第三部 その五
試合場では今も戦いの余韻が残っている。
敗者を責める者は誰もいない。幸いにも負傷者はおらず、一念はすぐに観客席の片隅に腰を下ろした。
皆、アレクトの言葉を待ち、客席上段のアレクトとミーナへ身体を向けていた。
一念の元へ萌黄色の髪の少年?が小走りで寄ってきた。人にぶつかる度に慌て、頭を下げ謝っている。ようやく一念の側まで来た頃には少し息を切らせていた。
「だ、大丈夫か? トロン……」
「はぁ……はぁ……はぁ、だ、大丈夫です……」
決して大丈夫には見えないその姿に一念は苦笑し、それを誤魔化す為か、右頬を右手人差し指でぽりぽり掻いている仕草を見せた。
「どうしたんだい、そんなに急いで?」
「……っ……すっごいですっ一念さん!!」
手を握り、両手を前に出し、前かがみで一念に叫び出したリッツの弟は一目でわかる程、興奮を露わにしていた。
「いやいや、そんな事はないよ、リッツ達の方がもっと凄いんだ…」
「……? ……それってどういう……?」
キョトンとしたトロンに「まずい」と思った一念は、早々に話を切ろうと判断した。
「あぁ、ごめん……俺アレクトさんのとこ行かなくちゃ……」
ふわり身体を宙に浮かべる一念に、トロンは目を輝かせて見ていた。逃げる為とは知らずに……。
アレクトのいる場所までそう遠くなかったが、客席の天井は低く、一念は兵達から注目の的となってしまった。次々に手を上げ挨拶される光景に、気恥ずかしさを覚えながらも、一念は心の中で反省していた。
(……失敗した。歩いてくりゃよかったか……あ、いたっ!)
アレクト、ミーナを見つけると、一念は速度を上げ、そこへ向かう…。何やら兵から報告を受けているようだったアレクトは、一念を視界に捉えると額に汗を流し、申し訳なさそうな表情になっていた。一念は嫌な予感を感じながらもアレクト、ミーナの一段下の席まで着き、アレクトに話しかけた。
「アレクトさん!」
「……一念。どうだ? これで皆からの信は得られただろう? 今後は誰にも文句を言われず、准将の地位にあぐらをかけるだろう。皆の士気も上がり、私は満足だよ……。
だが、そのな……えーと、つまり……」
「もういやですよ……」
「っ!? ……なんでわかった?」
「その細い目の黒い部分に、小さく細かい字で書いてあります……」
慌てて目を押さえたり擦ったりするアレクトが、ミーナには少し滑稽に見えてしまった。そもそもアレクトには友人と呼ぶに相応しい者が今までいなかった……という問題が、一念の登場により解決してしまっている。これはアレクトにとって、トレーディアにとって非常に大きなステップだとミーナは考えていた。
「ウフフ、お兄様、本当に書いてないですってば」
「そうかっ!しかし一念、これはチャンスなのだ……。あの二人がお前と戦いそして見極めたがっているっ!
その力をあの二人に認められれば、兵達は一つとなって戦えるはずだっ。これは、先程の試合より重要なんだ……」
先の経験を経て、またもアレクトの狙いに乗るのは不本意だったが、一念は「自分が言いだした事だから」と半ば諦めていた。
一念は頭を少し掻きながら、困った様子を断ち切りアレクトに一言加えた。
「アレクトさんの奢りで今度なんかうまい飯食わせて下さいね……」
「おぉっ!!」
アレクトの目は開かず、代わりに大きく口が開いた。手を握り、両手を前に出し、前かがみになり一目でわかる程、興奮を露わにしている。
(これはさっき見たぞ……)
「で、ムサシさんと誰ですか?その二人って……」
「ほぅ、ムサシは推測出来ていたか。お主やりおるなっ!」
一念は心の中で『そりゃテンプレだから……』と突っ込みを入れていた。
「我が国のな……賢者だ」
「ルーネさんですか?」
呆気にとられた様子でアレクトとミーナは口をつぐんだ。
「……な、なんだ、面識があったのか?」
「せっかく一念を驚かせようと思ったのにぃ」
ミーナが頬を膨らませて抗議する。
「あ、いや、さっき少し話しただけですよ……そっか、ルーネさんか……。
わかりました。もう一度中に入ればいいんですね?」
「うむ。頼むぞ!」
「へいへーい……」
一念はやる気のない返事をアレクトに返し、また宙に飛び上がった。フラフラともと来た道をかえっていった。
ミーナは一念を見送るアレクトの横顔を見、しばし考え込んでいる。…不意に未だに目で一念を追っているアレクトがミーナへ話しかけた。
「ミーナ」
「へ……は、はいお兄様。何ですの?」
「友とはこういうモノかの?」
ミーナは一念に心から感謝をしていた。先程の考えが確信に変わった一瞬だった。
「はい。お兄様」
フラフラと飛んでいる一念は先程トロンと話した所まで戻っていた。そろそろ降りようかと考えていたその時、すぐ下から声が聴こえた。
「「「一念殿っ!!」」」
すぐ下には、先程戦ったリッツ、ナビコフ、パティ、バディ、セドナそしてトロンがいた。一念は降下しながら五人の安否を気遣う。
「皆さん、お怪我はありませんか?」
「一念、あれは卑怯だ!再戦を要求する!!」
リッツが冗談半分の抗議をする事で身体の無事を一念に伝える。
「一念殿、陛下とお話をされていたので?」
「ナビコフさん、ええ、アレクトさんにすっごいお使いを頼まれました」
「い、一念殿っ! 陛下に対してなんとっ……」
皆が驚き一念を諌めようとする中、呆れたリッツがフォローを入れる。
「あー、ナビコフの旦那、「さん付け」は陛下本人から許されてるんすよ。何たって一念と陛下はオトモダチですからね……」
やれやれと肩を上げるリッツに困った様子の一念、他の者は唖然としていた。
「あの陛下はこれからどんどん凄くなるぜ! 俺が保障する!!」
ドンと胸を張ったリッツの頬を一念がいきなりつねり始めた。
「っ!? ひひへん! はひふふんはお!!」
「リッツゥ~お前アレクトさんが来た時、跪かなきゃいけないってなんで教えてくれなかったのかな~?」
それを聞いたナビコフがピクリと反応し、目が光る。
「なるほど……あの珍事は貴様のせいかリッツゥッ!! 代わりましょう一念殿っ! 私がこの者に節度というものを叩きこんでやりますっ!!!」
「お願いします」
ささやかな復讐が済んだところで、一念はパティ、バディ、セドナに顔を向ける。後ろでリッツがナビコフに様々な決め技を放たれている事は、気にしていない様だった。
「パティさん……だっけ? 怖い思いをさせてすみませんでした。怪我はないですか?」
「あ、私は……その…大丈夫です。一念殿の気遣い、有難く思います」
顔が紅潮しているパティに首を傾げる一念だったが、「大丈夫」という自己申告に安心し、兄のバディに顔を向けた。
「バディさんは、あれ何で倒れちゃったんです?」
「自分の修練不足であります。また機会がありましたら是非手ほどきをお願いしたく思います」
頭に? を浮かべた一念にセドナが解説を加える。後ろでリッツがオチたらしいが、トロンが看病しているようだ。
「無詠唱出来ない魔法を無詠唱で打とうとするとあぁなるんだ。一念君は経験がないのか?」
「そ、そうなんですねっ、あまり記憶にないような……」
「ほぅ、稀にみる天才というやつか……」
セドナの口から大層な言葉が出てきたので一念は更に慌て、先程のトロンの時と同じく、逃げようかと考えていた時、王アレクトの声が試合場に響いた。
「皆の者。会議の続き…といきたいところだが、一念にはもう一度戦ってもらいたい者がいる――」
「あぁ、そうだった……セドナさん、俺もっかい戦わなきゃいけないんで、もう行きますね……」
一念がそう言うと、瞬時に瞬間移動を発動し、試合場の障壁を飛び越え試合場内に入った。
「「「なっ!」」」
「先程の魔法……見間違いではなかったか!!」
ナビコフの声にセドナが反応する。
「先程も!? ……なるほど、しかし障壁を越えられる魔法等……私は知らないぞっ!」
「確かに、障壁を越える魔法があるならば、障壁の意味がなくなってしまう……」
術にかかっていたセドナは見ていないのは当然だが、ナビコフはあえてその話を会話に持ち出さなかった。上官のミスを掘り起こす程、彼は野暮ではなかった。
「「一念殿は一体、どんな魔法を……」」
「っへ……あいつはただのバカですよ。そして……ただのお人よしです」
トロンの介抱により蘇生したリッツが一念を見つめる。
「さて……お相手は……」
アレクトが一念を試合場で視認すると先程の話を続ける。
「では、一念の次なる相手は、我がトレーディアの賢者と剣神っ!! 両名前へ!!」
場内がざわつき、どよめき、一瞬の間を置き咆哮へと変わる。
一念の前には、賢者ルーネと、剣豪ムサシ……いや、宮本武蔵が立っていた。
「感謝するぞ一念」
「一体どんな狙いがあるんです? ムサシさん」
「狙いはないっ! いい機会だからそなたの実力を肌で感じたかっただけだ!」
やや呆気にとられる一念だったが、ルーネに顔を向けムサシにかけた質問と似た質問を投げかける。
「ルーネさんにはあるんですか? 狙い」
「確かに私達が戦う事で得られる兵の士気向上、其れに伴う技術向上は、陛下にとって、この国にとって非常に有益だ。しかし、私の本意はそこにない……。
私は君の能力の底が知りたいのさ」
何かのキャッチコピーの様なセリフにたじろぐ一念。
『目的が力試しと……力試しだよな?』
「一念、先程のように小細工はいらん。最初から本気で来い」
「あれ? な、なんの事かなー?」
客席にいるリッツは呆れた表情で三人の会話を聞いていた。
「にゃろう。やっぱ本気じゃなかったか」
「ほぅ。お前にもわかったか……」
ナビコフがリッツの席の横に立ち、隣に腰掛けた。
「バカにしてるんすか? ナビコフの旦那ぁ。
あの睡眠魔法を全員にかければ一瞬で決着がつくし、瞬間移動魔法を多用すれば俺達を翻弄できるし、あの炎魔法だって……けどあいつはそれをしなかった。
確かにあいつはバカだけど、考える頭は持ってますからね、俺達の戦い方を探ったってのが正解だろうけど、それだけじゃない。あいつは人が傷つかない様に戦ってやがるっ……。
ったく、心の傷は全開だぞっての……」
「そうだな。戦った者なら解る。陛下もミーナ殿下もそれはわかっているだろう。やはり、一念殿は良い将になる……」
一念は、ムサシの眼光に看破されている事を誤魔化し切れなくなっていた。
「あー、はいはいわかりましたよっ! その代わり怒らないで下さいね!!」
「問題ないっ!! ……因みに睡眠魔法はもう私達には効かないからな?」
「はぁ、対策早いなぁ……。
よし! じゃあやりましょうか!!」
「ああ。……陛下っ!!!」
ムサシの合図にアレクトが頷いた。
アレクトも緊張していた……。この試合に……。
「試合開始っ!!!」