石器時代を夢見た息子
息子が中学不登校の頃、「石器時代に生まれたかった」と言い出したことがあった。
理由を聞くと、「することが単純だから」とのことだった。
私は、「いや、それこそ毎日が生きるか死ぬかの連続だろうに」と思いながら聞いていた。
平和な日本に生まれ、恵まれた環境で育った息子がなぜそんなことを言うのか、不思議にも思ったが、息子が言いたかったのは、現代の子どもたちが抱えている「生きづらさ」なのだろう。
昔に比べて選択肢は格段に増え、表面的には恵まれているように見える。
けれども、実際には世界は複雑になり、単純さを失ってしまった。
すべての子どもに当てはまるわけではないが、少なくとも息子を見ているとそう感じる。
スマホによって情報量は膨大になり、子どもたちは「頭でっかち」になりがちだ。
私たちが幼い頃、体験を通じて学んだことを、今の子たちはネットから「知識」として得て、あたかも経験したかのような気持ちになっている。
要領の良さを求め、失敗を嫌う。もしかすると、子どもに失敗させたくないという親の思いも、その一因なのかもしれない。
息子の不登校時代、息子の話題は、突然始まるネットで知った情報やゲームの話ばかりだった。
ネットの話題も、「ネットで見たんだけど」などの前置きもなく、まるで自分が発見したかのように語るので、聞いている私はよく混乱した。
「それはあなたが自分で経験して知ったこと?それともネットで読んだ話?友達に聞いたの?」と、質問ばかりしていた。
息子にとっては、そんなことはどうでもよかった。ただ「面白いと思ったから聞いてほしかった」だけだった。
きっと息子の友達同士では、いちいち出所を明らかにする必要はないのだろう。
でも、私にとっては、自分の経験以外の話をするときは必ず「誰から」「どこで」知ったかを伝えるのが当然だった。
それだけ、今の子どもたちにとってネットの情報が身近で、あまりにも自然なものになっているのだと思う。それでも、私には受け止めがたいことが多かった。
中学三年生になり、息子が再び登校するようになると、話題は一変した。
学校での出来事を楽しそうに語るようになり、聞いていてとても楽しかった。
もちろん、耳の痛い話や文句もたくさんあったけれど、それでも、ネットで仕入れた話を延々と聞かされるより、息子自身が経験した話のほうが何倍も面白かった。




