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その時  作者: 真澄
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農業実習1日目

 俺たちはキャンパスに集合して、大型観光バスに揺られている。ついさっき軽井沢インターを降りたようだがまだは止まる気配はない。隣の席でさっきまで寝ていた田中が目を覚ましたようだ。

「軽井沢っていうから楽しみにしていたのに、だいぶ山の中なんだなぁ」

「そりゃ、町のど真ん中に実験施設なんて作れないだろ」


 俺はこの春、首都圏内の私大の農学部に入学した。別に農業をやりたかったわけではない。首都圏の大学に入りたかっただけだ。田舎に住んでいると、東京の近くにある大学に憧れる。その時の自分の学力で行ける学校を探していたら、「農業から地球環境を考える」という言葉が目についた。農業じゃなくて地球環境を学ぶんだと思ったら、ちょっとだけ自分がかっこよく思えたのは秘密だ。

 大学生活に慣れてきたこの時期に、大学からバスで3時間かけて軽井沢の研究センターで農業実習だそうだ。内容はジャガイモの収穫。それだけ聞くと、なんだか保育園の芋ほり遠足みたいな気分になる。大学の農学部で芋ほりするとは思ってもみなかったことだ。


 バスが止まり降りた先には、透明の巨大なダンゴ虫がいた。いや違う、ダンゴ虫のような温室だ。その周りにもいくつか建物がある。引率の教授に促されるままに、俺たちは温室の隣の建物に入った。行った先は、大学にあるのと同じような講堂だった。学生が席に着いた頃、

「えー学生の皆さん、こんにちは。私は今回の農業実習の引率係を務める、佐藤です。今日と明日の二日間よろしくお願いします。まずここ軽井沢研究施設の責任者であります、鈴木教授に研究所の説明をして頂きます。では鈴木教授よろしくお願います。」そう言って教壇を降りたのは、農業実習の担当教授だ。かわって教壇に別の男性が上がった。

 「学生諸君、ようこそ軽井沢研究所へ。諸君はこの4月に大学に入学して初めてここに来た人、もうすでに部活の合宿でここを利用した人それぞれだと思いますが、これから何度も訪れることになると思いますので、施設の概要を説明したいと思います。

 この軽井沢研究所は、変化しつつある地球環境にどのように対処していくのかを研究するために、本校の英知を結集して作られたものであります。本研究所のメイン研究施設となります温室、併設されていますセミナーハウスに体育のデザイン設計は本大学の建築学科が担ったものであります。建物はデザイン性だけでなく地球温暖化により変化してことが考えられる環境下に置いて、地球環境に負荷をかけずに快適な生活可能か追及した建築になっています。また、太陽光発電やバイオマス発電施設においては工学部が担当しております。温室内の運営は農学部の監修により行われています。生産された農産物のほとんどは、地物との販売所に出荷しておりますが、大豆に関しては、食物科の実習によって味噌に加工されています。作られた味噌はセミナーハウスで使われるほか、学食でも使われています。皆さんが学食で飲んでいるお味噌汁はここで作られた味噌が使われているわけです。

 さて温室ですが、皆さんはバイオスフェア2の実験についてはすでに講義で学んでいると思いますが・・・」

 バイオスフェア2の実験については必須の科目の何かで聞いたような気がする。1990年代初頭にアメリカで、高さ28m耕地面積1.27haの温室で密封空間での実験が行われた。宇宙空間への移住を前提として人工的に生態系を作り出すことが目的だった。100年をめどに進められた計画は2年で頓挫しまったようだ。原因は微生物の活動を顧慮していなかったこと。目に見えなくても酸素を消費していることに、気づかなかったようだ。

 この軽井沢の温室は一番高いところで28m実験地の広さ1.3ha。と鈴木教授は言っていたが、俺には1町歩3反と言ってもらった方がわかりやすい。不動産屋なら3900坪だろうか。外気を遮断した温室での農業を試すもので、温室内の環境の変化を観察しつつ、栽培を行っているらしい。もし作物の育成が見込めない場合には外気を取り込んで生産に重点を置くって、やっぱり出荷するのが目的なのではないかと思ってしまう。

 「この温室内では、研究計画を提出して問題がなければ自主的な研究も許可されています。ですが、是非に密封空間または閉鎖空間が必要とされる研究に限ります。」

 なんでも、江戸時代の下肥の実証実験を申請した学生が毎年いるそうだ。この実験、密封の必要も閉鎖の必要もない。強いて言えば、近所迷惑にならないためにこの温室内でやった方がいいってくらいだろうなぁ。申請はもちろん不可だ。人文系の学生がネット小説を読んで感化されるんだろうあなぁ、きっと。

 ちなみにこの研究所で出る汚水や雑排水・生ごみ等々は研究材料になっている。バイオマス発電に使用されるだけでなく、汚泥から有機物を取り出す研究だそうだ。どうせ肥料に使うのなら、汚泥のまま土にしてしまえばいいのにと思ってしまうのはダメなのだろうか。

「下肥に興味のある人もいるかもしれませんが、衛生面や悪臭等近隣の方々に迷惑になりますので、くれぐれも学生寮やアパートの自室で行わないようにしてください。」と締めくくった。

 

 セミナーハウスの食堂で昼食をとった後は、各施設の説明だ。満腹になって一番眠気が襲ってくる時間帯に歩かせるってことらしい。

「本来でしたら各施設の担当の教授から説明出来ればよかったのですが、皆さんご都合が悪く、私が簡単にします。」鈴木教授が各施設を案内していく。

 大豆の加工場にバイオマス発電や太陽光発電の仕組みを、担当教授に説明されて理解できるだろうか。鈴木教授の簡単な説明でさえ頭にはいてこない。

 温室の入り口に到着すると、佐藤教授が待っていた。収穫実習を前に、温室について詳しい説明があるそうだ。今まで静かに説明していた鈴木教授が今までとは変わって少し大きな声になった。

「では学生諸君、出来るだけ前の人との間隔を詰めて。『せーのっ』と合図をしたら、足元に注意しながら出来るだけ急いで前進してほしい。一番前の人は出来るだけ早くホールの一番前まで移動。それだは『せーのっ』」何のイベントかと思いつつ、みんなで言われた通りに移動。後ろの方でののそのそしている学生を、佐藤教授が後ろからせっついている。

「佐藤教授、大丈夫だったでしょうか。それでは皆さん後ろの佐藤教授の方を向いて。」

「学生皆さんの協力に感謝します。午前中説明があったともいますが、この温室内は密閉した環境を維持したいのですが人が出入りしている以上全く外気を遮断することは不可能だ。それでも外から出来る限り、虫だの花粉だの入らないようにするために二重扉になっています。密閉空間とはいっても一般的な栽培に使われている温室のように、温度の管理に外気を取り込まないといったくらいの密閉空間でしかありません。では皆さん、足元に注意しながら出来るだけ早く農場に移動してください。」教授にそう促され、俺たちは農場に移動した。

 農場内は細い用水路できれいに区画されていた。それぞれの区画は、作物の生育によって微妙に色の違う緑色だ。様々な緑で作られたパッチワークのようだ。高い透明の天井からは太陽光がさしている。圧迫感は感じないけれど、屋内と感じるのはどうしてだろう。

 佐藤教授が温室内の説明を始めた。この温室内には、両端にため池がある。両方のため池の間は、水が流れる程度に若干の高低差が作られていて一方から水が流れ、農地に湿り気を与えながらもう一方に流れるようになっている。両方のため池には、何故かフナが養殖されている。そういえば隣の佐久は、水田にフナの養殖しながら栽培したコメを、減農薬として売り出していたような気がする。この農場にイネらしいものはないけれど。そう思っていると、教授がこんなことを説明していたところだった。

「この農場では、稲作は出来ません。花を咲かせ実をつけるものは受粉が必要です。ですが温室の中では風が吹きません。皆さんもご存知のように、イネ科の植物は風による受粉、風媒花です。風のない温室内では受粉できないのです。麦も同様に受粉できません。風媒花の作物で温室内で栽培できる植物については、ただいま試作を繰り返しているところです。今年はトウモロコシを栽培してみました。計画では、トウモロコシの受粉期にニワトリをトウモロコシ畑に放し飼いにすることになっています。ニワトリの羽ばたきと夕方鶏舎にニワトリを追う人の起こす風で受粉が可能か観察することになっています。」

 俺が温室に入った時に感じていた違和感は、風だったのか。教授の話が続いている。

「この空間の循環だけでニワトリだけでも飼育できないか実験が行われています。ニワトリの飼育に必要な穀物の中で温室内栽培可能なのは、ソバとダイズだけです。ソバや果菜類の栽培、またアブラナ科の植物のリサイクル農業を試行するときに欠かせないのは、受粉媒体である虫であります。この温室内では受粉媒体としてミツバチを飼っています。皆さんも実習中にはミツバチに気を付けてください。」密封空間で作物を作るっていうのは、結構問題があるらしい。


 温室見学をした後は、セミナーハウス内を案内されて自由時間となった。解散前鈴木教授から、

「男子学生の諸君、間違ったふりをして女性風呂に入らないように。」と言って解散となった。俺たち信用ないのかなぁ。

 夕食後は自由時間だった。外出を禁止されていたわけでもないけれど、研究所以外の明かりはみえなかった。談話室でカードゲームをしている一団があったけれど、そこに入る勇気はなかった。体を動かしたい学生のために、セミナーハウスの地下のあるトレーニングジムと温室が解放されていた。温室は、農場の周りを一周する管理用の道でジョギングが出来るらしい。土の上を走るようになるので、足への負担が少ないと、運動部には人気だそうだ。農場兼雨天ランニング場か。

 興味半分でトレーニングジムに向かってみた。学校のトレーニングジムほどではないけれど、数台のエアロバイクやトレッドミルに筋トレマシーンが置かれていた。見れば田中が、筋トレを行っていた。

「田中、熱心なんだなぁ。」

「おおよ、俺はスポーツ推薦で入学しているからな。」そう言いながら黙々とトレーニングを続けていた。壁を見ると、色とりどりのホールドが付いている。垂直の壁を横にトラバースするように出来ているようだ。デカいホールドばっかりと思いながらよく見てみると、色によって難易度が違うらしい。一番小さいホールドだけを使ってトラバースしようとすると、ムズイ。こんな面白い壁があるなら、専用の靴を持ってくればよかったなぁ。と思いながらガバ(大きなホールド)だけのルートをトラバースしていると、田中が不思議そう顔をして俺を眺めている。

「小林、お前フリークライミング同好会だったのかぁ。俺はてっきりバイトに勤しんでいるのかと思っていたよ。」

「趣味と実益を兼ねて、クライミングジムでバイトしてるからなぁ。バイトっちゃぁバイトだけど。」その後、何気ない雑談をして1日目を終えた。


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