其之一 吹雪の産声
こんなにも吹雪いたのは、何年ぶりだろうか。いや、目を開けていられないほどに荒れたことなんて、今までになかった。何かの前触れか。まさか……。ダメだ、こんな時に何を不吉なことを考えている。これはきっと、むしろ祝福してくれているに違いない。雪の精が、雪の王が、心から、我を忘れて、きっと、そうだ。そうに違いない。
「ダルは何をやっとるんじゃ、もうすぐじゃぞ」
「ううく……はあはあ……」
「しっかりせい、エリザ、もうすぐじゃ、もう産まれるぞい」
「おいおい、こんな時にダルは何をしているんだ?」
熊のように大きくガッチリとした体格の男がいった。まるで落ち着きがない。部屋の中を行ったり来たりしている。
「落ち着けよ、ダルは結界を見に行っている、今月はあいつが当番だからな、それに、もうそろそろ戻る頃じゃないか」
小柄な男が諭すようにいった。こちらは落ち着き払っている。だけどなあ……と熊男は頭を掻いた。
突然、大きな音と共に扉が開かれた。吹き飛んだ、という感じだった。同時に、凄まじい勢いで吹雪が家の中に押し寄せてくる。
「遅えぞバカやろい! はやく閉めろい!」
吹雪にまみれて現れたのは、ダルだった。全身が雪で真っ白だ。
「いや、だけど扉が壊れて……」
ひしゃげた蝶番が散らばり、扉が無様に横たわっている。
「イャガ、扉持って押さえとけ、雪が入ってこないように」
熊男がそういうと、イャガと呼ばれた小柄な男は、しぶしぶ従った。
「ダル、遅かったじゃねえか、だがナイスタイミングだ、まだ産まれちゃいねえ、もう間もなくだ、まったくヒヤヒヤさせやがる、結界の見回りぐらい誰かに代わってもらえよ」
「いや、族長が決めた順番だから、それは守らないと」
「真面目な奴だ、それにそんなことで族長が怒るかよ」
「出た! 頭が出たぞよ!」
「おぎゃあ! おんぎゃあ! うんぎゃあ!」
甲高い産声が部屋いっぱいに広がった。吹雪の荒ぶる音など、もはや誰の耳にも届かない。
「やったな、ダル!」
「おお……お……おおお……」
「何をいってやがんだ、おい、やったな、ダル! がはは、ダル! え、ダル! ダル!」
「ジルーロがそんなに喜んでどうすんだよ!」
イャガは満面の笑みでそう叫んだ。その目には涙を浮かべている。溢れるのを堪えるために大声を出したようだ。
「エリザ、よう頑張ったのう、無事、産まれたぞ、元気な子じゃ」
「うん……」
汗で濡れたエリザの銀髪が、部屋の灯りに照らされてキラキラと眩い。赤ん坊に両の手を伸ばすエリザのその姿が、ダルには神秘的な、神々しい何かに思えてならなかった。
「抱かせて……」
「そりゃ、お母さんじゃぞ、そうじゃ、気をつけて、そうそう、そうじゃ、優しく」
産まれたばかりの赤ん坊が母の腕に抱かれた。母子ともに幸せそうな、満面の笑みを浮かべている。
「ん、ダル! おい、どうした! 幸せのあまり、死んじまったのか?!」
立ち尽くして呆然としていたダルは、ジルーロの声で我に返った。
「お、おお、や、やったな、エリザ! よくがんばった……よく、がんばった……うう……ホントに……」
「そんなに泣くなよ、え、ダル、乙女か! え、がはは!」
「……で、男……? 女……?」
溢れ垂れ流れる鼻水を拭いながら、ダルはお婆に尋ねた。
「女の子じゃ、良かったのう、この子はベッピンになるぞい」
「うん……うん……、もちろん、俺とエリザの子なら……きっとそうなる、きっと、うん」
「ダル、お前に似たら美人にはならねえな!」
腕も脚も震わせて扉を押さえているイャガがいった。部屋中に笑い声が響き渡った。
「名前は決めてあるのか?」
「ん……ああ、もちろん」
「ダル……私も聞いてないわ……この子の名前は……何?」
皆の視線がダルに集まる。
「……ルディコ、ずっと考えていたんだ、この名前しかない、この子の名前は、ルディコ、だ」
「由来は……?」
「ない」
「適当かよ!」
ジルーロとイャガが揃ってツッコんだ。ダルらしいっちゃらしいけど……と、外れた扉を支え直しながらイャガは呟いた。
「いや、適当じゃない、この間、ふっと突然、浮かんだんだ、それから他の名前も考えた、たくさん、でも何故か、この名前が気になってしょうがないんだ、片時も忘れられないんだ、何をしていても、ルディコ、うん、ルディコしか考えられないって、これはきっと、精霊様の思し召しなんだ、そう……そう、雪の精、雪の王、のな」
「うん……いい名前……私も気に入ったわ、この子は、ルディコ、ルディコよ」
「そ、そうだろ!」
そういうとダルは、エリザからひょいっと赤ん坊を取り上げて、抱え上げた。
「お前は、ルディコ! 俺とエリザの宝物だ!」
その後もダルは同じようなことを叫び続けて、部屋中を駆け回った。ルディコも大きな声で泣き続けた、まるで大きな喜びを表現するかのように。その様子をエリザは微笑みながら見つめている。ジルーロは半ば呆れたようにダルを見ていたが、途中から一緒になって叫び始めた。扉を支えたままのイャガは、扉とダルたちを交互に見つめて、自分も混ざりたそうな、羨ましそうな眼差しを必死に送っている。
「じゃあ私は帰るでな、まあ、母子ともに健康じゃて、心配なかろう」
お婆はこれでもかというぐらいの笑みを浮かべ、よしよしとルディコのほっぺたに指をついていった。
「ありがとう、お婆、助かったよ」
「なあに、ダル、礼には及ばん、これが仕事じゃ」
「それにしてもこの吹雪、おさまらないな、さらに激しくなっているんじゃないか? 大丈夫かよ、お婆、こんなときに帰って」
「ジルーロがいれば、平気じゃ」
「え、俺がお供ですかい?」
「そうじゃ」
ジルーロは大きな肩をすくめた。
「へいへい、わかりましたよ、じゃあな、ダル……ん、どうした?」
ダルの顔が強張って、そして小刻みに震えていた。額には汗が滲んで、今にも滴り落ちそうだった。
「おい、ダル、どうしたんだ?」
「こ、これを……」
ダルはルディコを包んでいたタオルを強く握り締めて、か細い声で呟いた。ダルのあまりの形相に、エリザも言葉が出なかった。
「何を見ろって?」
ジルーロはそういうと、お婆と共にルディコの顔を覗き込んだ。
「なんじゃ……こ、これは……!」