だから幽霊は嫌いだ
幽霊が嫌いだ。
死んで行くべき世界があるのに、うじうじうだうだ現世に留まっている所が嫌いだ。
未練がなんだ。死んだのなら諦めろ。
理不尽な死。無念の死。理解は出来る。もし私が五分後に見ず知らずの人間に拉致され拷問され地獄のような苦しみの果てに死んだのなら、そいつに同じぐらいの苦しみを味合わせてやりたいとは思うだろう。だから悔しいだろうという感覚も分かる。
でも死んだのだ。そんな理不尽な死は別の世界で救済されて然るべきなのだ。現世に残ってなお憎しみの炎を燃やしながら、果たせるかも分からない復讐の為に居残り続けるなんてごめんだ。そんなクソみたいな奴がいる世界なんてとっととおさらばして天国で平和に平穏に暮らすべきなのだ。
そしてたまにそんな奴らが見えてしまう自分が嫌で嫌で仕方なかった。
だから、幽霊は嫌いだ。
「何見てんのよ」
夜もすっかり更けた誰もいない路上で独り言のように呟く。面白味も生きがいもない命を削られるだけの社会人生活。疲れているのだ。早く一人になりたいのだ。苛立ちのせいで言葉が口から勝手に零れていく。
そんな私を嘲笑うかのように横断歩道の先の電柱の横に、こちらを見つめる少年が立っていた。電柱には花束。そういう事だ。
「何? 同情して欲しいの?」
青信号。歩き出す。じっとこちらを見る少年。無表情過ぎて感情は読めない。悲しいのか辛いのか。少なくとも楽しくはなさそうだった。
見えるだけなんだ。何も出来ないんだ。だから見るな。
幽霊が見える度に思う。そちらからすれば自分達が見える存在は希少なんだろう。だからこそ縋りたいと思うのだろう。だがこちらとしては迷惑極まりない。医者でもないのに病気を治せと言われているような理不尽さを感じる。無駄な無力さを感じさせられる。
だから私は少年に視認されていると分かっていながら堂々と横断歩道を渡り切る。君の死は確かに早すぎるが、それならそれで天国で幸せに過ごせ。
「手伝ってよ」
すれ違い様に少年の声がした。
もういいからそういうの。予測済みだ。どうして幽霊はいつも不意打ちのようなやり方しか出来ないのだろう。何か制約でもあるのだろうかと思うこともあるが、一直線にこちらに向かってくる奴もいる。だから正々堂々と真正面からぶつかる事も出来るはずなのだ。
姑息。だから幽霊は嫌いだ。私は当然のように少年を無視する。
幽霊に安易に同情してはいけない。助けてもらえる、構ってもらえると思ったらストーカーのようにしつこく付き纏ってくる。
未練ってそこまで大事か?
どうしても成し遂げないといけないものか?
生きてたって未練なんて全て消化しきれないし、ひとかけらの未練もなく死ねる人間なんてほとんどいないだろう。
「さっさと諦めろよ」
少年に背を向けながら私は嫌味ったらしく呟いた。
*
今日も横断歩道の先に少年がいた。はいはいと思いながら私は歩道を渡り切る。
「手伝ってよ」
また声を掛けられる。
「手伝わねーよ」
背中越しで答える。
彼氏も友達もいない仕事ではミスばかりの役立たず社会人に人を助ける気概も気力もない。生きてる人間はもちろん死んだ人間も。
第一、何故私があんたの力にならないといけないのか。あんたを手伝って何の得があるのか。
だから無視する。
求めるだけ求めて何も返してなんてくれないんだから。
*
それからも少年はずっとそこにいた。そして私は平然と横を通り過ぎた。
「手伝ってよ」
無視。無視。無視。
「手伝ってよ」
これだけ無視しているのに要求を止めようとしない。毎回いるからいつかはという淡い希望でも抱いているのだろうか。
勘弁してくれ。あんたの為に私は毎度この道を通っているわけじゃない。ただの帰り道だ。別の人間なら気味悪がってルートを変えたりするのかもしれないが生憎私は幽霊に慣れている。幽霊のせいでこっちがルートを変えるなんてあまりにも馬鹿げているし腹立たしいから私は意地のように帰り道を変えないだけだ。
「手伝ってよ」
こんなに可哀想な僕を見てよと言わんばかりに少年は諦めなかった。
だから私も彼を無視することを諦めなかった。
*
仕事帰りのいつもの横断歩道に生きている人がいた。
細身で髪の長い女性。彼女は電柱の傍に座り込み手を合わせていた。初めて見たが、どうやらここにいつも花束を置いていたのは彼女だったようだ。
おそらく母親か。向かい側に私がいる事など気にせず彼女はじっとその場で手を合わせている。そんな彼女を少年は静かに無表情で見下ろしていた。
「ほら手伝ってもらえよ」
お願いするなら絶好の相手じゃないか。母親ならあんたの頼みをいくらでも聞いてくれるはずだ。
信号が青になって私が歩き出しても彼女はそのままだった。
大切な息子を不慮の事故で亡くした母親としては何の違和感もない姿だったが私には関係ない。どうか少年の願いを叶えてさっさと成仏させてやってくれと思いながら、いつものように横を通り過ぎようとする。
「手伝ったわよ」
女の声に思わず足が止まった。
不意打ち。しまったと思った時にはもう手遅れだった。
「大人なら手伝いなさいよ」
身体は動かなかった。背後でずるりと女がこちらを見ているのが分かった。
「大人なら見て見ぬふりしないで手伝いなさいよ」
女の声が真後ろから聞こえる。首筋に生暖かい空気があたる。
「あんたも死んでるようなものじゃない」
だから、手伝えるでしょ?
女が耳元で嬉しそうに囁いた。
身体は動かないが、溜息は吐き出せた。
ーーくそが。
生きた母親が死んだ息子に花を手向けに来たと思っていた。構図だけでそう決めつけた。そのせいで油断した。
ーーお前もそっち側か。
少年もこの女も、本来この世から退場すべき存在だった。
今更後悔した。少年を見た時点で私はさっさとルートを変えていれば良かったのだ。そうすればこんな面倒な事にはならなかった。
「手伝ってよ」
いつもの聞き慣れた少年の声がした。
何を手伝わされるのかは分からない。ただおそらく、私はあっち側で未練がましい存在の一部にさせられる事はなんとなく分かった。
私がもし善良な霊能者だったとしても、結果が早まっていただけだろう。だから別の手段で不意を衝かれた。やっぱりろくでもない存在だ。
だから、幽霊は嫌いだ。




