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第四話 戦場の香り

 翌日、早朝。カリフォルニアの海岸線から小型の高速艇を走らせること三十分。レイモンドの操舵で沖合の合流ポイントへ到達すると、朝霧の向こうに黒と灰色を基調とした巨大な影が浮かび上がった。


「おー! 久々の我が家! 愛しのベサリウス!」


 ビンスが手すりから身を乗り出し、大袈裟に手を振る。

 ハクバ率いる傭兵部隊の母艦、空母『ベサリウス』。全長約三百メートル、収容人数四千人強。現在は百名余りのクルーが乗船している。かつてハクバが単機のアバランサーで米空母打撃群の窮地を救った際、その報酬代わりとして譲り受けたという、伝説つきの艦だ。元は五十年落ちの廃棄寸前なスクラップだったが、ハクバは闇社会の技術者たちを金で集め、徹底的に改装した。対空防御システムは最新鋭に換装され、内部の電子機器も軍の規格外品ばかり。見た目はツギハギの幽霊船だが、その中身は現代の正規空母にも劣らない戦闘能力を秘めている。


「お疲れ。さっき口座への入金を確認したわ」


「助かる、クリス」


 舷側のタラップを登ったハクバたちを出迎えたのは、クリステラ・ウォーデン。通称クリス。本来はレーダー担当のオペレーターだが、この艦に厳密な配属区分はない。美しい褐色肌が艶やかに輝いている。


「しっかし、とんでもない額だったわよ? そんなにヤバい仕事だったの? レイモンド」


「いつも通りさ。ハクバにしか出来ないような無茶を頼まれただけだ」


「あちゃー。そりゃクライアントも大金を積むわけね」


「キャプテンは艦橋か?」


「ええ。イラついてるみたいだから、気をつけて」


 クリスは茶目っ気たっぷりに敬礼してみせると、CDCへと降りていった。ハクバは鉄階段を登り、艦橋へと足を踏み入れる。そこには、艦長席で立派な口髭をさする男の背中があった。


「キャプテン――」


「遅いッ!!」


 ハクバが口を開くより早く、艦長席の男が雷を落とした。鼓膜がビリビリと震えるほどの大音声。ハクバは顔をしかめて小指で耳をほじった。


「そんなに怒鳴るなよ。耳が遠くなっちまう」


「怒鳴るに決まっている! すでに予定より一〇分の遅刻だ! 本来なら十二時には合流ポイントへ到達しているはずだろうが!」


「色々立て込んだんだよ。……ちょっとしたトラブルでな」


「はんっ! どうせまたビンスの女関係だろう! あの色ボケを甘やかすなと何度言えば分かるんだ! ルー商会の使者はもう帰っちまってるかもしれんぞ!」


 男は悪態をつきながらマグカップに口をつけるが、中身が熱すぎたのか、ブッと噴き出し、舌を出してフーフーと息を吹きかけた。


「案外、まだ待ってたりしてな」


「あぁ? どういう意味だ」


「レイモンドがな、『怪しい』ってよ」


 ハクバは艦橋の窓枠に腰掛け、海原を眺めながら説明を始めた。


「そもそもルー商会は中国の大手だ。裏の汚れ仕事だろうと、わざわざ俺たち部外者の傭兵に頼む筋合いはない。警護なら国防軍や、私兵にやらせればいい」


「確かにそうだ。だが、俺たちの戦果を聞きつけて依頼してきたとしたら――」


「もしそうだとしても、手放しでは喜べないな」


「……なるほど。警護任務自体が嘘か。となると狙いは何だ?」


「アバランサーの強奪。あるいは……この空母そのものを乗っ取る気か」


 口髭の男は、冷めたコーヒーを一口飲み込み、鋭い眼光を巡らせた。


「……罠の可能性が高いな。会合は中止にするか?」


「いや、この際顔を出した方がいい。どうせ航路上には奴らが待ち構えている。単なる護衛任務なら良し。俺らの読み通りなら――」


「返り討ちにするまで、か」


「そういうことだ」


 ハクバの不敵な笑みに、男は呆れたように鼻を鳴らした。


「了解だ。相変わらず血気盛んなことだ」


「あんたほどじゃないさ。アーチボルト元提督」


「その呼び方はよせ、青二才」


 アーチボルト・ウェンスキー。かつてイギリス海軍の司令長官まで登り詰めた男である。しかし、その地位にあったのは僅か一年余り。理由は、領海を侵犯した武装難民船を、政府の待機命令を無視して即座に撃沈したからだ。腐敗と不正を人一倍嫌い、事なかれ主義の上層部と衝突を繰り返した挙句の独断専行。結果、彼は軍法会議にかけられ、海軍を追放された。ハクバと出会ったのは、その直後。場末の酒場で荒れていた彼を、ハクバが介抱したのが縁だった。


「アリステッド! 最大戦速だ! 進路、グリュム海へ取れ!」


 艦長席からの指示が飛ぶと、操舵手のアリステッドが復唱し、巨大な空母が軋み声を上げて加速を始めた。

 時代のうねりは、海域さえも書き換えてしまった。

繰り返された核実験の影響か、あるいは大規模な地殻変動か。太平洋には今、既存の航海術が通用しない危険海域が点在している。

 その最たる場所が『グリュム海』だ。

 海域全体を包み込むように白い乱気流が渦巻いており、内部では強力な磁気嵐によってレーダーや通信機器が一切無効化される。一度入れば方向感覚を失い、二度と出られないと言われる魔の海域。正規軍の艦隊ですら大きく迂回するその死角を、ルー商会はあえて会合場所に選んだのだ。


「ええっ? マジで行くのかよ! 何考えてんだ、ハクバの野郎は!」


 甲板下、アバランサー格納庫。レイモンドが愛機のコックピットから身を乗り出し、頭を抱えた。


「文句は私に言わないでよ! ハクバが決めたことなんだから!」


 頭上のキャットウォークから、クリスが声を張り上げる。口には軽食のビタミンゼリーを咥えたままだ。


「それと、キャプテンからの伝達! 『アバランサー隊は白兵戦装備に換装し、即時出撃可能な状態で待機』……だって!」


「おいおい……クソッ! 白兵戦だと?」


 レイモンドの顔色が変わる。白兵戦装備とは、長距離の撃ち合いではなく、至近距離での殴り合いを想定した武装だ。


「……やる気かよ。ルー商会と」

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