王子様に喧嘩を売りました
人にはそれぞれの人生、それぞれの結末が存在する。
無数にある選択肢を全部正解しても、ハッピーエンドとは限らない。
間違った選択が、バッドエンドに向かうとも限らない。
だから私はいつだって、いつも自分の意志で選び取り、そして間違えてきた。
そこに後悔が残ったとしても、自分の選択であれば納得出来ることだから。
だが…だとしたら…。
「君を隣国の内通者に仕立て上げて、処刑したり、国外追放することも出来るんだよ」
王子様からの処刑宣告も、納得した上で受け入れられるのだろうか。
「平民の君に、初めから選択肢などない。我々が爵位を与えると決めたなら、嫌でも受け入れるしかないんだよ。その先に、破滅が待っているとわかっていてもね」
これは、何を間違えた結果なのだろうか。
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「……またか」
また奇妙な夢を見た。まるで未来を予知しているかのような、生々しい夢。
場面々々を切り抜いたようなその夢を、私はとある夕食会で盛られた薬を口にしてから、度々見るようになっていた。初めは、私が望む別の未来を見せているのかと思っていた。だがその夢は、あまりにも生々しく、そして目覚めた後も鮮明だった。
過去の夢もあった。私が殿下と…誠に不本意ながら結婚して、ハッピーエンド?????を迎える夢。
隣国のディオン第三王子の求婚を受け入れ、二人で駆け落ちをする夢。
そして…私が失敗を重ねて路頭に迷い、路地裏のどこかで餓死を迎える夢も見た。
それが、何を暗示しているのかは分からない。破滅を選び取ろうとしている、私への警告なのか。それともやはり、私が心の何処かで望む未来を見せているのか。
あるいは…?
「あら、おはようクリス。今日はお寝坊ね」
「あ…ごめん、お母さん。顔を洗ってくる」
「ええ。先に作業場で待ってるからね」
まあいい、所詮は夢だ。わけわからない夢に現を抜かすより、目の前の現実に向き合おう。どうせまた今夜も、同じような夢を見るに違いないのだから。
寝坊した私は大急ぎで身支度を整え、母と一緒にポーションの調合を行っていた。…のだが。
「なんだか最近、元気ないわねー。あんまり眠れてないの?」
「そうかな?…そうかも。なんか、考えることがいっぱいでさ」
…くそ、集中力が落ちている。例の夢さえ無ければ、ここまで寝が浅くなることもないのに。
「そうみたいね。薬草を炒め物にしちゃうくらいだもの」
…ん、炒め物?そういえばさっきから香ばしい香りが……?
「……えっ!?うわ、煮すぎてお湯無くなってる!?嘘でしょ!?」
「じゃあそこにお塩でも足して、朝ご飯で食べちゃいなさい♪」
「こ…この量を、ですか…!?」
…だめだ、仕事に身が入らない。夢の件とはまた別に、最近の私は考えごとばかりしている。
全ては先週の夜、殿下からとんでもない提案がされたことが、原因だった。
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「私に、爵位!?」
「ああ。父上が是非、お前に男爵位を授与したいと言っている」
そんな、どうしてそんな話に…。
「いやいやいや、冗談にもなってませんよ。私、本当にただの平民ですよ?騎士どころか、いきなり男爵って」
「妥当だろ。先月の夕食会では、俺の肉に盛られていた毒を看破し、身を挺して守り通している。あげく難攻不落と称された隣国のディオン第三王子と、どうやったのか友好関係まで構築する始末だ。どっちも勲章ものの功績だぞ」
「毒は偶然気付いただけですし、ディオン王子とはたまたま馬が合っただけなんですが」
ていうかディオン殿下、難攻不落とか言われてたのか…あの性格じゃ、無理からぬことかもしれないが。
「それに今言ったのは全部、殿下がいなかったら成せなかったことばかりじゃないですか。だったら私じゃなくて、殿下の功績でしょう。殿下にあげますよ、爵位」
「爵位をスルーパスするな。そんな軽いものじゃないからな、爵位」
「だけど素敵なお話だと思いますわ。やっとクリスさんに、正当な評価が下されましたのね」
アベラール様は、ただ嬉しそうに頷いていた。
確かに爵位を持てば、経済的には安定するだろう。登城の頻度も高まるだろうし、それだけこの御二人と過ごす時間も長くなるはず。そこは喜ばしいことだ。でも、それは…。
「うーーん…」
「クリスさん…?」
「クリス、大丈夫だ。この話は俺が陛下へ掛け合い、話を保留して頂いている」
え、そうなの?グッジョブ殿下!ナイスぅ!
「そんな、どうしてすぐに話を進めませんの!?折角クリスさんが報われようとしてますのに!!」
「それは与える側の理屈だ。大事なのは平民の意思だろ」
平民は施しておけば喜ぶと考えるのは、貴族や王族の傲慢だとは思わないか。そう話す殿下の目は、学生時代と同じでブレていなかった。安易な施しを是としないのは、この人の美点だな。
「ありがとうございます、殿下。考える時間を作って頂けたようで、安堵してます」
「クリスさん、どうしてお受けにならないのですか…?お断りする理由を教えていただけますか?」
奥様からすれば、生活水準を上げるチャンスなのに、何故即決しないのか理解できないらしい。
学生時代から差別意識の薄い、お優しい方ではあるのだが、やはりそこは元公爵令嬢なのだ。自分で金を稼ぐことへの実感は乏しいだろうし、平民と同じ視点で物事を考えるのは難しいだろう。
殿下の方が、特殊な考え方なのだ。
「お受けしないとまでは言ってません。ただ、考える時間が欲しいのです」
「こいつにとって一番の懸念は、男爵になった後も自分の店を守れるのかってところだろ」
その特殊な殿下が、私の憂いを綺麗に整理してみせた。
「ボリエ様、それはどういう意味ですか?」
「まず細かい説明を抜きにしても、男爵様にポーションショップを直営する暇は無い。それにあの家では警備の問題もあるから、王城の近くの屋敷に越してもらうことになるだろう。そうなれば店から離れることになって、通いにくくなる。それはこいつが望んでいた生活ではない」
「で、ですが経営者として兼務することなら、男爵でも出来るはずですわ。それこそクリスさんのお母様がご引退なさった後も、お店を残す事に繋がると思います。それではいけないのですか?」
アベラール様なりに、私の懸念を払しょくしようとしてくださっているのかな。ありがたいことだが、問題のポイントはそこではない。
「アベラール、お前は正しい。だが母君がご引退の後、店内に家族がいない店を残した所で、本当に店を守ったことになるのか?こいつが思い悩むとしたら、そこなんだよ。父親が遺した店で働くために、ずっとポーション調合や薬草学を学んできたんだから」
その通り。私から付け加えることは何一つ無い、完璧な代弁である。結構私のこと、考えてくださっているのですね、殿下。
「殿下のおっしゃる通りです。経済的な安定は魅力的なのですが、あのお店で働くことは、私の子供の頃からの夢でした。それを簡単に捨てることは出来ません」
「…なるほど、今ので理解しましたわ。ごめんなさい、クリスさん。私ったら目先の利益ばかりに目がいって、クリスさんの気持ちを測れてませんでしたわ。友達失格ですわね」
失格だなんて、とんでもない。アベラール様で友達失格なら、殿下なんて学生時代に失格の重ね過ぎで、退場処分を食らっていたことだろう。
「いえ、奥様が私を思ってのことと理解してますので、お気になさらず。ところで話を少し戻しますが、御二人は、私が男爵位を受け取った方が良いとお考えなのですね」
「はい!それはもう!」
即答か。かわいいな、奥様。
一方の殿下は、少し難しい表情を浮かべたまま、首を縦にも横にも動かさなかった。
「悪いが、ノーコメントだ。俺の気持ちで、お前の人生を惑わしたくない」
…それは殆ど、答えなのでは?
「とにかく、よく考えて決めることだ。二週間後に登城要請を出す。受けるにしても、断るにしても、それ以上は期日を延ばせない。だがクリス、忘れるなよ――」
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――お前がどっちを選んでも、お前が俺達の友であることは、変わらないからな。
私にとっては、その言葉が一番、心強かった。
「あらあら、本当に良いお友達を持てたのね」
私は母に爵位授与について、あくまで殿下からの打診である体で相談した。あの御二人がご結婚されたことは、まだ一応国家機密である。
「じゃあ、クリスはお貴族様になるのかしら?」
「まだ決めてないよ。お城の近くに引っ越さないといけないらしいから、お店に通いにくくなるし」
私は大きいとは言えない我が家を、改めて見回した。ここには色んな思い出がある。残念ながら父との思い出は皆無に等しいが、このお店を建てるために、大変な努力をしたと聞いた。きっと、家族思いの父だったのだろうと思う。
「あら、もったいない。爵位よりお店を選んじゃうの?」
「私は身分よりも、家族の方が大事だよ。だから平民のままでも、良いかなって思ってる」
「…貴方はやっぱり、お父さんの娘なのね」
「え…?」
母はおもむろに席を立つと、寝室から一振りの短剣を持ってきた。かなり古そうだが装飾がなされており、見るからに高価そうに見える。そしてどこか、懐かしさを感じさせた。
「貴方がうんと小さい頃、お父さんはこれの鞘でよく遊んであげてたの。これなら口に入れる心配も無いだろうってね。鞘が傷付くから止めなさいと何度も言ったのに、あの人ったら全然聞いてくれなかったわ」
「お父さんの…短剣?」
「そうよ。お父さんが遺したのは、貴方とお店だけじゃないわ。思い出だけは、貴方に遺してあげられなかったけどね」
母は愛おしげに短剣を撫でていた。まるで、愛する人が眠る墓標であるかのように。
「クリス。今日からこの短剣は、貴方が肌身放さず持ってなさい。きっとお父さんが、貴方を護ってくれるわ」
「お母さん…でも、私は男爵には…」
「お店のことなら心配無いわ。貴方の家の隣に移転するから」
ああ、移転するのか。そりゃ隣に移転してくれれば、心配することは何もなくなる……。
…………ん?
「え、今なんて言った?」
「貴方の引っ越し先に移転するわ♪」
「なにいいいいいぃぃぃ!?」
移転だって!?このお店、一旦潰しちゃうってこと!?
「そ、そんな軽い気持ちで決断していいの!?この店だって、お父さんの形見なんでしょ!?夫婦の思い出だって沢山あるでしょうに、取り壊すの!?」
「軽い気持ちじゃないわよー?前々からここだと忙しい割に、客単価が安くてやってらんないと思ってたのよね♪この機に貴族向け商品を展開できるなら、それに越したことないわよ」
「まさかの経営者視点ですか!?」
「それにこのお店もいい加減古いから、いずれはリフォームしなきゃだし。だったらいっそ綺麗に建て直したほうが、将来的に見てお得だと思わない?」
つ、強い…強すぎる…!
店に対する思い入れは、私に負けてないはずなのに、必要とあらばこうも見事に切り替えられるのか。これがシングルマザーの逞しさなのか。それともこの母が特別なのか!?
「それにね、私は貴方とは考え方が逆なの」
「逆?」
「デメリットよりもメリットってこと」
この時の母の笑みは、いつもの優しさよりも、一人で娘を育て上げた強かさの方が勝っていた。
「貴族になれば、平民よりも出来ることが増える。お店を大きくすることだって、平民よりも簡単に出来るでしょ?二号店出店とかも!特に貴方のお友達辺りが、一枚噛んでくれればね♪」
……我が母ながら、なんと逞しく、そして恐ろしい人だろう。私は正直、店舗拡大までは考えてなかったよ。
殿下。私なんかより母が男爵やった方が、絶対世のためになると思います。母に爵位をスルーパスしてもよろしいですか?
「で、どうするの?貴方の悩みの種は、綺麗さっぱり無くなった訳だけど」
「…私ってば、生まれてからずっと、お母さんに助けられてばかりだね。本当は私が、助けたかったのにな」
「だからこれから、助けてくれるのでしょ?」
ほんと叶わないな、お母さんには。私、お母さんの娘で、良かったよ。
「……うん、そうだね。分かった。やってみるよ、私!」
「それでこそ、私の娘だよ!頑張ってきなさい!」
ここまでされたら、話に乗らなきゃ罰が当たるってもんだ。色々と不安はあるが、ここは一つ、人生大博打に出てみるとしようではないか。
「お返事は来週よね?ならあと一週間、平民ライフを堪能しておきなさいな。さ、そろそろ開店するわよー♪」
店の外には、今か今かと開店を待ち侘びていた冒険者達が、所狭しとひしめいていた。どうやら開店時間を数分超えてしまったため、とんでもない待ち行列が出来てしまったらしい。
……わずか一日で私の体重が激減したことは、敢えて言うまでもないだろう。
そして登城の日がやってきた。殿下に、爵位を受け取るかどうかの返答をする日である。
私の中で、既に答えは出ていた。だから真っ直ぐにボリエ殿下の部屋へ向かっていたのだが…。
「おや、クリス君。忙しい中で今日も登城とは、御苦労なことだね」
まさか、ボリエ殿下よりも先に、この人の顔を拝むことになろうとは。まあ、この辺は王族のエリアなので、不思議ではないんだけどさ。
「ご機嫌麗しゅうございます、ヒューズ殿下。では、失礼します」
ヒューズ第一王子。王位継承を争う一人にして、ボリエ殿下の腹違いの兄に当たる人物である。
「待ち給え。その手に持っているものは、なにかな?」
「手紙です。隣国のディオン第三王子と、文通を始めたものですから、殿下経由で送っていただこうかと」
「中を見てもよろしいか?」
よろしいとでも?
「友達に送る手紙を、どうして他人に見せなきゃいけないのですか?お断りします」
「君が隣国の内通者である可能性が、捨てきれないからだよ」
誰が内通者ですって?
「あの誰にも心開かなかったディオン第三王子が、一人の平民に心を開くなんて、普通考えられない。本当なら美談だが、隣国の回し者と考えるほうが、我々には妥当に思える」
心開かれなかったのは、下心が透けて見えてたからでしょ。あの方は人好きではないが、目を見れば人柄を推し量れるほど、人間観察力に長けているから。
「大袈裟な。単に友達が少ない者同士、波長が合っただけです」
「なにより平民の君が、余計なことを書いてるのではないかと心配でね。平民は貴族と違って、自分が何を話しているのかを知らない人が多いから」
…嫌な人だ。表向きは親切心のつもりかもしれないけど、私に対する警戒心や怒りが隠しきれていない。
「そこまでおっしゃるのであれば、身の潔白を証明しましょう。どうぞ、ご覧になってください」
私は堂々と胸を張って、自分の下手くそな手紙を読ませて差し上げた。思った以上に字と文章が下手だったのか、ヒューズ殿下の顔が引き攣っている。それか、期待していた中身ではなかったからか。
「…男爵になることを書いてるかと思ったよ。それとももっと前に書いて送ったのかな?」
「書いてませんよ。以前ボリエ殿下のご結婚を、誰かさんに漏らされて大変なことになりましたので」
「威勢がいいな、平民君。だが私に手紙を見せた時点で、君は失敗している。我々に筆跡を確認させたことになるのだから」
つまり私の筆跡を真似て、違う内容の手紙と差し替えることも、今後できるようになる。そう言いたいわけだ。
「わかるかい?君を隣国の内通者に仕立て上げて、処刑したり、国外追放することも出来るんだよ」
夢の場面はここか。本当に、そのまま再現されるのだな。
「恐ろしいですね。男爵になるの、やっぱりやめようかな」
「いいや、君は男爵になるしかないよ。君の爵位授与を陛下に進言したのは、私なのだからね」
……ああ、そう。なんで王が平民の動きにやたら詳しいのかと思ったら、貴方の差し金でしたか。針小棒大に語りまくって、如何にも貴族に相応しいと思わせたんだろう。
そこまでして"平民の忠臣"というブランドを、消し去りたかったんですかね。自分から周りにアピールしておきながら、勝手なものだ。
「平民の君に、初めから選択肢などない。我々が爵位を与えると決めたなら、嫌でも受け入れるしかないんだよ。その先に、破滅が待っているとわかっていてもね」
はっ。上等だ。何から何まで全部決められてるというのなら、私も好きにさせてもらおうじゃないか。それが夢であれ、権力であれ、知ったことか。
「ありがとうございます。私も平民なりに悩みましたが、友人達と母がとても理解ある人だったので、喜んで受け入れることにしました。男爵になった後の困難も、友人や家族と一緒なら、きっと乗り越えられることでしょう。たとえそれが、国難であろうとも」
ヒューズ殿下は今度こそ、私に怒りを覚えたらしい。暗に妾腹であることを揶揄し、生意気にも次期国王はボリエ殿下だと宣言したも同然だ。さぞ御立腹だろう。
「……面白い。やってみせろ、クリス男爵。やれるものならな」
「まだ平民ですよ、殿下。ですが…お言葉はありがたく頂戴します」
そうだよ。これは私から貴方への宣戦布告だ。
私は貴族になって、ボリエ殿下を次期国王とし、父が遺したポーションショップも拡大する。友の絆と家族の幸せ、その両方を手に入れる。そのためなら、私に出来ることは何でもやってやる。
皆のお陰で、今の私があるのだ。私には、その恩を返す責任がある。
その為なら何でも使う。それが荒唐無稽な、夢のお告げであろうともだ。
「今から待ち遠しいよ、クリス君。ではいずれ、爵位授与式でな」
「……ええ、またいずれ」
ヒューズ殿下の威風堂々とした後ろ姿は、まさに国王のそれに等しかった。誰よりも権力を持っているのだと、自ら形となって表現しているたかのようだった。
ひと月後。私は王城にて、爵位授与式に臨んだ。
「平民クリス。貴殿はこれまで我が息子、ボリエ・フォン・バシュレを支え続け、そして命を救ったばかりか、外交への貢献も大とした。よってここに、我がマルティネスの名の下、男爵位を授けることを、ここに宣言する」
「謹んでお受け致します、陛下」
「では平民クリスに、貴族としての姓名を与える。以後、この名を名乗るように。貴殿の姓名は――」
ルグラン。クリス・フォン・ルグラン男爵である。
その姓は、夢ですら聞いたことがないものだったはずなのに、何故か酷く懐かしかった。
夢の性質と、ルグランの姓にピンときた人は、過去作を読んでくれてた人です。ほら、リュシーが主人公の物語。