頼み事は一緒にバスで
田舎のバスは、揺れる。
とにかく揺れるのである。
なにせ、一日に乗る人間の数がさほど多くはない。
おそらくはバス会社も、採算が取れていないんじゃないかっていうくらい、人が少ない路線だ。
だから、バスが新しくなることもない。
「うっ、し、尻が」
甲本久が腰を上げて、真っ白なワンピースに包まれたお尻の辺りを押さえた。
沢はそれを見て、なんとけしからん曲線をしているのだ、この男の尻は、と呻いた。
いや、今はもう女だった。
二人は一番後ろの席に腰掛けているのだが、入口近くには横一列になった優先席がある。
お年寄りや、体が不自由な方、あるいは妊婦さんに譲るあれだ。
そこにじいさんとばあさんが腰掛けていて、ぼーっと久が尻をさする様子を見ていた。
そして、
「若いっていうのはいいなあ」
「私たちの若い頃を思い出しますねえ」
とか言っている。
沢としては、「違う、違うんだ。こいつは男で、しかも友達ですら無いんだ」
と言いたかったが、大変難解な説明を必要とする事案であったので、それをお年寄りが理解できるように説明できる自信が無い。
ここは黙っておくことにした。
「はぁーっ。ほんっと、マジで道が舗装されて無いのな……」
「いやいやいや、舗装されてんべ!? ちょっと年末の道路工事でバカスカとアスファルトを盛るから盛り上がってるだけでよ」
「どんだけ無計画に道路工事してんだよ!? この揺れ方はおかしいって! いった! ケツいった……!!」
古びたバスのスプリングが効いていないせいもあるだろう。
それと相まって、道路工事後の凸凹がダイレクトに響いてくるのだ。
しかし、この年度末の道路工事は、地元にある数少ない就職先である土木工事業者の貴重な収入源でもあるのだ。
「日向の親父さんもその会社だからなあ」
「日向ってあれか。お前んところのマネージャーだろ?」
そう言えば、あの時に試合に日向も来ていたんだった。
彼女の目の前で、大変格好悪い所を見せてしまったと、沢は今でも後悔している。
あの辺りから、どうも彼女との関係が微妙な物になった気がしていた。
「お前ら付き合ってんの?」
「ちげえーよ。俺はフリーですぅー」
「なんでだよ? あの子可愛かったじゃん」
「色々あんだよ!」
「もしいらないなら、俺が……って、俺もう女なんだった」
久ががっくりと肩を落とした。
彼の事情を考えると、自分が置かれている立場よりもよほど深刻なような気がしたので、沢は珍しく人に気を遣うことにした。
「まあまあ、大変だろうからよ。しゃあねえ。俺が頼まれたとおり案内してやるわ」
「おうよ。なんか急に元気になったな」
「そんなこと気にすんな。でな。ほれ、あっちに見えるのが矢来土木で、その向こうのがスーパー立葉。これが地元の二大企業よ」
「へえ、二大企業なんてのがあるのかよ。じゃあこの辺も、こう見えて結構栄えてるのな」
「いや、二つしか会社が無いから二大企業」
「うわっ、少ねえ!」
大体、高卒でこの2つの会社のどちらかに入るか、村を出るかの三択である。
沢の父親はスーパー立葉の肉屋主任をやりつつ、家では兼業農家として米など作っている。
「うちの親、こっちで農家をやるとか言ってるんだけどよ……」
「農家じゃ食っていけねえぞ。多分、もう仕事先を見つけてるんじゃね?」
ガタゴト走るバスが停車し、じいさんとばあさんが降りていった。
二人きりになる。
時間帯は十五時を回ったところだろうか。
流石に初夏、まだまだ日が高い。
沢は、用水路や田んぼ、遊具がのきなみ撤去されて雑草に占領された公園などを紹介していった。
「お、次で降りるぞ。俺の家だ」
「ということは俺の家でもあるな」
「お前、本当に隣に引っ越してきたのか……」
沢は定期券を見せ、久は料金を払って降りる。
外に出ると、蒸し暑い。
バスの中は冷房が効いていたのだなと実感する。
「うー、あっちー」
久が胸元をパタパタして風を招き入れている。
それとなく、沢は横目で眺めてみた。
やはり大きい。
「おう、見るなや」
蹴られた。
さっきから、色々とドメスティックな対応をされている気がするのだが、沢としてはどうも怒りを感じる気になれない。
これが昔の甲本久であれば、ゲンコツを交え合うコミュニケーションへ発展するのだろうが。
「どうも調子が狂うわ。もうその姿でどつかれてもご褒美としか思えん」
「お前変態か」
「そうだったのかも知れん……。おい、帰り道は分かるか?」
「曖昧だなあ。っていうか汗でベトベトだ。シャワー浴びたい」
「シャワーだと……!? よし、俺についてこい」
一気に、沢の脳内はシャワーという単語に支配された。
野球男子が野球を失えば何が残るだろう。性欲である。
ということで、沢は悶々としながら、久と並び歩く。
久は久で、無防備に胸元を仰いだり、スカートをパタパタやったりしている。
彼女いわく、女子の服はひらひらした部分が多いので、こうすると風が入ってきて大変気持ちがいいのだとか。
田んぼの畦道をてくてく歩いていくと、私有地らしき林が唐突に出現する。
それを超えるとまた田んぼになり、道祖神がドーンと横に鎮座ましましている。
さらに行けば、未知の両脇を木立が覆い、いい塩梅で日陰を提供してくれている。
ここで二人は少し休憩した。
いや、沢に休憩の必要はなかったが、久が足が痛いと訴えたのだ。
「女物はよ。サンダルにせよ、なんだよこれ。足を載せるところ狭くね? なんでこれ紐が食い込むんだよ」
「見栄え……かなあ」
「ありえねえ。姉貴はよくやってるわ」
履き慣れないタイプの履物で、足が疲れてしまったらしい。
沢はふむ、と考え、良からぬことを思いついて小鼻を膨らませた。
「お、おい甲本よ」
「なんだ」
「足が痛いなら、男として俺がおんぶしてやらんでもない」
「…………」
「…………」
沈黙。
「……よし、歩くか」
久が立ち上がった。
沢は何だかいたたまれなくなって、顔から火が出そうな気持ちである。
あああああ俺の馬鹿ばかバカ何を言ってるんだ俺はああああという、誰もいなければ大地に身を投じて転げ回りたい気分。
「ちょ、待てよ甲本ぉ」
だが、気力を振り絞って追いかけた。
ほどなくして、二人の家が並ぶ辺り。
この地域は兼業農家が多く、農地の真ん中に家が建っているケースがほとんどだ。
そのため、隣家とは言っても随分な距離がある。
しかし、久の家は近かった。
「おう、久! おかえり! 早速友達ができたのか! なに、羽木さんとこの息子さんかあ! そうかそうか。それでな久、まだ家の水道が出なくてな、今日の夜あたりになりそうなんだと。だからシャワーは羽木さんところで借りてくれ」
平日の昼だというのに、家の前で草いじりをしていた久の父親らしきおじさんが、そんな発言をした。
「羽木の家でシャワーか……。そもそもシャワーあんの?」
「おまっ、バカにすんなや!? シャワーくらいあるって! ……えっ、俺ん家でシャワー……!?」
「……覗くなよ? つうか、お前試合の時は真面目だと思ってたのに、そんなキャラだったのか……」
「ちっ、ちっげーよ!! 俺あ真面目だって! 覗かんよ!? 全然覗かんからな!?」
言いながら、沢の脳裏を浴室に続く裏庭のルートをどう運ぶか、シミュレーション画面が浮かぶのである。
夏の昼下がりはまだ終わらない。