月の終わりに歌った歌
月には、かつて澄んだ空気と穏やかな風があった。
けれど戦争が起き、空は割れ、大地は焦げ、時間さえも歪んだ。
月の人々は、その日が「終わり」であることを知っていた。
最後の日。
月の中央にある「光の丘」には、老若男女すべての月の民が集まっていた。空はもう赤く、遠くの地平は崩れ始めていた。
その中に、小さな少女・ユラがいた。
彼女は母の手をぎゅっと握りしめながら、空を見上げた。
「お母さん、本当に終わっちゃうの?」
「ええ、ユラ。でも、私たちはひとつになって、ここにいた証を残せるわ」
母はそう言って、胸から小さなクリスタルを取り出した。
それは、月の人々の声を記録する『音の結晶』だった。
最後の日、月の人々はこの結晶に“歌”を刻むことになっていた。
その歌は、とても古く、
月がまだ地球と心を通わせていた時代に生まれたものだった。
静かに、誰かが歌い始めた。
やがて、一人、また一人と、声が重なり、丘の上は歌で満ちた。
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♪ ほしのなかで うまれたものよ
ここにいきて ここにねむる
わすれないで わすれないで
わたしたちの ひかりを ♪
⸻
その旋律は風に乗り、崩れゆく月の空を渡っていった。
涙を流しながら歌う人、笑顔で空を仰ぐ人。
すべての声が、ひとつの響きとなって結晶に染み込んでいった。
最後の一音が終わると、結晶は淡い光を放ち、空へと浮かびあがった。
それはゆっくりと地球の方角へ向かって飛び立ち、やがて夜空に消えた。
ユラはそれを見て、そっと目を閉じた。
「わたしたちは、消えても…音は、残るんだね」
母は静かにうなずいた。
月はその夜、静かに崩れ、星の砂となった。
けれど、地球の夜空を見上げる誰かが、
ふと風の中に旋律を感じるとき、
それはきっと――あの日、月が最後に歌った歌。