聖女様の予言を見聞きしました
男爵家の朝は遅い。陽が出てから御付きのメイドに起こしてもらい、既に用意されている朝食と黒茶で体を温める。十分に体が目覚めたら、公務を始める。
……ものだと思っていたのだが。
「いただきます」
まだ少し暗い早朝に、私は食事部屋で一人、薬草炒めを食べていた。うむ、実に不味い。体力が漲ってくるのを感じる。
「ごちそうさまでした」
ついでにお昼に飲む用で、甘めの回復ポーションを数本調合し、瓶詰めしておく。おやつ兼栄養ドリンク代わりである。
身支度を済ませたら、すぐに王城へ向かわなければならない。眠気覚ましで濃い目に入れた黒茶を胃に流し込むと、私は派遣されていた警備兵と共に、王城へと駆け出した。
向かう先はもちろん、第二王子夫妻の私室だ。
「おはようございます、殿下、奥様」
「おはよう、クリス」
「おはよう、クリスさん。さあ、お掛けになって」
平民を卒業し、男爵になってから早一週間。私はほぼ毎日、こんな感じの朝を迎えている。私は息切れを整えると、奥様が用意された紅茶で喉を潤した。
「どうだ、少しは貴族の生活には慣れたか?」
「ええ。だいぶ屋敷の構造にも慣れてきました。屋敷内で洗濯できるのは、かなり助かりますね」
「なに?洗濯だと?」
「え!?まさか、ご自分でやられてますの!?」
そう、私は男爵になってからというものの、掃除炊事洗濯などの家事全般を、自分の手で片付けていた。それは実家から学園に通っていた時と、生活スタイルがあまり変わっていないことを意味する。
むしろ母が移転業務の関係で、私の屋敷にいない分、以前より忙しくすらあった。
「メイドを雇えばよろしいのでは…?募集と雇用に必要な書類は、殿下から送られてたわよね?」
「うーん、でもあれってお給金払わないといけないじゃないですか。だから自分でできる内は、自分で片付けたいんですよね。平民根性は、そう簡単には変えられません」
「お前のそれは根性じゃなくて、貧乏性というんだ。別に無理に改めろとは言わんが、これからは金で時間を買う感覚も養っとけよ」
お金を節約してるのは、殿下に肩代わりして貰ってる借金の存在も大きいんですけどねー。敢えて言いませんけどねー。
まあしかし、殿下の言うことにも一理あるかもしれない。それは、仕事内容が大きく変化したからだ。転職したと言っても過言ではない。
「さて、今日の予定を確認してくれ」
「はい、殿下」
これまで私は、ポーションショップと王国付き薬剤研究部門、そして殿下の小間使いという三足のわらじを履いてきた。
それが今や、殿下専属の秘書官もどきときたもんだ。正式な役職名は、第二王子直属特別秘書官である。
要するにこれまで週に一度程度の厄介事が、学園時代同様、随時対応するようになった訳である。いつか過労で倒れる日も近い気がする。
「――以上です。すみません、今日の公務を進める前に、殿下と奥様にご相談したいことがありまして…よろしいでしょうか」
一通りスケジュールを読み上げた私は、個人的な問題を一つ相談することにした。例の夢の件である。
「なにかしら?」
「実は――」
私はここ一ヶ月、見た夢を鮮明に覚えていることや、一部で予知夢を見ていることを御二人に明かした。そしてそれが、隣国の幻覚剤らしきものを口にしてからであることも。
「予知夢か。にわかに信じがたいな」
「既視感とは違いますの?ほら、なんとなく夢で見たことある場面が続いたとか」
「いえ、それが…」
私は見た夢を記録した日記帳を見せた。そこには一字一句、同じセリフが何日も書かれている。
「まあ…!?」
「この夢を見た後、ヒューズ殿下が同じ台詞で私を牽制しました。ですので、多分偶然ではないかと」
「なるほど、まさしく予知夢だな。だが……」
殿下は顎に手を当てたまま、私の目をじっと見つめてきた。その眼力の強さに、少し居心地が悪くなる。
「……な、何か?」
「いや、なんでもない。話してくれてありがとう。だが今のところ手の打ちようも、検証のしようもない話だ。とにかくあの日飲まされそうになった幻覚剤の成分は、改めてもう一度調べさせるよ」
殿下、何か引っ掛かってるな。顔に「計算中」って書いてありますよ、でかでかと。
「クリス、この話は俺達以外には話すな」
「それはもちろん」
絶対悪用されますからね、例えば第一王子とかに。真似して毒を口にする馬鹿が出てきても困るし。
「それと夢の内容も、あまり俺達に明かすな。話す必要があっても最低限にしろ」
「どうしてです?別に御二人にだったら、全て打ち明けても問題ないと思いますけど」
私の信頼に答えたのは、殿下ではなく奥様だった。その顔は友人と王子妃、その両面が混ざり合っている。
「その気持ちは嬉しいけども、私達が行動決定する際に、夢で先入観を抱いてしまいそうなの。あまり先回りして動くのも、政治の世界では危険な場合もあるから、敢えて夢を知らない立場で考えておきたいのよ」
なるほど、そういうことか。確かに三人で話し合う時にも、下手に夢を知らない状態の方が、客観的に物事を判断できることもあるだろう。
「そういうことなら、わかりました」
「だが不安な時は、抱え込むなよ。もはやお前は、俺たち夫婦には欠かせない一員だからな」
心強い御二人だ。絶対にこの二人を王位につけないとな。頑張らないと駄目だぞ、私!
「私も、乳母以外ならなんでもやりますよ。頼まれても、今は出来ませんけどね」
「まあ、クリスさんったら!」
「よし、良い気分転換になったな。さあ、今日も一日働くぞ!まずは城下商店組合長との会合からだ!」
王族による分刻みのスケジュール、開幕。それから数日は、夢を見る余裕も無かったのか、泥のように眠れたのだった。
夢の件で動きがあったのは、それから更に10日程の経った後のことである。
「予言の聖女、ですか?」
「正確には聖女見習い、だな。まだ年若い少女だが、どうやら最近予言の力に目覚めたとかで、修道院から急遽城下聖堂へ異動したらしい。それに伴って、急速に信者の数を増やしているそうだ」
予言か…順序よく考えるなら、予知したものを周りに話すから、予言になっているのだろう。その聖女様も予知夢を見たのだろうか?
「具体的には、どんな予言を?」
「よくわからんが、必ず当たるらしい。どういった経緯で力に目覚めたのかも含め、分からないことだらけだ。だから俺達が行って、真偽を確かめてきてほしいとのお達しだ」
誰の指示かは聞くまでもない。王子に指示出来る人間など、この世に一人しかいないのだから。
「名目としては、俺が陛下の名代として、王家の繁栄を占ってもらうことになっている。クリスにも同行してほしい。予知夢に関して、何か情報を得られるかもしれん」
「わかりました」
「それと、もう一つ頼みたいことがある。こっちの方が重要かもしれないぞ」
私は久しぶりに、猛烈な悪寒を覚えた。
これは、あれだ。謎の白い粉を鑑別しろと言われた時と、同じ悪寒だ……。
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城下聖堂は、城下町の中でも富裕層と貧困層の中間に建設されている。信者の層もまた非常に幅広く、老若男女、身分を問わない構成となっている。
私は殿下に下見を命じられ、久しぶりの平民服に袖を通し、聖堂へお祈りをしに来ていた。久しぶりではあるが、長年着てきた服でもあるなので、最近来ている貴族服なんかよりも、よほど肌に合っている。誰も私をルグラン男爵だとは思わないだろう。
「変わらないな…あの大きなステンドグラスも…高い天井も…この固い椅子も」
実を言うと、私は母に連れられて、何度かこの聖堂に足を運んだことがあった。乳飲み子の頃は行くたびにグズり、物心ついた頃では関心が無さそうに見えたそうで、10歳を境にめっきり来なくなっていたのだが。
「おいお嬢さん、もうちょい詰めてくれよ」
「うっ…すみません」
記憶の中と唯一大きく違うのは、お祈りに来ている人の数だろう。昔のことなので詳しく覚えてはいないが、こんな座る椅子が無くなるほどの大盛況ではなかったはずだ。
それだけご利益があるからなのか、それとは別にお目当ての人がいるからか。私の場合は、もちろん後者であるが、恐らく他の信者達も同様だろう。
正午を告げる鐘が鳴り、聖堂内が賑やかになった。いよいよか。
「お待たせ致しました。当代聖女フランシーヌが、ここにおいでくださいました皆様の為に、祝福の言葉をお与えになられます」
おおっ、という聖堂には相応しくない歓声があがった。教会側として、これは有りなのだろうか?もう少し神聖なイメージがあったのだが、どこか俗物的に映る。
訝しむ私とは無関係に儀式は進んでいく。最奥の祭壇横にある扉から、一人の少女が現れた。見るからに神聖な衣装に身を纏ったその少女が、殿下の言っていた見習い聖女と見て間違いない。見習いとは思えないほどに、堂々とした佇まいをしている。
その聖女が両手を組むと、天井から一筋の光が、少女に向けて差し込まれた。その姿は、誰が見ても神に愛されていると評価するだろう。
「お越し頂いた信者の皆様へ、神の祝福がありますように」
その直後、清らかな風が聖堂内を吹き抜けた。約束された奇跡に歓声が大きくなり、信者の中には涙を流しながら、神と聖女に感謝の祈りを捧げている者もいた。
だが彼らの目当ては、これだけではあるまい。
「本日もここにいる中の一人にだけ、神の予言をお伝えいたします」
待ってましたと言わんばかりに、大歓声が沸き起こった。普通なら静粛を求めるところのはずだが、やはり教会側は止めようとしない。
「……では、そこの女性の方。こちらへいらしてください」
「は、はい」
選ばれた女性は人混みと、周りの嫉妬を掻き分けるようにして進み、聖堂最奥の祭壇へ辿り着いた。そして聖女の前に――司祭から促される形で――跪くと、その小さな手が頭に乗せられる。その瞬間、熱狂が嘘のように静まり、数十秒ほどの静寂に支配される。
「…見えました。貴方の未来が」
さて、どんな未来かしら。
「…これは、とても近い未来です。結婚式を挙げる貴方。そして一年後も幸せそうに笑う、貴方の夫の姿が見えます。貴方の幸せは、既に約束されていますよ」
「ほ、本当ですか!?」
「神は信者を偽りません。さあ、祈りなさい。祈りと自己犠牲こそが、神に報いる道なのですから」
「ありがとうございます…!ありがとうございます!」
慈悲深い表情を浮かべる聖女と、感激のあまり泣き出す信者の女性。その背を撫でて、立ち上がらせようとしている男性が、婚約者だろうか。
……なるほど、ね。
「では、皆様。今日も一日、健やかにお過ごしください。皆様に神の御加護がありますように」
再び歓声が沸き起こり、それは少女が祭壇奥に消えた後も続いた。これにてメインイベントは終了といった所なのか、大多数の信者が聖堂を後にしていく。最後まで残っていたのは、私だけだった。
だが私が最後まで残ったのは、調査が残っていたからではない。
「…汚いな。掃除もしないのかよ」
信者、いや観衆が残していったゴミが、あまりにも見るに堪えなかったからだ。放置しては夢見も悪いだろうと思った私は、誰に頼まれるでもなくゴミ拾いを始めていた。
落ちているゴミの中には、あろうことか食べ物も含まれていた。まさか、聖堂内で立ち食いしていたのだろうか?
「神罰が下っても知らないぞ、まったく」
「本当ですよね!」
ブツブツと独り言を呟きながらゴミを拾ってた私の隣に、いつの間にか女の子がいた。先程の聖女と同じ位の年頃に見える。
格好からして、シスターだろうか?その割には清楚さが足りない気がするが、やはりシスターとはいえ、人それぞれの個性があるということか。
「私、いつも司祭様達には言ってるんですよ!ゴミを持ち込ませちゃ駄目ですって!なのにそういう人達からの寄付金とかお布施を減らしたくないからって、全っ然動こうとしなくて!このままじゃ神様も怒っちゃいますよね!」
「え、ええっと…そうですね」
「よし、これで綺麗になりました!お手伝いしてくださり、ありがとうございました!」
って、早っ!?私の三倍は早かったぞ!?
まるでゴミ拾いのスペシャリストだな。見たところ他に誰か手伝ってる様子も無いし、普段からこの子一人に任せきりなのだろう。
こりゃいつか、本当に神罰が下りそうだね。この子以外の教会関係者に。
「いつもご苦労さまです。私はクリスと申します。シスターのお名前を伺っても?」
「あ、いけない!私ったら勝手に盛り上がって、自己紹介もしてませんでしたね!私はイネス!シスター・イネスです!よろしくお願いします、クリス様!」
そうして手を差し出してきた子の手を握ると、年頃の娘とは思えないほどに皮が厚かった。毎日冷たい水で、洗濯物をしている人の手だった。
「また明日、お邪魔しても?」
「是非いらしてください!親切な貴方に、神の御加護がありますように!」
元気よく返事をする彼女の前歯は、一本だけ抜けていた。やはりこの子は、どこか清楚さが足りない。
でも何故か、あの聖女よりも神聖な空気を纏っている気がした。