転校生、マウンドにて投げ較べ
元担任に挨拶した後、グラウンドを借りられる運びとなった。
生徒下校時間が迫っているから、なるべく早めに済ませろよ、との条件付き。
沢は久をともなって、懐かい場所へやって来た。
「これよ、ボール」
「分かるわ」
沢が手の上で、ポンポンと弾ませる。
硬球。
既に野球部は無くなってしまっているから、これを使用する生徒はいない。
「昔はよ、マウンドがあったんだけど……もう平らになっちまってるなー」
「ありゃ、普通のグラウンドにあったら邪魔だからな。仕方ないだろうよ」
傍から見てると、自分たちはどう見えるのだろうなあ、などと考えてしまう沢。
制服姿ののっぽと、モデル体型(ただし胸は大きい)のワンピースの女の組み合わせが、白球持ってグラウンドの真ん中だ。
「どれ、貸してみろ」
久は沢の手から、ボールを奪い取った。
「羽木、キャッチャー」
「おう!」
沢はダッシュして、キャッチャーのポジションに構える。
古びたグローブを手に、
「さあ来い!」
久は笑いながら、ポンポンと手の上で転がすと、大きく振りかぶった。
スカートが翻る。
……おっ、見えそう。
高く振り上げた足が叩きつけられる。
既に、球は指先を離れていた。
風を切って、硬球が飛ぶ。
女子が投げる速度ではない。
「ヒュウ、気持ちいー!」
快音を響かせて、速球はグローブの中に収まった。
「……あれ? お前、球威かなり落ちてね?」
沢は首を傾げた。
久のボールなら、何度も見てきている。
彼の投球を穴が空くほど見ていた訳だから、異常があるならすぐ分かる。
「女子としちゃはええけど……あれじゃ、ダメだろ。通用しねえって。中学レベル」
「ま、そういうこった」
肩をすくめて、久がやって来た。
仕草や足取りは男のものだ。
「女になってからは、もうダメになっちまってさ」
そう言って、久は手を差し出した。
「あん?」
「次。俺が受けるわ。お前が投げろ」
「……俺が?」
「俺はさ、納得してないんだよ。お前がまだ投げられるんだったら、許せないかも知れん」
「なんぞそれ。身勝手な」
半笑いで、沢は久にグローブを手渡した。
球は自分で回収して、マウンドの辺りに向かっていく。
「おい、見てろよ? ぶっ壊れた人間のレベルっつーのを今から披露してやるからな!」
冗談めかして言う。
今日の昼までは、冗談でもこんな事は言えなかった気がするが、今は何故か言える。
あまり曲がらない腕で球を握り、振りかぶる。
うん、振りかぶれない。
人間、一箇所が致命的に故障したら、何もかもダメになるもんだと内心笑えてくる。
で、投げた。
「お」
笑えるくらいのノーコンぶりで、ひょろひょろと飛ぶボールに、慌てて久がミットを伸ばす。
軽々とキャッチする。
「なんだこれ。これ、ふざけてるんじゃ無いよな?」
「今の全力だぜ」
「これが全力」
「おうさ」
すると、久は立ち上がった。
グローブを外し、
「許す」
歯を見せて笑った。
「お互いポンコツだな。笑える」
「いやいやいや。お前、お前は女子の野球部とかさ、ソフトボール部とかあんだろ。あれだけ投げれんだからさあ」
「ばかやろ、今更女子の部活に入れるかよ。お前さ、例えばお前が女になったら、すぐに女子の部活入れっかよ?」
「俺は肘が壊れてるからなー」
「五体満足だったとして!」
「そうだなー。恥ずかしいなー」
「だろ? そうだろ? な?」
久が肩をバンバンと叩いた。
そこで、下校時間を知らせるチャイムが鳴り響く。
グローブを返しに行かねばなのだった。
「へい」
ヘルメットを放り投げると、久がそいつをキャッチした。
またもニケツで帰宅する二人なのである。
「おー、なんぞ。甲本随分ゴキゲンじゃね」
「そりゃなあ。俺は目の前が真っ暗になっちまったけど、お前も駄目になったんならまあいいかってな」
「なんだそれ。性格悪ぃなあお前」
「お前はスケベだけどな」
「いいいい言うなぁ」
よりによってこいつに弱みを握られてしまったか。
だがまあ、互いに駄目なところを見せ合ったせいか、妙な連帯感を覚えるのだった。
あと、胸も大きいし。
「日が暮れてるな……。そうなると、全然風景が変わるんだなあ……」
「おう。だがそのうち見飽きるぞ。娯楽とかなーんもねえ村だからな」
「……お前なあ。盛り上がってんのに何水を差すんだよ。お前絶対、空気読めないとか雛澤さんに言われてるだろ」
「それ以前の問題かも知れんね」
「えっ、マジかあ」
カブが田舎の道をもりもりと疾走していく。
対面から軽トラがすれ違って、
「いよー」
「よー」
おっさんが挨拶してきた。
沢も手を振り返す。
あのおっさんは、沢が美少女とニケツしていた話を、周囲に言いふらすことであろう。
田舎の噂話が伝達する速度は早い。
「知り合いばっかなのな」
「全員顔見知りよ」
日が落ちるのが遅い。
まだ、西の空が赤らんでいる頃合いに、家へと帰り着いた。
「んじゃあ、明日からよろしくな。転校してくるんだろ?」
「そういうこと。転入試験は余裕の満点よ」
「すっげ!?」
「右も左も分からないからな。頼りにしてるぜ、羽木」
「まあ悪いようにはせん」
明日も甲本と一緒か、と思う。
すると、我知らずちょっと笑みが浮かんでくる沢なのだ。
「あ、雛澤さん帰っちゃったか。お礼言いたかったんだけどな」
「何よお前。日向好きなん?」
「あー。気になってはいたけどなー。完全に女になっちゃったからな俺。かと言って男を好きになるというのはありえんだろ」
「だろうなあ」
奴は奴で悩んでいるのだなあ、と沢は思う。
よくよく考えたら、沢は肘が壊れたが、まだ男のままで自分のままでいる。
久は肘も肩も無事なままだが、そもそも女になってしまって体そのものが変化してしまった。
あれ、俺ってまだマシじゃね? などと考える沢であった。
そしてすぐに思い直す。
「いかん、俺最低じゃね」
「あ? 何をいきなり自己嫌悪してんのお前」
突かれた。
「大体何考えたかは分かるけどさあ。……つうか、分かるようになっちまったんだけどさ。俺は俺でお前をダシにしてるわけだし別によくね?」
「ははあ、そんな考えが」
「……ぷふっ、思ったけどさ、お前っておかしいよな」
「はあ!? 失礼な!」
「悪い悪い! じゃあ、また明日な!」
去っていくライバル。
彼女の背中をぼーっと見送りつつ、門扉に消えた後、
「♪」
沢はスキップしながら帰宅するのであった。