第十八話 刻々と迫る
「あと数分で輸送船団が港へ到着します。それを見届け次第、護衛任務は完了です」
「……ああ」
アーチボルトの強張った喉が、ゴクリと唾を飲み込む音を立てた。ホワイトハウス陥落の報を受けてから、彼はずっとこの調子だ。いつアルビオンの部隊が極東の海に現れてもおかしくないという重圧が、元英海軍艦長の肩にのしかかっている。
「落ち着け、キャプテン。ベサリウスはそう簡単には沈まない」
ハクバはアーチボルトの肩にポンと手を置いた。
「すまん……」
「謝ることはない。長年の付き合いだ、あんたの心情は理解してる」
「怖がっているんじゃないぞ! ただ……」
「ああ、分かってる。俺も同じ気持ちだ」
いくら歴戦の元艦長であっても、実戦の殺気と演習は別物だ。緊張するのは無理もない。それはハクバとて同じだった。
「ハクバ、こっちを見ろ」
レイモンドに呼ばれ、ハクバは艦橋の大型モニターへ歩み寄る。
「どうした?」
「これ、どう思う?」
レイモンドが手にしたリモコンで画面を指し示す。
そこには『星波総理・緊急記者会見』のテロップと共に、無数のフラッシュを浴びる日本の若き宰相の姿が映し出されていた。ディスプレイのリアルタイムAI翻訳機能が、彼女の日本語を即座に英語字幕へと変換し、画面下部に流していく。
『我が国としましては、事態の慎重な精査を進めるとともに、在米大使館と密に連携を取っていく所存です。また、アッシュフォード大統領の無事と早期発見を心より祈っております』
「東京都心新聞の萩浦です! 総理はアルビオンの声明をお聞きになりましたか? 彼らは『一国共生』を掲げていますが、日本政府としてどうお考えでしょうか!」
血気盛んな政治記者が、鋭い牽制球を投げる。
『勿論、声明は確認しております。ただ、現時点で一国の総理という立場から、あの声明に対する見解を述べることは差し控えさせていただきます』
「それは質問に答えていませんよ!」
記者がマイクを握りしめ、食い下がる。国民からすれば歯痒い対応に見えるかもしれないが、アルビオンの理念への賛否を少しでも口にすれば、それが「テロリストへの迎合」か「宣戦布告」のどちらかに直結してしまう。明言を避けるのは、当然の防衛策だった。
『次の方、どうぞ』
「総理! 無視しないで答えてください!」
喚く記者を冷徹に受け流し、会見は淡々と進む。その後も各社がアルビオンや日本政府の対応について矢継ぎ早に質問を浴びせたが、誰も満足な言質を取ることはできなかった。
レイモンドは呆れたようにチャンネルを切り替える。どの局もトップニュースは一つだが、各局のコメンテーターも憶測を口にするばかりだ。
「さすがに、どの国も対応に困り果ててるようだな」
「ああ。クーデターの成功を認めるわけにも、かといってあの圧倒的な武力を前に即座に敵対宣言できるわけでもない。首脳陣がこぞって言葉を濁すのは仕方ないさ」
ハクバが腕を組んでモニターを見上げる。
「仕事が終わったら、どうする?」
「インドネシアの多島海を抜けて、オーストラリアへ向かう。情勢が読めない以上、アメリカの勢力圏には近づかない方がいい。昔の知人がいる。そのツテで、しばらくベサリウスを隠匿してもらう」
レイモンドは目を丸くした。
「さすがはハクバだな。こんな巨大な空母を隠せるコネクションがあるのかよ」
「昔、割に合わない無茶な仕事を請け負ってな。その時のデカい借りがあるんだよ」
「へぇ」と感心したように息を吐き、レイモンドは再びテレビへ視線を戻した。
その直後、通信士から報告が上がる。輸送船団が予定通り、日本の港湾施設へ到着したとのことだ。
船団の代表である赤石から短い感謝の通信を受け取ると、アーチボルトは憑き物が落ちたように大きく息を吐き出した。
「面舵一杯! 針路、南南西! インドネシア海域へ向かって離脱するぞ!」
艦長の号令のもと、ベサリウスは重々しい駆動音を響かせながら、きな臭さを増す日本の海から遠ざかっていった。
同刻――旧アメリカ合衆国・国防総省。
今はアルビオン軍総司令部と化したその場所で、イオグランデは周囲を気にするように声を落とした。
「……ヴィクター」
「なんだい? イオ」
「日本近海に、あの空母ベサリウスが潜伏していると、極東の密偵から報告が入った」
長官室の豪奢な革張りチェアに深く腰を下ろしていたヴィクターは、その報告を聞くなり、思わず笑みをこぼした。
それは冷酷な彼には珍しい、純度百パーセントの歓喜から来るものだった。旧知の友の生存を知ったかのようなその反応に、イオは呆れ果ててため息をつき、ボスの次の言葉を待つ。
「……そうだね。手始めに、世界中に駐留している旧アメリカ軍に対し、アルビオンへの帰順と一斉蜂起の勧告を出そうか。それぞれの駐留国の主要施設を、アルビオン軍として制圧、破壊せよ、と」
「かなり無茶な要求だな。どこの部隊も混乱してる。素直に動いてくれるか?」
「いいや、大半は動かないだろう。だが、狂信的な何百人かは必ず命令に応じ、火を放つ。……そして、駐留国がその反乱兵を鎮圧してくれれば、こっちのものさ」
イオはハッとして、獰猛に口角を上げた。
駐留国がアルビオンの同胞を殺害した――その事実さえあれば、それを大義名分として合法的に宣戦布告ができる。ヴィクターの仕掛けた、国ごと焼き払うための悪魔の踏み絵だ。
「さて、イオ。君にも一つ仕事を与えたい」
「言ってくれ。何でもやるぜ?」
「助かるよ。なら、アバランサーの運用に特化した強襲揚陸艦を二隻を渡すから、太平洋を渡って、目障りなベサリウスを海の底へ沈めてきてくれ」
「……ふん! 了解した。直ちに」
獲物を与えられた肉食獣のように笑うと、イオは待機していた自身の精鋭メンバー三十名ほどに声を掛け、足早に総司令部を出て行った。
「……始めるのか?」
部屋の隅で腕を組んでいたアレックスが、低い声で問う。
「まずは、盤上を引っ掻き回すための遊びですよ。本気で世界を獲りに行くのは、その火種が弾けてから。……さて、アレックス長官。貴方にも、お願いしたい大役があるのです」
ヴィクターは立ち上がり、新たな同志に向けて底知れぬ笑みを向けた。




