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自転車アブノーマル  作者: 謎の自転車乗り
1章.出会い、始まり
4/9

3.

 「女の子に有り金全部盗まれたって? お前、いつからそんなに鈍くなったんだよ」

 

 店主のセナは目に涙がにじむほどに大笑いした。仕事の合間を縫ってアイカが先日の話をしたのだが、セナの顔には喋っている間も、堪え切れない笑いが湧き出るように浮かんでいる。

 

 「笑い事じゃねえって! 見るからにおかしな奴だったんだよ。白い髪してて、目は青くて、何て言うか……」

 

 「何て言うか……?」

 

 必死に弁解するアイカを見るセナの目は完全に面白がっている。貯金をすべて失ったアイカに同情している様子はかけらもない。

 

 「何て言うか……ムカつくくらい綺麗な顔してたな。あんな野郎、今までに見たことないぜ」

 

 アイカがふてくされたように顔を背けると、セナは嫌味たっぷりな目で、気味の悪い笑みを湛えながら言った。

 

 「つまりはお前……。その子に惚れちゃったってことか」

 

 「ば、ば、馬鹿野郎!」

 

 アイカは全力で否定した。

 

 しかしセナはお構いなしに、同じ調子で続ける。

 

 「なるほどなあ。硬派で、まるで何か固い誓いがあるかのように、どんな美女を前にしても心を一寸たりとも動かすことをしなかった騎士アイカをもたぶらかす絶世の美女がこの街にはいたってことか」

 

 「だから、そんなんじゃねえって」

 

 「しかも相手はたったの子ども。お前、そういう趣味だったのか」

 

 「ちげえってば」

 

 アイカの言葉は本心だった。恋愛といった男女間の色事をも面倒だと感じてしまう性根であるから、たかが美少女に容貌だけで惑わされるようなことはない。

 

 しかし、あの少女と目を合わせたときに、一瞬ではあるものの彼女に惹きつけられてしまったのは事実だった。

 

 美貌の程度や声音の甘さといった話ではない。むしろ、そういった目に見える世界の物事とは一線を画する、次元を超えた何かに惹きつけられたとしか言いようがなかった。

 

 

 ――それこそ、あの瞳の中にある世界に吸い込まれていくようだった……。

 

 

 しかし、あの少女と出会ったときの感触は、アイカの持ち合わせる知識と経験とでは到底形容できない代物であった。

 

 「ま、とりあえず今月分の給料は先に払ってやるよ。ここに来たときにゃ飯も食わせてやるから、そう落ち込むんじゃねえよ」

 

 セナはやっといつもの気前の良い顔に戻って言い、慰めるようにアイカの肩を叩いた。

 

 「悪い。助かる」と答えたアイカはしかし、困惑と憤怒が入り混じった感覚からしばらく解放されそうにもなかった。


 ◆

 

 それから一週間が経ったある日のことだった。

 

 あの1件以来、街を歩くときには常に白い髪に目を光らせていたアイカだが、偶然なのか、はたまた必然だったのか、その努力が報われるときが来たのである。

 

 アイカは休みをもらっていつものように街中を歩いていた。子ども相手にここまで執拗にこだわるのも馬鹿げたような気もしていたのだが、何しろ盗られた物が物。アイカの執念の産物と言える貯金をあの少女は残酷にも奪って行ったのだから、アイカもこのときばかりは面倒くささよりも腹立たしい気持ちが一歩勝っていた。

 

 警備隊を頼ることをしなかったのは、アイカがそれを屈辱と感じたからに他ならない(面倒だったという理由もある)。アイカはあくまで自らの手で犯人を捕まえ、制裁を加えることを欲さんとしていた。

 

 とは言っても、何しろこの広い街のことだ。数えきれないほど大勢の人がいる。アイカに至っては街の反対側へ行ったこともなく、自分の家や職場の周りくらいしか詳しい地形は把握していなかった。

 

 そんな状況で、ある特定の人物、それもその素性も知れない者を探し出すことなど並大抵の努力じゃ叶わないことくらいアイカも理解している。

 

 あの少女に目にものを見せてやりたいという気持ちは強いものの、やはりそこは人一倍面倒くさがりの男。出来る限りの手を尽くそうという気にまではなれないのだった。

 

 そんなこんなでアイカはお気に入りの時計塔の下の広場にいた。犯人は必ず犯行現場に戻ってくるという言葉をどこかで聞いたことがある。それを本気で信じていたわけではなかったが、何となくアイカはこの場所へ来てしまうのだった。

 

 先週からずっと続いている好天の中、いつものように家族連れや恋人たちの楽しげな姿があちこちにある。その中でひとり、木陰のベンチでパンを頬張る赤髪の男。

 

 お気に入りのパン屋のお気に入りのパンを食べながらアイカは考え事をしていた。

 

 簡単にあの少女を見つけ出す方法はないか。

 

 万が一見つけ出せなかったときに、あの袋に貯めていた額を簡単に取り戻せる方法はないか。

 

 

 ――ああ、めんどくせえ。

 

 

 アイカはため息をついた。心地よい風が頬を撫でる。

 

 空気はぽかぽかと暖かい。綺麗に整備された水路を流れるせせらぎの音に耳を傾けていると眠くなりそうだ。

 

 広場を駆け回る子どもたち。やんちゃそうな男の子たちに元気いっぱいの女の子たち。土手で語り合う恋人同士。橋を行き交う人々。

 

 塔に向かってアイカの右手にある、川に架かった石橋を渡るひとつの影がふとアイカの目に入った。

 

 太陽の光を反射してきらきら光る水面のように、長い白い髪がきらきらと光って見えた。小走りに橋を対岸へ渡っていく小さな影。ふわりと浮かんでいるように軽快なその足取り。

 

 一瞬の間を置いて、アイカは胸に矢を撃ち込まれたかのようにどきりとした。まさかまさか、こんなことが本当にあるなんて。あの白い髪は紛れもなく、この前に卑劣な泥棒を働いてきたあの少女だ。

 

 アイカはすぐさま立ち上がって全速力で捕らえにかかろうとしたがすぐに思い留まった。この街中、下手に追いかけたらこの前のように上手く躱されかねない。

 

 食べていたパンの残りを胃の中に押し込んで、アイカは少女を尾行することにした。

 

 

 少女は橋を渡った先にある住宅街の中へと入って行った。少女の足が意外にも速かったためにアイカは危うく見失いそうになったが、住宅街の路地に入り込むと少女は足を緩めてゆったりと歩き始めたため、何とか追いつくことができた。

 

 石畳の道をしばらく進むと、道は少しずつ上り基調になってくる。街の中央へと続く丘の麓に差し掛かったのだ。両脇に2階建てくらいの比較的低い家々が連なる道を少女は何のためらいもなく進んで行く。

 

 道が狭く、くねくねと曲がっているため、アイカには好都合だった。そんなに距離を置かずとも、建物の死角に入って少女を尾行することができる。

 

 やがて路地は開けた大通りへと出た。地面は相変わらず整備された石畳で、道の両脇に立ち並ぶ建物の前と道の真ん中に露店がずらりと並んでいる。食料品や衣服、装飾品の店が主で、中には武具を扱う店、怪しい占いを行っている店など、その構成は多種多様だ。

 

 こうした商店街はこの街のあちこちに存在するが、中央に近く、裕福な層が暮らすこの付近では中でも規模が大きい。

 

 少女は露店の周りをごちゃごちゃと埋め尽くす人混みの中へ当たり前のように入って行った。いかにも高級そうな衣服を身に纏った紳士や貴婦人たちの中には不釣り合いな少女だが、周りが気に留める様子はない。群衆の間を縫うように遠慮なく進んで行く。

 

 アイカもその後を追った。彼の大きな体では人混みの中で少女のように自由に動くことはできない。尾行がばれる危険もあるから、なるべく距離を置きながら、ぎりぎり見失わない程度の差は保って必死に進む。

 

 やがて少女はふと足を緩めた。すぐそばにある露店を軽く見やったかと思うと、ごく自然な流れで中へ入って行った。

 

 いくつも並べられた棚に果物や野菜などの食料品が山のように積まれている。かなり大きな青物屋だ。簡素な天幕の中には少女以外にも数人の客が物色している。

 

 アイカは店のすぐそばまで来ると、少し離れたところから少女の動向を見守った。絶え間なくうごめく人々が壁となって、少女からは気づかれない。対するアイカからは、白い髪が目立つ少女の動きが手に取るように観察できた。

 

 腰まで真っ直ぐに伸びる髪、ちらりと覗く小ぶりで端正な横顔、注意していればすぐにそれとわかるあの青い瞳。

 

 

 ――間違いない。奴だ。

 

 

 店主は今店の端にいて、数人の客と何やら盛り上がっていた。値下げ交渉に対応中のようだ。見たところ他に店員はいない。つまりは――。


 少女がなぜこの店を選んだのか、これから何をしようとしているのか。その答えが目の前にありありと浮かんでくるように、アイカにはわかった。


 少女は商品を選ぶようにしてさりげなく辺りを見渡し、誰も見ていないことを確認すると、すぐ横に陳列されていた梨を手に取り、さっと懐にしまった。


 慣れた手つきだった。優雅な足取りで通過すると思わせざまに、手だけは器用に動いて気づけば仕事を終えている。少女にとっては日常茶飯事だったのだろう。


 それだけに、何食わぬ顔で立ち去ろうとしたところを呼び止められたのには相当驚いたようだった。


 

 「おうよ。そこで何してんだ?」


 少女は振り返ってそこにいる男を認めた途端、目に見えて驚愕の色をあらわにした。泥棒の現場を誰かに見つけられること自体予想外だったのかもしれないが、そこにいた男が、この前自分が金を盗んだ者だったのは予想を遥かに超えていたことだろう。

 

 不敵な笑みを浮かべるアイカの前で、目を真ん丸にした少女は後ずさる際に勢い余って尻餅をつき、小さな悲鳴を上げた。よほど衝撃的だったのだろう。目が合った瞬間の反応からして、少女が自分のことを覚えていることはアイカにもすぐにわかった。

 

 慌てて立ち上がろうとする少女に畳み掛けるようにしてアイカは言った。

 

 「さあ、もう逃がさないぜ。この前俺から取ってったもん返してもら――」

 

 そこまでしか言えなかった。少女が立ち上がりざまに懐に入れていた梨を思い切り投げつけてきたのだ。

 

 梨はアイカの右目に大命中した。アイカが呻き声を上げ、怯んだ隙に少女は走り出す。

 

 「いってー! あっ、ちきしょう、待ちやがれ!」

 

 叫んで、アイカも痛む目を抑えながら駆け出す。少女は陳列棚を飛び越え、乗っていた野菜をまき散らしながら逃げていく。

 

 もはやアイカも我を忘れていた。少女が通ったルートを辿るように棚を飛び越え、邪魔なときには強引に吹っ飛ばしながら夢中で追いかける。

 

 少女がいくつもの露店の中を興奮する小動物のようにひっかき回していくのに対し、アイカは熊か猪のように障害物をものともせずに突き進んだ。

 

 周囲の客や店主たちが悲鳴や怒声を上げているのも耳に入らない。アイカの目には逃げる少女しか映らない。

 

 やがて少女が露店を抜け、外の人混みの中に飛び込んだときには、ふたりが通ったところだけ突風が襲って壊滅的な被害が出たかのような有様になっていた。

 

 疾風のように駆け抜けていく少女を追うアイカの前には、人々が避けてくれるおかげで自然と道ができる。

 

 この前は不意打ちだったこともあってみすみすと逃げられてしまったが、今度は立場が逆だ。勢いは圧倒的にアイカの方があり、差もどんどん縮まってきている。

 

 少女は商店街を突き抜け、そのまま下り基調の路地へ突入。道が狭くなったところで一気に人がいなくなって辺りは閑散とする。通りゆく人々は全力疾走する少女と男を見て何事かと目を見張った。

 

 アイカの圧倒的有利に思われた追走劇だが、少女もなかなかしぶとかった。渾身の力を振り絞って走っているようで、路地へ入ってから差が縮まっていない。

 

 ふと最悪の事態がアイカの頭を過る。もしこのままこの少女を取り逃がしてしまうようなことがあれば、次にいつ見つけられるかわかったもんじゃない。むしろ、もう二度と出会うことはできず、大事な財産が二度と戻ってこなくなる可能性の方がずっと高いだろう。

 

 そうとなれば、このチャンスを逃すわけにはいかない。

 

 アイカは懐から、ついさっきどさくさに紛れて懐に仕込んでおいた秘密兵器を取り出した。アイカの大きな手が握ってちょうどいいくらいの大きさの梨。鮮やかな黄色に熟れ、おいしそうな食感が手のひらから伝わってくる。さっき少女の手から放たれてアイカの右目を襲った張本人だ。

 

 アイカは狙いを定めた。肩には自信がある。幼い頃に故郷の村で近所の子どもたちと何回的当ての腕を競ったかわからない。

 

 30歩ほどの距離の先を走る少女目掛けて、アイカは果実の弾を撃った。放たれた弾は矢のようにまっすぐ空を切り、少女のふくらはぎの辺りに見事に命中する。

 

 全力で走っている最中の足にいきなり物凄い勢いでぶつかってきた固い物体がよほどの衝撃だったのだろう。少女は一瞬痛みに気を取られたかと思うと、次の足が地に躓き、そのまま両足をもつれさせて大きくバランスを崩した。

 

 「あっ――」

 

 少女が悲鳴を上げるのと同時に、アイカも思わず声を上げた。

 

 少女を止めることしか頭になかったアイカは何も気にせずに梨を放ったのだが、逃げる少女の数歩先は下り階段になっていたのだ。ごつごつとした石の階段で、かなり急な段差になっている。下った先は他の道と合流するのだが、転げ落ちたらただじゃ済まないだろう。

 

 と、そんなことを考えたところで時すでに遅し。バランスを崩したまま勢いよく階段に差し掛かった少女は成す術もなく、海に飛び込むかのように突っ込み、崖を転げ落ちるかのように下まで落ちて行った。

 

 アイカは心外ながらも、胸に棘が刺さったような気分になった。いくら自分の財産を盗んでいった憎き泥棒とは言え、相手はたったの子ども。しかも華奢な少女。大けがをさせてしまってはあまり気持ちのいいものではない。

 

 後先考えずに行動に移ったことを悔やんだ。とにかく急いで自らも階段に差し掛かると、地面に蹲って体のあちこちを痛そうにし、動けないでいる少女が目に入った。

 

 「おい、大丈夫か……?」と声をかけたアイカだが、内心は複雑だった。盗まれたものを取り返そうとしていたのに、逆に相手の心配をしなければいけない状況になってしまった。しかも、その相手に怪我をさせたのは当の自分。ややこしい。面倒だ。

 

 少女はアイカの言葉にも答えなかった。しきりに左手首を抑えて痛そうにしている。見ると腕や顔にもすり傷を作っていて、服もあちこちぼろぼろだ。この少女を見分けるための材料である白い髪も、心なしか乱れている。

 

 アイカは初めてこの泥棒の姿をまじまじと見たのだが、見れば見るほど不思議なものだった。白い髪は、今は輝きを失っているようにも見えるが、きちんと整えてあれば国宝にも値する一級品だろう。視界に入ればつい目を止めてしまいそうなほどに綺麗な顔立ち。傷つけたことに罪悪感を持ってしまうほどに艶やかで美しい白い肌。身体は細身で、健康的かつ理想的な育ちが伺える。

 

 しかし、超高級階層にいる絶世の美男子と美女の間に生まれたかのような容姿を持っていながら、服装はむしろ文字通り乞食のような格好をしているのだ。薄茶色の安い布をくっつけただけのような簡素なズボンに上着。茶色のブーツだけは上質な皮を使っているようだが、全体的にだぼだぼで、どちらかというと田舎の少年の格好だ。とてもこれだけの容姿を備えた令嬢の格好には見えない。

 

 実際、こんな泥棒生活を送っているということは富裕層の娘などではないのだろう。たまたま美少女なだけで、本当にただの泥棒娘なのだろうか? しかし、それにしても容姿が整いすぎている。社会の底辺の生活では、いくら元が良くたってとてもこんな美貌は保てまい。

 

 

 ――一体全体、こいつは何者なんだ?

 

 

 アイカは頭を傾げた。

 

 少女が階段を転げ落ちてきたのがよほど目立ったのだろう。辺りからざわざわと野次馬が集まって来て、中には大丈夫かと少女に声をかける者まで出てきた。

 

 対する少女はずっと俯いたままで、一向に痛みから立ち直る様子がない。見たところ骨折はしていないようだが、それも不幸中の幸いと言ったところだろう。

 

 アイカはだんだん気まずくなってきた。周囲は気が付いていないようだが、彼は少女に怪我をさせた張本人なのだ。

 

 周囲の同情の目は完全に少女に奪われている。こんな状況で金を返せなんて言えたもんじゃない。言ったところで当の盗んだ本人は喋れないし、周囲の人々にも気にしてもらえないだろう。それに、下手をすれば自分が少女に怪我をさせたということがばれ、逆に周囲の反感を買うことになるかもしれない。

 

 階段の上からもなにやら物騒な声が聞こえてきていた。おそらくさっきの商店街の店員たちだろう。自分たちの店を荒らして尋常でない損害を残していった犯人たちを追ってきたのだ。

 

 

 ――ああ、ちきしょう。ついてねえや。

 

 

 これ以上の面倒に巻き込まれることを疎み、アイカは苦虫を噛み潰す思いでさりげなくその場を去った。


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