1話
うちのクラスには“ウスノロ”。そう呼ばれている男の子が居る。
顔が隠れてしまうほど長く伸ばした髪、話しかけても声を発することなく、こくりと頷くかあるいは、左右に首を振る以上の返事はしない。端的に言うと彼は無口な陰キャラだ。
いじめるとか貶すとかそういう意図ではないけれども、うちのクラスでは彼のことをウスノロと呼んでいる。
無口な上に動きが鈍重だから、ウスノロだ。ひどいあだ名とは思うけれど、面と向かって「ウスノロ」と読んでも彼はまったく気にすることなく、こくりと頷くのだから、本人様公認のあだ名ということでいいのだろう。
うちのクラスの一分変わったマスコットキャラ。私の中で彼はそういう扱いだった。
「あのぅ」
そして、私こと、長岡雅美は、今、そんな無口なウスノロと教室に二人でいる。放課後の教室、人影はなく、下校途中の男子共の馬鹿騒ぎが遠くに聞こえる。最終下校時刻の五時は回った。部活動も終わったこの時間に、私は、ウスノロを教室に呼び出した。
古風に彼の下駄箱に「放課後の教室に来てほしい」と手紙をねじ込み、彼を誘い出した。
理由? 動機? 放課後の教室に呼び出して言うことと云えば、決闘の申込みか、あるいは告白か、そんなものところ。
「ウスノロさん?」
話かけると、ウスノロは、ゆっくりと顔をあげてわたしの顔を認めると、こくりと頷いた後、若干、首をかしげたふうに首をこてんと横にたれた。当たり前の反応、なのかもしれない。私とウスノロは親しくはない。教室内で一緒の空気を吸うクラスメイトと言う名の知り合いである。
そんな程度の中の、女の子に呼び出されて、彼とて、口にも表情にも出さないけれども内心いぶかしがっているに違いない。
「えーと」
私も前髪をいじりながら、次の言葉を慎重に探した。私も、正直に言えば、ウスノロのことをよく知っているわけじゃない。というか、コイツはまったく喋らないから、素性はまったくわからないと言っても過言ではない。
しりうるのは、クラスの連絡網にある彼の自宅の電話番号と住所くらいなものだ。そして、沈黙すること十数秒。面倒になった私は唇を舌で濡らしてから、重々しく口を開いた。
「あたしと付き合ってみない?」
「……?」
ウスノロの動きが気まずそうに硬直する。言葉を選んだ割には、直情的かつ単純なセリフだった。
ようするに告白である、かなり上から目線の。
いちおう断っておくと、私の胸の中にはこれっぽっちも、ウスノロを好きだ、という気持ちはなかった。これぽっちも。いちみりぐらむも、いちみりみくろんも、彼を好きだという気持ちはなかった。
そもそも、ウスノロを男の子として意識したことすらなく、クラスのおもしろおかしいゆるキャラ程度に思っていたほど。ウスノロには失礼な話だけど。
そんな、これっぽっちも気のない告白をした理由、
これもありがちだ。つまり、ありきたりな罰ゲームである。私の属するグループのトップに君臨する梓さんは、大変に悪戯っぽい性格をしていて、こういう罰ゲームを配下の女子を使ってクラスの男子に頻繁に仕掛けている。
告白して、付き合って、デートして、そして散々に振る。その様子を梓は観察し、しょぼくれた男子をみて、げへげへ笑うような悪魔的女性である。
将来、絶対悪女になること間違い無しの腐った性根の持ち主だ。そして、その梓さんが次になるターゲットとして選んだのが、クラスのマスコット「ウスノロ」であり、その当て役が「わたし」だった。
内心「面倒なことになった」とは思っているものの、梓様の命令を無視するわけにはいかない。彼女は自分の楽しみをぶち壊されると、ものすごく機嫌がわるくなる。命令無視は重罪である。
「ねえ、どうなの? その、あたし、あんたのこと好きになっちゃったみたいなの、こう、その、みてると、胸がわざつきというか、なんというか、そのぅ」
更に、念入りにお仕込みをかける、少女マンガのセリフをパクって視るものの、いかんせん、不慣れなセリフだけに、言葉はつっかえつっかえ。無様なものだった。男子の前で浮ついたセリフを吐くことに不覚にも恥ずかしくなって、頬が熱くなった。
「ほ、ほらっ、あんたってなんか雰囲気あるじゃん。この、なんというか、寡黙な大物ってかんじの? ちょーいかしてる、、かんじ、、じゃん?」
「…………」
ウスノロは、そんな私を見て、うぐぐと唸り声を上げ、腕組みをしていた。どうやら、悩んでいるらしい。しきりに、私の顔のあたりを眺めて、視線を下におろしていって、フイッと目線をそらす、なんか、品定めされているみたいで、あまり良い気分ではない。
こちとら、罰ゲームでやっているというのに、この男以下の生物に品定めされてしまうとは、と、怒りと悲しみがまじりあってえもいわれぬ気分である。
「……わかった。付き合ってやる」
そして、ウスノロの品定めが終わったのはカレコレ、十五分後のことだった、外の夕日がすっかり落ちて、空が紫色に染まり始めたときに、ようやっと、彼は返事をしてくれて……、
「え?」
「なんだ。つきあってやるって言ったんだ、喜べよ」
「え……? ウスノロが、、しゃべってる?」
ウスノロは、普通に喋っていた。低音の、男男したテノールボイスで「付き合ってやる」とはてしなく、上から目線で返事をしていた。
「なんだ、おまえ、そのけったいなものを視るような眼差しは。俺が喋れないやつだとでも思っていたか? 笑わせるなよ、さんざん、俺をウスノロ、ウスノロよびやがって。こちとら鬱憤がたまりに溜まってんだよ」
「え、、ああっ、うん、、なんかごめん」
ウスノロの雰囲気は、イメージと違った、無口な陰キャラの声は、はてしなく、テノールで、そして、はてしなく自信に満ち満ちしている。しかも、普段喋ってないくせに、どもったりとか、そういうのはまったくなかった。
想定外のことに、とまどうわたしにウスノロは、ぐへへへ、と、策士な笑声をあげる。
はてしなく、聞き覚えがあった笑い声、私達のボス、梓にそっくりなのだ。いやな予感が背筋をなぞりあげる。
「どうせ、梓の差し金だろうけど、俺は気にしない。おまえが付き合うと言った以上、いくところまで付き合ってもらうかな」
ちらりと、教室の外の方に顔を向ける。図らずとも梓が隠れている方向だ。どうやら、彼はこっちの企みをすべて看破しているらしかった。
さっきのは冗談! そう言わなければ、不味いことになる、大変に。
そう思った私はイチニにもなく口を開ことした。
「ほら、行くぞ。おまえは俺の“彼女”らしいからな」
しかし、声をあげるまえに、手をつかみとられて、そのまま、教室の外まで引きづられるようにして、連れ出されてしまった、声をあげて助けを求める暇さえ無かった。急速な展開に手を振りほどこうとしたところで、彼が想定以上に強い力で、わたしの手を握りしめる。ぎりぎりと。骨が悲鳴を上げるレベルで。
「痛っ……」
「俺を罰ゲームの対象に選んだことを後悔させてやる」
風がふいて、ウスノロの髪を揺らす、わずかに除いた髪の間からにやりと持ち上がった口角と、ぎらりと、輝く眼光を見てしまった。そして、悟った。コイツは、哀れな羊じゃない、むしろ、凶悪な肉食動物の部類だと。
悪魔に乗せられて、魔王につかまったと、自分の運命を恨んだ。