第八話 星波の覚悟
東京、市ヶ谷――防衛省管轄、地下実験棟。
早朝五時。都心の喧騒がまだ眠りについている時刻。
「早朝からの呼び出しで申し訳ありません、総理」
「構いませんよ。メディアの目を盗むなら、この時間しかありませんから」
星波静香は、少し強張った笑顔で速水防衛大臣に応じた。
案内されたのは、無機質な白い壁に覆われた巨大な格納庫だった。
内部では、白衣の研究員と作業着の自衛官たちが、怒号にも似た指示を飛ばしながら走り回っている。キーボードを叩く乾いた音が、広い空間に反響していた。
その中心に、鋼鉄の巨人が鎮座していた。
深い濃紺の装甲。頭部から突き出た二本のアンテナ。鋭利に尖ったショルダーアーマーと、大地を踏みしめる太い脚部。
双眼のカメラアイが、冷たい光を放っている。
「これが……新型ですか」
「はい。日洋重工が威信をかけて開発した純国産アバランサー、型式番号0-X2『クサナギ』です」
「クサナギ……。現在運用している『ヨシツネ』とは、中身も別物なのですね?」
星波の問いに、速水は我が意を得たりとばかりに頷いた。
自衛隊の現主力機『F-X0 ヨシツネ』。それは名ばかりの和名で、実態はアメリカ軍が廃棄予定だった旧式機を、言い値で買い取らされた代物だ。
当時のマスメディアからは高い買い物、鉄屑の押し売りと揶揄され、現場の隊員からも不満が噴出していた代物である。
だが、目の前の機体は違う。
「勿論です! ヨシツネを参考にしつつも、OSからフレームまで完全再設計を行いました。最大の特徴はコックピットです。旧来の物理的なデュアルモニターを撤廃し、現代戦に対応した全天周囲モニターを採用しました」
速水は熱っぽく語る。
ヨシツネの欠点は視界の悪さにあった。
正面のメイン画面に加え、側面や計器類に配置された無数のサブモニター。パイロットは常に視線を散らされていた。これまでのパイロットは、計器の数値を確認するために視線を落とし、敵を探すために顔を上げ、背後を確認するためにサブモニターを覗き込む必要があった。
加えて、背面の映像は不完全な合成であり、死角への恐怖が常に付きまとっていたのだ。
クサナギは、そのすべてを取り払った。
「パイロットは、三六〇度の完全な視界を得ることができます。もう視線を動かす必要も、死角に怯える必要もありません」
「……なるほど。視覚的なストレスからは解放された、ということですね」
星波は感心しつつも、鋭い視線を大臣に向けた。
「では、精神感応炉の方はどうなのです? ……パイロットへの負荷は?」
アバランサー導入における最大の懸念点。有人兵器である以上、パイロットの安全性は最優先事項だ。
導入時、国会で最も紛糾したのがこの搭乗者の安全性だったからだ。精神を動力とするシステムは、一歩間違えれば若者を廃人に変える。
現代の特攻兵器ではないかという野党からの激しい批判を封じ込めるための絶対条件。それが、パイロットの生命保護を最優先することだった。これを疎かにすれば、この国でアバランサーが空を飛ぶことは許されないのだ。
速水の表情が、一瞬だけ曇った。
星波の眉が、ピクリと跳ね上がった。
「どういうことです?」
「先ほど申し上げた通り、本来、人間の脳は背後を見るようには作られていません。しかし、この機体は精神感応炉を介して、三六〇度全方位の映像を自分の目で見ているかのように脳へ直接送信します」
速水はハンカチで額の汗を拭いながら続ける。
「結果、パイロットは脳の処理能力の限界を無理矢理続けさせることになり、常に脳をフル回転させられる状態に陥ります。例えるなら、悪夢を常に見ているような感覚に襲われます」
「ちょっと待ってください。……それは、サポートの域を逸脱していませんか?」
星波の声色が一段低くなる。
彼女の指摘は正しい。
本来、精神感応炉がアバランサーに導入された理由は、人間の反射神経の限界を補うためだったはずだ。
危機的状況において、人間の神経伝達速度にはコンマ数秒の遅延生じる。普段性格していて気にしないところではあるが、戦場においては命取りだ。脳の電気信号を読み取り、神経を介さずに直接機体へ命令を送る――あくまで出力を補助するためのバイパス技術だったはずの感応炉。
だが、今の説明は違う。
つないではいけない部分まで侵食してしまっている。
「ええ……まぁ、仰る通りですが……。しかし! これさえあれば、我が国も米国と対等に渡り合えるアバランサー強国になれるのです!」
「速見防衛副大臣」
氷のような冷徹な一言が、大臣の熱弁を断ち切った。
名前を呼ばれただけ。それだけで、速水は自身の失言を悟り、脂汗を浮かべて口をつぐんだ。
重苦しい沈黙が流れる。
「……それで。機体に乗るパイロットは、決まっているのですか?」
「は、はい……選抜はすでに。阿部一尉!」
意気消沈した声で、速水が呼ぶ。
整備足場の上、コックピットハッチの脇に立っていた人影が動いた。
タラップを駆け下りてくる乾いた足音。
星波の前に立ち、規律正しい敬礼を送ったのは、まだ若さの残る自衛官だった。
「阿部宗貞一尉です! 初めまして、総理! クサナギの専任パイロットを拝命し、身に余る光栄であります!」
阿部は直立不動の姿勢で、見事な敬礼を決めた。
短髪に、淀みのない瞳。絵に描いたような清廉潔白な青年将校だ。
「ふふ。そう緊張しなくても良いのですよ? 噂は兼々、伺っています」
星波は母親のような柔らかな笑みを向けた。
「きょ、恐縮です!」
阿部は顔を赤らめ、さらに背筋を反らせて天井を仰ぐ。その初々しさに、横にいた速見大臣も鼻高々だ。
「彼はシミュレータで満点を叩きだし、精神感応炉との同調率も候補生の中でトップ。二十五歳という若さを踏まえても、天才と言わざるを得ません」
「なるほど、頼もしい限りです。……ですが速見大臣。先ほどの負荷問題は解決していませんね?」
星波の視線が鋭く戻る。速見は「痛いところを」と言わんばかりに頭を抱えた。
「その件ですが!」
二人の間に割って入るように、阿部が声を張り上げた。
星波は瞬きし、彼に向き直る。
「……どうぞ。パイロットの声を聞かせてください」
「はっ! 確かに新型炉の負担が増えたのは間違いありません。自分自身、脳を焼かれるような負荷を感じています。しかし! 有人兵器である以上、リスクは付きものです。有事の際に、パイロットの安全性などと言っていられません。国を守るためならば、自分がどうなろうとも――」
「それでは駄目なのです」
凛とした声が、阿部の決意を断ち切った。
「……総理?」
「阿部一尉。貴方が良くても、将来これを量産した時、他のパイロットにも貴方と同じ負荷を強いることになります。貴方が耐えられたとしても、他の兵士たちが耐えられる保証はどこにもありません」
星波は一歩踏み出し、阿部と、そして速見大臣を交互に見据えた。
「有事の際には安全を無視して良い、と言いました音? ……いいえ。私たちは第二次世界大戦で犯した過ちを、二度と繰り返してはいけない」
その言葉には、国政を預かる者としての重い覚悟が滲んでいた。
「人の命を燃料にするような兵器は、あってはならないのです。それは指導者としての、私の義務です」
「そ、総理……」
「クサナギのロールアウト判断には、情報が少なすぎます。別角度からの試験データ、および負荷軽減策のレポートを提出してください。それら全てを鑑みて、今年中には最終決定を下します」
言い切ると、星波はSPを促して踵を返した。
コツ、コツ、とヒールの音が遠ざかる。
残された阿部と速見、そして研究員たちは、その背中の威圧感にただ立ち尽くすことしかできなかった。




