其之六
目を開くと、太陽の光が差し込んできた。まぶしい。辺りを見回す。あの青年とであった場所だった。
「なんで……夢、だったの?」
ルディコは思わず声をもらした。現実的過ぎるほど現実的であった。あれは本当に夢だったのだろうか。あの人の話を聞いて、確かに私は自分が自分でないかのような衝撃を受けた。けど、意識を失うような、そこまでのものではない。そうだ、あの時、あの人の体が急に光りだして、意識が、私の中に入ってきた。決して不快なものではなくて、すぐにあの人のいっていた事が真実だと理解できた。
「僕と君はひとつ」
そんな気がした。
そして、なんか、どうでもよくなって、お母さんを……。
「お母さん!」
いない。お母さんがいない。ジルーロおじさん達も。やっぱり夢だったんだ。
「村に戻ろう」
村は静まり返っていた。気配がない。まったく生気を感じられない。何年も人が住みついていないような、そんな感じだ。
少し村の中を歩いた。途中、民家を覗いてみたが誰も居ない。家具などはそのままだったが、生活感がまるでない。村の中央には噴水がある。噴水も普通に機能していた。昼間見た姿とまるで変わっていない。
「誰かいないの!」
返事はない。
「だれか! お父さん!」
お父さん。そうだ、自分の家はどうなっているのだろう。
他の家と同じで、何も変わった様子はなかった。お父さんもいない。
「どうして……」
ふと、鏡に映った自分の姿を見た。
「このニットガウン……お母さん…うう……」
涙があふれてきた。後悔の念や自責の念はなかった。何かに対して恨みを抱くような事もない。ただ悲しかった。声を張り上げてルディコは泣いた。そうすることで気持ちが楽になるかと思ったからだ。辺りが闇に包まれても泣き続けた。
朝になっても涙は止まらなかった。鏡を見た。目が真っ赤だ。腫れている。鼻をすすり、ルディコは立ち上がった。旅にでよう。すぐ、思いついた。死んでしまいたい、とまでは思わなかったが、旅先で死んでしまうことは構わない、むしろそうなりたいとルディコは思った。私の頭に浮かぶ一言一句が、一つの思いが、すべて運命によって支配されているように思えてならない。旅先で死ぬような事があれば、運命であったと片付けられる。私も、村の人たちも、滅びる運命だったのだと、ザラロナ族は生き残る運命ではなかったのだと、思うことが出来る。私だけ生きのびるのは嫌だ。私だけ、仲間はずれ……仲間じゃない、同じエルフじゃないなんて、絶対に嫌だ。
旅にでるような服は家に一着もなかった。敢えて私は白のワンピースを選んだ。お母さんの作ってくれたワンピース。その上に、お母さんの茶色のニットガウンを羽織った。カバンに食料と水、少量の化粧品も入れた。必要になるかもしれないという気がした。それと、ナイフ。お父さんの愛用していた小型ナイフだ。刃渡りは手を開いたぐらいの大きさしかない。このナイフでも護身用ぐらいにはなるだろう。ナイフ、刃物を見ると昨日のことを思い出してしまう。
「……」
忘れようとしても、忘れられないだろうし、忘れてもいけない。お父さんもこんな風に考えて、悩んでいたのかな。
「お父さん、私を守ってください」
ルディコはナイフの刃にキスをした。矛盾している、と思った。旅先で死ぬことを願いながら、助けてくれと祈っている。本当に私はどうなってしまったのだろう。考えてもしょうがない、今は進もう。
ルディコは村を一回りした。何度見渡しても、昨日と何も変わらない風景だった。もう帰ってくることはない、心にそう誓っていた。これから私は人間の住む世界へ足を踏み入れる。一族が禁じた世界へ。おそらく、私を見ても誰もエルフとは気付かない。不幸中の幸い。いや、この姿だからこそ、こんな目にあったわけだから、それは変か。
村の入り口でルディコは立ち止まった。振り返って、やっぱり夢だったのなら今覚めてほしい、そう願ったらまた涙がこぼれてきた。
森を抜けるのに一時間近くかかった。はじめて見る森の外。こんなに遠くまで見渡せる大地があったなんて。
北の方にかすかに山脈が見える。西の方までのび、さらに大陸沿いにそびえているようだ。東側には山がない、おそらくその先は海だ。海か。とりあえず、海を見に行こう。
海を求め東へ向かい、一日が過ぎた。その道中、人に会う事も動物に会うこともなかった。
「まだだいぶ先のようね」
三時間ほど歩くと、地平線の彼方に建物らしき物が目に付くようになった。
「町だ……」
自然と、足取りが弾んだ。不安もあったが、好奇心の方が強かった。いつの間にか無邪気な子供の顔に戻っていた。
無意識の内に走っていたようで、あっという間に町の入り口に到着した。
「着いた……。これが、人間の町。どんな人たちが住んでいるのだろう」
期待に胸躍らせ、町へと足を踏み入れた。
閑静な住宅街……などとは程遠く、町はゴミや瓦礫でいっぱいだった。酒瓶の破片や、破損した店の看板、鉄のパイプなどが転がっている。
人がいる。入り口から少し歩いたところに石畳で出来た広場があり、人がまばらではあるが集まっているようだ。所々、石のタイルがはがれており、並木も枝が人為的に折られ、以前は綺麗な広場だったのだろうと、思わせることもできないほどに荒れていた。ベンチの上で眠っている人、ニ、三人で固まり、大きく口を開けながら笑い叫んでいる人たち、胸当てをし、腰に剣を指している人、全身黒い装束に見を包む人もいる。
「すごい、色々な人がいる」
ただ一つ言えるのは、みんな、あまり柄が良くないということ。どこを見ても、顔に傷があったり、ごつごつした顔だったり、化粧のやけに濃い、そんな人たちばかりだった。
「どこか身体を休められる所はないかしら……」
近くにいた、顔にしわが出来始めたぐらいの男性が近寄ってきた。服はボロボロで、白であっただろう服が黄土色に変色している。
「おねえちゃん、ずいぶん若いな。新入りかい?」
一瞬戸惑った。いきなり話し掛けられて、心の準備が出来ていない。
「ん、どうしたい、黙りこくって」
「い、いえ、なんでも……」
「それにしてもずいぶん綺麗だなあ。どっかの貴族令嬢かい? はは、まさかな、こんな国にそんなお偉いさんが来るはずねえ。もしかして、よその国で国外追放でも受けて、ここに流れ着いたとか。だとしたら大変だなあ、こんな国じゃ生きていけねえよ。そうか、だからあれか、あんたなら間違いなく売れるぜえ、いくらだい?」
「え、いくら?」
「そうだよ、一回いくらなんだ?」
「な、何を言ってるの?」
「おいおい、娼婦だろ、一回やるのにいくらだって聞いてるんだよ」
「ち、ちがいます!」
そういって、逃げるように走りだした。男は追いかけようとしたが、走る前に諦めたようだ。町の奥の方まで行き、走るのをやめた。途中、先程の男のような輩と、何人かすれ違った。みんな、私のことを売春婦として見ているようで、嫌だった。たしかに、この町で白のワンピースは目立つかもしれない。
看板のライトが灯っている店がいくつかある。町の中央では営業している店もあるようだ。とりあえず手前の店に入った。
店内には、安そうな生地で出来た服やズボン、靴など、少量だが置いてある。マントやコートがわりにするのか、何の手も施されていない布切れが何枚か壁に掛けられている。
「いらっしゃい。ほう、これはこれは、新入りかい? それにしても綺麗な顔してんなあ。儲かるだろ?」
「……」
「儲からねえのか? なんなら俺が…」
「ここの人たちは同じ事しか言えないの? 私は娼婦ではありません! ただの旅人です」
「そ、そうか。それにしても旅人なんて、この国にいたんだなあ。どこから来た?」
「え?」
ザルジュの森からだなんて、口がさけてもいえない。考えていなかった、どうしよう。
「まさか、隣の、ジェン王国から?」
「え、ええ、そうよ」
「すげえな、そりゃ。かなりの道程だっただろう。女一人じゃ相当きついぜ。それとも誰かお供はいるのかい?」
「え、ええ、いたんだけど、途中で亡くなったわ。だから今は一人」
「そうか。そりゃ気の毒にな」
とっさに嘘をついた。なるべく相手に合わせた方が得策だと思ったからだ。何か役に立つことも聞き出せるかもしれない。
「盗賊か?」
「え?」
「いや、死んだって言うから、襲われたのか?」
「違うわ、事故で、ね」
「そうか、この国は盗賊や山賊がうじゃうじゃいやがるからな。旅人なんて、やつらの格好の餌だ。だからそうだと思ったんだが、まあ、気をつけろよ。といっても、この町の中も似たようなもんだがな。ゴロツキの溜まり場になっているよ」
「そのようね」
「まあ、この国じゃどの町も同じようなもんさ。大差ねえよ」
「そう。ねえ、泊まれる所この町にある?」
「ああ、酒場の上がそうだ。だけど、その顔で酒場には近づかない方がいいぜ」
「でも、からだ休めたいから」
「そうか、じゃあな」
店を出て、右斜め向かいが酒場だった。笑い声が聞こえてくる。バカ騒ぎをしているのが見なくても分かる。ためらう事もなく、酒場の扉を開いた。
店内は、割と広めに作られていた。四人掛けのテーブル席が六つあり、奥にはカウンター席がある。カウンターの向かって右側に、二階への階段がある。席はほとんど埋まっていて、空席もいくつかあるが、とても一人で立ち寄った客が座れるような雰囲気ではない。カウンターの向こう側にはマスターと思しき人がおり、こちらの様子を上目づかいで伺っている。その視線に気付かぬフリをして、店内をゆっくり見渡した。大半の客が、胸当てや鎧のような物を身につけていて、剣や斧をテーブルに立掛けている。派手なコートやブラウスに身を包んだ、娼婦らしき女も何人かいる。酒瓶を片手に身振りをつけながら大声ではしゃいでいるテーブルもあれば、こちらに険しい視線を送る者もいる。
入り口に一番近いテーブルに座っていた男が突然立ち上がり、こちらに近づいてきた。
「見ない顔だな、新入りかい?」
背は私と変わらないぐらいで、特に身を守るような物は身につけていない。ただ、かなりの筋肉質で、厚い胸板が皮製の服をパンパンに張らしている。胸元から見える茶色い毛が、より一層その男を屈強に思わせた。
「若そうだな……二十越えていないだろ?」
いつの間にか、店内にいる客のほぼ全員の視線が集まっていた。
「十五、六ってとこか……おい、何とか言ったらどうなんだ」
「私に構わないで」
「へっ、生意気なしゃべり方するな」
腕が動いたと認識したときには、胸ぐらを既に掴まれていた。腕が太いだけあって、かなり首が締め付けられる。
「新入りの小娘が、そんな態度でいいと思うなよ。ここにはここのルールってもんがあるんだ。従ってもらうぜ」
腰に挿しておいた父のナイフを右手で瞬時に抜き取り、素早く掴まれている腕の内側を縦に切り裂いた。男が声を上げる前に、喉元にナイフを突き刺す。
「ご……」
同じテーブルに座っていた、仲間と思われる男が立ち上がり、置いてあった短剣を手にして叫んだ。
「てめえ、なにしやがんだ!」
喉もとに刺したナイフをそのまま右に払い、ナイフを抜いた。同時に自分も右側に移動し血しぶきを避けた。男の頭が左側に傾く。一度テーブルに手をついたが支えきれず、そのまま倒れこんだ。
短剣をもった男が剣を振り上げる。その長さのおかげで後ろに引けば避けられるだろう。
「まて!」
カウンターの奥の男がさけんだ。仲間の男の動きが止まる。
「マスター、この女は仲間を殺しやがったんだぜ、何故とめる!」
普通ならそんな掛け声など気にせず、手を止めないであろう。だが、止めたという事は、マスターと呼ばれた男がこの男よりも強いか、この町での階級が上だということになる。
「まあまて、トラジ。先に手を出したのはそいつだ。ケンかは当人で決着をつける、他人は口を出さない、それもルールだろ」
「だ、だけどよ、これは……」
「確かに、素手の相手に刃物で切りつけ、そのまま殺しちまうのは、いささか穏やかじゃねえがな」
「だろ! へっへ、おい、ズタズタに引き裂いてやるからなあ」
「待てといってるだろう。もう決着のついたことだ、よせ」
「ふざけんな、俺はこいつをやるぜえ」
剣を強く握りなおし、切っ先を前に突き出し構えた。
「……」
「俺の言うことが聞けんのか!」
男の体がビクンと震えた。同じテーブルに座っているもう一人の仲間が声を掛ける。
「やめておけ。このガキを殺しても、後でお前がマスターに殺されるだけだ」
「わ、わかったよ……ちっ」
そういうと、鋭い眼光を私に向けながら、ゆっくり席に着いた。
「しかし大した娘だな、こんな大勢ゴロツキのいる中でそんな事をしちまうとは。たんなる若気の至りか? がははは」
そういって笑いながら、男はカウンターを抜けこちらに近づいてきた。目の前に立ちはだかる。見上げなければ顔が見えないほど大きい男だった。遠目では分からなかった。
「ここのルールでな、ケンカの決着がついたら、一方がどうなろうとも咎めることは許されない。今回の件も同じさ。お前を咎める奴なんてもういねえ。ただな、新入りにしては、態度が良くない。礼儀ってもんをわきまえてもらわねえと。いきなり入ってきて、問題起こして、殺して、仲良くしましょ、そりゃねえわ。そうだろ?」
「……」
「こいつの敵なんて打たせねえ、誓うよ。だからといって、このままタダで引き下がるわけにはいかん。落とし前、つけてもらうぜ」
「さっきから聞いていたら、何か勘違いしてない? 私は新入りなんかじゃない。ただの通りすがりよ。私は自分の身を守るために彼を殺した、ただそれだけ。勘違いしないで。それじゃ」
振り返ろうと身体の向きをかえた、と同時に、腕をつかまれた。うっ血するほど強い力だった。
「だったら、なおさら帰すわけにはいかねえ。よそ者が仲間を殺したんだ。死んでもらうぜ、逃げようったって無駄だ。ここにいる全員がお前に襲い掛かる」
「……」
「お前が助かる方法はただ一つ、新入りとしてこの町で暮らすことだ。ただし、しばらくの間は自由な行動はできねえがな。この店からださねえ。落とし前は、この店で働くことだ。外の空気を吸うことなく」
今私が逆らえば、死ぬことが出来る。けど、はっきりと生き残る術が示されている。二択。ここで死を選んだら、自殺したのと等しい。……それだけはいや。
「働くといっても、ウエイトレスじゃあないぜ。まあそれもやってもらうが、なんせこの店には二階に宿がある。便利だよなあ」
なんとなく見当はついていた。こんな町で綺麗な姿でいられるわけがない。
「お前なら稼ぎ放題だ、金たまるぜえ」
「早速俺が買ってやろうか、はははは!」
奥のテーブルに座っていた男がそう叫んで笑った。つられてみんなが笑い出し、店内は不快な笑いで包まれた。
「きめろ」
死ぬのは……やっぱり嫌だ。生きる道がある限り私は生きたい。村の皆のように、逃れられない死に直面するまでは¦¦¦¦。
「わかった。ここで働くわ」
これは私に課せられた試練。長い長い、試練の始まり。そんな予感がこのとき、頭をよぎった。あれだけの事をしてしまったんだから、当然よね、お母さん。
「そうか。おい、みんな聞いてくれ、今日からこの店で働く……お前、名前なんだ?」
「ルディコ」
「今日からこの店で働くルディコ嬢だ、みんな、可愛がってくれよ!」
「へっへっへ、よろしくな、ルディコ!」
「歓迎するぜ! 嬢ちゃん!」
「ふんっ、いい気味だわ」
「どうせすぐボロボロになるわ、死んでいた方がましだって思うわよ、きっと」
その日一日は、まさに拷問のようであった。まず、一番最初と残りの順番をめぐり、男達が腕相撲をはじめた。賞品は私。決まるまでの待っている時間、もっと悲しく、絶望感に打ちしがれるかと思っていた。だが、違った。何も感じなかった。なんとも思わなかった。ただ、時が過ぎていった。まるで、あの時と同じように。私はやっぱり変わってしまったんだと、後に深く考えさせられた。
数は覚えていない。数多の男達が私の上にのしかかる。店にいた男どもの数を遥かに越えている気がした。町中の男を相手にしたような感じだった。
最初の相手は、殺してしまった。それまで何も感じなかったのに、初めての痛みからか、恐怖と絶望感、自己嫌悪、罪悪感、その他、自分を奈落の底へ突き落とすように、わざとそうしているかのように、自責の念が沸々と沸いてきたのだ。記憶喪失から回復し、記憶を全て取り戻したかのような不思議な感覚にも陥った。無意識の内に傍らに置いてあった父のナイフを手に取り、気が付くと背中に、ちょうど心臓の辺りに突き刺していた。この後、マスターにナイフを取り上げられ、握りこぶしでおもいきり殴られた。戦いごっこなどは頻繁に行っていたが、顔を殴られるのは初めての事だった。
「お前、どんな育てられ方したんだ、俺たちだってそう易々と殺しなんかやらない」
こいつはヤバイ、ここにいる人達にはそう印象付けたようだった。だからといって、流れが止まるわけでもなく、事は、延々と運ばれた。
ここで起きた出来事は、翌日には村中に知れ渡っており、店でも絡んでくる輩は一人もいなかった。友好的とまではいかないが、敵意を剥き出しにしているような人もいない。最悪の状況であるにもかかわらず、安堵した。ここで順調に、平穏に暮らしていけると。