用済みと言われた元聖女ですが、もう一度やってくれと土下座されました。今更以下略
視察当日。私は殿下、そして奥様とともに、王族用の馬車に揺られていた。もちろん行先は聖堂だが、今回はこれまで着ていた平民服ではなく、貴族が着るようなドレスを身に纏っている。
「そろそろだな。準備はいいか、二人とも」
「はい」
「…ボリエ様、本当によろしいのですか?今ならまだ、作戦の修正もできると思いますけど…」
アベラール様は不安そうにされている。だが無理もない。今回の作戦は、色んな方面に対して衝撃を与えるものだ。陛下の了承を戴いているとはいえ、穏やかな彼女からすれば、これでいいのかと感じているのだろう。
「作戦と言うほどでもない小細工だろ、こんなの。むしろ看破するくらいの気概を見せてほしいところだ。大丈夫、いざとなればアベラールを抱えて逃げ出すさ」
「ボリエ様…」
「あ、お前は走って逃げろよ」
「このドレスで走れと?」
無理に決まってるだろ、鬼畜王子め。
「…ついたぞ。今日も商売繁盛しているようだな」
聖堂の前は、以前よりもさらに大きな人集りが出来ていた。流石に屋台は出ていなかったが、連日肉や魚介を焼いていた匂いまでは、消しきれていない。そのせいで神聖な趣でありながら、俗物的な印象が強くなっていた。
「こ、これが聖堂?クリスさんの報告は聞いてましたが…これほど堕落しているとは。去年来た時は、もっと神聖な空気が流れてましたのに…」
「屋台が出てないので、これでも数段装ってる方ですね。炭火焼の食欲をそそる匂いもありませんし」
「神への冒涜だわ…!」
「耐えろ、二人とも。ほら、お迎えが来たぞ」
私達が馬車から降りると、その開かれた道の奥から、如何にも高位な地位にありそうな男性が歩いてきた。あれが、この聖堂の管理者か。
「ようこそいらっしゃいました、ボリエ第二王子殿下。私は枢機卿のカースンと申します。本日は私が、聖堂をご案内致します」
「ボリエ・フォン・バシュレだ。多忙の中で視察に応じてくれたこと、誠に感謝する。今日は補佐役と、婚約者であるアベラールを連れているが、同行を許可して頂けるだろうか」
婚約者という言葉で、周囲がざわめいた。殿下が公式に婚約者を連れ歩くのは、卒業前の学園内を除けば、これが初めてである。
「婚約者様を…?も、もちろんでございます、殿下。ささ、どうぞ中へお入りください」
枢機卿を名乗る男は、露骨に困惑した様子だった。彼ほどの地位にいるなら、殿下が既に結婚しているという情報は、事前調査で把握しててもおかしくない。
「ご覧ください。皆、我が教会の信徒たちです」
荘厳な聖堂の中は、上品な人間を選りすぐったと思われる信者達でいっぱいだった。ここ数日の喧騒が嘘のように整然としており、流石に物を食べながら祈るものはいない。当たり前だがゴミは落ちていないし、話し声や歓声も聞こえてこなかった。
しかし無理に取り繕っても、綻びは生まれるものだ。見た目だけは麗しい殿下を見て、シスター同士が小さくはしゃいでいるのが見えた。
「…っ!?」
唯一、シスター・イネスだけが直立不動を維持していたが、私の姿を見ると流石に驚愕していた。ずっと平民服で接してたので、まさかこの場で貴族として登場するとは、思わなかったのだろう。
あるいは彼女のことなので、もっと別の事実に気付いたのかもしれない。
イネスさんには謝らなければいけないことが沢山ある。この厄介事が片付いたら、まず一番に彼女の元へ向かおう。許しては、くれないだろうけども。
「……でありまして、我が聖堂のステンドグラスには特別な塗料を――」
祭壇までの道中を、枢機卿がゆっくりと歩きながら解説していく。ちょうど正午に祭壇前へ辿り着けるよう、枢機卿自ら調整しているのだろう。ご苦労なことだ。
どれだけ彼が予行練習したかは不明だが、祭壇の解説が終わるのと、正午の鐘が鳴ったのは、ほぼ同時だった。それに合わせるようにして、祭壇の奥から予言の聖女が現れた。
「殿下。我が教会の当代聖女をご紹介致します。神に愛されし予言の聖女、フランシーヌでございます」
「当代聖女のフランシーヌです。こうして直接殿下へ予言を授けられますこと、大変名誉に感じております」
名前を呼ばれたフランシーヌは、やはり聖女に相応しい、壮麗な衣装を身に纏っていた。聖女とはいえ、身分上は殿下よりも下に分類されるはずだが、祭壇の上から下りてこない。聖堂内では、聖女こそが最上位というわけか。
殿下は聖女を少し見上げることになったが、気にした様子も無い。立っている位置で立場が変化するほど、彼の地位もまた軽くないからだ。
「ボリエ・フォン・バシュレだ。早速で悪いが、王家の…いや、俺の未来を占ってほしい。近々結婚を予定しているのだが、神の後押しがあれば心強い」
「まあ…それはとても喜ばしいことですね。もはや占うまでも無いとは思いますが、王家の繁栄を占ってしんぜましょう」
そう言うと聖女は、静かに両手を組んだ。例の如く日光が彼女に降り注ぎ、清らかな風が吹き抜けていく。
そしてしばらく後、聖女は静かに涙を流し始めた。その涙は一層強くなった日光で光り輝き、祭壇の床を濡らしている。まるで救世の勇者でも現れたかのような喜びようだ。
「おお…見えました…これは、なんて輝かしい未来なのでしょう!神よ、これが貴方がお約束された未来なのですね!」
「何が見えた?聖女フランシーヌ」
「やはり王家の繁栄は、間違いありません。見えました、殿下と王子妃が式場で並び立つお姿。そして大きくなったお腹を撫でながら、愛おしげに殿下を見つめる――」
フランシーヌの人差し指が、ゆっくりと伸びていき。
「――公爵令嬢、アベラール様のお姿が」
私を、明確に指差した。
私と殿下の、やや後方に立っていたアベラール様が、顔を強張らせているのが、見えずとも分かった。
殿下の方に至っては、怖過ぎて私からは確認することもできない。だが、明らかに怒気が漲っている。
「ほう、確かに見えたのだな?俺がこの娘と結婚し、子供を授かるという場面が」
「左様です」
「それで王家の繁栄が約束されると、そう占ってくれるのだな」
「…?はい、そうです」
「枢機卿。この見解に異論はあるか?」
「え!?い、いえ、あの!こ、これは、なんと言いましょうか…!」
枢機卿は、当然この誤りに気付いている。だが、もう遅い。
貴方達は完全に、殿下の逆鱗に触れてしまった。
「お粗末だな、枢機卿。俺が、こいつと結婚して、子供をこさえるだって?よくこれで予言の聖女などと宣伝出来たな」
「そ、それは、少し手違いがありまして!ち、違くてですね!?」
「え?えっ!?」
混乱する聖女だったが、自分が何か間違えたことだけは察したのか、その顔面は蒼白だった。
「偽りの予言者よ。君の予言には二つ誤りがある。まずひとつ、こいつはアベラールではない。俺の特別秘書官だ。当然、こいつと結婚する予定などない」
「ひっ!?う、うそ…!?だ、だって、後ろの方は貴族服を…!」
アベラール様はこの日に限って、普段私が着ているような、貴族服を着ていた。一見すると、殿下の横にいた私の方が、ずっと高位の人間に見えたことだろう。枢機卿は案内を始めた際に気付いていただろうが、それを聖女に伝える時間は無かったのだ。
「そ、そうですぞ、殿下!婚約者様よりも、異性の秘書官を側に置くなど、常識では考えられませぬ!聖女様が誤解なさるのも、無理のないことです!」
「異なことを。聖女フランシーヌは、未来が見えたのだろう?であれば、この二人を見間違えようがあるまい」
余談だが、極めて女性的な体つきをしているアベラール様に対し、私は女児体型である。
「そ、それは…!」
これだけでも致命的なミス。しかし二つ目の誤りは、さらに深刻だった。
「そしてふたつ目だが、俺は後ろのアベラールと、既に挙式を終えている」
「ご結婚を済まされている……!?」
「そんな、先程はご婚約者様とおっしゃっていたじゃありませんか!?」
「あれは嘘だ。だが本物の予言者なら、結婚式を挙げる姿が未来で見えるはずが無いと思っていた。過去に済ませてあるのだからな」
いやいや…もう失笑すら浮かばない。本当に人が悪すぎるよな…殿下は。
教会側は、殿下とアベラール様のご結婚に関して、ある程度の情報は掴んでいたはずだ。でなければ、予言でアベラール様の名前は出せない。しかし殿下が「結婚前」と宣ったため、向こうもそのように扱うしか無かったのだ。
まんまと殿下に乗せられた形だが、それでも殿下の作戦は、ご本人の言う通り小細工の域を出ない、お粗末なものだ。教会側にもクリアするチャンスが十分に残されていた。
まず事前に聖女様へ、アベラール様の似顔絵でも見せておけば、少なくとも私と誤認するミスは起こらなかった。
或いは私達が馬車から降りてきた時、恥を承知で身を翻し、聖女様へ状況をお伝えすれば、それで済む話だった。だがそれは枢機卿のプライドと、時間が許さなかったのだろう。正午ぴったりに祭壇前に到着しなければならないプレッシャーも、誤断を招いた一因になったはずだ。
そして要求されていたのは殿下の未来なのだから、結婚式には触れず、結婚後の夫婦円満だけ見えたことにすればよかった。先に嘘をついたのはこちらなのだから、多少ぼやけた予言になっても、責める道理は無かったのに。
ここまで何もかも的はずれな予言となれば、もはや言い訳も出来ない。
「信徒を騙して愉悦に浸るまでなら、大目に見ても良かったがな。だが偽りの予言をネタに営利行為を行い、寄付金を声高に要求するのであれば、それは詐欺行為と判断せざるを得ない。寄付をする人々は、予言を本物と信じて、資金を投じているのだからな」
教会の犯罪行為が、白日の下に曝された。このことに一番ショックを受けていたのは、信者たちよりもむしろ、聖女の方だったかもしれない。
彼女は顔を青くして、ブルブルと震えていた。
「さ……詐欺行為……!?わ、私達が……私が……!」
「弁明があれば聞くぞ、聖女フランシーヌ」
「……いえ……何も、ございません」
「では、君は予言者ではないと、認めるのだな?」
「………はい。認めます」
罪を自覚した聖女は、意外なほど素直に、罰を受け入れようとしていた。もしかしたら衣装と化粧で分かりにくいが、私が思っていたよりも幼いのかもしれない。
「フランシーヌっ!!貴様っ!!」
「枢機卿様!全てが明るみになった以上、予言の奇跡を演出することなんて、不可能です!わ…私達は…いえ、私は!詐欺を働いたんです!お金を騙し取っていたのです!罪を…潔く認めましょう…!」
「ぐぬっ…!こ、この、世間知らずの小娘が…!」
さて、殿下がこの場を使って教会を断罪したのには、三つの理由があった。一つ目はヒューズ第一王子に先んじて結婚したことを、大衆の前で暴露することで、王位継承の優位性をアピールするため。二つ目は明確な詐欺行為に及んだ教会を大衆の中で断罪することで、その大衆を味方につけるため。
「そんな…じゃあ予言は、本当に嘘…!?」
「だ、騙してたのか!俺達を!」
「寄付金を返せー!!偽の聖女を許すなー!!」
「ひぃぃ…!ご、ごめ…ごめんなさい…!ごめんなさい!」
多くの民衆が集まる中、予言が詐欺であることを暴露して断罪する。これほど分かりやすく、痛快な正義執行は無い。ボリエ第二王子殿下は、今この瞬間、最も民衆から支持を受ける男となっていた。
……が。
「やめろッ!!」
恐らくこの殿下にとっては、三つ目の理由が一番重要だったことだろう。
わざわざこの場に訪れた三つ目の理由。それは極めて単純なものだった。
「その拳で、罪を認めた少女を殴打して、被害者を気取るつもりか!!それで俺が、諸君らを誇るとでも思っているのか!!」
……馬鹿共への説教である。
ボリエ殿下が一喝すると、聖女フランシーヌに向かっていた暴徒たちがピタリと動きを止めた。まさか悪を裁く側の王子が、自分たちを止めるとは思わなかったのだろう。
「確かに、彼女は詐欺という罪を犯した。それも教会ぐるみの、大規模な詐欺行為だ。それは必ず裁判にかけることを約束しよう。だが君達は騙されている間、幸福を手にするために、この神聖なる聖堂をどのように扱ってきた?肉を食い散らかし、酒を飲み、予言に歓声を上げながら、それで神に祈りを捧げてきたとでも言うつもりか?金で祝福を買えると、僅かでも考えなかったと断言できるか?そんな堕落した者達に、神が救いを与えるはずがないだろう!!恥を知れ!!」
殿下の叱責は、聖堂の外へも聞こえていたようだ。子供達の泣き声が混じりはじめ、やがて大人の女性たちの中にも涙ぐむ者が現れた。
「ボリエ様、落ち着いてください。ボリエ様が、民衆の皆様へお伝えしたかったのは、そんな強いお言葉ではなかったはずでしょう」
熱くなる殿下を制したのは、やはりアベラール様だった。自らを律したらしい殿下は、それ以上何も言わなかった。その殿下をフォローするように、アベラール様が民衆の前に立った。
「皆様、このような形で表明することをお許しください。私が、アベラール・フォン・バシュレです。偽りの予言に騙された皆様が、お怒りになるのは理解できます。幸福な未来を確定されることに、希望を抱くのも無理からぬことでしょう。しかし考えてみてください。一年前の同じ日、皆様は予言が無くとも立派に営みを続けていたのではありませんか?予言に頼らずとも、神に祈りを捧げながら、強く生きてきたのではありませんか?そのおかげで、今のこの国が豊かでいられるのではありませんか?」
悔恨と失望で顔を下げていた人達が、アベラール様のお言葉で、少しずつ明るさを取り戻していく。殿下に足りない部分を、アベラール様が補佐するのを見た民衆は、二人の結婚が理想的なものであると理解しただろう。
「さあ、皆様。今日で予言に頼ろうとする日々は、終わりにいたしましょう。今日まで強く生きてきた皆様に必要なのは、決められた未来ではありません。皆様が自ら築いていく、明日に勝るものは無いのですから!」
すすり泣く声に拍手が混じり、その拍手はあっという間に聖堂内を埋め尽くした。その様子を見た枢機卿は膝から崩れ落ち、予言の聖女はただ涙を流しながら、アベラール様を見つめていた。
拍手が収まらない中、改めて殿下が、枢機卿達へ向き直った。
「カースン枢機卿、聖女フランシーヌ、ならびに司祭以上の称号を持つ者は、王城にて詳しく事情を聞かせて頂く。取り調べが一段落するまで、信徒を含めた全員が、礼拝以外の目的で聖堂を使うことを禁ずる。また取り調べの対象から外れた者達も、宗教団体の枠から外れた営利行為は、今すぐ中止せよ。もしそれが認められた場合は、諸君らを営利団体とみなし、補助金の返還請求ならびに相応の課税を開始するものとする。以上だ」
信徒は皆、今日は自分の家に戻り、これまでの軽薄な行いを反省するように。そう宣言した殿下が解散を指示したことで、一時間も経たずに、聖堂周辺からは人がいなくなっていた。
「……ふう。私達も王城に戻りましょう。取り調べをするに当たって、捜査する方々に情報を共有しなくては」
「そうだな。おいクリス、帰るぞ。…クリス?」
…いないな、シスター・イネス。後片付けに忙しいのだろうか。帰る前に、一言謝っておきたかった。それに…空っぽになった聖堂に対して、思う部分があった。
「殿下。本当にこれでよかったのでしょうか」
「お前も納得していただろ」
もちろん、そうするしかないと思っていた。イネスさんから恨まれる覚悟もあった。だが断罪後に残ったものは、信用を失った教会と、人を失った聖堂だけだ。その現実となった事実が、私の中の罪悪感を刺激した。
「確かに予言は偽りでした。でもそんな予言を求め、教会に寄付金を払っていた人々は、実は幸福だったのではないでしょうか。そしてそのお金で、シスター達の生活が潤っていたのも、事実だったはず。私達はただ、彼らの幸福を破壊しただけだったんじゃ…」
「これでよかったんだよ。今更悩むな」
殿下の声色は、塵芥を蹴散らすような気楽さがあった。だが、その後に続く言葉は、完璧な法解釈だった。
「騙し騙されて、お互い幸せなのは結構だが、結局は宗教団体が、詐欺めいたショーで金を稼ぐなってだけの話だ。それを許したら、他の営利団体が馬鹿を見るだろ。もし教会が今後も予言ショーで金稼ぎを続けたいなら、営利活動許可を申請し、指定の税金を納め、客から見物料を正式に受け取ればいいんだ。教会の看板を取っ払ってな」
「仰ることは、わかります。ですが…」
殿下の言ってることは、正しいと思う。
でも、それは国を管理する側だから認識できる正しさだ。今を生きるのに必死な平民たちには、そこまでの想像は働かないし、知識だって得られない。
「…これじゃあ、救いが無さ過ぎます」
「……そうかもな」
あの場に集まってた人達は、自分達が騙されているだなんて、想像もしてなかったはずだ。そして恐らく聖女フランシーヌの方にも、詐欺を働いている認識は無かった。ただ善意で、皆にわかりやすい形で、作り物の奇跡を提供しようとしただけだろう。だって他の聖女も皆、してきたことだったから。
それらをすべて知っていた人々が、民衆と彼女達を利用したんだ。自分達が得をするために。
今のままでは、きっとまた、繰り返す。だったら。
「…殿下。あの披露宴で、殿下は王となった後、身分に関係なく才あるものが活躍できる国にしたいと、そうおっしゃってましたよね」
「聞こえてたのか。ああ、今でもそう考えている」
「であるならば、教育にもっと力を注ぎましょう。もっと学校を作って、貧しい人々でも、殿下のような見識を持てるような人を育てる、教育体制を作るべきです。人々に知識が無いと、きっとまた同じような悲劇を繰り返してしまいますから」
殿下に、王位継承後のビジョンについて意見したのは、これが初めてのことだった。
意見を聞いた殿下は、少し驚いた表情を浮かべた後、にやりと口の端を持ち上げた。
「そう言うからには、当然お前も手伝ってくれるよな?」
「はい。持てる力の限り」
「よし、今の言葉、忘れないからな。さあ、そろそろ本当に帰ろうぜ。アベラールが痺れを切らしそうだ」
「はい」
私達は静寂を取り戻した聖堂を後にし、王城へと帰還した。その聖堂の外には、まだ沢山のゴミが、捨てられたままになっていた。
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夕暮れに差し掛かる頃。その日の仕事を終えた私は、着慣れた平民服でもう一度教会へ訪れた。外のゴミは綺麗に片付けられている一方で、教会の中には信徒が一人もいなかった。
私は奥の祭壇の前まで進み、跪いて祈りを捧げた。本来、聖堂とはこのように静かなものだ。乱痴気騒ぎで汚していい場所ではない。
私が見たことも無い神様へ祈りを捧げていると、誰かが私の横に跪いて、同じように祈りを捧げた。目を開けなくても、その気配で誰なのかはすぐに分かった。
「シスター・イネス。今日はお騒がせして、すみませんでした」
「いえいえ。一番騒いでたのは、教会と信徒の皆様ですから」
苦笑するイネスさんに対する罪悪感で、胸が潰れそうだった。
「……お話を聞いていたのに、私達は予言の嘘を暴き、聖女を逮捕することを選びました。そんなことをしたら教会の信用が落ちて、皆様の生活が辛いものになると、分かっていたのに…すみません」
「そうですね。事前に相談してくれたらよかったのに、酷い人です。祭壇じゃなくて、懺悔室に来て欲しかった位ですよ」
「本当に、すみませんでした」
「良いですよ、水臭いなーって思っただけです。でもあれからこっちも大変だったんですよ?別の支部から枢機卿様とかがゾロゾロやってきて、次の聖女が決まるまで、もう一度聖女をやってください!とか言って土下座までしてきたんですから」
思わず目を開けて、イネスさんの方を見てしまった。彼女も質素な平民服を着ていたのに、その顔は優しく微笑んでいて、慈悲深さを湛えていた。
やっばり、イネスさんが先代聖女だったんだ。あの状況で、周りのシスターの目も曇っていた中、元来の宗教観を維持するのは、よほど信心深くないと無理だもんな。
断罪劇の時も、私の格好に驚いたんじゃなくて、公爵令嬢様の扱いに驚いたんだろう。聖女の立場なら、学生時代のアベラール様にもお会いしてただろうしね。
「ほんと勝手ですよね!私を聖女にした時も、解任する時も一方的だったのに、都合が悪くなったら途端に手の平クルクルクルリンパ。見てて目が回りましたよ」
「では聖女の再任、お受けになったんですか?」
「まさか!ビシッと指を突き付けて、ドヤ顔で逆に言い返してやりましたよ!今更私の魅力に気付いても、もう遅い!ざまあ!ってね!」
「え!?大丈夫なんですか、それ!?」
「枢機卿にガチギレされて、教会から追放されちゃいました!だから今はシスター・イネスじゃなくて、無職のイネスでーす」
大丈夫じゃなかった…!割と致命傷負ってませんか、それ!?
「ふふっ…でも、これでよかったと思います。神様のことは好きでしたけど、聖女を物扱いする教会には、うんざりしてましたし。どうせ長くなかったですよ」
「そうだったんですか…」
さみしげに笑うイネスさんは、静かに歩き出すと、祭壇の上に立った。そこは予言の聖女が、殿下を見下ろしていた時に立っていた位置だった。
「クリス様。私ね、聖女なんてクソ喰らえって、ずっと思ってたんです。だって聖女って、神様が本当はいないから、代役を立ててるみたいじゃないですか」
ステンドグラスの逆光に照らされるイネスさんは、美しくも儚げだった。清楚さの欠片もない服を着ているのに、表情と仕草と、頰を伝う涙が、彼女の神秘性を否応なく高めている。
「神様がいつも皆を見てくれてて、公平に皆を救ってるのだとすれば、聖女などという存在は、初めから必要ありません。人と時代、そして信仰が必要としているからこそ、私という存在が赦されているのです」
「イネスさん…?」
「馬鹿みたいだなって、思います?でも教会が求める聖女と、時代が求める聖女は、必ずしも一緒じゃありません。だから便利に使われて、用がなくなったら捨てられるんです。だからフランにも、やめとけって話していたのに…結局、彼女も破滅を迎えました」
自虐的に独白する彼女は、それでも神秘的だった。女神が存在するなら、きっとイネスさんのような姿をしているのだろう。しかし、当の本人がそれを全否定しているのは、一体何の皮肉だろうか。
「聖女は所詮、教会にとって都合の良い象徴に過ぎないのです。きっと、これからもずっと、聖女達は利用されては消えてゆくのでしょう」
この瞬間、今朝まで見てきた夢が脳裏をよぎった。あの日、ステンドグラスを背にして、私を嘲笑したのは、予言の聖女だと思っていた。でも、それは誤りだった。
――誰の赦しを得て、存在しているのですか?クリス・フォン・ルグラン。
あれは、イネスさんだったんだ。でもきっと、今ここでさみしげに笑う、イネスさんではない。私がなにかを間違えて、彼女からの恨みを一身に受けた、別の未来を迎えた私だったのだ。
何かを間違えて、殿下と結婚した未来があったのと、同じように。
「イネスさんはこれから、どうなさるのですか?」
…教会から追放された聖女が、どんな仕事に就けるかなんて、想像もつかない。少なくとも、信徒が経営していた店は難しいだろう。しかし彼女に、国外へ逃げる金があろうはずもない。
「……えへへ。まあ、なんとかなりますよ!私、まだ年若いですし、ゴミ拾いとか掃除とか得意ですからね!バリバリ働きますよ!」
だからきっと、彼女は追放者の烙印を押されたまま、酷い仕事で金を稼ぐことになる。体や、尊厳や、命を切り売りすることで。
それでもきっと、彼女は最後まで笑顔でいるのだろう。だって、彼女は。
「それじゃあ、明日から就職活動しなきゃいけませんので、これで失礼しますね!また会いましょう!」
…人々に希望と安心を与えてきた、先代聖女なのだから。
「待ってください!」
思考よりも先に、体が動いた。彼女の手を握り、強引に引き止めていた。
「えっと…!あの!」
「クリス様…?」
言いたいことは、山程あるのに、言葉が出てこなかった。
気持ちに蓋をして、無理に笑おうとしないでほしい。私には泣いてもいいし、許してくれなくていい。罵ってくれてもいい。一生恨んでくれてもいい。
どれも本音なのに、どれも彼女を冒涜するようで、言い出せなかった。だって彼女は私を、もう赦してくれている。赦した上で、全てを抱えたまま、追放を受け入れようとしている。
そんなこと、してほしくない。この人はもう、シスターでも聖女でもないのだから。
――平民は施しておけば喜ぶと考えるのは、貴族や王族の傲慢だとは思わないか。
すみません、殿下。貴方のやり方に、倣わせて頂きます。
「メ…メ…」
「め?」
「メイド!やってみませんか!?うちで!!」
「………へ!?」
今日はよくイネスさんを驚かせる日だなと、場違いな考えが頭をよぎった。きっと今の私は、正常じゃないんだろう。
でも、いい!ここでイネスさんと、ずっとお別れするより、その方が良い!
「私、こう見えて男爵になったばかりで、一人で全部やってるんです!掃除炊事洗濯、全部!ちょうど募集しろと殿下にも突っつかれてまして!」
「家事全般ですか!?男爵様なのに!?ていうか、お貴族様だったんですか!?ひぃぃぃ色々と失礼しましたぁぁぁ!?」
いや気付いてなかったのね!?断罪劇の時点で察してたと思ってたよ!って、そんなことはいい!
「イネスさんは、お掃除がすごく上手ですし、きっと洗い物とかもご自分でされてたはず!だったらメイドの資格は十二分!むしろ天職です!かわいいですし!」
「か、かわいい…!?で、でも私、結構そそっかしいし、こんな田舎娘だと男爵家とは釣り合わないのでは…?」
「私も元平民なので釣り合います!それと、ポーションショップの手伝いもお願いします!私の実家なんで!アルバイト料も出すんで!!」
「情報多すぎません!?いや、あの、でも…いいんですか?私は追放されたシスターですから、外聞が良くないと思いますけど…」
「むしろステータスです!希少価値です!」
「……大した力、ありませんよ?」
「必要ありません!私が、イネスさんを求めてるんです!イネスさんがいいんです!ぜひ、うちで働いてください!サイン、いえ指印でも良いの…で…」
私は興奮を抑えきれず、鼻息荒くしながら、駄目押しでカバンの中にある雇用契約書を取り出そうとした。だがイネスさんを捕まえてた手に、冷たいものが当たり、驚いた私は動けなくなってしまった。
「……私…こんな幸せでいいのかな。シスターだった時も、聖女やってた時も怒られてばかりで、フランのことも止められなくて…なのに、追放された後も、手を差し伸べて…貰える、なんて…!」
イネスさんが、顔をクシャクシャに歪ませながら、涙を流していた。
「…イネスさん、私には貴方が必要です。一緒にいるだけで楽しくて、誰よりも綺麗好きで、献身的な貴方が。だから…私の下で、働きませんか?」
彼女を捕まえてた手に、もう一つの手が重なった。イネスさんの涙は止まらない。でも、その涙は温かくなっていた。
「はいっ…!クリス様のお屋敷で、誠心誠意勤めさせて頂きます!不束者ですが、よろしくお願いします!」
満面の笑顔を見せた彼女の前歯は、一本だけ欠けていた。それすらも彼女の魅力であるように、私には感じられた。




