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森の化け物16

 ケーディンは水をかき分け進めていた足を止め、両手を伸ばしクロフの胸ぐらをつかんだ。

「じゃあ、お前はどうなんだよ! お前ならあの化け物を倒せるというのか? お前ならあの化け物の息の根を止められるって言うのか? たいそうな自信だな。所詮、神官様はおれ達とは実力が違うってのか?」

 クロフはその時初めてケーディンが焦っていた意味を理解した。

 ケーディンのまぶたは大蛇の毒液のため火傷のように赤くただれ、どのような薬師の腕を持ってしても、到底完治するようには見えなかった。

「あなたは、もう目が」

 クロフはケーディンの赤くただれた顔を見上げる。

「くそっ!」

 ケーディンはクロフから手を放し、大蛇の方へと歩いていく。

 しかしその足取りは鈍く、水中の石につまずき、水に足を取られているようだった。

 大蛇は鎌首をもたげ、近づいてくるケーディンを見据えた。

「目の見えぬ身で、わたしに挑もうというのか? 滑稽だな。よほど命がいらぬと見える」

 ケーディンは水中の岩に足を取られ、水しぶきを上げその場に倒れ込んだ。

 起きあがろうと立ち上がるケーディンに、大蛇は赤い舌を見せて笑った。

「ならば、望み通り殺してやる!」

 大蛇の口から毒液が吹き出される。

 ケーディンはとっさに体をひねり避けようとするが、湖の中ではほんの少しの距離を移動するのが精一杯だった。

「やめろ!」

 毒液がケーディンの体に届く直前で、炎の壁が現れそれを遮った。

 炎の壁はしばらくの間ケーディンを守るように揺らめき燃えていたが、小さな炎を風が吹き消すようにやがて跡形もなく消え去った。

「もうやめてください!」

 足音もなく、クロフが二人の間に割って入る。

「これ以上のこの場での諍いは無意味です。この争いはお互い何の得にもなりません。あなたにとっても湖が血に汚れ、自分の住みかが壊されてしまうでしょうし。ぼくらにとっては、仮にあなたを倒せたとしても、土地が元に戻るとも限りません。逆に、もっとひどい状況になってしまうかもしれません」

 クロフは大蛇の青い瞳を見上げる。その瞳にはまだ暗い感情が渦巻いていた。

 しばらくの間、湖を静寂が支配する。

 クロフはおもむろに視線をそらし、長いため息をついた。

「今日のところは、これで帰ります」

 すかさず傍らにいたケーディンが非難の声を上げる。

「なにを馬鹿なことを言っている! ここまで来て、化け物が目の前にいて、今更帰れるわけ無いだろ!」

 ケーディンの言葉にクロフは淡々と言い返す。

「ならばあなたはここで無駄に命を落とすのですか? あなたが死んだら悲しむ人達がいるのではないのですか?」

 ケーディンは答えなかった。口元を引き結び、悔しそうにしている。

「領主の館に戻りましょう。土地を元に戻す方法を一から考え直さなければ」

「くそっ! くそっー!」

 ケーディンは悲痛な声で叫び、足元の水をかき乱す。

 クロフは軽く頭を振り、大蛇に向き直った。

「今回は帰ります。しかしぼくは諦めません。この土地をいつか元の実りある豊かな土地に戻す方法を見つけてみせます」

 大蛇はクロフの言葉を笑わなかった。

 赤金色の瞳から目をそらすようにして、ただ一言つぶやいただけだった。

「勝手にしろ」

 大蛇の姿はゆらめき、細かい水の塊へと変わった。

 水が滝のように湖面に降り注ぎ、ゆったりとした波紋を立てクロフ達の足元に打ち寄せる。

 湖面は何事もなかったかのように夕闇迫る空を映し、やがて静かになった。


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