必要ないと切り捨てたものが、実は息子にとって大事だった
私は、言い訳が好きではない。
それでも、言い訳したくなるときには「これ、言い訳だけどね」と、まるで免罪符のように前置きをしてしまう。
たぶん、仕事を通して、言い訳ばかりする人をたくさん見てきたからかもしれない。
一方で、潔く言い訳をしない人の姿勢には、清々しささえ感じた。
だから子育てにおいても、言い訳を繰り返す息子を否定してきた。
息子の言い訳は、非常に自分本位で、どうしてもワガママにしか聞こえないものが多かった。
私のせいにされるのも嫌だったので、「私はちゃんと伝えたからね」と、あらかじめ念を押すようにもなった。
そうしないと、「聞いてない」とすぐ言われてしまうから。
自分の間違いを絶対に認めない息子には、幼い頃から悩まされてきた。
けれど、中学生で不登校になったことで、私自身も時間をかけて気づいた。
息子の“言い訳”は、切り捨ててはいけないものだったのだと。
たとえ世間一般では通用しなくても、それは息子が「見ている世界」そのものだった。
高1になった今、息子は「まともを演じられる」と言う。
たぶん、息子の見ている世界は昔と変わっていないのかもしれない。
けれど、周囲に溶け込む要領は身につけてきたようだ。
納得していなくても、周りに迷惑をかけたいわけではない。だからこそ、自分なりの妥協点を見つけて行動しているのだという。
私からすると掴みづらい世界観だけれど、私の価値観を押し付けることもできないし、息子もそれを受け入れようとはしない。
私にできるのは、「そうか」と受け止めることだけ。
あとは、息子が経験を重ねながら、自分なりに生きる術を身につけていくのを、見守るしかない。
中3の途中に心療内科に通っていた頃、先生にこう言われた。
「息子さんの言い分は、まずは聞いてあげてください」
違う窓から世の中を見ている息子は、どうしてその行動を取ったのか、他の子より多くの理由を抱えているのだという。
その頃の私は、教育センターや、話を聞いてくれた人たちのおかげで、息子という個性を少しずつ理解できていた。
だから、先生の言葉も素直に受け止めることができた。
私にとっては、今も好きになれない「言い訳」。
でも、あの頃の息子にとっては、ただの言い訳ではなく、自分の世界を守るための言葉だったのだと、今では思っている。
言い訳を否定してきた子ども時代を思うと、当時の息子には、申し訳ないことをしたと感じている。




