女子でライバルで
なんとも不本意で輝かしい、転入デビューを飾ってしまった甲本久。
クラスメイトからの「お前ら出来てたんか」という視線に晒された二人。
久は止むをえん、とばかりに、
「何をするんですかー」
とやや棒読み的な声をあげながら、一同の目の前で沢に鉄拳を食らわせたのである。
言葉には感情は篭っていなかったが、拳には篭っていた。
「ぐわーっ!!」
沢はぶっ飛んで倒れた。
「……」
「……」
「……あれは、羽木君が無理やり?」
「……きっと察してほしくないんだろう」
あまりのわざとらしさに、察するどころか裏の裏まで理解した風なクラスであった。
そこに日向が戻ってきて、適当な言い訳をした。
曰く、両親同士が仲が良くて幼馴染みたいなものだ。
野球という繋がりが幼い頃からあったから、男女とか意識しないで付き合いがある。
そこは、クラスでの信頼度はトップクラスの雛澤日向である。
そうかな。そうなのかな。雛澤が言うなら多分そうなのかもしれないな。
そういう空気になって、解散と相成った。
反省会。
会場は電車の中。
「そもそも、羽木は短絡的過ぎる。いきなり手を引っ張って連れてく奴があるかよ」
「思わずやっちまった……! なんつーか、考えたら体が動いてな」
「もうそんな事じゃあな。これから先が思いやられるっつーか」
「先?」
沢は、何を言われたのか一瞬よく分からない。
これまで先のことなんか考えないで来たし、野球と離れてからは、そもそも先のことが考えられなかった。
そんな自分に先と言うか。
「そうだよ。先だよ。お前なあ。俺のこれが、一朝一夕でもとに戻れるようなもんだと思ってるのか?」
久は眉を怒らせて、自ら胸元を叩いて協調してみせる。
うおおお、揺れたァ、と釘付けになる辺り、哀しき高校生男子の習性である。
沢はすっかり久に主導権を握られた。
「こういう症状はたまーにいるらしいんだが、治ったって例が無いんだと」
「医者に診てもらったのかよ」
「もちろん。それでまあセカンドオピニオンだ、サードだと回って、もうそりゃあ全部ダメ。ファーストからサードまでダブルどころかトリプルプレーよ。一気にスリーアウトチェンジと来たもんだ」
「わっはっは、上手い」
思わず腹を抱えて笑ったら、ぺちぺちと額を叩かれた。
どうやらそういう反応を意図した話では無かったらしい。
「何すんのよー」
「いいかー羽木。俺たちはつまり、運命共同体的な感じなんだって! 俺は元に戻れない以上、女にならなきゃいけない。だけど女になったからって、頭の中まですぐ女になるもんじゃない」
「ふむー」
「だけどよ、思ったんだ。俺は、自分で考えてたよりも、なんかモテそうな女になっちまったらしい。これはあれだな。俺が持っていた隠れた才能が開花したとかそういうので……だけど男に言い寄られるのは困るんだ。分かるな?」
「そりゃあまあ、俺もカントクに尻を触られた事があるけどゾゾッとしたなあ」
「だろー!」
我が意を得たり、と盛り上がる久。
尻を触られたくないということか、とおかしな方向に理解を深める沢。
そこで、電車が駅に到着した。
ここから昨日のバスに揺られて、さらに奥地へと帰っていくことになる。
すっかり日が傾いていた。
昨日は学校から直帰していたから、時間はいくらでもあったのだ。
だが、転入生となった甲本久を待っていたのは、部活による勧誘であった。
ひとまず、幾つかの部活を見学して……という義理を果たしたら、結構いい時間になってしまっていた。
これでは、共に分校のグラウンドにいた時と同じくらいの時刻ではないか。
やって来たバスに乗り込むと、乗客はほとんどいない。
並んで昨日と同じ、最後尾の座席に腰掛ける。
「俺はさ、思ったんだよ。羽木が突っ走って勘違いされるような事になっちまったけど、あれ? これってこれはこれでいいんじゃないかって」
「えっ、どういうことなん」
「つまりさ、俺とお前が付き合ってることにすればいいんだよ」
「なっ、ななななにぃ!!」
大声をあげたものだから、数少ない乗客に訝しげな目で見られた。
「すまん、続けて」
「お、おう。でな。お前と俺が付き合ってることにすればよ。ほら、男が言い寄ってこなくなるだろ? これなら万事解決だぜ」
グッとサムズアップを決める久。
だが、沢は逆に心臓が鼓動を早くしていくのを感じていた。
何だ、一体どうしたというのだ。
つまり、偽物のカップルをやろうというお誘いだろうが、なんでそれでドキドキするのだ。
「何で俺なのだ」
聞いてみた。
たまたま近くにいたからとか、誰でも良かったとか。
「ばっか。お前なー、お前以外で誰がいるんだよ!? まず俺のこと知ってるだろ? で趣味が近いだろ? ポジション同じだったろ?」
指折り数え始める久。
一見すると、クールな印象も受けるような少女が、むきになって理由を並べ立てているのがちょっとおかしくなり、沢の頬は緩んだ。
「そうだなー。お互い、恥ずかしいところも見せたしな! スカート姿であんなに足振り上げたら、見えるって」
「あ、お前見たのか! っつーか、洒落にならねえくらいお前も肘ぶっ壊れたのなー」
「そうそう。まあ、だけどな。吹っ切れた」
久が来てから、ちょっと吹っ切れたのだ。
「まあ、雛澤さんに怒られなきゃいいけど」
「は? なんで日向が出てくるんだよ」
「……お前って、多分鈍いよな?」
「鈍い……? いやいやいや。無いから。日向に限って無いから」
こいつといると、今までどこかに無くしてしまっていた、素の自分が戻ってくるような気がした。
俺は停滞してしまっていたのだな、と沢は思う。
どうやら、少しずつ、止まっていた時間が動き出したようだ。
バスが木立を抜けていく。
一瞬、車内に差し込む日差しが翳って、今度は角度を変えて照らしてくる。
斜めから差し込む光が、久に当たったように思った。
鮮やかに見える、横顔のラインは見知ったライバルのものではなかった。
そうだな、と沢は思う。
「お前しかいないかもしれないよな」
「ん? 何がだよ」
今度は久が首を傾げた。
「まあな。一緒にマウンドで、ヘロヘロボールを投げられて、そんで、俺の恥ずかしいボールをキャッチできる奴なんて他に無いもんな」
「ああ。そういう事な。幾らでもやってやるよ。つうか、左が無事なら左投げをマスターしようぜ」
「そうだなー。そう言ってくる奴って、まずいねえわ。お前くらい」
互いに笑いだした。
そして、沢は思う。
そういう、自分をよく分かる奴は、多分たった一人しかいなくて。
そいつが、甲本久。
いつまでかは分からないが、付き合ってみるのもいいか、なんて思う沢なのであった。
かくして、元ライバル、今はカップルな二人三脚が始まった。
甲本くんは女の子──おわり──