第3話 盤上遊戯
座している楚人たちの視線が重い。それ以上に目の前に座る楚王の圧が強い。それをふりきるように荀罃は口を開いた。口の中が妙に渇いていた。
「これは博、ですか」
目の前で広げられる盤はわかる。ただ、念押しで荀罃は問うた。
「博は遊戯でもあり、占いでもある。お前のこれからを賭けるにちょうどいいだろう」
顎をなでながら、楚王がくつくつと笑う。禽獣が獲物を嬲る目つきに似ていた。
「……賭博はほどほどが良いと、率爾ながら申し上げましょう」
荀罃は、虚勢で以て返した。また、多少の本音もある。質実な育ちの荀罃は賭け事を軽蔑している。
盤上遊戯。博とも六博とも呼ばれるそれは、春秋時代から漢代まで愛された、いわゆるボードゲームである。後にシルクロードを経て入ってきたバックギャモンや将棋、ブラッシュアップされた囲碁に駆逐され過去に消えた。ルールについていくつかの説があるが、そのうちの一説において、この話は進める。
荀罃の目の前で並べられた盤は、正方形である。中央にやはり正方形の『方』というしきりがあり、そこから四方に向かって斜めのしきりがある。他、こまごまとT字やL字のしきりがあるが、詳細は述べない。ただ、これは世界を表している。たとえば四辺は東西南北の極辺である。『方』は太極かつ人の世界、それ以外は異界であり、この盤は宇宙そのものであった。
二人にはそれぞれ六つの駒が渡される。長方形のそれは、簡略化された魚が書き込まれていた。こちらを見る両目、背びれ。尾は省略された、記号に近い絵である。これを、横に立てて決まったマスを、反時計回りに動かしながら勝ちを競う。
布の上には、盤と駒のみで、肝心の箸が無い。駒を進める数値は箸という棒を投げ、出た表裏で決まる。盤が宇宙なら、箸は筮竹といったところであろう。古来、占いから遊戯は生まれている。これもその一つであった。
しかし、重ねて言うが箸がない。荀罃の戸惑いに合わせたように、楚王が何かを放り投げた。それはころころと床を転がっていく。
「箸も良いが、俺は占いより遊戯を好む。これを使う」
「賽、ですね」
床に転がるは十四面のサイコロである。手にとって見ると、一から十二の数字がある。あと二つは、白、黒と書いてある。荀罃は己と楚王の駒を見比べる。楚王の駒は黒く、己の駒は白い。
「この白と黒は」
「白が出ればお前が酒を飲み、黒が出れば俺が酒を飲む。それだけだ。遊戯の決着がついていなくても潰れた方が負けだな」
荀罃は思わずサイコロを取り落とした。床をコロコロと転がり、暗示のように『白』が出る。
「これは、私が贄か質を占うと伺ったが、楚王は、戯れとされるか。匹夫の行いというもの」
最後に吐き捨てるように言うと、荀罃は肩をいからすような姿勢で睨み付ける。己は確かに未熟であり、なおかつ捕虜である。しかし、そこまで軽く扱われる筋合いは無いと、怒鳴りたくもなった。
楚王はサイコロをつまむと、持ってこさせた青銅の碗に軽く落とした。チリンリンと澄んだ金属音が響く。楚王はその碗をつかみ、荀罃に突き出した。
「人の生は戯れのようなものだ。天に翻弄され、人に良いようにされる。己の力で切り開くなど狂人の行い。お前も俺もその狂人だ。狂人というものは阿呆のように踊り、戯れに生きている。戯れが嫌なら愚人として贄となれ。お前が狂人であれば、俺と踊り戯れ己の先行きを占え」
挑むように笑い、布の上に碗を置くと、楚王は返事も聞かずに手で指図した。小者たちが、脇息や酒を用意しだす。
十四面のサイコロは、象牙でできていた。なかなかに高価であるが、しかしたかがサイコロである。博は、出目に極めて左右される、運任せの遊戯である。
己の命は賽の目次第――。荀罃は、深く息を吸って吐いた。
今回は短めです。




