第一話
第一章:ニマイヒレとの遭遇
「おいおい、嘘だろ……」
視界のすべてが青い。上を見ても下を見ても、ただただ果てしない海。
俺――『陸』は、ダイビング中に悪質な潮流に流され、完全に迷子になっていた。
空気ボンベの残量メーターはすでに黄色いゾーンを指している。人生のバッドエンディングがリアルに頭をよぎった、その時だった。
目の前の暗がりの向こうから、巨大な「何か」が泳いできた。
「うわあああ!?」
慌てて身をよじる。現れたのは、クジラでもサメでもなかった。
人間の少女の顔をしていた。ただし、体型がバグっている。マツコ・デラックスか、あるいはトドか。丸々と肥えたその巨体は、はち切れんばかりにパンパンだった。
「あら? 変な生き物」
普通に日本語でしゃべったその人魚は、俺の周りを興味深そうにぐるぐると泳ぎ回る。
「全身真っ黒で、細長くて……。一本の太いヒレがない代わりに、細い足ヒレが二つ並んでるのね。あなた、新種のニマイヒレ?」
「に、人間だけど……。ていうか、人魚って普通もっとスリムじゃ……」
「はあ!? 何言ってるの、今どき若くておデブなのがトレンドよ! でも私、最近ちょっとさすがに太りすぎちゃって……。ねえ、あなた『人間』なら、噂のあれ、やらせて?」
人魚――『パル』はそういうと、俺のお腹のあたりを、丸い手で「ぎゅむっ」と掴んだ。
痛くはない。
衣服の上からなのに、なぜか俺の体脂肪だけが、彼女の手のひらに不思議な魔力で吸い出されていく。
パルは俺の脂肪を、雪合戦の雪玉を作るみたいに、両手で「こねこね、ぽんぽん」と丸め始めた。
「よし、いいサイズ!」
目の前で綺麗にピンポン玉サイズになった『俺の脂肪だんご』を、パルは躊躇なくパクッと口に放り込む。
その瞬間、海中にピキピキピキッ! と変形ロボみたいな音が響き渡った。
「えええええ!?」
俺の目の前で、パルのトドのような巨体が、凄まじい勢いで縮んでいく。
むちむちの脂肪が一瞬で消え去り、陸のトップアイドルも裸足で逃げ出すような、超絶スリム美少女がそこに現れたのだ。
「すごーーーい! ひとくち丸めて食べただけで激ヤセしたわ!!」
モデル体型になったパルが、長い髪をなびかせて海の中で大はしゃぎしている。
パルのその眩しい笑顔に、あろうことか俺は一瞬で心を奪われてしまった。
こうして、俺の脂肪をお団子にして捧げる、おかしなサバイバル同棲生活が始まった。
第二章:脂肪だんごのディストピア
パルの隠れ家である海底の洞窟に居候することになった俺は、彼女に脂肪を分け与える代わりに、新鮮な空気(パルの魔法の泡)と食料を提供してもらうことになった。
「ねえリク、今日のご飯は深海の特大エビよ! ほら、たくさん食べて!」
「ありがとう。でもパル、そんなに俺を太らせようとしなくていいからね?」
パルは俺を「最高品質のダイエットサプリ」としてキープするため、毎日せっせと高カロリーな海の幸を運んでくる。
人魚界では「太っていること」が美のステータスだが、パルは陸の基準でいう「超絶スリムな自分」にすっかり酔いしれていた。
しかし、この奇跡のダイエットには、恐ろしい落とし穴があった。
「あ、あれ……? なんか体が重い気がする……」
出会って三日目の朝、パルが自分の腕をつまんで青ざめた。二の腕の肉が、明らかにふくよかになっている。
リバウンドだ。しかも、恐ろしいスピードで元の「おデブさん」に戻りかけている。
「リク! お団子! 早くお団子作って!」
「わ、わかったから落ち着け!」
俺はお腹の肉をぎゅむっと絞り出し、こねこねと丸めてパルに渡す。
パルはそれを勢いよく飲み込み、再びピキピキッと音を立てて美少女に戻る。
だが、悲劇はここからだった。
一週間が経つ頃には、パルの体に「耐性」がつき始めていた。
「おかしいわ……。昨日と同じサイズのお団子なのに、半分しか痩せない!」
「ええ!? じゃあ、もっと大きくしなきゃダメってことか?」
最初はピンポン玉サイズだった脂肪だんごが、日に日にテニスボール、ドッジボール並みに巨大化していく。要求量がエスカレートしていくのだ。
「リク、もっと……もっとお団子をちょうだい……!」
リバウンドに怯えるパルの目は、次第に理性を失いかけていた。
俺が寝ている夜中、ふと目を覚ますと、パルが飢えた目で俺のお腹をじっと見つめながら、よだれを垂らしている姿を目撃してしまった。
(このままじゃダメだ……)
俺の体脂肪にも限度がある。これ以上ここにいたら、俺の命が持たない。
それ以上に、俺のせいでパルが理性を失い、本当の「人間を喰らう化け物」になってしまうのが、俺は何より怖かった。
俺は、パルのことが本当に好きになっていたからだ。
「パル、最後の夜だ。特大のお団子を作ってあげるよ」
俺は死なないギリギリの気力を振り絞り、今までで一番大きなお団子をこねて作った。スイカほどもある巨大な脂肪だんごだ。
パルはそれを貪るように食べ、過去最高に神々しい、完璧なスリム美少女へと変貌した。
「パル、俺は陸へ帰るよ。これ以上はもう、お団子を作ってあげられない」
「嫌よ! リクがいなくなったら、私はまたあの醜い大デブに戻っちゃう!」
涙を流すパルの手を、俺は静かに握った。
「パル。君はデブなんかじゃない。人魚界じゃそれが一番可愛いんだろ? 俺は、痩せてる君も好きだけど、お団子を欲しがって苦しむ君を見るのはもう嫌なんだ。バイバイ、パル」
俺は彼女の静止を振り切り、パルが用意してくれた最後の魔法の泡に包まれて、陸へとぷかぷかと浮上していった。
海面へ向かう俺の視界の端で、薬効が切れ、徐々に丸々と太った元の姿に戻りながら、大粒の涙を流して見送るパルの姿が見えた。
第三章:十年の執念と、ドカ食いの日常
それから、十年の月日が流れた。
陸に戻った俺――28歳になった陸は、とんでもない変貌を遂げていた。
かつてのガリガリだった面影はどこにもない。体重は当時の3倍。マツコ・デラックスもびっくりの、歩くたびに床がギシギシと鳴るほどの「超・弩級の巨漢」になっていた。
「よし、今日も仕込みはバッチリだな」
俺は目の前に積まれた、総重量5キロの特盛りカツ丼とピザを、凄まじい勢いで胃袋に流し込んでいく。
俺がこれほどまでに太ったのには、明確な理由があった。
あの日、陸に戻った俺は、怪しい食品科学の研究所や闇のルートを巡り、ついに手に入れたのだ。
飲むだけで爆発的に脂肪がつき、どれだけ切り取られても超スピードで脂肪が再生する禁断の『超リバウンド薬(太る薬)』を。
周囲の人間は「あいつは失恋のストレスで狂った」と噂したが、俺の目的はただ一つだった。
「待ってろよ、パル。今度は無限にお団子を作ってやれるからな」
俺は特注の、超巨大XXXLサイズのダイバースーツに身を包んだ。もはや人間というよりは、巨大なアザラシのようなビジュアルだ。
重たい体を揺らしながら、俺は十年前と同じ、あの懐かしい海へとドボォンと飛び込んだ。
第四章:脂肪の永久機関
ズブズブと深海へ沈んでいく。久しぶりの海の冷たさが心地いい。
あの洞窟の近くまで泳いでいくと、前方から、ゆらりと巨大な影が現れた。
十年前と変わらない――いや、十年分の年月を経て、さらに丸々と立派に肥えた、人魚界のトレンド最高峰の「超・おデブさん」になったパルだった。
パルは、目の前に現れた「自分と同じくらい丸々と太った巨大な黒い塊(俺)」を見て、目を丸くした。
「……え? 嘘、ニマイヒレ……? あなた、リクなの!?」
「久しぶり、パル。約束通り、戻ってきたよ」
水中スピーカー越しに俺の声が響くと、パルはわっと泣き出しそうな顔をした。
「リク! なんでそんなに丸くなっちゃったの!? 人間なのに、人魚界のトレンドを取り入れたの!?」
「違うよ。これを見てくれ」
俺はダイバースーツのお腹の部分に仕込んだ、特注のマジックテープ式の窓をペリッと開けた。そこから、薬の力で丸々と肥えた俺の生お腹が露出する。
俺は自分のお腹の肉をぎゅむっと掴むと、手際よく「こねこね、ぽんぽん」と丸め始めた。十年のブランクを感じさせない、見事な職人技だ。
「ほら、十年前より脂が乗った、特大の脂肪だんごだぞ。これなら毎日、好きなだけ食べていいからな!」
パルの目が、あの懐かしいギラつきを取り戻す。
「リク……! ありがとう、いただきまーす!」
パルは俺の作った特大だんごをパクッと一口で飲み込んだ。
次の瞬間、海中にピキピキピキバキッ! と、過去最大の変形音が鳴り響く。
凄まじい水流と共に、パルの巨体が一瞬で削ぎ落とされ、二十代の妖艶さをまとった、この世のものとは思えない超絶スリム美少女が目の前に降臨した。
「すごーーーい! 昔より何倍もキレキレに痩せるわ!!」
美少女化して大はしゃぎするパルを見て、俺はスーツの中で大満足の笑顔を浮かべた。
俺のお腹を見ると、薬の力ですでに新しい脂肪がみっちりと再生を始めている。命の危険はどこにもない。
「リク、あなた本当に最高のご馳走ね!」
「だろ? だからこれからは、ずっと一緒にいよう」
俺が陸でドカ食いして無限に脂肪を蓄え、海でパルがそれを美味しく食べて最高に綺麗に痩せる。
世間一般の愛の形からは大きく逸脱しているかもしれない。
けれど、デブな俺と、痩せたい彼女。
二人の想いと体重が奇跡のサイクルで噛み合った、世界で一番ハッピーな『脂肪の永久機関』が、今日も深海の底で静かに、そして美味しく回り続けている。
(了)




