第五部 その十四
―― 農業国家アグリカ城内客室 ――
「……どうでしょうか?」
「これはサフラ殿、ここまでお越し頂けるとは」
扉を開けたサフラにルーネが立ち上がって頭を下げる。
それに倣ってトロンとフロルもすぐに頭を下げる。
「構いませんよ。一念殿は大切なお客人。まだ目は覚ましませんか?」
「えぇ、もう丸一日以上経ってます。倒れる前に本人も単なる疲労だと言ってましたが……私も処置出来ない状況です」
「……これ、魔術士の魔力枯渇に近い状態だと思います」
突然フロルが言った。
「確かに、私も最初はそう思ったが……一念の魔法は殆ど魔力を消費しないはずだが?」
超能力の事を伏せる言い方はあえてと言うべきだろう。
「……前に聞いた事があります。……精神が不安定の状態で使うと無尽蔵に使えたはずのあの魔法が出なくなって倒れてしまうって……これは子供の頃の話って言ってましたけど……うまく言えませんが……」
(……っ! そうか、魔力で増強していた能力だから精神状態の悪化によって魔力残量を圧迫したのか!)
ルーネの答えは正しかった。
一念は超能力を魔力を用いて増強していた。
体調変化に伴い超能力のエネルギー低下が起こり、これを一念が強制的に魔力で平時の力までもっていった。
その為、ワイズマンダガーの効果や厳しい修行により人並以上にあった一念の魔力を枯渇近くまで追い詰めてしまったのだ。
過去一念から聞いた話から感覚で話したフロルも、一念の能力の正体に近付いているのかもしれない。
「大丈夫です、一念さんはすぐに起きますよ! 僕がしっかりと看てますから皆さんは休んでてください」
「しかしな……」
「ルーネ大将もフロルさんも全く寝てないじゃないですか。そんな事したら一念さんに怒られちゃいますよ!」
確かに、という二人の様子を見てサフラが静かに笑う。
「ふふふ、確かに一念殿ならそう言われるかもしれませんね」
「ですよ、お二人共?」
珍しくトロンが舵をとり、二人を諌める。
小さく鼻息を出したルーネは腕を組みながら、やれやれとトロンを見る。
(少し前のトロンなら考えられないが……これが一念の力が生んだ輪によるもの。それにリッツと同じ血という事か……)
「わかった。フロル、八時間交代で見張りだ。まずはトロン、そして私、フロルの順だ。サフラ殿、今しばらくやっかいになります」
「ふふふ、ご存分に……」
その後ルーネの指示通り、三交代での一念の看病がアグリカの客室で行われた。
サフラとフーディアの厚意により、最高の環境で看る事は出来たが、やはりこの世界での寝たきりの人間相手に出来る事等、たかが知れている。
しかし三人は可能な限りの手を施した。
アグリカに生る魔力回復に良い果物をすり潰し、水と塩分で調整して水差しで与えたり、大地の精霊の祈りを捧げ、魔力回復にはならないが睡眠による疲労を抑える等、方法は様々だった。
中では特殊な部族にだけ伝わる方位術を実践してみたりして一念の回復を願った。
その甲斐があってか、一念が倒れてから二日半。彼の意識が戻った。
フロルが気付き、すぐにルーネとトロンを呼びに行った。三人が部屋に戻ると一念はベッドの上でぼーっとした様子でスマートフォンを見ていた。
美菜に関する情報が葛城から来ていないか確認したのだろう。しかし一念の胸中やその事態を把握していなかった三人は一念を再び床に戻した。優しく、まるで割れ物や貴重な物を扱うかのように。
迷惑をかけた……そう思った一念は、素直にその願いを受け入れて、しばらくするとまた再び静かな寝息を立て始めた。
ほっと胸をなで下ろした三人が、生気が顔に満ち始めている一念を見て、近くにあったソファーや椅子にもたれかかった。
「ふう、おそらくもう大丈夫だろう。明日様子を見て問題無ければ、夜にはトレーディアへと戻れるな……」
「少し長居してしまいましたね」
「……一念さんが倒れた時サフラ様が使いを出し下さったので大丈夫だと思いますけど、軍事は数日であらゆる事態に変化するので心配ではありますね」
「ともかくは明日だ。今日は私が看るから二人は寝ておきなさい。調度サフラ殿と話す事もあったしな」
二人はルーネの厚意を素直に受け入れ、自室へと戻って行った。
ルーネはもたれかかった椅子から看護疲れによるものか、重そうな腰を上げた。美しい彫刻や細工が施された窓から外を見る。夜でも広大なアグリカの大地が照らされ、綺麗に整地された農園や果樹園が見える。
その表情はどこか落ち着かない様子だ。
(私の杞憂ならいいが、精霊達の様子がおかしい。これはまさか……)
忘れたくても忘れられない過去の大戦。
それ以上の出来事を予感させる精霊達のざわめきに、ルーネは胸の前で拳を強く握りしめた。
翌日、すっかり回復した一念が三人とサフラの前で頭を下げる。
「本当にすみませんでしたっ」
「もういい一念、過度な謝罪は相手の厚意を踏みにじる結果を生むぞ」
「ふふふ、ルーネ殿の仰る通りですよ」
「……元気が一番」
「さぁ、そろそろ皆が待ってるトレーディアに戻りましょうよ」
トロンはそう言って一念の顔を上げさせた。
「少しずつ……でいいのか……」
ボソッと呟いた言葉は、一念の耳にしか届かない程のボリュームだった。
微かに漏れた吐息程度にしか聞こえなかった三人だったが、微かな一念の表情の変化を見落とすという訳ではなかった。
「「「…………」」」
―― 貿易国家トレーディア 謁見の間 ――
「ほぉ、シグルドとイースティア国ギン王の使いというのはそなたか」
「な……あ、え……はいっ」
(なんでスウェット姿なんだろう……)
玉座に座るアレクトを前に跪いているのは、あの美菜だった。
(それに、隣の美人……なんでレースクイーンみたいな格好してるのっ?)
そしていつものようにアレクトの隣には大きなパラソルを持ったミーナが立っていた。
「……ミーナ、やはり今日のは目立つみたいだぞ」
「私も露出が多いと思いましたが、ちゃんとした儀礼用なんですよ?」
(……異文化交流って怖いものがあるわよねー)
「まあいい。名前はなんと言う?」
「はい、美菜と申します」
名前の似たミーナが「まあ」と息をこぼす。
「うむ、美菜。シグルドがイースティアからそなたを使いに出したと言う事はあれはまだイースティアか」
「はい、イースティアで特将扱いを受けています」
「……報せを受けた時は遅いとはよく言うが……やはり早いな。魔族の事だな? 知っている限りで構わない、出来るだけ簡潔に話してくれ」
美菜はアレクトの問いに答える。
自分が見聞きしてきた事、魔の砂漠で魔族とも戦い、東の果ての大峡谷で見た事、感じた事を全て話した。
そしてシグルドとギンがトレーディアに救援を依頼した事を含め、アレクトはその意図を知った。
「なるほど、およそ五十万の魔族の軍勢……か」
「まさかそこまでとは…………お兄様……」
「ミーナ、ギブリグと聖王国に使いを出せ。おそらく人材の宝庫と言われるここトレーディアが一番兵を送れる。シグルドもギン王もそう判断したのだろう。現在魔族と戦えそうな人材は?」
「……約五百です」
その絶望的な数字に美菜が驚愕する。
しかしアレクトはその数字を聞いて「良し」と一言呟いた。
「千人だ、一人で百の魔族を倒せる兵を千人叩き上げろ」
「はいっ!」
「ギブリグからは二百、聖王国から五百、イースティアが二百、ダストリーとアグリカに急使だ。後方支援を依頼しろ」
「聖王国の周りの国へはいかがしますか?」
「そちらはバルトに任せる。今こそ三ヶ国同盟の力を発揮する時だ。バッツ!」
玉座の下手からバッツがスッと現れる。
「ここに」
「私の護衛の任を一旦解く。特将となりリッツと共にグリードに乗ってイースティアへ向かえ」
「かしこまりました」
「ミーナは一般兵を率いて聖王国へ向かえ。あの国一帯が防衛ラインとなる。西への侵攻を止める盾となれ。アンアースの危機だ、全兵に気合いを入れさせろ!」
「はい!」
(凄い……この王様、この状況で顔を崩さず指示を出せるだけでも凄いのに、自分の国じゃなくて世界の事まで考えてる……)
アレクトの胆力と視野の広さに感嘆した美菜だったが、実際にアレクトが行っている事は、この世界ではごく当たり前の事だった。
そして、この希望的観測とも言える判断をアレクトは自覚していた。
千人が百体の魔族を倒しせたとしてもそれは十万体しか相手に出来ない訳で、実際に相手に出来たとしてもそれはごく少数だろう。それはどこの国でも同じであり、突出した武力がそれを補う部分は大いに考えられる。そしてそれに伴う犠牲も……。
それでもアレクトが表情を変えずに、ミーナが表情を変えずに事を進められたのは、頼りたくはないが頼らざるを得ない存在が、二人の心の中で大きな支え役を果たしていたのかもしれない。
「美菜よ、急な使いご苦労であった。そなたはこの後どうする?」
「あ、すぐに戻ってシグルドさんのお手伝いをしようと思っています」
「わかった。バッツ、美菜の出立に併せてイースティアへ向かえ。それまでにギン王へは手紙を書いておく」
「はい。では準備を致します」
バッツが静かに顔を伏せてその場から立ち去る。
去り際に静かに変わっていったその顔は、バッツが歴戦の猛者である事を美菜に知らしめた。
(あの人がバッツさん……。優しい顔してるはずなのに威圧感に似た存在感がある。シグルドさんからも何回は話に聞いた事があるけど、やっぱり凄い人なんだな……)
「美菜、後程リッツという若者をそなたの元へ向かわせる。軽そうな奴だが悪い人間ではない。リッツに付き出立の準備を整えてくれたまえ」
「はい」
アレクトはそう言うと、ミーナを連れてその場を去って行く。
後方に控える従兵に連れられて、美菜はギン王より貸してもらった飛竜の元へ向かった。




