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真夜中の幻覚者《ハルシネイター》  作者: 和泉和久
第1章 余里館市
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 第一章 01

 午前7時45分、少年は強い倦怠感を伴いながら、夢から醒めた。

 額にじっとりとした汗がうかんでいた。心臓の鼓動が全身に強く響く。

 再び静かに目を閉じ、夢を反芻する。


 夢の中では少年はまだ小学生だった。空の浴槽の中でうずくまって震えている。風呂場の小窓からは西陽が差し込んでいた。

 外に出てはいけない。外には鬼がいる。人を食らう鬼が唸り声を上げて徘徊していのだ。ここに隠れていれば安全だが、外には逃げ遅れた友達がいることも少年は知っていた。


――助けなきゃ。


――無理だ。


――助けなきゃ、友達が食べられてしまう。


――絶対に無理だ、こっちも食べられる!


 数回の自問自答の後、絶叫が外から聞こえてくる。名前も顔もわからない友達の声。

 何もできなかった無力感、見殺しにしてしまった罪悪感。

 そこでいつも目が覚める。

 ここ三ヶ月ぐらい前からずっと、毎夜に繰り返される悪夢。


「ああ、ちくしょう‥‥‥なんなんだよ、これ」


 天井に向かって投げやりに呟く。胸がズキズキと痛むほど、心臓が激しく脈打っていた。

 もう限界が近い。

 突破してしまえば、二度と元には戻れない――


(くそっ、勘弁してくれよ。頭がおかしくなったのか、俺は?)


 シーツを力なく払いのけ、モゾモゾと身体を起こした。額にうっすら浮かんだ汗をぬぐうと、瞳を閉じて胸の鼓動がゆっくりと鎮まるのを待つ。

 身体に振動を感じるほどの鼓動がやがて弱まっていくと、ゆっくりと目を開いて机に置いてある時計を見た。7時45分。そろそろ学校に行く準備をしなければいけない。


 外からはシトシトと雨の音が聞こえてくる。関東地方はもう四日も雨が続いていた。


 ベッドから抜けだすと、パジャマを着たまま手首にMF値|(※1)感応ベルトを巻いた。これは三ヶ月に一度、クラス単位で行われる学校の健康測定の一環だった。


 二週間、朝と夜にこのベルトを巻いてMFF|(※1)が正常かどうかを調べる。測定されたデータはワイファイを通じて学校へと送られる。


「MF値203、反応が昨日よりも微弱です。一週間の総合平均値が厚生省の推奨基準値を大幅に下回っています。至急、学校のメンタルヘルス担当にご相談ください」


 測定はすぐに終わり、機械音声がなめらかな声で結果を告げる。

 知ったことか――少年は投げやりにベルトを外すと、学校の制服に着替え始めた。どうせ、この記録は学校に送られている。今日、学校に行けば担任なり保健医なりが何か言ってくるだろう。

ノソノソと時間をかけて着替え終わると、部屋を出た。

 彼の名前は霧本薫、もうすぐ十七歳になる。


「うっわー……そろそろ散髪したら? 髪がヤバイことなってる。マジで通り魔殺人とか起こしてそう」


 一階のリビングに降りてきた薫を見るなり、妹の美輪の顔が歪む。

 もっとも顔を歪ませたのは薫も同じだ。よりによって朝から一番会いたくないヤツと出会ってしまった。


「お前、朝練だろ? なんでまだ家にいるんだよ」


 できるだけ妹の顔を見ないようにしながら、ソファに座る。

テレビのリモコンを手に取ると、朝の情報番組を選択し、ボリュームを上げた。

 とりたてて観たい番組ではないが、うっとうしい妹の存在を誤魔化すには最適だ。


「今日、火曜日だから朝練ないもん。まあ、美輪はエラいから、そんなのなくても、ちゃんと早起きするけど」


 美輪はテレビの前のテーブルに置いてあった鞄を手に取ると、兄を見下しながら「ふふん」と鼻で笑った。


 中学二年生。142㎝というちっこい身体に似合わず女子バスケ部に所属し、レギュラーの座をキープしている健康優良児だ。制服を少し着崩しながらもあまり粗野に思えないのは、あどけなくも、猫っぽい顔だちと快活な雰囲気のおかげだろう。


 性格は殴りたくなるほど生意気だが。

 そして、更にムカつくことに学校ではそれなりに人気者らしい。

 世の中はいろいろと間違っている、と薫は心のなかで嘆く。


「っていうか、お兄ちゃん、高校に行ってホント変わったよね。なんかあったの? お母さんとかマジ心配してるんだけど。もしかしてイジメられてんの?」


「イジメられてねーよ、ほっとけ」


「じゃあ、ぼっち? ハブられてんの?」


「ハブられて‥‥‥ねーよ、別に」


「なんか途中で沈黙が入ったけど?」


 友だちはちゃんといる。ただ、話す気力がなくなっているだけだ――と心のなかで反論する。


「‥‥‥あのさ、お兄ちゃんがうつ病にでもなって引きこもったりしたら、どうなると思う? もう恥ずかしくて、美輪の友だち、家に呼べなくなっちゃうじゃん」


「しるか、っていうか引きこもらねーよ、ちゃんと学校も行ってるだろ」

「いつ引きこもってもおかしくないじゃん。今日だってゾンビっぽい顔してるし」


 まったく、どうしてコイツが俺の妹としてこの世に生を受けたんだろう。

こんなのが存在しているだけで自分の評価は相対的にだだ下がりだ。


――とは言うものの。


首を傾げて窓ガラスに写った自分の顔を眺めた。

ここ三ヶ月ほど放ったらかしにしていた薫の髪は寝癖のせいもあって、暴風雨にさらされたように乱れていた。

 気力のない瞳に、締りのない表情‥‥‥確かにゾンビっぽいかもしれない。


(たしかにこれはヤバいな‥‥‥今週中には髪を切ろう)


もともと身だしなみには無頓着だが、ガラス窓にぼんやり映った自分の惨状には、薫自身もさすがに顔をしかめざるをえない。


「あ、ここ、あたしの通学路だ」


 兄からテレビに興味を移していた美輪が、不意に素っ頓狂な声を上げた。


「こちらは余里館市の閑静な住宅街です」


 つられて視線をテレビに向ける。

 見覚えのある風景が液晶画面に映っていた。


「世界初の内界エネルギーの実用化に成功したこの街で、非常に陰惨な事件が先月から立て続けに起こっています。昨日の未明、誰も使用していない廃工場で、全身をまるで猛獣か何かに食い荒らされたかのようなむごたらしい遺体が発見されました。類似の事件がこれまでに三件おこっており、余里館市は不穏な空気に包まれています」


 慌ただしい身振りを交えつつ、レポーターは廃ビルの前で事件の概要を説明している。

 昨日の事件で四件目。その全てで複数の人間がその場に立ち会っていた痕跡があるという。薫や美輪が通っている学校の近辺で起こっている事件だが、生徒たち自身、この話題をどこか避けているのか、あまり話されることはなかった。


「うわぁ、マジかぁ‥‥‥これで三件目じゃん。さっさと犯人捕まりゃいいのに。もー、マジ最悪だよ、これのせいで部活も四時で終わんなきゃダメだし。試合も近いのにぃ」


 ソファの背もたれに両肘をかけながら、テレビを見ていた美輪が唇を尖らせた。

 妹のちっさい頭の中では、街で起こってる猟奇殺人も部活も当価値らしい。こんな細胞レベルで脳天気なヤツが、学校では同性、異性を問わず、好かれているとはどういうことだろう。

 コイツの同級生の目は腐ってるんじゃないのか? くそっ、学校帰りにこの事件の犯人にでも拉致されればいいのに。

 そんな物騒なことを考えていると。


「ねえ、これってさ」


 不意に美輪がニヤっと不敵な笑みを浮かべて、顔をこちらに向けた。


「きっとお兄ちゃんみたいに根暗でキモいヤツが犯人だよね」

「うっせえ、さっさと学校いけよ、バカ」


 顔をそむけながら吐き捨てると、キッチンへ向かう。これ以上、妹の近くにいたら学校へ向かうための貴重な体力すら削られそうだった。


「あ、そうだ。朝ご飯食べたらちゃんと食器、洗ってよ。この前、キッチンにお皿とコップ、置きっぱなしだったでしょ。お母さん、怒ってたから」


 背後から無慈悲な追い討ちがかかる。


(無視だ、無視しろ。それが精神衛生上、それがいちば‥‥‥)


「へーんーじーはー?」


「わかったから、さっさと出てけっ!」


思わず、冷蔵庫から取り出した牛乳を握りしめる。

グチュリ、と白い液体が飛び散った。


※※※


 それから二十分後。

 身体にまとわりつくようなうっとうしい雨の中、薫は学校に向かって歩いていた。


(急がなきゃ遅刻だな)


 家を出た時、時計の針は八時を回っていた。家から学校まではだいたい十五分。雨を降っていることを考えると、ギリギリってところだろう。

 走れば確実に間に合うのだが、どうも気力が湧いてこない。

 身体が重い。全身に鉛が埋め込まれているようだ。できれば学校に行かずにベッドで布団にくるまっていたい。

 あの悪夢を見始めてから、ずっと心がくたびれていた。

 まるで誰かに自分の心を少しずつ吸い取られているようだ。

 疲労、疲労、疲労、疲労‥‥‥身体の隅々まで疲労が充満していく。心がくたびれる。しまいには脳みそが今にも思考を停止してしまいそうだ。


『内界エネルギーは我々の心を惑わす悪魔の発明だ』


ふと、反内界エネルギーの人々が口にするフレーズが薫の頭によぎった。


(案外、あいつらの言っていることは本当なのかもしれない)


 人の心の動きをアンテナによって集積し、エネルギーに変える――内界エネルギーが発見されて9年、実用化にこぎつけてから5年がたった。


 発見された時は『人類の夢を託すに値するエネルギー』だと言われた。

 原子力のように廃棄物が出るわけでもない。火力のようにコストや資源を気にする必要もない。風力や地熱のように自然任せというわけでもない。


 ただ、そこに一定数の人が存在していればいい。


 人々の心、感情を集積し、動力源や繊維質の物体に変換する。決して枯れることのない、輝かしい未来への架け橋となる夢の科学技術――薫は、そう教わった。


 だが、明日になっても、明後日になっても、一年たっても、二年たっても、その『輝かしい未来』はやってこなかった。


 街の風景は、以前と比べてそれほど代わり映えせずにくすぶっている。

空を飛ぶホバーカーのようなものは未だに開発されず、立体映像が常に空に映しだされているようなサイバーパンクな景色は見られない。相変わらず高層ビルはコンクリートで固められ、自動車は四輪で地面を走っている。


 石油製品のかわりに内界繊維で造られた衣服やペットボトルが登場した。多少の利便性は上がったかもしれないが、それが『輝いている未来』とは誰も思わなかった。


 一方、石油資源の需要が減少したせいで、紛争やテロが起こっているというニュースばかりが流れ、内界エネルギーに反対する団体が各地で抗議活動を起こしていた。


 彼らからすると、人の心をエネルギーとして利用することは『自然の摂理』に反することらしい。


『内界エネルギーは我々の心を惑わす悪魔の発明だ』

『内界エネルギーが幻覚者を生み出す』


 そのキャッチフレーズに大半の人々が狂信的、陰謀論者と嘲り笑ったが、その活動はいつしか世界中に広がっていた。混乱、暴動、治安悪化。


 中学を卒業する頃には、薫自身はぼんやりと気づいていた。『未来』とは光り輝くようなものではなく、はてしなく『今日』と地続きで、げんなりするほど地味なものだということに。


「みなさん、聞いてください、幻覚者はすぐそこに来ています!」


 突然、耳障りな拡声器の声が薫の鼓膜をつんざいた。

 我にかえってあたりを見回す。

 ぼんやりと歩いているうちに、家から学校までの中程にある、駅前まで来ていたようだ。


「内界エネルギーは我々の心を惑わす悪魔の発明です!」


 人が行き交う改札口の前で、中年男性が叫んでいた。


(‥‥また、あのオッサンか)


 数週間前から駅前に立っている浮浪者だった。無精髭と青白く脂ぎった顔、眼窩のくぼんだ顔つきはあきらかに狂気の香りを漂わせている。身なりは浮浪者のように薄汚れたジャンバーにボロボロのジーンズ。


「みなさん、気づいてください! 内界エネルギーは幻覚者をこの世に生み出す悪魔です。我々は日々、心を蝕まれ、危うい精神状態に追い込まれつつあります! 今こうしているうちにも幻覚者が生み出され、私たちの平穏を食いつぶすのです」


 危うい精神状態なのはアンタだろう、と思わず突っ込みたくもなるが、ほとんどの通行人は男そのものが存在すらしない、とでもいったふうな表情でスルーしていた。


「この街にもアップセッターがやってきます! 彼女は幻覚者を引き連れ、この内界エネルギーで造られた街を滅ぼすために必ず――」


(うわ、やべえ)


 四方八方にわめきちらす男と視線がぶつかりそうになり、慌てて視線を反らす。 自分でも気づかないうちに、浮浪者の話しに聞き入ってしまっていたらしい。


 あんなヤツと目があったら、きっとろくな事にならない。

 そそくさとその場所から離れようとした、次の瞬間――


(‥‥‥なんだ、これ?)


 目の前にあるのは、自分がいつも見ている風景だった。

 だが、何かが違う。

 まるで自分が世界からズレてしまったような。

 自分自身が目の前に広がる世界から隔絶してしまったような。

 宇宙に自分一人が放り出されたような不安と孤独が襲いかかる。

 意識が遠のいていく、世界も、肉体も、全てが置き去りにされてしまう――


(いや、まてまて、戻ってこい、こっちに戻ってこい、俺!)


 頭を左右に必死にふる。

 頭がクラクラして、思わず濡れた地面に膝をつく。

 気をしっかりもて。俺は正常だ、俺は正常だ!

 何度も自分に言い聞かせ、目を何度も瞬き、それから、ゆっくりと周囲を見渡した。


「‥‥‥‥‥」


 目の前からやってきたサラリーマンの1人が、自分の肩にぶち当たる。

 大丈夫、ちゃんと俺は存在している。この世界に存在している。自分も周りの世界もズレてなんかいない。

思わず安堵の溜息が漏れる。


(じゃあ、なんだったんだ、今の‥‥‥)


 まさか幽体離脱か? いや、考えたくもなかった。

 早く学校へいこう――薫は足早に歩き出した。


補足説明

※1 MF値………内界力値

個人が発する感情の発露値

これを地域で集積することによリ、内界エネルギーが精製される


※2 MFF‥‥‥mind force field(内界力場)

人間がつねに発している微弱な感情の発露範囲のこと



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