其之五 ルディコ、十四歳
ルディコ、十四歳――女の子の成長は早いというが、この歳で、ここまでの気品が漂うものだろうか。誰もが目を奪われるほどに、気高く、高貴な雰囲気に満ち溢れている。御伽話のお姫様がそのまま現世に召されたような、いや、それ以上の存在をも思わせる。それは、かつての親しみを通り越して、森の者たちを動揺させた。
何故、こんなにも、人間のようなのだ、と。
明らかにエルフ離れした顔立ち、その匂い、精気もまるで違うもののように感じられた。森の間で密かに囁かれ始めた。あの子は、人間の子ではないか――。
十四歳になっても、ルディコの性格は男の子のようだった。さすがに力では男の子に敵わないらしく、泣いて帰ってくることもしばしばあった。その悔しさからか、技術のいる遊びにはとても熱心だった。木刀を使った決闘では、もはや負けなしだった。どんなに怪力な男の子でも、スピードと技に長けたルディコには敵わず、あいつは蛇だ、と、「蛇女」というあだ名をつけられていた。
「ふっふっふ、この私に剣で敵う相手なんて、いないのよ!」
「くそ、こいつ、剣はかなりの腕だからな、蛇みたいに素早いしよ」
「だから、こいつは蛇女だろ!」
「なんですって!」
「逃げろ! 蛇女! 蛇女!」
「こら、待ちなさい!」
走り抜ける森の中で、太めで温和なオバサンとすれ違った。面倒見が良くて評判だ。
「森の奥の方まで行くんじゃないよ! まったく、元気な子らだねえ」
「うん、分かってる!」
密林の森といえども、隅々まで木々が生い茂っているわけではない。小さな空き地ほどの開けた場所もいくつか点在する。そこは枝や草木が密に絡み合い、その様子は子供たちにとってはまさに秘密基地であった。格好の遊び場となっている。
「剣士ルディコよ、今日こそは勝たせてもらうぞ」
「望むところよ、アルバニスタ、さあ、来なさい、それとも、私から?」
「ま、待て、やっぱりこうしよう、悪の剣士ルディコが城に攻め入るという設定に変えよう」
「なんで私が悪の剣士なのよ! 斬るわよ!」
「わ、分かった、聖騎士ルディコが悪魔城に攻めることにしよう、い、いいよな? ガウタ、ザルケン、ポグロ」
「チェッ、しょうがねーな」
「まあ、四対一なら、勝てるしな」
「あ、そうよ、四対一なんてズルじゃない!」
「うるせえ! 悪魔が卑怯なことして、何が悪い! みんな、一斉に掛かれえええ!」
「うおおお!」
次々と襲い掛かってくる四人の攻撃を、ルディコはいとも簡単に退けた。この四人の動きが悪いのではない、ルディコの運動神経がずば抜けて良いのだ。だが、多勢に無勢、そう綺麗に全てを退けられるわけではない。
「あー痛っ! やったわね、ポグロ!」
「よし! 一撃やってやったぞ、一気に掛かれ!」
「ここはひとまず、退いて……」
ルディコは後ろに跳ね飛び、頭上にあった太い枝から猿のように伝わって森の奥へと入っていった。慌てて四人も後を追う。普段、遊んでいるだけあって、ひょいひょいと木から木へと飛び跳ねていく。
いつの間にか見慣れぬ場所まで来てしまっていた。子供たちにとっては日常茶飯事だ。特にうろたえることもなく、ルディコもまた同じであった。
「この辺り、見たことないわね、ちょっと遠くに来過ぎたかな……四人もいるくせに、まだ追いつかないのかしら」
ルディコは四人を待つうちに、木に寄り掛かりながら少し眠り込んでしまった。
気持ちがいい……ふわふわする。
なんだろう、この感じ……あったかい。
ルディコはゆっくりと目を覚ました。辺りの様子から、それほど時間が経っていないことは分かった。
「あの四人は、何をしているの、まだ私を見つけられないわけ?」
ルディコは欠伸をした。帰ろう。なんとなく、来た道は分かる。
「ん?」
ふと、視界に人影が映った。通り過ぎたというより、見つけた感じだった。
「誰か、いるの?」
返事はない。
「アルバニスタ?」
ルディコは何故か、気になって仕方がなかった。いつもなら気にも留めずに、このまま放って行ってしまうのだが、どうしても探さなければならないような気がした。
ゆっくり少しずつ、その気配に近づいていく。何でこんなに警戒しているのだろう、と自分自身に対して疑問を抱きながら、ルディコは慎重に歩みを進めた。
誰か、いる……あの、ちょうど木の向こう側。心臓の慟哭が速くなってきた。身体が全身で脈を打っているようだった。不安? 好奇心? 具体的な表現が思いつかなかった。こんな感じは初めてだ。ルディコの額から汗が滴る。熱い。
気配のあった木を越えた。その先は、開けた雪地だった。木々が天を覆っていないので、この一体だけがやけに明るく、雪に日光が煌めいていて、美しかった。
ルディコの鼓動がぴたりと止んだ。雪地の中央に人が倒れていた。我ながら不思議な身体だとルディコは思った。
倒れているのは男の人だった。青年ぐらいだろうか、怪我をしている。直感的に、エルフではないことはすぐに分かった。
「……ニン、ゲン?」
女の子らしいことも覚えなさいと、母エリザに薬草の知識を教え込まれたことがあった。そのときのことを思い出しながら、ルディコは周囲に生えていた薬草を摘んで、その青年に施した。
「……どこから、来たんだろう」
どことなく見覚えのある顔だと思って、ルディコはしばらく青年を見つめていたが、思い出せなかった。いや、そもそも、この人はエルフではない。見覚えがあるはずがない。てへへっと、ルディコは笑った。
この青年を見つめているだけで、ルディコは暖かな感じがしていた。何故だろう。分からない。
「あ、私の耳……」
ルディコは青年の耳が自分の耳とよく似ていることに気がついた。森では、自分と同じ形の耳をした者は一人もいなかった。そのことで苛められたこともあった。だからといって、ルディコはさほど気にもしていなかった。
だが、初めて出会ったエルフではない者と自分が同じ形の耳であるということは、少なからずルディコを動揺させた。今すぐに目を覚ましてほしいと思った。何者なのか、この者の口から、早く答えを聞きたかった。
青年はなかなか目を覚まさなかった。
「うー、薬草で応急処置したくらいじゃ、ダメなくらい重症だったのかしら……そもそも、お母さんに教わったことをちゃんと思い出せたのか不安だわ、これ、毒草だったのかも、うーん、その可能性は大ね」
森の中に連れていく……ルディコは首を振った。
「確か、結界があるんだよね、エルフ以外が触れたら、爆発するんだっけ? さすがに、それはまずいよね、目を覚ましたら身体がなくなってるとか、怒るよね……」
空が赤み掛かってきた。もう夜も近い。このまま置いて帰っても、おそらく死にはしない。でも、この人の目を開けた姿が見たい、この人の声を聞きたい……ルディコは青年の頬を何度も引っ叩いた。
「う……」
青年が唸った。気がついた。
「だ、大丈夫?」
ルディコは思わず声が震えてしまった。
「き、君は……」
青年は、澄んだ、とても綺麗な声だった。
「え、あ、あの、怪我、してたみたい、だから」
エルフは、対峙した相手のことを感覚的に知ることができる。心が読めるわけではなく、直感的に、この人物が一体どういう者なのか、ということを感じ取ることができる。
「だ、大丈夫?」
「ああ……」
何も感じない、何も伝わってこない。この人をはじめて視界に捕らえたときに感じた、湧きあがる感情すらも。こんなことは初めてだ。どんな人からでも何かしら感じることが出来る。サルやイヌ、昆虫、植物でさえも生命に満ちたオーラを発している。この人からは何も感じられない。人間だから? 人間というのは、こんな、恐ろしい存在なの? だから、エルフは避けてきた?
「君は……エルフだね?」
「え、な、なぜわかるの?」
ここはエルフの隠れ里として有名なのかもしれない。だから分かったのだろうか。きっとそうだ。落ち着こう、落ち着こう。
「以前、君に似た人と会った事がある……彼女にそっくりだ……」
誰のことだろう。私に似ている……お母さん? だけど、そっくりというほど似てはいない。まさか、私が産まれた時に亡くなったという、お婆様のことかしら。それならあり得る。皆が生まれ変りだといっていた。
「エリザに……」
お母さんだ。
「ど、え、前に、母に会った事があるの?」
「だいぶ前だけどね……そして君にもさ、ルディコ」
「な、何で私の事を……」
背筋が凍るような寒気を生まれて初めてルディコは感じた。それが危機感だとは、逃げろという事だとは、気が付きもしなかった。
「僕と君はひとつ……同じだよ。同じなんだ。ひとつなんだ」
「な、なにをいっているの?」
「あの茂みの中に剣を隠してある。よく斬れるよ」
背後にある茂みを指差して男はいった。
「え、なに……」
「自分の容姿について考えた事はあるかい?」
何がいいたいのだろう。突然、何をいい出しているのだろう。
「その顔、その耳さ、周りと違うと思った事はないかい? なぜ自分だけこんな姿なのだと、なぜ自分だけ、人間のようなのだと」
「人間?」
「そう……エルフは耳が特徴なんだろ? だけど君の耳はエルフのものではない。顔立ちだって、エルフ離れしているんじゃないか? むしろ、僕らと同じ、人間にそっくりじゃないか」
ルディコは言葉が出なかった。金縛りにあったようだった。何に対して衝撃を受けたのか、それすらも分からなくなっていた。
「でも君はエルフだよ。エルフの血は流れている。半分だけどね」
「ど、どういうこと、なにいってるの?」
「知りたいだろう、本当のことを。君が何者なのかを。教えてあげるよ、君が産まれる、もう少し前の出来事からね……」