11.いわくつきの新居
看守に連れられて自分の独房を目指す囚人の気持ちを、私は知らない。
けれども、たぶんこんな感じじゃないかしら――鉄格子や手枷はないけれど。
ストレイ・キャットと私は、ユンの後について乾いたコンクリートの建物を進んでいた。
前を行く姿勢の良い背中は、黙々と目的地を目指している。
ドアの向こう、廊下の隅、階段の端、上階の手すり――いたるところから注がれる見物の眼差しは、どれも新人の顔を覗きたがり、素性を知りたがっていた。
私達が仲間なのか、餌なのかを確かめている。
けれども、その眼差は好奇の色こそ強かったが、表立って敵意は感じなかった。
それはたぶん、ユンのおかげだろう。
どうやら彼は組内で一目置かれる立場にあるらしく、流し目一つで皆をなだめていた。
強いものが好きだというウルフの性格からして、気に入られているのは間違いない。
かくいう私達も、彼の強さを見せ付けられたばかりだ。
私の隣を歩くキャットが、ユンに殴られた左目の下をつついて顔をしかめている。
内出血を起しているらしく、皮膚が赤く腫れていた。
「明日は酷い顔でしょうね」
私が言うと、キャットは意地悪く微笑んだ。
「催涙スプレーを喰らったときよりはマシだな。見せたかったぜ、あの面白い顔」
あらそう。
私はふんと鼻を鳴らした。
「生意気顔は、スプレー整形でも直らなかったのね」
私達のやり取りを聞きつけたユンが、振り返ってキャットの顔を見た。
「俺の拳は効いただろう?」
ユンはうっすらと口ひげの生えた口元をほころばせ、右手の指をパキンと鳴らしてみせる。
彼の英語は、どこか少しなまっていた。
「お互い様だ」
キャットは笑みを返して言った。
ユンは口の端を切っていたし、頬骨も青黒く変色している。
強烈な一撃と、軽い二撃。
確かに勝負はあいこかもしれないけれど、八対一のハンデを考えれば、やはりキャットは強いと言わざるを得ない。
ユンは廊下を進みながら、時折、組の仲間を紹介してくれた。
マーティン、蜜蜂、ラベンナ、ジロー、岩蜥蜴、サミーユ……ええと。
あんまり多いので、私は途中で覚えるのをあきらめ、媚びない程度の笑顔で応える。
一方で、私達の紹介といえば「赤猫と子猫ちゃん」だった。
なんてふざけた二人組みだ、と、彼らが思ったかどうかは解らないが、少なくとも私はそう思っていた。
だいたい、キティーなどと呼ばれるのは恥ずかしいし、自ら名乗るのはもっと恥ずかしい。
まったく、誰かしら、最初にキティーなんて呼んだのは。
どうせならもうちょっと違うあだ名が良かったわ。
そんな文句を眼差しに載せてキャットを見上げると、彼は目を丸くして、俺何かした? というように見つめ返した。
結局、私はその誰かのせいで、からかうような冷やかすような挨拶をめいっぱい受けることになった。
「キティー? 雌猫じゃなくて?」
「ヘイ、キティー! なんなら俺が飼ってやろうか?」
そんな下品な呼びかけへの受け答えはユンとキャットに任せ、凛とした態度を貫きながら、私は薄汚い廊下を進んでいった。
こういうのは、反応したら負け。
いくつかの建物を抜けて辿り着いたのは、落書きや血反吐、あるいはそれ以外のしみが目立つ、死んだ病院のような建物だった。
人気は少なく、とくに男の姿はほとんどない。
屋根の一部が朽ちて、吹きさらしになった階段の踊り場に、女達が溜まっていた。
開かれた口から揺らめき立つ濃厚な煙は、タバコかしら、マリファナかしら。
「この建物は、女性専用なの?」
気だるそうな彼女達を眺めながらユンに尋ねると、彼は少し馬鹿にするような笑いをこぼした。
「ここには、組の下っ端が住んでる。男は駆り出されるから、女が残るんだ。
もし、そんな天国みたいな場所があったら、男が放っておかない」
「なるほどね。あなたが言ったとおり、ここの組には紳士が大勢いるみたいだし」
私が皮肉で答えると、ユンは片眉を上げてみせた。
「そのとおり。残念ながら語彙に偏りがある紳士たちだ。あの有名な怪盗紳士だって、美女に弱いだろう?」
「あら」
私は彼の返答に感心した。
何より、こんな所で文学の話題が出るとは思わなかったから。
「アルセーヌ・ルパンね。読書をするの?」
ほんのりと日焼けした黄色肌の青年を見上げると、彼は少しはにかみながら「人並みには読んだ。でも、昔の話だ」と首を振った。
私は「へぇ」と頷きながら、彼にはどんな過去があるのだろう、と思いを馳せる。
やがて、廊下の中腹あたりでユンが立ち止まった。
「ここがあんた達の部屋だ」
そのドアは、何代にも渡って重ね書きされたスプレーの文字で、近代アートのように不可解な色合いに塗られていた。
一番最近書かれたらしい文字は、どす黒い色で“渡り烏”。
「前の住人の名だ。この部屋は入れ替わりが激しいから、ずいぶん派手になった」
私の視線に気付いて、ユンが説明した。
入れ替わりが激しいということは、物件に問題があるのかもしれない。
壁が腐ってるとか、大量に虫が発生するとか。
それらを想像して、私はにわかに身震いした。
いくら掃き溜めに落ちた身でも、ゴミ箱で眠りたくはない。
「このレイブンって人は、どうしてこの部屋を手放したの?」
私が疑うように尋ねると、ユンはドアの鍵を開け、その鍵を私の手のひらに落としながら答えた。
「ああ、引っ越したんだ。――横に教会のある花畑の下にな」
そう言いながら、彼は親指で地面の底を指差した。
「あら、そう」
私は唇を結ぶ。
ワケあり物件の、一番最悪なパターンってわけね。
ユンはホテルマンのようにドアを開くと、私を通すように横に控えた。
私は恐る恐る中を覗き込んだが、澱んだ空気の中に漆黒の髪の男がたたずんでいるような気がして、胃が縮んだ。
悪寒が肩を抱く。
「どうぞ?」
ユンに促され、私はキャットの腕を引いた。
「何だよ」
キャットが迷惑そうに見下ろす。
「先に入って」
「何で?」
たぶんあなたなら、幽霊もウンザリして逃げ出すだろうから。
私は理解できないでいるキャットの背中を押しながら、その後ろに隠れて部屋に入った。
彼はわざと私にもたれかかるように体重をかけながら前に進み――重い!――「へぇ、悪くないな」と辺りを見回した。
確かに広さは申し分ない。
窓から光も入るし、トイレと風呂はセパレート、天井も高い。
物件的にはそこそこだ。
けれども、前の住人の家具がほとんど残ったままだし、どこかで何かが腐っているような臭いもする。
私はますます気持ちが悪くなったが、キャットはてんでお構いなしに、部屋をうろうろ歩き回った。
そして、無謀にも置き去りにされていた小型冷蔵庫を開き、「うわ」と感動の声を上げた。
「レタスが液体だ」
猟奇的に笑う。
「窓を開けよう」
さすがのユンも顔をしかめると、スライドしない強情なカーテンをたくし上げ、窓を開いた。
爽やかな風が、部屋の異臭をさらっていく。
私は窓辺に逃げ、深呼吸をした――実際は、馬鹿でかいため息だったかもしれない。
今日からここで寝起きするって?
早くもめげそうよ。
「何か困ったことがあったら――」
私の隣に立ったユンが、窓から横方向を指差した。
「あの建物の四階に来な。俺の部屋がある」
彼の指の先にある四角いビルは、部屋の一つ一つにベランダがあり、ここよりも小奇麗で高級感がある。
ユンとは出会って数時間だが、上からは頼られ、下からは慕われる人物像を見出すのは、容易なことだった。
掃き溜めの不良に相応しいかどうかはわからないけれど、彼は評して、誠実で優しい。
「ドアに名前が書いてある?」
私が冗談めかして尋ねると、ユンは「もちろん」と答え、埃で曇った窓ガラスに指で漢字を書いた。
「雲という意味だ。俺たちの言葉で、ユンと読む」
ユンは細い目をさらに細くして微笑を残すと、きびすを返した。
キャットはというと、小型有毒ガス製造機を部屋の外に運び終え、戸口の壁にもたれて汚れた指をこすっていた。
「今日はもう休んでいい。明日は、六時にウルフのところへ行きな。話があるってさ」
ユンがドアへ向かいながら、キャットに声をかける。
「ああ」
キャットは気のない返事をしたが、ユンが部屋を出ようとすると、その前にゆっくり立ちはだかった。
帽子の下からユンを見下ろし、仄かに怪しげな微笑を浮かべている。
威圧的な態度だ。
「なんの真似だ?」
ユンが睨んだが、キャットは動かずに、「ちょっと話しがあるんだけどなぁ」と、わざとらしく語尾を延ばした。
そして、有無を言わさないまま、ユンの胸を押して部屋の中腹まで下がらせる。
私は緊迫した空気を感じ取って、無意識のうちに部屋の隅へ後ずさっていた。
「この部屋に盗聴器は?」
キャットが首をかしげて尋ねた。
「自分で調べろ」
ユンは当然ながら、不機嫌に答える。
その眼差しが、喧嘩なら買わない、と言っていた。
「もしもあるんなら、今のうちに潰しといたほうが身のためだぜ」
キャットはツバの陰の眼を光らせながら、低い、挑発的な声で言った。
「俺はお前の正体を知ってる」
正体?
私はユンの姿をしげしげと眺めた。
どうやら、ただの親切な不良ではないらしい――私にはそうにしか見えないけれど。
ユンはさもくだらないとばかりに、短く強い息を吐いた。
「この町に集うやつらには、多かれ少なかれ事情がある。俺が何者だろうと、お前には関係ない」
そう言ったが、強引に出て行こうとはしない。
おそらく、キャットが自分のどんな情報を掴んでいるのか気になっているのだ。
キャットは鷹揚に頷くと、声を発せずに唇を動かした。
丁寧に、わかりやすく――“鼠”と。
その瞬間、私が驚く間もなく、二人は動いていた。
ユンがズボンのポケットからピストルを抜き――それが火を噴く前に、キャットが蹴り落した。
しかし、ユンは怯むどころか素早く身を沈め、キャットの懐に飛び込む。
キャットは壁に背中を打ち付けられて呻いたが、右膝でユンの脇腹を蹴り上げ、身を入れ替えて、腕を捻った。
けれども、拘束は長くもたない。
ユンの肘がキャットのこめかみを狙い、それを避けた拍子に回し蹴りを喰らって――それでも、よろけたところに追い討ちをかけてくるユンの頬に拳を叩き込む。
二人は激しくもつれ合った。
テーブルにぶつかり、棚にぶつかり、肉体にぶつかり。
騒音が次々に生まれ、家具は次々に破壊されていった――部屋のどこかに盗聴器がしかけられていたとすれば、たぶん壊れただろう。
どうかレイブン、怒らないで。
埃が舞い、部屋が白くなっていく。
私はむせて窓枠にすがりつき、霞む視界の中で、乱闘の行く末を必死で見守った。
大の男が二人して暴れるには、ここはあまりに狭すぎる。
踏み潰されやしないかとハラハラした。
やがて、勝敗は決した。
キャットがユンの足を払い、倒れて起き上がろうとしたところにのしかかって、腰のくぼみを膝で押さえつける。
うつ伏せになったユンは獣のように牙を剥いて抗ったが、キャットの左手が片腕を捻って背中に折り上げ、右手が肩を押さえたので、成す術がなくなった。
「なぁ、ユン。話しがあるんだって」
キャットは獲物を逃がすまいと力みながら、搾り出すように話しかけた。
ユンが悔しげに呻く。
「ばらすつもりなら、とっくにそうしてる。今頃、ジャスパー・ラットと一緒に血まみれだ。けど、俺はそうしなかった。わかるだろ?」
さらに、なだめるようにキャットが言うと、ユンは肩越しにキャットを見据え、低い声で言った。
「目的は何だ」
「聞く気になってくれて嬉しいぜ」
キャットは顔を上げて私を探し、鼻先で部屋の隅を示した。
派手に鼻血が出ている。
「キティー、ピストルを拾ってくれ」
私はなぜかとても慌てて、壊れた椅子に駆け寄り、その下に落ちているユンのピストルを拾ってキャットに差し出した。
けれども、キャットは受け取らずに、「それ持って下がってろ」とだけ言った。
彼に言われたとおり、私は後ずさる。
相変わらず友達にはなれそうにない、黒い鉛のL字を手にしたまま。
キャットは私が十分距離を取ってから、慎重に手の力を緩めた。
解放されたユンは、しかし、暴れなかった。
背中からキャットが降りるのを待ってから、大儀そうに起き上がる。
惜敗の選手のごとく、とても悔しそうに。
キャットはユンの前で両手を挙げ、「俺は丸腰で、お前も丸腰だ」と言った。
「仲良く話そうぜ」
すると、二人は視線だけでなにやら会話をはじめた。
私の解釈では、会話の内容はこんな感じだった。
ユンがキャットと睨み、チラッと私を見る。
――いいだろう。だが、彼女は?
キャットは答えとして、渋そうに目を細め、ドアに視線を投げ、問いかけるようにユンを見る。
――こいつに聞かせるのはよそう。外で話せるところはないか?
やがてユンが部屋を出て行き、キャットがその後に続いた。
「部屋から出るなよ、キティー」
そういい残し、ドアを閉める。
私は薄暗い部屋に一人、取り残された。
「なによ……」
声に出したのは、この疎外感を拭うためだけれど、余計に腹が立った。
結局、また秘密なのね。
私は何も知らずに、だまってちょこんと座っていればいい、ただの子猫ちゃんってわけ。
私は散らかった部屋を見回し、この苛立ちを掃除にぶつける決意をする。
鋭く睨みつけると、床の上で家具の残骸たちが萎縮した。
時間が経ち、キャットが一人で戻ってきたとき、私は壊れた家具を入り口近くに積み上げていた。
この危なっかしいオブジェの題名は、『不機嫌』。
我ながら、会心の出来栄えだ。
それを怪訝そうに眺めながら、キャットが近づいてくる。
けれども、私は気付かないふりを決め込んで、黙々と清掃作業に勤しんだ。
廊下で見つけた箒で、せっせと床を掃く。
「ユンをボディーガードにつけたぜ」
キャットが箒の前に立ち、嬉しそうに言った。
私はくるりと向きを変え、床を掃く。
「なぁなぁ」
キャットはかまってほしい猫よろしく、うろうろと私の周りにまとわりつき、なおも言った。
「組に慣れるまで、俺はたぶんウルフに呼び出されるだろうから。ユンにお前を守るように頼んだんだ」
ありがたく思え、みたいな物言いが気に食わない。
私は返事の代わりに「鼻血、ふいて」とだけ言い、なおも掃き掃除を続けた。
「聞けよって」
キャットがついに痺れを切らして――鼻血を手の甲で拭ってから――箒を踏んだ。
「なに怒ってんだよ」
「別に!」
私は冷たく言った。
「猫と鼠で何の話をしたのか知らないけど、どうせ私には関係ないんでしょう」
「……知らないほうがいいってこともあるんだぜ」
困った様子でいるキャットにつんけんしながら、私は箒をひったくろうとした。
けれども、彼の足はどいてくれなかった。
「キティー」
言い聞かせるような声で、キャットが言った。
「俺やユンが持ってる秘密は、命に関わるんだ。決してお前を信用してないわけじゃない。けど、命懸けの秘密を、お前にまで抱かせることはしたくない」
彼の言う事はもっともらしく、私は分が悪くなり、拗ねた。
「でも、私はもう知ってしまってるのよ。シャ――」
“ム”は、突然口を覆ったキャットの手のひらの奥で、“ウグ”に変わった。
彼の指の上で、私がふくろうのように目を瞬いていると、キャットがニヤッと笑う。
「ほら、な。その名を口にするだけでも、命を削ることになる」
悔しいけれど、事実だ。
私は首を振って彼の手を逃れた。
「でも、ユンに私を守るよう頼んだんでしょう? 私はユンの正体を知らないのに、信用なんてできないわ!」
「心配ないって」
キャットは軽く言った。
「あいつは悪いやつじゃないし、少なくとも、お前の気に入る類の職種だから」
気に入る類の職種?
キャットの皮肉めいた表情からして、思い当たるのは――FBI。
「本当?」
私が尋ねると、キャットは「ああ」と頷いた。
「お前が今考えているのと、ほぼ同類、とだけ言っておこう」
私が拗ねたので、ヒントまではくれる気になったらしい。
「安心した?」
キャットに尋ねられ、私はようやく怒りをおさめた。
「偽者じゃないならね」
「それじゃ、早いところ部屋を片付けて出かけよう。前のすみかから、ベッドを運ぶ。まずトラックを調達しないと」
キャットが勇んで言った。
すみかを住みやすく整えるのには賛成だ。
「あれは?」
私は、窓際で難を逃れたベッドを見やる。
「使えそうよ?」
一度、ベッドマットごと天日干しする必要がありそうだけれど。
するとキャットは、あんなものはベッドじゃない、といわんばかりに首を振った。
「ベッドはキングサイズって決めてんだ。――いざというときのために」
意味深な言葉を加え、下心を覗かせる。
いざというときね。
「そうね、急激に肥っても安心だわ」
私は愛想のカケラもなく言った。
色気のない女で結構。
「それじゃあ、あのベッドは私が使ってもいいの?」
すると、彼は部屋を見回した。
「この部屋に、ベッドを二台置くスペースがあると思うのか?」
ううん、難しい。
「あなたが、キングサイズを諦めてくれれば」
「断る」
目をすがめて睨むと、キャットは勝ち誇ったように口を裂いた。
結局、私はキングサイズベッドでキャットと共に――寝るはずがない。
前のすみかにあったソファーを持ってきて、そこで寝ることにした。
キャットは不服そうだったけれど、反対はしなかった。
就寝前の憩いのときを、私達はソファーに並んで腰掛けて、部屋のできばえを眺めて過ごした。
残念ながら、テレビはまだ繋げていなかったから。
小さなセンターテーブルには、気前のいい不良の誰かがくれたというブランデーの瓶が載っている。
飴色の液体は半分ほどなくなっていたが、私もキャットも一口ずつしか口をつけていなかった。
私がアルコールをあまり好まないという理由もあったけれど、キャットも進んで手を伸ばそうとはしなかった。
祝い酒は、あまり美味しくなかったのだ。
「ねえ、私決めたんだけど」
私は膝を抱え、ふと口を開いた。
「何を?」
あまりに出し抜けだったので、隣のキャットがにわかにうろたえた。
まさか、一人で暮らすなんて言わないよな? という顔をしている。
「仕事を探すわ」
私が言うと、キャットは安心する反面、不満そうに眉をひそめた。
「必要ないだろ。金なら――」
「養われたくないの」
きっぱりと、彼の言葉を遮る。
これ以上迷惑をかけたくない、なんて言えば、もう少し聞こえはよかったかも。
そういう意味でも、私は可愛くない女だ。
「それに、いつかこの町を出て普通に暮らすときのために、お金をためなくちゃ」
そう、これはつかの間の現実逃避にすぎない。
いずれ、私は元の生活に戻る――戻ってみせる。
そう心に決めた。
「お前」
キャットが呆れたような声を出した。
「矛盾したことを言うよな」
「あらそう?」
「不良に絡まれたくないなら、部屋で大人しくしていればいいんだ」
言われてみれば、そうなのだけれど。
「そうもいかないでしょう? 部屋で引きこもりなんて、年老いた生活は嫌よ」
私はまだ十九だ。
毛糸玉一個で延々遊んでいられるほど無邪気でもなければ、編み物をしながら安楽椅子に揺られる生活に微塵の憧れもない。
それに、焼けてしまった服やなんかも買い戻したい。
優秀なボディーガードもついたことだし。
「命を狙われている人間の言う事じゃないな。けど……それも悪くないか」
何かを思いついて、キャットは思案顔を浮かべた。
「うん、悪くない。いや、むしろそのほうがいいか」
一人で納得している。
やがて、彼は大きなあくびをしながら言った。
「いい就職先がある。そこ紹介してやるよ」
「どこ?」
私が期待を込めて尋ねると、キャットはううーんと伸びをした。
「明日だ」
「職種は?」
「明日連れてってやるから。今日はもう寝る」
キャットは身体をひねって、ソファーの横についているレバーを引き、背もたれを倒した。
そして、最後にブランデーを口に含み、のろのろとベッドに退散する。
「ストリップは嫌だからね!」
彼の背中に言うと、「それも悪くない」との返事が返ってきた。
それが「おやすみ」の挨拶になった。
毛布に包まると、遠くで男の怒鳴る声や、ポンコツ車のエンジン音なんかが耳についた。
上の階を歩く足音、隣人の会話――。
私はなかなか寝付けず、ふと思い出して、レイブンの亡霊に震えたりもした。
けれども時折、キャットが静に寝返りを打つのを聞くと、一人ではないのだと気付かされる。
そして、私はいつの間にか眠っていた。
一度夜中に目を覚ましたとき、キャットはベッドにいなかった――ように思う。
けれどもそれを確かめることなく、私は再び目を閉じる。
そのまま、朝まで目を覚まさなかった。