第五部 その二十
――イースティア国西の外れの関所――
「ふう……」
そう一息ついた一念は、腰に手を当てて遠目に映るイースティア城を眺めていた。
砂漠の砂の混じった整地された街道では、沢山の兵がガヤガヤと騒いでいる。
その集団から一人。一念に近づくドラゴンは、彼の落ち着きを確認してから声を掛けた。
「ここからは我々は歩いて参ります。一念殿はこれからどうされるので?」
「んー、トレーディアからも兵を運ばないといけないから……今日はトレーディアに帰って休みます。慣れたベッドが一番寝心地が良いでしょうから」
「ふっ、ギン王に挨拶はよろしいので?」
「それは明日、ですかね。明日はおそらくアレクトも来るんで。それに……」
「それに?」
「多分帰ったら魔力も限界に近いと思います」
「そうでしたか……でしたら今夜はこれをお使いください」
そう言ってドラゴンは懐から小さな布袋を取り出し、更にその中から取り出した豆を一念に手渡した。
「これは……もしかしてミモネラリアルっ?」
「そうです、ご存知でしたか?」
「そうですね、これにはお世話になりました。でもいいんですか? かなり高級な薬ですよね?」
「ふっ、あなたが倒れたと聞いたならば、陛下は国庫を開くでしょうな。ギブリグの国庫と私の財布。どうです、安いものでしょう?」
こう言い切られてしまっては一念は何も言えなかった。
歯がゆいような困ったような表情に、ドラゴンはまた一つくすりと笑った。
もらったミモネラリアルをポケットに入れた彼を見送ったギブリグの一団は、準備を整え、覚悟を新たにイースティアへ進行した。
その頃イースティア城では、リッツがジャッカルへの顔見せの挨拶を兼ねて、副隊長のジースと手合わせを行っていた。
化気化したジースに最初は驚いたものの、落ち着きを取り戻したリッツは、一進一退の攻防を繰り広げていた。
「ホッホッホ、リッツはここまで伸びていましたか。剣技に癖がありますが、流麗の名を称されるだけありますな」
「ディールを師に置きながら我流で強くなる……か。なるほど、次世代を担う若者がしっかりと育っているようだな」
バッツとシグルドが二人の動きを正確に捉えながら話している。
しかし周りの兵達はそれどころではない。立て続けに起こる異常な状況に未だ付いていけていない様子だ。ジースを圧倒したバッツを見た翌日、自分達とそう変わらない年齢のリッツが、一回り以上歳上のジースと互角に戦っている。
イースティアの特将にシグルドが置かれた時、彼等は眉をひそめた。しかしギン王が彼に敬意を払い、小娘を抱えながら一飛びで魔の砂漠への外壁を飛び越えたという逸話を聞いた時、皆は納得へと追い込まれた。
バッツにしても同様だろう。ギン王を除けばイースティア最強であろう彼を無傷で倒した者なれば、やはりそれは納得するしかない。
そしてこのリッツ。ここ最近は驚きの連続だった。そしてその驚きは全て西の貿易国家トレーディアから来たのだ。
トレーディアが人材の宝庫と呼ばれている理由を理解したイースティア軍は、自分達の見識の甘さと同時に、迫り来る脅威への不安を払拭し始めていた。
彼等がいるならば……と。
「空波烈衝っ!」
「双死拳・波動!」
リッツが木剣から放った空波烈衝は、両手を正面に突き出したジースの波動で相殺された。
互いに沈黙で相手の動向を探るが、リッツはニヤリと笑って後ろを向いて、戦いの場から離れようとした。
「どうした、試合放棄か?」
「まだ終わってないんじゃ?」
その動きを理解出来なかった兵達が騒めく。
「時間切れか……」
「これが化気化の弱点ですなぁ。しかしこのまま続ければリッツの勝ち。変身しながらも冷静に攻め続けたジース殿に対し、よくあそこまで粘りましたな」
「ディールならではの指導だな」
ジースの変身が解かれた時、兵はリッツの意図をようやく理解した。
バッツの訓練に付いていけなかった彼等は、その洞察力でも劣っていると実感する。しかしそれで落ち込むような兵はおらず、結果として皆訓練に精を出した。
「ふふふ、バッツ殿の案が成功したな」
「ホッホッホ、若者は同じ若者に刺激を受けるものですからな。そしてあのリッツも一念殿に良い刺激を受けているようです」
「ほぉ、彼ほどの者が刺激を受ける人物……美菜の事もあるが、やはり会ってみたいものだな」
「今日か明日……どちらにしろ間も無くでしょう。すぐに会えますよ」
シグルドは頷き、そしてバッツは顔を伏せた。まるでその表情をシグルドに見られたくないかのように。
アレクト同様、バッツは内心苦しんでいた。異世界の住人である一念を頼る事に。しかしその手を借りなくては状況を打破出来ない事も理解していた。その心中のせめぎ合いが、バッツを俯かせたのだろう。
無論これに気付かないシグルドではないが、バッツへの気遣いかそれに気付かない振りをした。
そしてこのやりとりの数十分後、ドラゴン率いるギブリグの援軍が駆け付けた。
――聖王国 聖王城 作戦会議室――
円卓となっている会議室は、トレーディア以上に煌びやかな装飾が施され、そのほとんどに高価な金属や宝石が利用されている。
中央には聖王バルト、その左右に房江とミーナ。対面にはギブリグの王、ジョージが座り、周りには軍の主だった面々、グラハイム中将、ライネル大将、リディアーナ大将、オーダイム中将、シーダイム小将、ゲオルグ中将等が座っている。
「魔族……か」
オーダイムが顔を歪ませながら呟いた。
魔族を知る将官なら皆、同じような顔をして顔を俯ける。
「皆暗い顔をするな。我々がそんな事では民衆はどこに光を求めるのだ」
グラハイムがその空気を一蹴する。
皆の伏せた顔が上がり、それを見たバルトが立ち上がる。
「皆の者、今こそ団結する時だ。民を守り、国を守るのだ! かつての聖王がそうしたように……我々にはその責務がある! 既にギブリグとトレーディアは動き、援軍まで送っている状況だ。世界の希望である聖王国が遅れをとってはいけないのだ!」
「そうとも。この戦、聖王国の力無くして勝利はあり得ない!」
ジョージも立ち上がって兵を鼓舞する。
未だ顔に見える不安は拭えていないが、二人の掛け声でその表情に火が灯る。
(ジョージ王もその責務を全うしている。この代の王達は聡い者が多い。あの時代今程優秀な人材がいればどれだけの命が助かったか……)
グラハイムは過去の大戦を振り返り、その凄惨さを思い起こしていた。
「……グラハイム、現在の聖王国の戦力だとどういった構成にしたらいいだろうか?」
バルトが立ちながら言った。
「……陛下、まずはライネルに聞くのがいいかと存じます」
グラハイムは自身の階級を考慮して進言したかのように見えた。しかしバルト、ジョージ、房江はその発言の意図に気付いた。
「……おぉ、そうだったな。ついつい頼りきってしまう。ライネル、すまないな」
「とんでもございません。先生の仰る事はいつも真実ですから……是非私からも先生の意見を――」
「ライネルさんっ」
艶と張りのある声が会議室に響く。その声の主は房江。発言を遮る失礼な行為であるが、房江は敢えてこれを行った。
「コホンッ、グラハイムさんの進言の意図を読みましょう♪」
そして人差し指を立ててライネルに言った。
「先生の進言の意図……でございますか?」
房江のその言葉の意味にまずミーナが気付き、そしてシーダイムとリディアーナが気付いた。
「……グラハイムはただ大将であるライネルに発言を譲った訳ではない。緊急時の今この場であえて発言を控えたその意味を知れ」
「陛下……リディアーナ殿、お分りになるか?」
ライネルは同じ階級のリディアーナに答えを求めた。
「これはグラハイム殿からのテストです」
「……テスト?」
「ライネル殿、『答え合わせは後でも出来る』。私に言えるのはここまででしょう」
その言葉でライネルがようやく気付く。
グラハイムは階級を考慮して発言を譲ったのではなく、ライネルに答えを求めたのだ。
老い先が長いとは言えない彼に意見ばかりを求めていては、その後は一体どうするのか? このままでは聖王国は廃れる一途を辿るのではないか?
なればこそ新しい時代を築くライネルに発言を譲ったのだろう。
この段階でオーダイム、ゲオルグもその意味を知った。
そしてそれを始めの段階で気付いた三人以外は、己が思慮浅いと身に染みて感じたのだ。
「ライネル、是非ともお前の案が聞きたい。どうすればいい?」
ライネルは顔をブンブンと振り、自分の愚かさを省みる事を中断する。
(そうだ愛弟子、反省は後でも出来る。今やるべき事を考えろ。お前にはそれが出来る才がある……)
「すぅ……はっ! 我が軍は合魔型の兵を中心に防衛ラインを作ると良いかと存じます!」
「他の兵はどうする?」
「魔族に殆ど魔法は通用しません。あのルーネ、リエン程の力があってようやく通じるか、というところでしょう。ならば魔法士団は全て後方支援に回します。その前に聖騎士団を配すのがよろしいかと存じます」
「どれだけの兵を出せる?」
「魔族への対抗と考える防衛ラインならば三万、前線へ送る兵ならば……出せて六百っ」
「六百……」
バルトがその数字にがくりと肩を落とす。だがそれを予期していたかのようにミーナが一言告げた。
「それは朗報ですわね、陛下の予想は五百人でしたわ」
「あらー、流石賢王アレクトちゃんね♪」
「それにまだ時間があります。イースティアでは実戦も、魔族との戦闘経験者からの訓練も可能です」
示し合わせたかのような房江のフォロー。そしてリディアーナがまだ戦力が上がる事を述べている。一同が三人の女達を丸い目で見る。アレクトの読みよりも、この三者の胆力に驚いたのだ。そして己を改める。他の者が深く溜め息を吐き、弱気な自分を奮い立たせる。
「ふっ、戦乱の中でも華は輝きますな」
グラハイムの的確な言葉。
「ハッハッハッハ、ちげーねぇですな!」
「改めて見れば、皆様凄い地位の方でしたな。ミーナ殿下、宰相房江殿、大将のリディアーナ殿……いやぁ恐縮してしまいます」
豪快にゲオルグが笑い、シーダイムが頭を掻きながら三人の置かれる地位を口にする。
「であるな」
「うふふふ。陛下、そんな事では一念ちゃんに笑われてしまいますよ?」
「はははは、それは困るな。あいつには借りが山程ある。それを返すまでは笑われるような行動は慎まないとな。だがしかし……ヤツが私を指指して笑うところが容易に想像出来てしまう辺り、本当に困りものだ」
「「ははははっ!」」
作戦会議中の部屋に笑い声が響く。彼等も人間である。こういった時の精神安定を他に求めても誰も文句は言えないだろう。無論、この会議室の中でだけではあるが。
「さてライネル。他にはあるかね?」
「そうですな、スノウスとシーサウスに関しては戦力よりも支援を当てにした方が良いと存じます。ただウェスティンのスプリガルド将軍だけは魔族との戦闘経験が豊富です。もしかしたら戦力となるだけの余力はあるかと」
「うむ、良い報告だな」
ライネルはちらりとグラハイムを見た。そして目を伏せたままの彼を見て自分がテストに合格したと知る。
心の中でほっと安堵したライネルの緊張の解放も束の間、会議室の扉が音を鳴らす。それは控えめのノック音だった。
「どうした?」
ゲオルグが扉越しに状況を伺う。
扉の向こうにいる者も今が会議中である事を知っているはずだ。それを遮ってでも報告する事があるのだろう。ゲオルグはそう判断し、周りの者も理解していた。
「ご報告です! 聖王国より南側、西から東へ空を舞う人間達の集団を確認致しました! その数、およそ一万と二千!」
従兵が急使より報告を受けたであろう情報を伝える。
「陛下……いえ、お兄様が一念を動かしましたわ」
「数からして我が国の兵だろう」
「おそらくその後トレーディアの兵を輸送し、そのままイースティアの国民の輸送ですな」
「そうだライネル、それでいい」
グラハイムが一皮剥けた愛弟子を褒める。
恐縮しつつも彼の顔は先程までとは明らかに変わっていた。
そんな中、バルトが窓から見える空を見上げた。静かに目を瞑り、心の中で頭を下げる。
(また借りを作ってしまったな、一念……)




