あえて名付けるならエッセイだと思う。
はじめまして
葛西と申します。
コンビニで立ち読みをするような気軽さで、サクッと読んでいただけたらなと思います。
「好きなタイプは?」
あまり親しくない女性同士(仲が悪いというのではなくて、出会って間もないという意味で)や、男女の飲み会などでよく聞く台詞。
そこで多くの人は、「優しくて、一緒にいて楽しい人」だったり、「笑顔が素敵な人」だったりを挙げる。
たしかに、優しくて、一緒にいて楽しくて、笑顔が素敵な人は私を幸せにしてくれると思う。優しかったら、きっと荷物を持ってくれるだろうし、一緒にいて楽しいのだから、同じ理由で笑い合うことができるだろう。
でも、きっと私はその人を好きにならない。正しく言えば、好感は持っても愛することはできないのだ。
好きなタイプというのは、難しい。イコールの先が、好きになる人なのか、付き合った人なのか、理想とする人なのか、どう解釈するかで答えは大きく変わってくる。
このエッセイを書いている間、むかしの恋人と少し言葉を交わしたのだけれど、この人は私が好きになった人であり、付き合った人でもある。私はこの人の、色素が薄くてガラス玉みたいな瞳と、女の子みたいに華奢なくせに何もかもが私と違う骨格が好きだった。
彼は私の荷物(鞄や体操着の詰め込まれた巾着なんか)を代わりに持つことはしなかったし、きっと笑うに違いないと、私が用意していたとっておきの世間話にも
「へぇ、そうなんだ」
と適当な相槌をうつくらいで、笑い合うことなんか滅多になかった。
それでも、私は幸せだった。このうえもなく。
学校からの帰り道(彼と私が唯一二人きりになる場所だった)くねくねした下り坂をわざと彼より遅く歩いて、振り返ったガラス玉の瞳が夕陽にキラキラと反射するのをうっとりと眺めていた。纏ったジャージが彼の骨格に合わせてたゆみ、できたくぼみに影が落ちるのを自分のそれと比べていた。
あの頃の私の好きなタイプは、つまりそういうことだったのだと思う。
ただし、あくまであの頃の私の好きなタイプであって、今の私を幸せにするものは、きらきらひかるガラス玉の瞳ではなく、何もかもが私と違う骨格でもない。
はるかむかしのその記憶はいつでも私をあまくて切ない夕焼けの坂に連れて行ってくれる。
でも、今の私を幸せにしているのは、
買い物袋をたくさん抱えて、たわいもない話でよく笑う、自分は何も知らないということを知っているだけのオトコなのだ。
好きなタイプというのは、難しい。