端を吊り上げて、囚われの身を呪った。

 

 死ぬのはべつに良いが、ひとがいても刺せないのはストレスが募る。

 

「命令“だけ”で殺したりしない」

 

 俺の一言でどうこうなる組織じゃないのはわかっているので、このくらいのほのめかしは良いだろう。それに、疑う奴はどうせ何言ったって疑う。

 

「よしんば俺が誰かの命令でひとを殺していたとして」

 

 嘘はないし、俺にあの組織を庇い立てする義理もない。だから、なにを気負うこともなくしれっと良い放った。

 

「それだけの理由で殺したりしない。あくまで、自分の動機で殺してた」

「でも、殺したくなかったんでしょう?」

「殺したくなかったとは言ってない。俺は、殺したくて殺してたわけじゃないって言ったんだ」

 

 あの男と違って、この男は物わかりが悪いようだ。

 

 理解出来ないらしい男に、いつかも言った内容を繰り返す。

 

「俺は悲鳴が煩いから、黙らせてただけ」

「悲鳴?」

「そう」

 

 甲高い叫び声を思い出して、顔をしかめた。

 せっかく刃が肉を叩く心地好い音が立っているのに、悲鳴に掻き消されると不快だし、誰かが来て邪魔されるのは業腹だ。

 

「それは、殺されそうになったら悲鳴を上げもするでしょうが、何もしなければ悲鳴なんて上がらないでしょう」

「殺そうとはしてない。俺はただ、腹を刺したいだけ」

 

 理解が出来ない、とでも言いたげな顔をされた。

 構わない。理解は求めていない。

 

 ああでも、これ以上話していたら、余計刺したくなりそうだな。

 

 男の腹が目に入らないよううつむいて、俺はポツポツと声を落とした。

 

「柔らかい腹肉に、ナイフを突き刺すんだよ。最初はそうでもないけど、だんだんぐちゃぐちゃになってきて、湿った肉をナイフが叩く水音と、肉を突き刺す手応えが、ひどく心地良いんだ。そんな瞬間に、悲鳴は耳障りだし、邪魔物を呼ぶから、叫べないように先に喉を潰す」

 

 それでもヒューヒューと言う雑音は残るけれど、悲鳴ほど邪魔じゃないし、夢中で腹を刺しているといつの間にかなくなっている。

 

「そしたら、勝手に死ぬだけ。だから、べつに殺したいわけじゃないし、殺したくないわけじゃない」

「それ、は……」

 

 ああ、そうだ。

 

 顔を上げて、男に微笑み掛ける。

 

「最後の晩餐には、厚切りのステーキを望もうかな。ナイフが付くかもしれない。自分の腹はまだ、一回しか刺したことがない」

 

 自分の平べったい腹を、すり、と撫でる。

 

「大丈夫。死ぬほどには刺さない。自殺して刑から逃げたりはしないから。人間って腹刺したくらいじゃ案外死なないんだ」

 

 絶句した男が、俺を見下ろす。

 はく、と開閉された唇は、何を紡ごうとしたのか。

 

 暇潰しは、十分出来た。もう良いだろう。

 男と話すことに飽きた俺は頬杖を突き、すっと目を閉じた。

 

 手はどれくらい刺さるだろうかと考え始めたから、そろそろ男の腹を視界に入れるのをやめた方が良い。刺さるにしても刃物ほどの心地好さは感じられないから、余計なフラストレーションを沸き上がらせるだけなのだ。

 

 目を閉じ、思考も閉じて、ああ、どうせならベッドに寝てしまえば良かったなと、思い始める。

 

 なんで座ったまま目を閉じたのだったか。でももう、ベッドまで移動するのも面倒だな。ここで寝てしまおうか。

 

 そんなどうでも良い思考を、巡らせていた時だった。

 

「自分も、他人も、死ぬなら死ね、と?」

「うわ、」

 

 男が、話し掛けて来たのは。

 

 完全に忘れ去っていた存在からの声に、まるでハエが喋ったような気分になって、俺は飛び起きる。

 

「居たの」

 

 心底驚いて問い掛ければ、男はどこか決まり悪そうに頷いた。

 

「居ましたが」

「居なくなったかと思ってた」

「驚かせて申し訳ありません」

「いや、良いけど」

 

 俺が気を抜いてたから驚いただけだし。ただ、

 

「で、何?」

 

 何の用事でもって、俺の平穏を乱したのか。視線を落とした俺に、男が問いを投げる。

 

「自分が死んでも、他人が死んでも、気にならないのか、と」

「気にしてどうするの?」

 

 そんな下らないことかと、溜め息を吐く。顔どころか、視線を上げもしなかった。

 

「生まれた以上生きものは、誰かの死を望み続けるしかないのに」

「え……?」

 

 質問には答えた。もう十分だろう。思ったのに、十分ではなかったらしい。

 

「それは、どう言う」

 

 男は重ねて、問うて来た。

 物わかりが悪いなら、知ろうとしなければ良いのに。

 

「生きるってのは、資源の奪い合いだろ」

 

 心底面倒に思いながら、男に言う。こちらはお前の腹を見るたびフラストレーションが溜まると言うのに、良い迷惑だ。

 

「何かが持ってる資源を奪うには、資源を持ってるそいつが死ななきゃならないだろ」

「何も、殺さなくても」

「殺さないでどうするんだよ。霞でも喰って生きるのか?」

 

 何を綺麗事をと思ってから、こいつは神父なり修道師なりだから、綺麗事を言うのが仕事だったと思い出した。

 

「生きるってことは、誰かを殺して資源を奪うってことだろ。何も殺さないってことは、資源を奪うのをやめて自分が死ぬってことだ。どっちにしろ生きてるなら、死ぬまで何かの死を望み続けるってことになる」

 

 何であろうと、殺すな、と言う意見を聞けば、何を馬鹿なと感じる。

 生きることを判断している時点で、殺し続ける決断をしたも同然だと言うのに。

 

「……食事はともかく、それ以外の理由で殺すのは」

「なら食事が理由なら、何をしても良いのか?食事が理由じゃないなら、今にも自分に噛み付こうとしているグリズリーすら、殺すべきじゃないのか?」

「それは、時と場合が」

 

 はっと、鼻で笑った。

 

「それを判断するのは、なんだ?神か?法か?」

 

 正義なんて曖昧なものが、なんだと言うのだろう。正義も悪も、そんなもの単なる視点の違いでしかないだろうに。

 

「だいたい、時も場合も関係なく常に人間は、免疫機能で細菌を殺し続けてるだろ。望むと望まざるとにかかわらず、殺さなきゃ生きていけないのは事実なんだから、綺麗事を言って視線を逸らすくらいならきちんと現実を直視した方が、潔いと思うけどな」

 

 骨張った自分の指に目を落とし、握る。

 

「資源を使うばかりじゃいつか尽きる。限られたもんは循環させなければ回って来ないんだよ。循環には死が不可欠なんだから、殺すななんて世迷言、馬鹿馬鹿しい」

 

 だから殺せと言う気もないが。

 誰かにとっての『常識』が、俺にとってはそうじゃなかったってだけだ。交わらない『常識』を語り合っても面倒なだけなのだから、もう放って置いて欲しい。それか、腹を刺させて欲しい。

 

 強めに息を吐き出すと、男がたじろいだ気配がした。

 立ち去るかと思った男が、しかし口を開く。

 

「どうして、ひとを?」

「あ?」

「あなたにとって、ひとを殺すことは悪ではないことはわかりました。では、なぜほかの何でもなく、ひとを刺したのですか?」

 

 俺の何が、この男の興味を惹くのか。顔を上げると、ドブの藻のような黒ずんだ緑の瞳が、俺を見下ろしていた。

 

「猫でも刺せば良かった?」

「その方が、リスクも手間も少ないでしょう」

「リスク、ねぇ?」

 

 確かに猫なら、ミキサーに掛けても死刑にはならないだろう。この国の現行の法律ならば、と言う但し書きは付くが。

 

「あまり考えたことなかったな。見付かると面倒とかは、思ってたけど」

「死刑は──っ、怖く、なかったんでしたね」

「猫はあまり、刺し心地が良くなかったんだよな。犬も。逃げ足早いし。でかい家畜は警備が厳しいし、野性動物は警戒心が強い。人間がいちばん殺しやすくて、刺し心地が良いんだよ。あとはイルカかな?喰えるし。でも、人間の方が楽だから」

 

 なんでそんな変な顔してるんだ?

 

「何か、人間でなければならない理由があったわけでは、」

「いやだから、言ってるだろ。いちばん刺し心地が良くて、楽なんだよ。人間の、特に女が」

「もっと刺し心地が良くて楽なものがあれば、人間でなくても良かった?たとえば、野菜でも」

 

 ……ナスとスイカはまあまあだったな。ただ、ナスは小さ過ぎてスイカは耐久力がなさ過ぎた。

 

「そうだな」

「そうですか……」

 

 男は何やら頭痛でも堪えるような顔をして、額を抑えた。

 

「お話、ありがとうございました。また来ます」

「は?」

 

 男が扉を潜る。

 一瞬の思考停止が、敗因。

 

「――いや、もう二度と来る、な……」

 

 声が出たのは、扉が閉まった後だった。鉄扉に遮られた声が、空しく消える。

 

 立ち上がり、うつむいて頭を掻いた。溜め息と共にぼやく。

 

「同類、かよ……」

 

 いっそのこと、一刻も早く死にたいものだ。

 

 死にたい俺にとって死刑は罰になるのだろうか。

 ふとそんな疑問を覚えるも、もう寝てしまえと俺はベッドに横たわった。そもそも罪悪感も死への恐怖も明日への希望もないのに、罪だ罰だ考えるのも面倒臭い。

 

 目を閉じた俺を、壁に取り付けられたカメラだけが見ていた。

 

 

 

 女は来なくなったが、代わりに男が来るようになった。

 何が興味深いのか、俺から話を聞こうとする。

 

 女よりはうざったくないので、気が向けば答えていた。

 気が向かなければ、無視したり追っ払ったりしていたけれど。

 

 あの女と違ってこの男には、興味が持てたのかもしれない。

 

 

 

「……生まれ?俺の?」

「ええ。あの、顔立ちが……」

「混血児っぽいって?」

 

 男が濁した言葉の先を言えば、気まずげながら頷かれる。この国ではあまり生まれない一重の目をすがめて、首を傾げた。

 

「申し訳ありません、失礼な事を、」

「いや」

 

 謝ろうとした言葉を途中で止めて首を振る。

 

「べつに気にしてないから。と言うか、親の顔がわからない」

 

 そもそも俺に親が居たのかすら、曖昧なくらいなのだ。

 居たような気もするのだが、はっきりしない。

 

「俺が汚れたシャツと小麦から自然発生したとかでなければ、俺にだって居るはずだよな、親」

 

 他人事のような気持ちで呟いて首を捻る。

 頭の中を探ってみても、親に当たる者の情報は見付けられなかった。

 

「うーん、悪いが親の顔は見せられそうも……むしろ、あんたの方が詳しかったりしないか?ほら、名乗り出たりとか、戸籍とか、メディアなり政府なりが調べ上げてないのか?」

 

 んん?でもそもそも、俺って戸籍あるのか?

 

 まともに働いたこともなければ、家を持ったこともまともな病院にかかったこともないので、戸籍を気にしたことがなかった。

 

「ええと……」

「と言うか、俺、自分の名前すら知らないな。あるのか?」

 

 坊主、ガキ、小僧、兄ちゃん、あんた、お前、そこの。通り名が付いてからはジャック。捕まってからは囚人番号。自分の名前と言うものは、名乗った覚えも呼ばれた覚えもない。

 

「報道では、ジャック、と」

名無し(ジャック)か。俺が知らないのに誰かが知ってるはずもないか」

 

 もし過去には知っている奴が居たとしても、たぶん俺が腹を刺したのだろう。

 

「最初に俺に腹を刺されて死んだ奴が、親かもな」

 

 可能性が高そうな答えを出したが、最初に腹を刺した奴の顔なんて覚えていないから、あまり意味はないだろう。

 

「最初は、いつですか」

「……さあ」

 

 肩をすくめる。

 

「知れたら高く売れただろうに、悪いな」

 

 男は目を見開いて、ぶんぶんと首を振った。

 

「売りませんよ!」

「売っても気にしないけど」

「私が気になりますから!」

「あっそ」

 

 どちらでも大した差はないので興味もない。

 

「囚人であろうと、人権はありますよ」

「人権、ねぇ?」

 

 相変わらず綺麗事をほざく男を、呆れて見返す。

 

「俺は人間を敬ったりしないのに、あんたは俺を敬うのか?」

「神は、隣人を愛せと」

「あんたの神は、狭量だろ?『隣人』なんて、ごく限られた奴の話だ。あんたの神を信じない俺は、あんたにとって『隣人』か?」

 

 修道女の腹を刺したことはないが、修道女に成りすまして刺したことは幾度かあった。みな、面白いほど簡単に扉を開けるのだ。そのまま部屋に押し入って、静かに殺せば、ばれもしない。そのまま続けて隣家を襲えた。

 

 そんな信仰心を踏み躙る行為を、自分以外への信仰を許さないなんて言う狭量な神が、許すとでも言うのだろうか。心を入れ替える気も、神とやらを信仰する気もないのに。

 

 男は困ったように口を開閉した後で、まとまらない考えを拾い上げるようにたどたどしく言った。

 

「……自分を、敬わない人間は敬わないと、すべてのひとが言うなら、誰ひとり、誰かを敬うことなんて、叶いません」

「だから、あんたはすべての人間を敬うって?」

 

 綺麗事もここまで行くと天晴あっぱれだなと思いながら、片目をすがめて首を傾げる。

 男は目を泳がせ、力なく首を振った。

 

「未熟ですから、全ての方を敬えてはいないでしょうね。ですが、未熟だからこそ理想のための努力は惜しみたくない」

「だから俺を敬う努力をする?」

「……あなたよりよほど腐った人間が、世の中には五万と居ますよ」

 

 珍しくも荒んだ目をした男が、珍しくも吐き捨てた言葉は、現実味のある夢のように響いた。

 

「あなたは無垢です。とても」

 

 そう言った男の、溝の藻のように澱んだ瞳の色は、なぜかひどく心に残っていた。

 

 

 

「次は、いつ来るんだ?」

 

 ふと、訊いたのは、なぜだっただろうか。

 いつの間にか男に絆されていたからかもしれないし、むしろ逆に、うんざりして来ていたからかもしれない。

 

「……え?」

 

 帰ろうと扉に向かっていた男は振り向くと、目を見開いて俺を見下ろした。

 

「私、ですか?」

「あんた以外に誰がいるんだよ」

「あ、はい、そうですね」

「また来るんだろ?」

 

 ベッドに腰掛けたまま首を傾げて見上げれば、男は俺を見下ろして頷く。

 

「はい。ええと、次は、二週間後の土曜日ですね!」

「うるさいな」

 

 大声で言われて、顔をしかめた。男は、済みません、と眉を下げたあとで、身を乗り出して言う。

 

「二週間後、必ずまた来ますから」

「もう来るな」

 

 目線を落として吐き捨てた俺を、男がぽかんと見下ろした。

 

「んだよ」

「い、いえ!では、また」

「だからもう来るなって」

 

 今度こそ去る背中が、俺のためには開かない扉をくぐる。

 

「……またな」

 

 呟いた言葉が、果たされることはなかった。

 

 

 

 二週間後、金曜日。

 

 絞首台に立ち、縄に掛けられる。

 

 今日が死刑執行と、聞かされたのは今朝のことだった。

 

 最後の晩餐もないとは、ケチな国だな。

 

「なにか、言い残すことはあるか」

「いや、とくには」

 

 問われた言葉に首を振る。ああでも、これでは面白味がないか。しかし、言うこともない。

 

 懺悔も、後悔も、やり残したこともない。

 遺言を遺す相手もいない。

 

「……ああ」

 

 ひとつ、思い出した顔があって、呟いた。

 

「アイツに、謝罪を」

「懺悔か?」

「いや、謝罪だよ」

 

 なぜそんな、悔い改めることに期待するのか。

 片目を眇めて、肩をすくめる。

 

「また、会えなくて、ごめんってさ」

「また?誰に」

「変な男にさ」

 

 執行人は訝しげな顔をしながら言いたいことはそれだけかと訊いて、頷けば立ち去った。絞首台の床は、遠隔操作で開くのだろう。

 

 ひとりなのを良いことに、ぼんやりと思う。

 

 ああ、明日、また会えるはずだったのにな。

 

 

 

「ジャックの刑が執行されたぞ」

 

 上司からの言葉に、俺は食事に向けていた顔を上げた。

 

「そう、ですか」

 

 答えれば、上司が、浮かない顔だなぁ、と眉を寄せた。

 

「お前の手柄だぞ?なんだ、珍しく感情移入でもしたか?」

「まさか。あり得ない」

 

 首を振って、だが、あの顔を思い出せばなぜか気が滅入る。

 もう来るな、言いながら、アレは微笑んでいた。道端の野花が笑ったかのような、素朴で、無垢な……。

 

 いや、なにを考えている。アレを、無垢だなどと。

 アレは、罪を罪とも思わない、極悪非道の犯罪者。人間ですらない、塵屑ゴミクズだ。

 

「あり得ない、か。なら、手柄を喜べよ」

 

 上司が、俺の頭を撫でる。

 

「また会えなくて、ごめん」

 

 告げられた言葉に、どくりと心が跳ねる。

 あの笑みと、あの声で、同じ言葉が再生される。

 そんなもの、幻聴と幻覚でしかないのに。

 

「ああ、明日、また会えるはずだったのに」

 

 アレは、俺の前で一度だって笑ったことはなかったのに、なぜ、あのとき、あんなにも素直な笑みを、見せたのか。

 

「ジャックの最期の言葉だ。今回も、我々は正当に刑を執行した」

 

 死刑囚に、正当な罰を。

 

 それがあなたの幸せならば、それを全力で叩き潰す。

 

 それこそが、俺たちの使命。

 

 死んでも構わない。死にたい。

 そんな心のもと、凶悪犯罪を犯した者に対して、死刑は果たして罰となるのか。

 司法の上層部の抱いた葛藤から秘密裏に生まれた組織が、俺たちだ。

 

 生に執着のない者にとって死刑が罰でないのなら、生に執着を持たせてから刑を執行すれば良い。そうすれば、未来を奪われた者の未練も、理解出来るだろうと。

 

 死刑囚に幸せを与えてから、ぶち壊す。そのために存在する、一般には決して存在が知らされない組織。

 

「……ふん」

 

 俺がこの職に就いたのは、死刑囚の肚から生まれた子供だったからだ。組織の人間に育てられ、当然のように育ての親と同じ道を選んだ。

 犯罪者、それも、自身の犯した罪の重さを理解しないようなモノは、屑だ。

 

 容姿、話術、立ち振舞い、自分の持てるなにもかもを使って死刑囚の心を掴み、次の約束を交わす。

 約束が果たされることなく死刑が執行されても、なにを思うこともない。塵がひとつ、消えただけだからだ。

 

 それだけのはず、なのに。

 

 なぜ自分はそんな塵屑を、無垢だなどと表現したのか。

 

 目の前の、綺麗に焼き目が付いた食べかけのハンバーグを見下ろす。

 

 隣人を愛せよ、それは、信教により命じられたことだ。

 信教によっては生き物すべての殺生が禁じられていることもあるし、ひと以上に大切にするものがある宗教も存在する。

 殺すことは悪だと言いながら、この国には死刑が存在する。

 

 牛を殺して解体して挽き肉にすることと、ひとを殺して腹をめちゃくちゃに刺すことの、なにが違うのか。

 

 手にしたナイフに、自分の顔が映る。

 

 濁った溝に生える藻にそっくりな、澱んだ目。

 こちらを向かずにほころんだ、萌葱の瞳を思い出す。

 あんなに澄んだ瞳を、かつて見たことがあっただろうか。

 

 ……どうせなら、こちらを向いて咲いて欲しかった。

 

「……っ」

「どうした?肉に骨でも混じっていたか?」

「いや、肉が喉の変なところに入っただけで」

 

 咳き込む振りをして、歪んだ自分の顔を隠す。

 

 塵屑がひとつ消えただけ。それだけだ。だから。

 

 だから。

 

 もう二度と見えない萌葱を惜しむなんて、間違っている、はずなのに。

 

 

 

 いつ床が開くかわからない絞首台の上で、もうひとり思い出した顔の、ひどく澱んだ目を思い出して、呟く。

 

 どうして次の予定なんて訊いたのか。

 絆されたのか、嫌気が差したのか、それはわからないけれど。

 

「ああ、明日、また会えるはずだったのに」

 

 こう言えば、あんたの手柄になるんだろ?

 

 精々、後悔した顔を造って、床が開くのを待つ。

 

 それがあなたの幸せならば、最期にひとつむくいてやろう。

 

 ああでも、心残りがあるとすれば。

 

 最期の晩餐は、よく研がれたナイフ付きの、ステーキが良かったな。

 

 

 

拙いお話をお読み頂きありがとうございました


もう少し恐くする予定だったのですが

恐くならなくて心残りです

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 主人公には「徹底的に欠落している部分」があるが、それを裁く側、主人公に最期の言葉を言わしめた男もまた、道具。 あんなことを続けていけば、この男もいずれ何かを欠落せざるを得ないだろう。いや、…
2018/08/18 23:03 退会済み
管理
[一言] あまり怖さに主題が置かれていないように感じて、これは果たして本当にホラーなのか?と少し思いましたが、ストーリーはとても面白かったです。話の流れが綺麗で着地も鮮やかだったので読後感がすごく良い…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ