バスでシャワーな彼女
下着の替えを持ってやって来た甲本久。
「マジか」
沢は戦慄した。
この男……いや、女、本気で我が家でシャワーを浴びるつもりなのだ。
事前に覗くなよとは言われているが、そう言われて覗かないでいる年頃の男子がいようか。
いるだろう。だが自分は覗く。
沢はそう強く心に誓った。
何しろ、これほど大きく心を動かされたのは久しぶりなのだ。
大きな挫折を味わいはしたが、己はまだ生きているのだと実感する。
そして、相手はかつて、自分に取り返し用のない土をつけたライバルである。
この覗きは何か。
あの時のリベンジなのではあるまいか……!!
と、そんな阿呆な発想をして己の性欲を誤魔化す沢なのであった。
勝手知ったる自分の庭。いや、自宅の庭。
例によって、沢の家は庭から田んぼへ抜ける道がある。
そのため、生け垣の内側を回ってゆったりと歩ける程度には、スペースが設けられていた。
さて、バスルームはちょうど、生け垣で隠れている場所にある。
抜き足差し足、歩みをすすめる沢なのだった。
「これはリベンジ……そう、リベンジだ……! 俺は過去のトラウマを乗り越えるために仕方なくやっているのだ……!」
自分でも信じていない題目を掲げつつ、耳を澄ませる。
痛いくらいに響き渡る蝉の鳴き声。
だが、伊達に沢の家は築二十年を超えていない。
壁が薄いから、どれだけ蝉がうるさかろうと、シャワーを浴びる音は聞こえるのだ。
どうだ、鼻歌でも歌っているのか、と思いつつ息を潜めていると、
「うわっ、水流つええ!? 微調整……したらチョロチョロになりやがった!? くっそ、一かゼロしかないのかここのシャワーは……」
声色こそ可愛らしい少女のものだが、言葉の内容は紛うことなき男子のものである。
何と色気の無いやつだ、と沢は一瞬憤慨し、すぐに、彼が甲本久であることを思い出した。
では、奴は男であるからして、覗いてしまっても構わないのではないだろうか。
沢の中で、天使と悪魔が出現する。
天使いわく、親しい仲と言えど礼儀はある。覗くべきではない。
悪魔いわく、ここは沢の家である。故に何をしてもよい。
天使が反論していわく、しかし覗くなという客人の言葉は聞くべきである。悪魔は恥を知れ。
悪魔がドヤ顔でいわく、そもそも甲本久とは親しくないし、客でもない。なので構わぬ。
天使、納得。
脳内会議満場一致で覗くことになった。
「どーれ……」
浴室は冷房を取り付けられないから、熱気がこもる。
夏ともなれば、その暑さはなかなかのもの。
結果、換気扇を回したり窓を開けたりするわけだ。
今は屋外に続くファンが、唸りを上げて回っている。
窓が空いていないのだ。
なんたること!!
沢は怒りを覚えた。
だが、彼に策あり。
浴室の窓だが、なんと鍵が古びていて、振動であっさり外れるのだ。
沢は蝉の声がひときわ高まるタイミングに合わせ、窓を揺さぶる。
カタカタっと揺れると、窓が動きやすくなったようである。
微かに窓を開け、沢は立ち上がっていく。
隙間から、湯気が溢れ出した。
絶賛シャワー中。
「おお、いい湯加減になってきたな……。あー……やっぱ気持ちいいわ。なんか、こう、男の体とは違う意味で風呂が好きになった気がするわ……」
湯気の向こうで、可愛らしい声が聴こえる。
少女が身じろぎすると、シャワーを浴びて火照った白い体が見えた。
野球をやっていた立場からして、首から上と手だけが日焼けしているのだが、久はそれはもう、全身真っ白だった。
大変眩しい。
「す、すごい」
沢は小鼻を膨らませた。
首筋から肩口にかけてのラインは、一見細いがしっかりと鍛えられ、無駄な肉のないシャープさをたたえている。
それでいながら、胸元から発生するあの膨らみは何か。湯を帯びてあの悩ましい曲線を雫が伝い落ちる。
鍛えられていても柔らかさを失わない、二の腕の線を見よ。あれが、あれこそが女子の証だ。
残念ながら、上半身から下はもっと身を乗り出さないと見えない。
さて、ここは冒険すべきか、せざるべきか。
天使と悪魔いわく、若さは爆発よ。ゆえに、冒険しなくてなんとする。
満場一致である。
沢は不敵な笑みを浮かべると、にっくきライバルの全身を視界に収めるべく、背伸びを……。
「たーく!! あんた自宅の風呂覗いて何やってんのよ!!」
やたらに響き渡る、少女の声。
沢は心臓が止まるかと思った。
誰かと思えば、畑のところから帰ってきた日向である。
「あ、お、おう! 日向どうした! なんでユーはうちの田んぼに!?」
「バイト。去年も今頃はバイトしてたでしょ」
ゴム長靴姿の彼女は、確かに水が張られた田んぼに入っていたらしい。
泥の付いた靴で、ぱっかぽっこと近づいてくる。
そして、沢の背後の風呂の窓。
溢れ出る湯気に気づいたらしい。
「……誰か入ってるじゃん。ま、まさか沢、あんた……」
「てめえ、覗いてやがったな!?」
日向の言葉を継ぐように、ライバルが怒声を発した。
「ひいっ、甲本、これは深いわけがだな!!」
「くたばれえっ!!」
窓が全開に開け放たれて、そこから飛来するのは洗い桶。ブルーのプラスチック製のそれが、沢の脳天を直撃したのであった。
女になったとは言え、元ピッチャーの投擲は素晴らしい威力を発揮した。
ゆっくり、大地に倒れ伏す沢なのである。
「スケベ」
「変態」
「覗き魔」
「男好き」
「待てよ!! 最後のは取り消してくれ!! 俺は女の子が好きなんだ! 女体大好きなんだよ!!」
魂の叫びの直後、日向と久が沢をボコボコにした。
「でも、ほんとにー!? ほんとに君があの甲本くんなん!?」
「ああ。色々あって女になっちゃってさ……。で、俺のことを考えてって、親がこっちに引っ越してきてな。まー、俺をダシにしてるだけで、親父はもともと仕事を辞めたがってたから」
沢はすぐに回復し、目の前で繰り広げられる女子トークを眺めることにする。
「よし、俺はお茶を入れてきてやろう」
「……なんか沢、妙にウキウキじゃん。さっきまでずーっと、やる気無かったのに」
「ライバルとの再会が、俺の中の炎を呼び覚ましたんだ」
「甲本くん見てエッチな気持ちになったんでしょ?」
「ちちちちちちち違わあ!!」
図星である。
日向は久の顔から首筋、そして胸元をじーっと見て、
「くっ、負けた」
「い、いや。雛澤さんは雛澤さんで可愛いって。俺マジでそう思うから」
久にフォローされている。
沢が見るところ、久もそれなりに、日向が気になっているのではないか。
ハッ、こ、これは三角関係……!?
そんなアニメやドラマやラノベの中みたいな出来事が俺に降り掛かってくるなんて……!
沢は興奮した。
そして、
「沢ー!! お茶ー!!」
「羽木、お茶ー!!」
女子二人に台所へと追いやられるのであった。
よく冷えた麦茶に、水ようかんなどを用意しつつ。
女子たちの会話に耳を傾ける。
「え? これから沢に案内してもらうの? 気をつけなよー。あいつああ見えてスケベだから」
「ま、まあ、年頃の男は大体ああだよな」
自分にも思い当たる節があるようで、久の返答はキレがない。
やはり、男たるもの男心の機微には詳しい。
ちょっと久にシンパシーを感じてしまう沢なのだった。