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復讐

 薄暗い部屋。


 椅子に縛られた男。


 見下ろしている私。


「くひひひ…そうだ、お前だ…お前が悪いんだ…!」


 涎が垂れている。


 嫌悪は無い。


 あるのはただ、憎悪だけ。


「平民!あの時お前さえしゃしゃり出なければ、今頃は私が王だったのだ!!お前さえ…お前さえいなければ!!」


 こいつさえいなければ。


「お前さえいなければあああ!!」




 鮮血が飛んだ。




--------

「はっ!?……はあ……はあ……」


 ベッドから跳ね起きた時、私の全身は脂汗で濡れていた。動悸が早くなっていることが、胸に手を当てなくても分かるほどだった。


「はあ…はああ…ここ、は…城の客間?」


 ……ああ、そうか。安宿に泊まろうとしたけど、こっちに案内されたんだった。


 悪夢…まさに悪夢だ。あれは、なんだ?まさか予知夢なのか?だが、だとしたら、あの男は誰だ。まさか私が、あの男を殺すのか?


 あんなことが、現実に起こるというのか。これも、変えられる未来なのか?


 その先にある未来とは、一体なんだ…!?


「うぅー…クリス様ぁー…」


 深刻な悩みを打ち消すように、大事な友人の声が隣のベッドから聞こえた。


 ホッとしてその方へ向くと、イネスさんが普段からは考えられないような顔色で、ゴロゴロとベッド上をのたうち回っていた。その声は、まさに地獄から這い出てきたかのよう。


「じ…じぬぅ…地獄の苦しみでずぅ……」


 ……まさか、悪夢を見た原因は、この声じゃなかろうな。


「それ、完全に二日酔いですね。お酒を飲み過ぎると、そうなります」


「酒ぇ……酒さえ飲まなければぁぁぁ……」


 思わずくすりと笑いかけたが、それどころではないことに気付いた。


 あれ、やばくないか、これ…?この人、もう限界なのでは?


「うぷっ」


「イネスさん、ストップ。落ち着いて、口を閉ざしたまま、おトイレ行きましょう。ね?」 


「んんうぃぃ……」


「イネスさん?……イネスさん!?ここでは駄目です、待って!お願い!!」


 滝の流れる音がした。


「イネスさああああああん!!!」




 実に爽やかな朝でした。ちくしょう。




--------

「ありがとうございました、ディオン殿下」


「ああ。また会おう、クリス殿」


 出発の朝。お忙しい時間だろうに、ディオン殿下は城門前まで送り出してくれた。


「イネス殿は、まだ駄目か」


「だ……だめで……うぶっ」


 まあ、あれだけ飲めばね…。


「なら、これを差し上げよう。主に東国で使われる薬だ。俺もたまに飲む。ああ、君、ちょっと」


 ディオン殿下は側の衛兵に何か声をかけた後、毒見のためか、粉が入った小袋をシャカシャカと振ってから、まず自分が舐めてみせた。その時、普段は無表情を貫く彼の眉間が、一瞬だけ歪んだのを私は見逃さなかった。


 確かに薬なのだろう。でも、これは多分…。


「少し苦いが、二日酔いにはこれが一番効く」


「ありがと…ござま…」


 殿下に倣ってぺろっと薬をひとなめしたイネスさんだったが、突如カッと目を見開き、地面をのたうち回りながら悶絶した。ああ…やっぱり…。


 声も出せないイネスさんに、先程の衛兵さんが水を持ってきてくれた。それを瞬時に受け取ったイネスさんは水をガブ飲みし、しかし吐き出すことはなく、なんとか飲み下した。


「苦いと言ったろう」


「す…少しだと……!!」


「それに舐めたくらいでは駄目だ。ざっとこれくらいは飲まないと。ほら」


「ひぃ!?そ、そんな大量とは聞いてなあああ!?」


 ……うん、吐かないのは偉いけどね。こら、ディオン殿下を恨めしそうに見るな。これは昨晩、調子に乗って飲み過ぎた貴方が悪い。


「もうお帰りですか。もっとゆっくりされてもよろしいのに」


 地獄の様相の第二ラウンドを迎えつつあった城門だったが、次期国王様のお声がけにより、かろうじてまともな空気が戻ってきた。酔い覚ましの薬で、すごく臭いけど。


「アーマン第一王子殿下、客間をお貸し頂き、ありがとうございました。おかげさまで、ゆっくりと休めました」


「かまいませぬ。他国から来た友人二人を、下町の安宿に案内しようとした愚弟が悪いのです。なあ、ディオン?」


「……言葉もありません」


 正確には私が安宿を探していたのを、親切心で殿下が案内しようとしたのだ。王城へ案内した方が良くないかと、影の護衛が進言してなかったら、多分まだ安宿の硬いベッドで惰眠を貪っていたことだろう。


 結果として、王城のベッドを借りられたのは幸いだった。……そんな良いベッドを滝で汚したのは、不幸な事故だったのだ。


「ところで昨日は、本当に食事をしただけなのか?そのためだけに謁見の予定は、普通組まないと思うのだが」


「ええ、クリス殿に偽の手紙が届きました。私の字によく似ています」


「何?……これはっ!?」


 そう言うと殿下は、しれっとあの偽手紙をアーマン第一王子に手渡した。……え、手渡した!?


「お見せして大丈夫なのですか…!?」


「むしろ見せる為に呼んだ。長兄にとっても良くない工作だからな。本当は昨日見せたかったのだが、あのとき長兄は外遊に出てしまっていて、時間が合わなかったんだ」


 ディオン殿下はあくまでも堂々としたものだが、一方で手紙を受け取ったアーマン殿下の様子がおかしい。わなわなと手を震わせて、怒っているような…。


「……これは事実か?これを昨日受け取っていたと?」


「そうです」


「馬鹿者ッ!」


 突然の怒声に、私だけでなく衛兵や、ディオン殿下自身も驚いていた。


「ディオン、お前ともあろうものが、あまりにも迂闊だぞ!何故昨日私に、いや父上にこれを見せなかった!友人が来たことに、そこまで浮かれていたのか!?」


「兄上…?」


 アーマン殿下は自分を落ち着かせるように、数度深呼吸すると、言葉を選びながら話し始めた。


「これを書いた人間は、貴国の者と見て間違いありませぬ。狙いは…クリス嬢、貴方です」


「え、私…ですか?」


「貴方を、彼の国から引き離すことで、得をする者がいるのではありませんか。もしかしたら貴方やボリエ殿の周辺で、何か良からぬことが起こっているやもしれません」


「し、しかし私は、そんな大した身分では…」


 言われてることが分からず、困惑するばかりだ。どういう意味だろう。私一人が一日抜けたくらいで、殿下の周りに悪影響など出ないはずだ。


 そんな私のぬるい考えは、現実主義の極致とも言える冷徹な目によって、粉々に打ち砕かれた。


「政治とは、信用や建前を武器にするもの。ボリエ殿下の忠臣として担ぎ上げられたクリス嬢は、ご自身が考えているよりも重要人物と見られています。貴国ではもちろんのこと、我が国でもです」


「そんな…じゃあ、本当に、何かが起こっていると?」


「クリス様、大変です!早く戻りましょう!?」


 うそ…うそだ。私が狙われていた?私にとって、大事な何かが傷付けられる?


 間違えたのか…?私はまた、何か選択を間違えたのか…!?


「手紙を持って、急ぎ帰られることです。さあ、早く!ディオン!早馬を騎手と共に貸して差し上げろ!」


「ならば俺の馬が一番早い。クリス殿、俺の後ろに乗れ。この責任の半分は、俺にもあるだろうから。よろしいですね、兄上」


 このあと、何が待っている?まさか、殿下や奥様が、害されているとか…?ポーションショップが燃えてたりするのだろうか…?


「ああ、許可する。父上には私から伝えておく」


「感謝します。イネス殿は、後で用意させた馬に乗ってくれ」


「は、はい!」


「クリス殿、馬房へ行くぞ!ついてこい!」


 それとも、もっと大切な、何かが…?


「……っ、クリス!しっかりしろ、走るぞ!」


「えっ!?あ、はい!」


 わからない。考えても、わからない。考えたくも、なかった。


 ディオン殿下の馬は、本当に早かった。馬車の半分にも満たない時間で、私達は自国の城内、ボリエ殿下の部屋に到着していた。


「殿下!奥様!ご無事ですか!?」


 ノックもしないで部屋に入った私達の前に、大事な友人二人が立っていた。だが、一日ぶりの再会を喜ぶ雰囲気ではない。


「っ、帰ってきたか!?よかった、無事なのだな!」


「ああ、無事だったのね!良かったわ…!」


 あの殿下が焦っている。あの奥様が…泣いている。それでも無事な二人を見て、安堵を覚えていた。だが、まだ様子がおかしい。


「何がありましたか!?」


「すぐに医務室へ行け!お前の母君が!」


 ………え?




 ベッドの上に寝ていたのは、色々な管が付いた女性だった。胸が動いているので、呼吸はしていることはわかる。


「数日前、お前の屋敷の近くに、空き家が出来たんだ。そこを改修して、ポーションショップを移転させるつもりだったらしい。昨日の昼間、その為の荷物を搬送をしてる最中、暴漢に襲われた」


 お母さんだ。全身包帯だらけで、顔もよく見えないくらいだけど、わかる。これは、お母さんだ。だって、お母さんと同じ、薬草の臭いがする。


「意識はまだ戻っていない。骨折と、打撲、そして大量出血。殺意が込められた、鈍器による殴打だ。当たりどころが悪ければ、或いはもう少し止めるのが遅れていれば、死んでいたらしい」


「…母は、助かりますか?」


「必ず助ける」


 力強い言葉だ。殿下はいつもそうなんだ。根拠が無くても、出来るか分からなくても、やると言い切る。


「…お母さん、聞こえた?私の友達はね、約束は絶対守るんだ。だから、大丈夫。今はゆっくり、休んでてね」


 アベラール様のすすり泣く声のおかげで、私は泣かずに済んだ。私と一緒に悲しんでくれる人がいる。私はきっと、幸せ者なのだろう。そう、信じたかった。


 母の手は、とても暖かかった。そしてとても、硬かった。一日中仕事をしてる人の手だ。今にも手を握り返して、おかえりって、言ってくれそうだった。


「犯人は、もう捕まえたのですか?」


「……ああ。牢で、縛っている」


「面会させてください」


「駄目だ。今のお前は、何をするか分からん」


 目の前が赤くなった私は、殿下の胸倉を掴み、思い切り引き寄せた。


「会わせろと言ってるんです!何をするかなんて、決まってるでしょ!!邪魔しないで!!」


「落ち着くんだ、クリス殿。俺もボリエ殿に賛成だ。それに今は、母君の傍にいてあげるべきだと思う。この人を安心させられるのは、娘である君だけだ」


 肩に置かれた大きな手が、どこまでも優しく、そして温かかった。母の手と、同じ温かさだった。


「……お母さん…お母さんっ」


 足元がふらつく。なんとかベッド脇の椅子に座ったけど、私に出来ることなんて、何も無い。せっかく学んだポーション調合も、お城の医務室じゃ役に立たない。手を握るのが、やっとだなんて。


 私は、なんて役立たずなんだ。平民だった頃どころか、貴族になった後だって、結局何も変わってない。無力なまだ。


 もう、どうしたらいいか、わからない。わからないよ、お母さん。


「ボリエ殿、アベラール殿。少し話がある。お時間を頂けないだろうか」


「わかった、俺達の部屋で話そう。……今はあいつを一人にしてやりたいしな」


「…ああ」


「クリスさん…」


 友達が退室した後も、私はずっとお母さんの手を握っていた。


 絶対に、犯人を許さない。


 その昏い決意だけが、私の気持ちを奮い立たせていた。




--------

 ディオン殿下は、私が医務室で眠っていた間に、帰国されたらしい。イネスさんとはちょうど、入れ違いだったようだ。


「…ご主人様。何か食べませんと、お体が保ちません」


 医務室でお母さんを見守る私に、メイド姿のイネスさんが声をかけてきた。


「…うん。でも、お母さんも食べてないから。お母さんが起きたら、私も一緒に食べますよ」


「駄目です、もう丸二日もお食事をされてません。母君様が目を覚まされた時、空腹でフラフラになった姿では、心配させてしまいますよ」


 イネスさんの優しさが、ほんの少しだけ、私に空腹を自覚させてくれたようだった。そうだよね…私がお腹空いて、お母さんが喜ぶわけが無い。


「ごめんなさい、その通りですね。何か、体力の付くものを用意していただけますか?」


「では、薬草粥にしましょう。それならお腹にも優しいですから」


 お母さんも、私が風邪を引いた時は薬草粥を作ってくれたっけな。


「お願いします」


「はい!」


 私はすっかり同じ体温になっていたお母さんの手を離し、一度客間へ戻った。暫くして、イネスさんは厨房を借りて薬草粥を作ってきてくれた。


「…美味しい」


「ご主人様が弱ってるからです。味付けはお塩だけですから、かなり薄いですよ」


 苦笑いするイネスさんは、聖女どころか女神様にすら見えた。この人は、きっとこの笑顔と声で、人々に希望を与えてきたのだろう。


 今、この国には聖女がいない。この人は私が独占していい人ではないのではないか。そんな弱気な気持ちが、言葉として出そうになった刹那、客間のドアがノックされて開いた。


「やっと飯を食う気になったか。…大丈夫か?」


「ええ、なんとか。ご心配をお掛けしてすみません」


「クリスさん、無理しては駄目よ」


「ありがとうございます、奥様」


 せっかく集まってくれたのに、気の利いた言葉を返すことも出来ない。イネスさんの言う通り、私もかなり弱っているようだ。


「犯人との面会についてだが、陛下との協議の結果、条件付きで認めることになった」


 殿下の言葉で、目の前がまた赤くなった。復讐心が蘇り、体中に力が漲る。


「どんな条件でも飲みます。すぐに会わせてください」


「まず、犯人への加害は禁ずる。それを防ぐため、護衛を一人付ける。当然武器の携帯も禁ずる。そして面会に際して、必ず俺も同行する。アベラールやイネス嬢は許可しない」


「わかりました。全て飲みます」


 きっと私の目は、返事の全てを裏切っていただろう。護衛よりも犯人の近くに立てばいいだけだ。武器が無いなら、首を絞めればいい。或いは歯で食い千切ってしまえば、もっと確実じゃないか。


 だがそんな浅はかな企みは、殿下には全てお見通しだった。


「もし一つでも禁を破れば、母君の治療を即時中止する。当然爵位と屋敷も没収する」


「っ!?」


「俺は王子だからな。法を作り、法を遵守させる側の人間だ。お前一人の違法な復讐に、手を貸すわけにはいかん。恨むなら、俺を恨め。俺だけをだ」


 初めて殿下を、本気で殴り倒したいと思った。でも、殿下の目を見た瞬間、私は冷水を浴びせかけられた気分になった。


 殿下の目は、泣きそうなほど歪んでいた。誰よりも自分自身を責めていた。


「……本当に、すまない。殴りたければ、好きなだけ殴ってくれ。俺はそれに値する、酷いことを言っているのは、自分でもわかっているんだ。お前の母君を人質にしたのも、同然なのだから。だから…頼む。不敬だなんて、絶対に言わないと誓うから」


「……いいえ、殴りませんよ、我が友。でも、ありがとうございます。やっと本当の意味で、冷静になれた気がします。もう少しで道を誤るところでした」


 そうだ、殿下の言っていることは正しい。お母さんは暴力を振るわれたけど、殺されたわけじゃない。仮に復讐を合法とする国であっても、報復による殺害は認められないだろう。


 私の方がおかしくなっているんだ。どうも私は、身内にはとことん甘いらしい。もし殿下と私の身分が逆だったら、悲劇しか待っていなかっただろうな。


「偉いわ、クリスさん。貴方の傍にいられることを、心から誇りに思う。でも……私もボリエ様も、きっと貴方と同じ気持ちよ。絶対に犯人を、許すつもりはないから」


「奥様……そのお言葉だけで、十分です」


「それで、面会はいつ行う?いつでも構わんぞ」


「では、今すぐお願いします。確認しますが、禁則事項以外の行為は、認められるのですね?」


「ああ、認める」


 …よし、腹は決まった。犯人を殺しはしない。夢の再現なんて、絶対にさせない。


 だが、心から後悔させてやる。思い知らせてやる。お前が何をやったのか、骨の髄まで分からせてやる。


「……あの、行く前に薬草粥は食べきってくださいね?折角作りましたので…」


「あっ!ご、ごめんなさい、イネスさん!もちろん、全部食べますよ!」


「…やはりキワモノだ」


「いえ、あれはツワモノですわ。それも、最強格の」


 やっぱり私は、結構幸せに違いない。薄味の薬草粥を腹に流し込みながら、私は感謝の涙を流していた。ほんの少しだけ、お粥の塩味が強くなったような気がした。

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