友達の輪作戦、始動!?
母が無事に意識を取り戻してから二週間。まだまだ退院は先になりそうだが、なんとか私も少しずつ落ち着きを取り戻しつつあった。正確には、落ち着かざるを得なかった。
母が殺害されかけた件は、実行犯を誘導した証拠に繋がる手掛かりが無さ過ぎるため、殿下が編成した特殊捜査部隊による調査を続けている。進展らしい進展の無い日々だったが、自分で捜査しても進展が見込めず、当事者でありながら状況を見守る以外に手がなかったのである。
しかし転機は突然やってきた。珍しく陛下が、息子二人を謁見の間に同時招集したのだ。
「クリス、アベラール。ちょっと来てくれ」
そう切り出すと、殿下は書類の束を机の上に乗せた。その書類の表紙には、教会からのものであることを示す聖印が押されている。
「おかえりなさいませ、ボリエ様。これは…『枢機卿以下高位職の処分について取り消しを求める要望書』…?」
書類の中身は、件の詐欺事件における処分の取り消しが妥当であるとの見解と、その理由、そして該当者のリストであった。
「ここに書かれてる人達って、予言の聖女詐欺事件の首謀者達ですよね」
その処分取り消し希望リストの中に、予言の聖女様だけは入っていなかったが。
「ああ。どうやら本部は処分を不服として、取り消しと謝罪を求めているらしい」
「まあ!彼らが何をしたのか、把握できてないのでしょうか!?」
「しかも困ったことに兄上が先んじて、謝罪の手紙らしきものを教会本部に送ってしまったらしいのだ」
ヒューズ殿下が?何故??
「あの方はこの件に、直接関わっていないでしょうに」
実のところ教会側の不満も、これを現場判断した殿下と、それを承認した陛下に向けられていたようだった。だが書面上とはいえ、誰よりも早くヒューズ第一王子が頭を下げた。その素早い謝罪が、教会本部のお偉方からの溜飲をある程度下げる結果となり、各国の枢機卿や司祭等からは、第一王子の支持を表明する声が上がり始めたという。
「面倒なことをしてくれますね」
いい子ちゃんぶって、点数稼ぎか。あの王子様もせこいことをする。
「そう言うな、これも政治だ。俺が一番苦手とする分野のな」
ボリエ殿下は恥じておられるようだが、この手の策謀は本来、参謀役が考えるべきことだ。つまり私も何か献策すべきだったはずだが…今回は相手の動きが早すぎたのと、言い訳にもならないが、私自身にその余裕が無かった。
だが落ち込んでもいられない。切り替えろ、私。
「それで、困ったこととは?」
「兄上がいち早く頭を下げてしまったことで、処分の取り消しが教会の中で、既定路線になりつつあるんだよ。その一方で、教会を目の敵にして不当な処分を下した第二王子への不信と不満は、高まる一方なんだとさ」
「そんなの好きに言わせておけばいいのでは」
「城内の半分が信徒を占めるような宗教団体にか?」
肩を竦める殿下の顔には、やや引き攣った苦笑が浮かんでいた。
「……それは困りましたね」
「してやられましたわね。義兄上様も、中々油断ならない方ですわ」
クリーンな発想ではないが、卑怯とまでは言えない一手…塩梅としては絶妙と言って良いだろう。背中を撃たれた感は否めないので、称賛は出来ないが。
「教会の信徒は国外の貴族にも及びますわ。自国他国を問わず、信徒からの印象が悪くなるのは、避けたい所ですわね」
「即位した後の外交にも影響が出そうですものね。それで、陛下はなんと?」
「兄上の軽挙を諫めつつ、俺にこの騒動の幕引きをするよう求めてきた。王が大ナタを振るうより、最初に処分を下した俺自身が動くほうが、世間も納得するだろうとな」
「幕引き、ですか」
「ああ。そのためなら教会に謝ってもいいし、このまま連中を処分しても良いのだそうだ。要は俺に丸投げってことさ」
おいおい、なんか適当だな。それでいいのか、王様。
「……試されてますのね」
「何をです?」
「俺が王に相応しい器か、陛下が見極めようとしてるんだ。つまりここで全部まるっと納められたら、統治者としての技量を評価出来る」
「では逆に、納められなければ…」
「世渡りと人気取りの上手いほうが、まだマシと見るだろう」
うーむ、それは避けたいな…。どっちも癖の強い兄弟ではあるが、ボリエ殿下の方が、まだ民全体を導こうとする気概が感じられる。
私が考えている平民教育の充実化も、ボリエ殿下となら前進できそうだが、徹底的に平民を見下しているヒューズ殿下では、検討すらしないだろう。あの方は一種の政治巧者かもしれないが、あまり仁の人という印象はない。
私は自分を奮い立たせるように、両手をポンッと叩き合わせて、なるべく大きな笑みを浮かべた。
「ではいい機会ですし、全部まるっと納めてみせて、王位の内定を頂戴するとしましょう」
「簡単に言ってくれるな、お前は。まあ、やるしかないんだが」
私の腹は、男爵位を貰った時点でとっくに決まっている。あの日から、うちの殿下を王にすることが、貴族を受け入れた私の目標だったのだから。だから殿下も、腹を括れ。
「しかしどこから手を付けたものか。このまま教会本部へ赴いても、謝罪以外は受け付けないだろう」
それはたしかに。ならばこういう時は、原点に立ち返るに限る。
「まずは味方を増やしましょう。教会本部を敵に回すのは上策とは言えませんが、即位後を考えると、頭を下げれば良いという話でもありません。こちらも頭の後ろを見せないよう、対等な高さに立つべきです」
「友達の輪作戦…だったかしら?なんだか色々ありすぎて、ちょっと懐かしいフレーズに思えるわね」
「具体的には、どこから手をつけるべきだと思う?やはり、隣国からか?」
確かに隣国の王子様達の力添えは欲しい所だが、まずは足元の炎を鎮火させる必要があるだろう。それにイネスさん曰く、将を射んとする者は…ということわざも有るらしいし。今回は故事にならうとしようではないか。
「手始めに一番手近な組織から行ってみましょうか」
「一番手近な組織?…えっ!」
「おい、まさか」
「ええーー」
ーー最初に向かうのは、詐欺事件を起こした、城下町の聖堂に所属する者たちです。
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約一ヶ月ぶりに訪れた聖堂は閑散としているだけでなく、掃除が行き届いていないようで、細々としたゴミが散見された。お祭りが終わった直後がそのまま続いてるというか…まあ、一言で言えば、荒廃していた。
「これはまた、見事な廃れっぷりですねぇ。掃除は神様へ感謝を伝える最も基本的なことなのに、疎かにするとは嘆かわしいです。神罰が下りますよ。いや、既に食らってるのかもしれませんね、割とまじで」
露骨な溜息を付いたのは、元聖女様であり、現メイドであるイネスさんだ。言ってる本人は、散々肉食と酒と惰眠に溺れて堕落してるはずなのだが、本人が持つ神聖な雰囲気には、あまり影響を与えていない。
まあ肉食や酒を禁じない宗教も世界にはあるらしいので、堕落と神聖さが同居できるのは、当然と言えば当然なのかもしれない。
「掃除はやはり、シスターの仕事ですか」
「ええ。でも、たまに司祭様が代行してくれることがあります。そういう時はシスターもゆっくり、朝ごはんを食べられますよ」
「え、そんなことあるんですか!?」
お偉いさんは全員サボり癖が付いてると思ってたから、甚だ意外だ。そんな思いが顔に出過ぎていたのか、イネスさんは困ったような顔で、小さく笑っていた。
「やってくれるのは、本当に一部の司祭様ですけどね。司祭にも親切な人とか、なんでこいつ神職やってんの?早く転職すれば?って思っちゃう人とか、色々いるんです」
「へ、へえー…」
そんな司祭様達も、全員揃って牢の中か。世の中、公平なんだか、不公平なんだか。
「え、シスター・イネス!?」
どこか遠いところを見つめていた私達の背中に、幼い声が掛けられた。赤い三つ編みを二つ括りつけたその少女は、両手いっぱいにパンを抱えていた。恐らく買い物帰りなのだろう。
あれ、でもなんか見覚えがあるな、この子?どこでだっけかな…イカ焼きながら目を回してた子だっけ?
「シスター・リン?あの頃より少し背が伸びましたね」
「な、何を呑気な!?イネスが追放されてから、大変なことばかりだったんですよ!?」
リンと呼ばれた子は、周囲と教会の中をキョロキョロと確認すると、イネスさんの手を掴んで裏手の小屋まで引っ張っていってしまった。私もイネスさんに手を掴まれてしまったことで、もれなく一蓮托生である。
「…シスター・イネス、今からでも教会に、いえ聖堂に戻ってきませんか?もうあたし達、限界なんです!」
「え、えーっと…何があったのか、まずは話してくれませんか?状況が、よくわかりません…」
「シスター・イネスの、聖女としての力が必要なんです!貴方が居なくなってから、急にお皿が落ちて割れるし、お花も元気が無くなって枯れちゃうし、外のゴミも片付けても片付けても全然減らないし、変な虫がうようよなんです!!これも全部、今の聖堂に聖女がいないからだと思うんです!!」
いや前者はともかく、後半のは単に清掃不足ではなかろうか。
「お皿が割れるのは、普段から綺麗にしてないから、神様が怒ってるんですよ。お花はお水だけじゃなくて、日の当たるところに置いてあげて、お掃除をもっと頑張りましょうね」
「そ、そんなー!」
ここまで嘆くとは、よほどイネスさんの元聖女としての力が必要なのかな。
「そういえば、イネスさんが持ってた聖女の力って、なんだったんですか?聖女だったからには、特別な何かをお持ちだったんですよね」
「シスター・イネスの力を知らないですって?あ、あんた今まで一度も、教会に来てなかったの?」
訝しげに眉をひそめるシスター・リンと、キョトンとしているイネスさんの目線に耐えきれず、私はあらぬ方向へ向きながら、一言だけ言い訳した。
「…物心付いてからは、自室でしかお祈りしてこなかったものでして」
嘘です、自室でも祈ってません。神様を必要としてこなかったもので…。
「それなら知らなくても無理はないですね」
「そんなわけないですよ!?ちょっとあんた!シスター・イネスはあたしくらいの年頃からずっと聖女だったのに、本当に知らないの!?この人の力は本物なの!いい、よくききなさい!」
急に元気になったリンちゃんは、薄い胸を張りながら、誇らしげにイネスさんを指差した。
「シスター・イネスの聖女としての力!それは、清浄の力!どんな不浄もシスター・イネスが通りかかるだけで浄化されるの!まさにこれ、神の奇跡!」
「え、本物の力ですか?すごいじゃないですか」
「いえそんな…ただ私の周りが、常に綺麗になる力のことを、大袈裟に言ってるだけなんです」
それはそれですごい。妙に実用的なのは気になるが。
「じゃあ、聖女になる時もそう申告したのですか」
「まさか、まさか。当時後任がいないからって、無理やり聖女をやらされてたんですよ。浄化の力なるものも、私が人一倍掃除を頑張っていた結果、シスター達の間で広まった噂に、尾ヒレがついただけです。聖女の奇跡じゃなくて、物理です、物理」
ああ、なるほど…確かにゴミ拾いしてる時のイネスさんは、私の三倍くらいの速さで動いてた気がする。彼女の生活圏が常に綺麗なのは、彼女が常にまめな清掃を心掛けてきたからなのだな。
で、そんなまめな人がいなくなった途端に、聖堂周りもこの有り様と。いやはや。
「謙遜しないでください!数日でいいので、そのお力をお貸し頂けませんか!?もう台所のブリブリ虫を退治するのは嫌なんですー!」
そ、そんな酷い惨状なのか?どんだけイネスさんに任せきりだったんだよ。
「いや、しかし今の私はもう、シスターですらないですし…」
「頼みます!一生のお願いです!このままじゃ私、カビの中で死んでしまいそうなんです!この通りですからー!!」
今の私達に、清掃を助ける義理は無いと言えば無いんだが…半泣きのリンちゃんを見てると、なんだか可哀想になってきた。無視するとこっちが悪者みたいにも思えてくる。
…一瞬、私の脳裏にカビだらけになって動かなくなった、シスター・リンの姿がよぎった。普通に考えてそんなことはあり得ないのだが…でも聖堂の周り、すごく汚かったんだよなぁ…。
〜〜っ!ええい、これも友達の輪作戦の一環ということにしよう!一肌脱ごうじゃないか、この汚い聖堂と、泣いてるリンちゃんのために!
「イネスさん。聖女云々は抜きにして、彼女たちを助けましょう!」
「そんな、ご主人様まで…」
「司祭以上の役職者がいない今、手が足りてないのも確かだと思います。いい機会ですし、他のシスターにも清掃術を学んでもらいましょうよ。その方が今後のためにもなります」
今現在、聖堂を実質的に維持管理してるのは、シスター達だ。彼女達を快適にする手助けをすれば、少しは私達への印象も和らぐかもしれない。…というのを建前にしよう。別に掃除を手伝った所で、すぐに仲良くなれるはずもないのだが、やるからには徹底したいと気が済まない。
「それと殿下にも頼んで、王城のメイドさんも数名、お借りしましょう。一度徹底的に綺麗にしたほうが、その後の維持も楽になるはずです。王室流のやり方はイネスさんにとっても、勉強になると思いますよ」
「おお、つまりメイド研修ですね!それなら話は別です!むふふ、俄然やる気出てきましたよ!」
よし、イネスさんのやる気が出た所で、後はメイドの手配と日時の設定だな。私も今回ばかりは気合い入れないと。
「…ご主人様?王室流?殿下?ちょっと、あんた何者よ?」
「申し遅れました。私はクリス・フォン・ルグラン。ボリエ王子がここを視察した際、隣りにいた男爵です」
「は?……はあああああっ!?お、お、お、お貴族様あああああ!?」
驚愕するシスター・リンは、年相応でとても可愛らしかった。ういやつである。




