第一部 その一
「葛城 十」
「国営超常現象研究所」の所長。
大柄な男(百八十五センチ程)で威厳のある面持ち。灰色のシャツに茶色のスラックス、足元には深い茶色の革靴を履いている。その上に白衣を身にまとっていた。
若くして同研究所の所長になり、部下からの信頼も厚く、筋を通す姿勢から高齢(といってもまだ四十代だが)でも女性所員の中には好意を抱いている者もいるとかいないとか。
数年前に妻が不慮の事故により他界した為、現在子供と二人で暮らしている。たまに研究所に遊びに来るらしく、他の所員が言うには子供とはうまくやっているとの事。
葛城がドアから見て机の手前にある方向へ目線を向ける。
応接用の対面式のソファーがある。これも黒革製で部屋の雰囲気によく合っている。
ソファーとソファーの間には同じく木目調(中央部分はガラス製)のテーブルが置いてある。
葛城の目線に軽く頷くしぐさをした一念は、手前のソファーに腰をおろした。ほぼ同じタイミングで葛城も腰をかける。
葛城は前のめりになり、膝に肘をつき手を合わせ座っている。
反対に一念は、まるで面接を受けるかの様に、背筋を伸ばし、膝の上に軽く握った拳を置いている。
座って間もなく葛城が話を切り出した。
「元気そうだな」
「前回の検査の時はいらっしゃらなかったので、四ヶ月ぶりですかね?」
「すまんな。あの日は丁度お偉いさん方に呼び出されていてな」
「いえ、葛城さんもお元気そうで」
形式的な挨拶を済ませ、葛城が少し真面目な顔をする。
「どうだ? 生活に支障はないか?」
「はい。ほんと葛城さんにはお世話になりっぱなしで……」
「お世話になっている」というのには理由がある。先に述べた「一念が一人暮らし出来た理由」と同義である。
「生活費の事は気にするな。こちらの研究に協力してもらっているのだから……もっとも、身体をいじくりまわしされる対価としては安すぎると思うがな」
「いえ、葛城さんを含めた所員の方々には本当に感謝しています。投薬とかないですからね」
苦笑まじりで言う一念に葛城が答える。
「なぁに。そもそも超能力の検査に投薬は必要ない。
指示があっても絶対にそんな事はしない。安心してくれ」
「助かります」
「前回の報告でコントロールに関しては問題ないとあるが、もう暴発するとかはないのか?」
「ええ、ようやくコツを掴んだ感じですね」
「ふふふ、気をつけてくれよ。目撃情報をもみ消すのも一苦労だ」
「見える範囲でしか瞬間移動出来ないってのは難点ですよねー」
一念は苦笑混じりにそう言った。
「早起きのコツを掴むのは相当先のようだな」
「今日も同級生に起こされましたよ」
「吉田君……だったかな? 良い子じゃないか」
「そうなんですけどね……
あ、ところで、今日はどのような用件なんですか?」
思い出したかの様に葛城が答える。
「あぁ、そうだった。実は上層部から近日大がかりな実験を行いたいという連絡があってな、ご両親の承諾は取れているんだが、一念君の意見も聞いておきたくてな……」
「どのような実験なんですか?」
「うむ、主に実技的な実験だ。能力の種類・力の大きさ・対応力・範囲と様々な項目を複合した実験と聞いている」
「聞いている? って事は、葛城さんも詳しい内容を知らないんですか?」
一念の当然の様な疑問に葛城が頷く。
「そうだ。どうやら各国のお偉いさん方が参加して、世界規模の実験になるそうだ。ご両親にも承諾はとれていると話したが、実は承諾と言うと嘘になる」
「どういう事ですか?」
頭に「?」を浮かべた一念に対して葛城の口角が上がった。
「「もう自分で判断出来るだろう」だそうだ」
「え?」
唐突な話に、一念は瞬時に話を理解出来なかった。
「つまり、今後の検査、及び実験を受けるか受けないかに関しては、本人の意思に任せる。という事だ。既に同意書にサインは頂いている。まぁ、一念君の意思を尊重させたいって事なんだろうな」
「はぁ……」
ここで葛城は更に真剣な表情になり、静かに、しかし響く声で伝えた。
「因みに、この実験は必ずしも安全というわけではない」
「……どういう事なんです?」
釣られた様に一念の表情も少し硬くなる。
「まず、私でも詳しく内容がわからない点。そして、実技的な実験となると、どの様な実験でもリスクを伴う」
「なるほど……」
「ご両親にもこの説明はさせて頂いたが、全て踏まえた上で先程の返答、という訳だ」
少し考える様な表情をした一念は、数拍の時間をおき、顔を上げ答えた。
「わかりました。では、返事に関してはその詳細がわかり次第……という事でよろしいでしょうか?」
「勿論だ、元から私もそのつもりでいたしな」
「ハハハ、ありがとうございます」
緊張が取れた様な面持ちで一念が答えると、葛城は左手に着けている腕時計に目をやり、まだ所員の業務終了時間でない事を確認した。
「以上だ。何か質問はあるか?」
「んー……今のところは特に……」
「些細な疑問でも出来れば、メールでもしてくれ。暇を見つけて返す様にしよう」
電話でも~と言わないあたりが、葛城の日常の忙しさを物語っている。
「はい、わかりました」
「うむ、まだ皆いるだろう。声でもかけてやってくれ。きっと喜ぶだろう」
と、言われると同時に一念は思い出した様子で話し始めた。
「あぁ、そうだった。木下さんに呼ばれてたんだった」
「木下に?」
「えぇ、なんかイイモノをくれるとか言ってました」
葛城は合点がいった様に笑みを浮かべた。
「なるほど、そういえば面白い物を作っていたはずだ。すぐに行ってあげなさい」
「はい! それじゃ失礼します」
頭を下げ、部屋を退出する一念に対し、葛城は微笑みながら右手を軽く上げ見送った。
所長室を後にした一念は、来た道を引き返す様に入口付近の研究室前まで歩いて行った。
木下の研究室まで着いた一念はドアを開け、部屋の奥で書類に目を通している木下を呼び掛けた。
「木下さん!」
声の主の元へ視線を向ける所員達は一念の姿を確認して、皆表情がおだやかになった。
「「「「一念君!」」」」
「よくきたね! ゆっくりしていってね」
「一念君がいないと寂しいわー」
数か月ぶりに合う所員達に歓迎されながらも一念は木下のデスクに向かう。
「待っていたよ一念君!」
「ハハ、イイモノってやつが気になって」
「フフフ、とてもイイモノだよ」
「木下 顕」
優秀な人材だが、特殊な分野でしか精力的に研究をしない不安定な問題をかかえ、時々葛城を困らせている。
長身(百八十センチ程)でルックスは良いはずなのだが、七三分けをこよなく愛している為、女性所員もそのルックスの良さを認知できずにいる。
かつて自分には何故女性が寄り付かないのか? と、葛城に相談した所、生暖かい眼で頭を見て、無言で去って行ったという噂がある。
一度研究にのめり込むと食事を忘れる程集中し、認識力や指示が的確な為、恋愛対象以外での人望は非常に高い。次期所長という噂もあるが、当人はその噂を知らない。
木下が右手中指で眼鏡をクイッとあげ、デスクの上にある小さい眼鏡ケースの様な物をとり、一念に手渡した。
「ハッハッハ! 開けてみたまえ!」
一念はケースを受け取り「眼」を凝らしてみた。ケースの外側が薄くボヤけていき、中身を視認する。
「透視」
千里眼ともいい、視覚以外の感覚で、遠くの状況を視たり、遮蔽物を透けて視る事が出来る。
一念の場合は前者の能力は使えず、後者の物が透けて視る事が出来る能力のみである。
「……。これ、眼鏡ですよね?」
「なにぃ!? 一念君透視しちゃったのかい!?」
トホホと項垂れる木下を見て、悪い事をしてしまったと後悔する一念であった。
百歩譲っても筆箱……ぐらいにしか見えない眼鏡ケースを渡されたら、透視をしなくても眼鏡だと察する人は多いだろうと一念は考えたが、あえて口にはしなかった。
「うぅ……。一念君にサプライズするのは一苦労だなぁ……」
木下の七三分けが微妙に乱れていた。木下の話はそっちのけで、一念は「今の流れで木下さんは頭を触らなかったのにどうやって髪の毛が乱れたのだろう」と、真剣に考えていた。
ようやく木下の残念そうな顔に気付いた一念は慌てて謝罪する。
「あぁ、すみません! 以後気をつけます……」
「まぁいいよ……さ、開けて」
すっかりテンションが下がってしまった木下だが、気をとり直して話を進めた。
一念は青いプラスチックの眼鏡ケースを開けてみた。
「これは……」
一念が今かけている眼鏡の同色同タイプのモノだった。
訝しむ一念の表情を察した様に、木下が説明を始めた。
「一念君。君が今かけている眼鏡は以前僕が渡した物だが、君の透視能力を抑える為のものであったね?」
「はい。これのおかげでだいぶ助かりました。暴走した時はホント目のやり場に困って困って……」
「そのとおり! しかし、ソレは能力をだだ抑えるだけで、完全に…とまではいかなかった!」
木下のテンションが段々戻っていく。
「おぉ! つまりコレは!」
「そうだ! 完全体だ! パーヘクツ! さぁ、それをかけて透視してみたまえ!」
「はい!」
一念は眼鏡を外し、新しい眼鏡をかけてみた。
意識を集中し、改めて眼鏡ケースの透視を試みた。先ほどまでかけていた眼鏡を入れたので、それが視えるはず…だが…。
「……あ……クッ」
「どうだね?」
「ハハ、ホントだ。全くみえないや……」
先程は意識すれば視えたが、今回は全く視えない。
「因みにそれは防弾性だ。銃で撃たれるって訳じゃないだろうが、傷は全く付かないぞ!
眼鏡をかける者にとって傷とは中々に問題だ! 眼鏡と三十年付き合ってきた僕が言うのだから間違いない!」
木下のテンションが最高潮まで上がったところで、入口付近で挨拶をした女性所員が一念の耳元で囁いた。
「私は〜、一念君になら視られてもいいのよ〜?」
「サ、サユリさん!?」
「ま、耳まで赤くなって〜、可愛いわ♪」
「五十嵐 サユリ」
木下と同期の所員で美人かつスタイル抜群、慎重は百六十センチ程。
仕事に関しては真面目だが、年下の男の子をこよなく愛している為、研究所の所員には色んな意味で高嶺の花となっている。
眼鏡をかけていたが、研究所は眼鏡率が高い。バランスが大事という理由でコンタクトに変えたという。
大学時代木下と付き合っていた。という噂もあるが、本人と木下は否定している。
本日はインナーにストライプが入った紫色のシャツを着て、やや短めの黒のタイトスカートに、ベージュ色の小ネットタイプの網タイツ、黒のヒールを履いていた。
一念は最優先で透視能力をシャットダウンし、サユリを見た。
彼女の豊満なバストを含めた諸々を視認した場合、一念は即座に瞬間移動して逃げなければいけないだろう。
「一念君は今日能力複合訓練していくの?」
「いえ、アレに関しては最近自分の部屋だけで済ませる様にしてます」
「えー、じゃあ、もう帰っちゃうの~?」
サユリが一念の右腕にしがみ付きながら、腕で確かに感じる事の出来る弾力と柔らかさを伴った胸を押し付けている。それは偶然なのか狙ってやっているのか……いや、おそらく後者であろう。
中学生になった一念が研究所に来た時、検査中にサユリの胸に手が当たってしまった事があった。その時の一念の取り乱し方を見たサユリは、以降恒例行事の様に何かしらの形で一念に胸を押し付けている。
「サ……サユリさん! 胸が……その……」
「ん~、なぁに~?」
更に押し付けられた胸が一念を襲う。
「あの……こ、困ります……」
一念はこれ以上はマズイと考え、ガラス越しに見える廊下を《視認》した。と、同時に一念の身体が廊下に現れ、一念の右腕を掴んでいたはずのサユリの手は空を切った。
「瞬間移動」
瞬時に空間を移動し、離れた場所に移動する超能力。無機質な物体を移動させる事も可能。
一念の場合は「視認できた場所」であれば移動が可能となっている。
移動させたい人・物に触れていて、一念が「ソレを含めて移動する」と念じればその人・物も移動させる事が可能である。今回の場合は「ソレは移動させない」と限定した為、一念だけが瞬間移動した、という事になる。
サユリは自分の体重をやや一念に預けていた為、少し体勢を崩した。
「あぁん、もうっ」
サユリが言葉にならならい愚痴を発すると、一念がガラス越しに皆に挨拶をする。
「今日は帰ります! 今度の土曜日に遊びに来ますから、それじゃ!」
そう言うと、一念は入口へ走って行った。
「ハッハッハ! からかい過ぎたな!」
木下がそう言うと、サユリは、やや恥ずかしさを感じた事を誤魔化す為か、頬を少し膨らませた。
「一念君……土曜日を楽しみにしてるわ……」
微笑を浮かべながら小声でそう呟いたサユリだった。
その頃、研究所の出た一念は背筋に少しの寒気を感じたが、その理由を知る事はなかった。
「やれやれ、相変わらずだなサユリさんは……」
一念がそう小声で呟きながら帰路を歩いていた。
因みに一念の住むアパートは研究所から歩いて二十五分程である。約十分かけて大通りまで出れば、一念が通う彩桜高校への通学路となる。彩桜高校と研究所が近く、一念の学力が彩桜高校と適合していた為、研究所が近辺にアパートを借りたのである。
帰宅まで数分……という場所に人気の少ない通りがある。一念はいつもその通りを通学路としているが、女性ならともかく、男性で、しかも超能力者である一念にとっては、それ程危険を感じる様な場所ではない。
通りの中央付近にたどり着いた時、通りのやや奥に、深い紫色の外縁に黒い穴がポッカリ開いた空間があった。
「……何だ?」
一念が黒い穴に近づき黒い部分に触れた瞬間!
「……っ! うおっ!?」
一念の右腕が黒い穴に引き込まれ、既に右肩まで吸いこまれてしまっている。
咄嗟に腕力によって引き抜こうとするが、右腕はピクリとも動かなかった。
「マジかよ……っ」
こんな事ってホントにあるのかよ!? と、SFモノやファンタジーモノの作品を思い出しながら、黒い穴の進行を強張った表情で見つめていた。
緊急事態の為、一念は瞬間移動を発動し、通りの手前に移動した。
「ふぅ……」
事なきを得たと思い、自分の右腕を確認したが、ソレはまだ腕にまとわりついていた。
「うっそ!?」
血の気が引き、再度元の場所に瞬間移動してみるが、結果は変わらなかった。
「あ……ぁ」
死ぬかもしれない恐怖が一念を襲い、顔が蒼ざめていく……。
首への進行を拒む為、仰け反りながら「もう駄目だ!」と、一念が悟った時、黒い穴が大きく拡がり、一念を一気に飲み込んだ。
「うわああああああぁっっ!!!」
身体を動かす事も出来ず、黒い闇の中へ奥深く落ちていく一念の身体が、恐怖に屈し、意識を途絶えさせた。