メイド・イン・イネス
男爵家の朝は遅い。朝は小鳥たちの鳴き声と共に起き、身支度を整えてから、用意されていた朝食を食べる。
「ご主人様」
そして、その日行う仕事を確認してから、余裕を持って仕事を始めるのだ。
「ご主人様〜」
我が家のメイドは皆優秀で、彼女達に任せておけば万事――。
「はーい!起きましょうご主人様ー!おはようございまーす!」
「んひああ!?」
突然掛け布団を剥がされた私は、夜風の冷たさに驚くあまり、変な声が出てしまった。
「えっ…!?な、なに!?どうしたの!?」
「おはようございます!起床のお時間にございます!」
「へ?起床?」
ニッコニコのシスター改め、新人メイド・イネスが、バッチリ着こなしたメイド服姿で、私を起こしてくれていた。眼福。尊い。いやまて、そこじゃない。
「まだ、夜では?」
月も星も元気に輝き、お空も真っ暗なんですが…?
「いいえ!先程小鳥がチュン♪と鳴きましたので、間違いなく朝です!」
「教会関係者って、そんなに早起きなんですか!?」
「え、世界の常識と教わりましたが…。皆様この時間には起きていて、掃除や洗濯、朝ご飯の準備を始めているのですよね?」
いやいや、早いよこれ!ポーションショップ生まれの私でも、ドン引きの早起きだよ!?どの家の窓も真っ暗じゃないか!
「…ちなみにですが、司祭様とかは、いつお部屋から出てきますか?」
「日の出が終わった頃くらいでしょうか。枢機卿様は、日が頭の上に上がってからです。しかしそれは、位が高くなるほど朝の瞑想が長くなるからで、寝てるわけでは無いのです」
「その瞑想をご覧になったことは?」
「大変神聖な行為ですので、見ることは許されません」
なまぐさ教徒共め…!お前らいつか、邪教認定されても知らないからな!
「すみませんが、次からは日の出前くらいに起こしてもらえますか?あんまり早いと、明かりに使うオイルがもったいないので」
「はっ!?私ったら、消耗品にお金がかかるってことに、気付きませんでした!わかりました!ご主人様!」
「その、ご主人様っていうのもやめません?ムズムズするんですが…」
「仕事中はやめません!ご主人様!」
かわいい…けど、強い…。私の周りは強い女ばかりだ。頼もしい限りだけどさ。
「よし、じゃあ朝?の支度を始めましょうか。私は顔を洗ってきますね」
「はい!朝食はもう準備できてます!」
「準備早すぎぃっ!?こんな早い時間に食べるんですか!?それだと昼にお腹空きません!?」
「え!?一日朝夕で二食じゃないんですか!?」
と、とりあえず、まずは常識感覚を改めてもらおう。流石に男爵やりながら、シスター達と同じ生活を送るのは、無理があるから。
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明るくなってから登城した私は、いつか見た呆れ顔の殿下と再び対面することになった。
「隣国の第三王子の次は、追放された元聖女…驚嘆すべき求心力だな。これは皮肉で言ってるんだが」
「お褒め与り恐縮です。イネスさんに関しては、半ば強引に引っ張りましたけどね」
「ていうかお前が選ぶ友人って、キワモノばかりだよな。もう少しノーマルな友人は持てないのか?」
教会断罪劇の翌日。自分のことを棚に上げる殿下に対し、私は流石にちょっとムッとした。
「キワモノ第一号がなんか言ってますね」
「偉くなったわよね、アブノーマル第二号を妻に持ちながら」
「ぐっ!?わ、悪かったよ、二人して詰めるな!圧を抜け、圧を!」
アベラール様の空気を読む力は絶妙だ。
「ごめんなさいね。クリスさんが次々とお友達を作ってくのを見て、ボリエ様ったら嫉妬してるのよ」
「ち、違うって!」
そういえばここ最近、アベラール様は私に対して、敬語を使わなくなってきている気がする。殿下に次いで付き合いが長い方でもあるので、少しずつ距離感が縮まって来てるかと思うと、感慨深いものである。
「んんっ!……し、しかし、まあ、思い切ったな。元聖女をメイドにするとか、よほど悪趣味な成金貴族しか考え付かないことだ」
「成金貴族の部分は否定しません。それより、やはりまずいですか?」
「まずいと言えばまずい。だが問題にならない」
言葉が足りん!いつもそういう所で損してそうなのに、本当に改めないな、この人は。
「補足願います。なにがまずくて、何故問題にならないのですか?」
「まず、教会が追放した元聖女を囲ったとなれば、当然お前は教会から警戒される。既に教会の評判は地に落ちているが、それでも元聖女からあらぬ情報が漏れ出るのは避けたいだろう。男爵程度の貴族なら、やつらは容赦しないだろうな」
それのどこが問題ないんだ!?問題だらけじゃないか!下手すればイネスさんが暗殺される!!
「落ち着けクリス、問題にならないと言ったろ。不安と不満が顔に出てるぞ」
「ボリエ様も、お人が悪いですわ。どうして問題ないのか、早くご説明ください」
「むしろこいつが、一番に気付いてないことが意外なんだがな。おい、お前の前にいるのは誰だ」
こいつ、むかつく。
「キワモノ第一号と、アブノーマル第二号様です」
「うふふっ」
クスクスと笑うアベラール様を意識的に無視しつつ、殿下は冷静ぶったまま補足を続けた。
「…不正解だ、この不敬者め。第二王子と、その王子妃だよ。で、お前は?」
「そりゃ殿下の使いパシリですが…あっ」
ここにきてようやく、殿下が何を言いたいのかわかった。
「そう、俺の部下であり、特別秘書官だ。当然、その所有物に何かあった場合は、俺の所有物に何かあったと見做される…と、俺の素敵な性格を調べたやつらは、そう考えている。お前ならそんな危険物に、触れようと思うか?」
「いえ、まったく」
この人は学生の頃から、宝物は抱え込むタイプだ。その宝物に勝手に触った人は、大抵えらい目に遭っている。
「つまり、そういうことだ。まあ軽率な行動に出る馬鹿は、屋敷に配備してる兵で片付くだろ。お前はそんな細かいこと気にせず、したいことをすればいいんだ」
もしかしたら私は、自分が思っていた以上に護られていたのかもしれない。私が男爵になった時点で、イネスさんより前に、母が狙われていてもおかしくなかったんだ。人質にすれば、少なくない身代金を要求できるのだから。
だが実際は、今も母は鼻歌交じりで店舗移転の準備を進めている。それは殿下の存在が、周囲の抑止力になっているからだ。感謝しないといけないんだろうな。
とはいえ、その悪意の大半は、殿下と片付けてきた厄介事が原因だったりするから、やや本末転倒な考え方かもしれないけど。
「ありがとうございます、殿下。では、したいことをさせて頂きます」
「そうしろ。それと元聖女の正式な雇用契約書が書けたら、俺のところに持ってくるように」
「はい」
このやり取りが、平和的なものに感じてる時点で、私も大分毒されているのだろうか。それとも、このあとに続く厄介事を予感して、嵐の前の静けさを感じ取っていたのだろうか。
「ああ、そうだ。お前宛に手紙が届いたぞ。いつものやつだ」
「ディオン第三王子からですか。ありがとうございます」
「まあ!ディオン殿下の最新作ね!早く開けましょう!」
「いや、だから文通ですって…まあいいか。どれどれ読んでみましょうねーっと……えっ!?」
文通の内容は、ディオン殿下らしからぬ極めて簡潔なものだったが、それ故に事態の重大さを如実に物語っているようだった。
隣国の第一王子が、我が国への亡命を図っていると言うのである。
「嘘だな。罠と言い換えても良いが」
ボリエ殿下の反応は冷たかった。
「どの点でしょうか」
「あらゆる点がだ。亡命するタイミングも、それをわざわざ明かす意味も不明だ。そもそもこの情報を、いくらお前が相手だからって、あの王子が漏らすものか」
それは確かに。筆跡は似ているが、あまりにも内容が事務的に過ぎる。…が、それよりも気になることがある。
「罠にしては、内容が飛躍し過ぎているようにも感じられますわね。案外、全くの嘘というわけでもないのかも」
「事実が混ぜられてると見てるわけか?…ありえなくもないか。判断材料が無さ過ぎて、あらゆる可能性が否定できないのも確かだが」
アベラール様の言う事も一理あるのだが、もっと根本的な部分が、私には引っ掛かっていた。
「すみません、御二人とも、その前に確認させて頂いてもよろしいでしょうか?とても大事なことなので」
「なにかしら?」
「隣国の第一王子の名前って、なんでしたっけ?ていうか、どんな人でしたっけ」
肝心な相手の人と成りを、私はさっぱり覚えていなかったのである。
「……アーマンだ。アーマン・フォン・マルティネス第一王子。思い出したか?」
「あー、あー、なんとなく思い出しました。元第二王子に潔い最期を迎えるように言ってた人ですね」
しかし相変わらず顔が思い出せないな…。あの日はディオン第三王子以外、全員似たりよったりな作り物の笑顔を浮かべてたから、印象に残っていないんだ。
「興味ないと決めたら、相手が王族でも覚えないのね…」
「いや、覚え方が雑過ぎるだろ。まあ、こいつはまともに会話しなかったし、あの時はそれどころじゃなかったから、覚えていないのも無理ないか。ちなみに性格の印象は傲慢、不遜、そして計算高いと俺は見ている。邪魔と見るや、弟でも容赦なく切り捨てる冷淡さも備えているな」
なんかヒューズ殿下に似てる気がする。
「それは王族としては、どうなんですか?」
「普通じゃないか?廃嫡された、ブリアック第二王子も普通だったかは、知らんけどな」
普通なのかー…普通だから似てるのか…?間違っても王族には生まれ落ちたくないな。平民生まれで本当に良かった。
「それで最初の話に戻る訳だが、この手紙だけでは動きようが無い。クリス、調査を頼めるか?我が国を代表して、ディオン第三王子に直接謁見し、手紙の中身を確認してきてほしい。もし本物なら真偽を確かめた上で、俺に報告してくれ。手続きはこっちで進めておく」
まあ、それが一番手っ取り早く、確実だろう。
「わかりました。アーマン第一王子の周りも探った方が良いですか?」
「やめとけ。下手に嗅ぎ回るとスパイと思われて、お前の外交的優位性が損なわれる。友人に手紙の内容を確認する体で行って、適当に一泊してから帰ってくればいい」
うーむ、それもうただの観光だな。でもディオン殿下と直接繋がってるのは私だけだし、ここは役得と思っておこう。
「あ、イネスさんも連れて行っていいですか?」
「元聖女を?別に構わんが、何故だ?」
「旅程で、一般常識を学んで頂こうと思いまして。起床は空が白んでからとか、ご飯は一日三食とか」
「………やっぱりキワモノじゃないか」
キワモノ筆頭に言われましてもね。
「気を付けてね、クリスさん。向こうで出された物とか、受け取る時は慎重になるのよ」
「心得ております、奥様」
こうして私とイネスさんの、調査旅行が始まった。しかしこの手紙一枚が、想像以上の事態を巻き起こす幕開けになるなどと、この時はまだ誰も想像していなかった。